学校教育の現場でデジタル教科書の利用を進める動きが拡大しています。デジタル教科書は紙の教科書に比して様々なメリットがあり、また、若い教員はデジタルに慣れていることから急速に拡大することが予想されます。
安全衛生教育においてもデジタル教材の活用が望まれます。
- 1 教育現場におけるデジタル教科書の拡大
- 2 労働安全衛生教育用テキストのデジタル化のメリット
- 3 デジタルが紙の媒体を駆逐するのは必然
- 4 安全衛生教育用テキスト市場の参入障壁は低くなる
- 5 需要(市場)は十分に大きい
- 6 高品位なデジタル教科書は個人でも作成可能
1 教育現場におけるデジタル教科書の拡大
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「デジタル教科書の今後の在り方等に関する検討会議 中間とりまとめ」が、パブリックコメントにかかったのは2021年3月18日のことである。また、「学習者用デジタル教科書の効果的な活用の在り方等に関するガイドライン」が同月に改正されて、その後の状況は急速に進んでいる。
現時点では教師たちがデジタルを使いこなすことに慣れていないこともあり、デジタル教科書の普及はそれほど進んでいな
※ 文科省の調査によると、令和2年3月1日現在、その利用状況は、公立学校全体で7.9%、公立の小学校では 7.7%、公立の中学校では 9.2%、公立の高等学校では 5.2%となっている。しかし、前記の中間とりまとめによると、デジタル教科書の発行状況は、2020年度で、小学校用教科書が約 94%、中学校用教科書が約 25%であり、2021年度には、ともに約 95%に達する見込みとされている。
2022年度からは、たんに紙の教科書をデータ化しただけだが英語のデジタル教科書が全小中学校に提供されることとなっている。
そして、この種の技術の拡大は、じわじわと増加していくのではなく、ある時期になって、突然に急拡大することが普通なのである。
デジタルテキストに慣れた生徒たちが、将来、企業に就職したとき、彼らは安全衛生教育についてもデジタル媒体を求めるようになる。安全衛生の分野にとっても無関係ではないのだ。
2 労働安全衛生教育用テキストのデジタル化のメリット
テキストをデジタル化することもメリットは大きい。
- Gifファイルや動画ファイルによって、動きを持つ説明が可能となる。機械設備の動作原理の説明には極めて有利である。
- リンクを自由に飛ばすことができる。テキスト内でリンクを張ることで、難解な用語に説明を付すことが可能である。また、ネットへつながる環境があれば、ネットへリンクを張ることも可能である。
- 拡大、縮小、ポップアップなど、文章全体のじゃまにならないように小さな図を入れておき、必要に応じて拡大できる。
- 書き込みや消去が簡単で、あとから書き込んだ部分を検索することも容易である。
- 目次から該当部分にリンクを張ったり、検索機能を持たせることが可能である。
- 物理的な場所をまったくとらない。持ち運びもスティック1本で足り、タブレットやパソコンさえあれば、外出中や出張先でも閲覧可能。
- 読み上げ機能や、自動翻訳機能と組み合わせることで、目の不自由な人や外国人にも利用がしやすくなる。
- 紙を使用しないことから、省資源化、気候変動への対応にもつながる。
いったんデジタルテキストに慣れてしまうと、もう紙媒体に戻ることはできないほど便利なものである。
一方、企業がデジタル教科書を作成する際の課題としては、著作権の確保(コピー防止や流用禁止措置)や、販売契約がやや曖昧になることが考えられる。また、受講生にデジタルのデータをそのまま提供してしまうことが著作権の問題から困難になるという問題もある。
だが、教科書デジタル化の波は、安全衛生教育の場にも必ずやってくる。今から、その備えをしておくことが企業にとっても必要だろう。
3 デジタルが紙の媒体を駆逐するのは必然
かつて、多くの家庭の本棚に(利用されていたかどうかはともかく)高価な百科事典が“飾られて”いたものだ。百科事典の老舗であるブリタニカ社は、多くのセールスマンを雇用して百科事典を販売する戦略をとり、多くの家庭に百科事典を販売していた。
この家庭内の百科事典を、一気に駆逐したのがMicroSoft社のエンカルタである。CD-ROM数枚というわずかなスペースしかとらず、100ドル程度で購入でき、自動でバージョンアップでき、音声や動画にも対応したエンカルタに、紙に印刷された百科事典はなすところなく敗退したのである。
