心の健康問題:診断名と疾病の同一性




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診断書

※ イメージ図(©photoAC)

心の健康問題では、労働者が休業と復職を繰り返すことがあります。その場合、本人が転院して主治医が異なるケースなどで、提出される診断書に記される診断名が「抑うつ状態」「自律神経失調症」「抑うつ神経症」「気分変調症」などと毎回変わることがあります。

ところが、会社の労務管理上のルールで、前回の休業と同じ疾患かどうかで、休業の最長保障期間の取扱いが異なる場合などがあり、対応に悩むことがあります。「一人の労働者が多くの精神疾患にり患するようなことがあるものなのか」と疑問を感じることもあるでしょう。

診断名が変わる場合に、疾患が同一の者かどうかをどう判断するかの考え方について解説します。




1 心の健康問題の疾患名のばらつき

執筆日時:


(1)ある事業者からの質問

休業と復職を繰り返している労働者について、事業者の方から次のようなご質問を頂いた。

【ご質問の内容】

休業と復職を繰り返している労働者についてお尋ねします。休業のたびに主治医が異なるようなのですが、提出される診断書に記されている病名が「抑うつ状態」「自律神経失調症」「抑うつ神経症」「気分変調症」などと毎回変わります。

前回の休業と同じ疾患かどうかで、休業の最長保障期間の取扱いが異なりますので困惑しています。一人の労働者が多くの精神疾患にり患するようなことがあるものなのでしょうか?

本稿では、この質問に答えることにより、診断書の精神疾患の診断名についての問題を解説するとともに、何をもって同一の疾患と判断するかの基準を示したい。


(2)精神科の診断名のばらつき

診察する医師

※ イメージ図(©photoAC)

精神科の診断名は、同じ病態(病状)でも医師によってばらつくことが知られている。これは、ひとつには診断に関する考え方(診断基準)が時代とともに変わるため、古い基準で診断名を付ける医師がいるのも理由である。

しかし、診断名がばらつく大きな原因は、それよりも、診断した疾患名をそのまま診断書に書くと患者が偏見の対象になるおそれがあり、また本人が疾患名を嫌がると治療に差し支えることもあるので、診断名に工夫をしたり、状態像(※1)を診断名とする配慮である(※2)

※1 状態像とは、(いくつかの)症状が出ているその状態といったような概念である。

※2 本村博「職場復帰(松下正明他編「家庭・学校・職場・地域の精神保健」所収)」(中山書店 1998年)など。

この点について、例えば、島は次のように述べる。

産業医の診断書はふつう上司、人事、健康管理室に回っていくのですが、そうすると誰が見るかわかりませんので、当たり障りのない病名を付けることがあります。これは仕方がないと思います。本人にとって不利益になることが多いですからね。ただし、診断書とは別に診療情報提供書を産業医から主治医に求めることがあって、それにはリアルな情報が提供されます。

※ 島悟「働く患者をどう支えるか~産業メンタルヘルスにおける統合失調症~」(CONSONANCE~精神科治療のトレンド~Vol.13 2004年)

また、柏木他の精神科医および心療内科医に対する調査(2005年)でも、次のようにされている。

しばしば精神科あるいは心療内科から出される診断書がわかりにくいといわれるが、その中で特に記載された病名をみても病態・病状が理解できない事が指摘される。これは、身体疾患とは異なり、主治医が患者の職場での利益を考慮して病名の表現を虚偽でない範囲内で緩和する事が考えられるが、調査結果は実に92.1%の主治医が病名表現に関して何らかの配慮をしている事を示していた。

※ 柏木雄二郎「メンタルヘルス不全者の職場復帰支援に関する調査研究(第1報)」2005年

ただ、本人に正確な診断名を告知しないことの是非については、医師の間でも様々な考え方がある。


(3)4つの診断名について

ふさぎこむ女性

※ イメージ図(©photoAC)

冒頭の事業者からの質問の4つの「病名」について簡単に記述しておく。まず、最初の抑うつ状態というのは状態像であって疾患名ではない。抑うつ状態が現れる疾患はうつ病だけでなく身体疾患を含めて様々なものがある。

また、自律神経失調症(※)も、不眠・食欲不振などの自律神経系の症状が表面に出ている(他の)精神疾患を表現していると思われる。ただ、自律神経系の症状が現れる疾患は実に多くのものがある。

※ 医学的に自律神経失調症という疾患名は存在しておらず、国際的な診断基準にも存在していない。

石井(※1)は「『自律神経失調症』もよくみかける(診断書用の)病名であるが、これも本来は症状の名称であ」(る)とし、林(※2)は「『自律神経失調症』や『不眠症』などは、実は『病気』と書いてあるのと同じことです。『うつ状態』ももしかしたら同じかもしれない」としている。これらの「病名」の一面を言い表していると思える。

※1 石井一「職場のメンタルヘルスはどこへ行くのか(岡崎伸郎編「メンタルヘルスはどこへ行くのか」所収)」(批評社 2002年)

※2 林公一「うつ病の相談室」保健同人社 2003年

なお、「神経衰弱」(この言葉はICD‐10には残っている(F48.0)が、DSM-Ⅳには存在しない。)は「統合失調症」の言い換えだと考える向きが一部にある(※)が、かならずしもそうではない。

※ 福井城次「IT産業における復職の取り組み(メンタル疾患)」(神奈川産業保健センターWEBサイトから 2007年)

また、抑うつ神経症は、現在の診断基準に照らすと気分変調症(気分変調性障害)に含まれている(であろう)と考えられる(※)

※ 米国の診断基準であるDSMでは、(精神症状と症状が出ている期間の長さのみから診断するという方針の影響等もあり)現在では神経症という分類はなくなっている。神経症に分類されていた抑うつ神経症(の多く)は、現在の基準では(広い意味のうつ病の下位概念である)気分変調性障害(DSM-Ⅲでは抑うつ神経症とカッコ書きされていたが、DSM-Ⅲ-Rでカッコ書きはなくなった)に当てはまることになる。

ただ、黒木(黒木俊秀「うつ病態の精神療法気分変調症-精神療法が無効な慢性“軽症”うつ病?-」(精神療法第32巻第3号 2007年))が気分変調症の概念について「DSM-Ⅲ(APA、1980)において感情(気分)障害のカテゴリーに位置づけられて以来、四半世紀以上を経た今もわが国の精神科臨床にはいまだ定着していないのではないかと思われる」「治療者にしてみればむしろ重い症例をみた際、いまだ旧来の『抑うつ神経症(depressive neurosis)』や『抑うつ性人格(depressive personality)』の診断のほうが患者の見立てに適していると考えながら、あえてカルテの保険病名欄には『気分変調症』と表向きの診断名を記す精神科医も少なくないのではないだろうか」とされるような現状はあるようだ。

すなわち、事業者からの質問の4つの診断は、気分変調症というひとつの疾患に対して付された異なる診断名の可能性がある(※)。しかし、そうではない可能性も否定はできない。いずれにせよ異なる診断名をつけられた精神疾患が、同一の疾患かどうかということは診断書を見ただけで分かることではない。

※ そうだとしても「虚偽」ということではない。


2 そもそも診断名が企業として必要なのか

(1)職場復帰支援の手引きの考え方

そもそも厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」は、主治医から得るべき情報として「具体的な疾患名は、必ずしもこれに含まれない」としている。これは休業がどの程度の期間必要かや、職場でどのような配慮をすべきかが分かれば疾患名は必ずしも必要がないと思われたこと、疾患名は誤解や偏見を招きやすい(※)と考えられたことなどによる。

※ いわゆる「新しいタイプのうつ病」が単に「うつ病」とのみ診断書に記され、人事担当者や上司がそれまでに勉強した(メランコリー親和型の)うつ病の病前性格や症状などと全く異なるため、対応にとまどうようなケースも(かつてはよく)あったようだ。また、例えば「境界性人格障害」という疾患名も偏見を持ったラベリングで病名がよくないとする専門家は多く、この「境界」を健常と精神障害の境界と誤解する方もおられるようである。このように精神医学の分野の疾患名は誤解しやすく分かりにくいという面もないわけではない。


(2)精神科の診断名は誤解を受けやすい

例えば、最近マスコミ等でも「軽症うつ病」という言葉を聴くことがある。言葉のイメージから、すぐに治る疾患のような印象を受けるが実は症状は軽くても長引きやすいものであ(※1)また、松浪(※2)が「わが国における軽症うつ病概念(笠原の提唱した軽症うつ病の概念:引用者)やいわゆる逃避型抑うつとDSMにおけるDysthymia、Subsyndromal Symptomatic Depression(SSD)などの軽症のうつ病概念とは質的に異なる概念だ」としているように、文献や用いられる場所によって異なる意味を持つこともないわけではない。

※1 野村総一郎他「鼎談 気分障害 最新の病態と治療の新戦略」(週刊医学界新聞第2787号)2008年)

※2 松浪克文「『うつ状態』の精神医学診断-『うつ状態』の診たて方」(臨床精神医学34(5))2005年


(3)精神科の診断名が企業として必要なのか

医師は診断書を作成するときに疾患名を書くことにこだわることがあるが、企業として重要なのは事例性である。診断書に疾患名の記載を求めない(疾患名にこだわらない)ことの方が現実的ではなかろうか。

(※)は、産業医としても主治医からの情報を受けることは有効であるが、主治医が情報提供を拒んだために詳細な情報を受けられなかったとしても、必ずしも職務を遂行できないわけではないとしている。

※ 廣尚典「業務の変化に伴いうつ状態に至った事例」(産業精神保健 1979:7)

精神疾患の診断は難しい面もある。主治医としても、診療の初期には状態像は分かっても疾患名までははっきりしないことがある。また、「うつ病」と「双極性障害」、「強迫性障害」と「統合失調症」などの診断書が時期をおいて提出されたようなケースでは、最初はある疾患だと診断していたら実は別なものだったということかもしれない。

この点について、香山が次のように述べている。

かつては初診では診断をせず状態像のみをカルテに記録していた医療機関もあったが、現在では状態像が保険病名として認められなくなったため初診から診断をするようになり、途中で訂正を余儀なくされることも少なくない

※ 香山リカ「『私はうつ』と言いたがる人たち」PHP研究所 2008年

また、パニック障害と(非定型)うつ病を併発している場合で、複数の医師からどちらか一方の疾患名だけが記された診断書が提出されるといったようなこともあるかもしれない。


3 最後に

打ち合わせる男女

※ イメージ図(©photoAC)

日本生産性本部は、就業規則に「復職後に同じ疾病で休職する場合、以前の休職期間を通算する」と定めることが望ましいとした上で、「復職後に同様の症状・疾病が再発して休職する場合、病名が異なっていても以前の休職期間を通算する」とすることを勧めている。

※ 日本生産性本部「産業人メンタルヘルス白書」(2009年版)

また、クーリング期間(※)を短く定めた上で精神疾患はすべて同じ疾患とみなしたり、疾患が同一かどうかで区別しないようにすることも考えられよう。

※ クーリング期間:前の休業から、それ以上の期間が経過したら、その後の休業の最長補償期間をリセットする(前の休業期間を差し引かない)ための期間のこと。

発想を転換し、診断名を入手せず、心の健康問題については、前の休業終了の日から次の休業開始までの日数によって同一の疾患かどうかを一律に判断するということも、現実的な解決策として考えられる(※)

※ ただし、別な疾病だと判断するための前の休業終了の日から次の休業開始までの日数があまりに長いと、就業規則の不利益変更になるばかりか合理性に欠けると判断される恐れがある。精神科医や社労士などの専門家と相談して案を作成し、過半数組合との合意をしておくことが望ましい。


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