しかし、エンカルタもまた、Wikipedia(ウィキペディア)に敗退する運命となる。誰もが記述することができ、無償で利用できるWikipediaについて、専門家は当初は冷ややかな目で見ていた。誰もが無償で記述できるようなメディアは信頼性が低く、普及することはないと考えていたのだ。しかし、そうはならなかった。確かに、歴史修正主義者や差別主義者による、信頼できない記述も一部にみられるものの、現在では、一般人はおろか学者までがWikipediaを利用するほど利用が進んでいる。
そして、この動きが、安全衛生を含む、様ざまな分野で再現されることは望むと望まないとにかかわらず確実であろう。
4 安全衛生教育用テキスト市場の参入障壁は低くなる
では、そのようなデジタル媒体を作成する担い手はどのような人々だろうか。安全衛生分野のテキストについて、そのような担い手がいるのだろうか。
一般の大手出版社は、これまで労働安全衛生教育用テキスト市場に参入してこなかった。確実な出版部数が見込めるこの市場に彼らが参入しなかった理由は、レッドオーシャンで、入り込める余地がなかったからである。労働安全衛生教育のテキスト類は、労働災害防止団体が製作しており、安全衛生教育を行なう企業や機関(従ってテキストを購入する顧客)の多くは、労働災害防止団体との繋がりが強く、一般企業のものはほとんど売れなかったのだ。
しかし、労働安全衛生教育の市場も“自由化”の波は避けられない。ネットによる教育が一部自由化されたこともあり(※)、特別教育には中堅の予備校が参入しつつある。技能講習でさえ今までは考えられなかったような企業が参入している現状にあるのだ。
※ これについては、本サイトの「ネットを利用した安全衛生教育」を参照されたい。
そして、新たに参入してくる企業が、それぞれの持つノウハウ(教育のノウハウや新たな顧客開拓のノウハウ)を生かすことができれば、それを武器に市場を席巻することも考えられる。
教育を行う企業や機関も、労働災害防止団体との紐帯は、経営陣が若く合理的な考え方をする層に変われば、それほど強いものではなくなるだろう。受講した労働者の評判が良ければ、新規参入する企業へ乗り換える企業も増えてくる。そして、このような変化は、この場合もじわじわとくるのではなく、ある時期に急激に起こるものなのだ。
5 需要(市場)は十分に大きい
もちろん、企業が、高品質なデジタル教科書を作ることは、コストの面から一定程度の発行部数が見込めるケースに限られるだろう。しかし、特別教育にせよ、技能講習にせよ、労働者に一定の業務を行わせるときは必ず実施しなければならないものである。すなわち、それらのテキストは、国全体の発行部数が保証されているのである。
例えば、就業制限業務の技能講習修了者数の推移は次のようになっている。フォークリフト運転と玉掛け業務に関して言えば、毎年、20万部程度の販売数が見込めるのである。
作業主任者関係の技能講習修了者数は、就業制限業務ほど多くはないが、それでも種類によっては、毎年、数万部単位で販売されるのである。安全関係と衛生関係に分けると、次のようになる。
出版事業の市場としては驚くほど大きいのである。しかも、参入障壁はそれほど高くないのである。この市場に、予備校や個人ばかりか、大手出版社が参入してこないと考えることは困難である。
6 高品位なデジタル教科書は個人でも作成可能
そして、紙の教科書と違い、デジタル教科書は、個人又は個人のグループでも発行することが容易で、しかも、それ程大きなリスクなしに作製することができるのである。現在でも、様々な分野で個人によるWEBサイトの情報が、出版社が作成する紙媒体の情報よりも、より利用されているという現実があるのだ。
そして、特別教育や技能講習のテキスト作成に必要なレベルの専門知識を持った個人は、国内にかなりの人数がいる。私のこの実務家のための労働安全衛生のサイトもそうだが(※)、現に、労働安全衛生に関する高品位な情報を提供する個人サイトも多いのである。
※ 因みに、「実務家のための労働安全衛生のサイト」は、Googleアナリティクスで、ページヴューが月平均30万PV程度となっており、ユニークユーザ―数は月平均4万程度となっている。詳細はGoogleアナリティクスの使用方法を参照して頂きたい。
確かに、就業制限業務や安全関係の作業主任者は、機械装置類の図面が必要なので、執筆にはやや困難は伴う(※)。しかし、衛生関係の作業主任者テキストであれば、個人でも簡単に執筆可能である。
※ 行政が技能講習補助教材を公開しており、各種の図表が用いられている。厚生労働省のサイトの「利用規約・リンク・著作権等」には「当ホームページで公開している情報(以下「コンテンツ」といいます。)は、どなたでも以下の1)~7) に従って、複製、公衆送信、翻訳・変形等の翻案等、自由に利用できます。商用利用も可能です。また、数値データ、簡単な表・グラフ等は著作権の対象ではありませんので、これらについては本利用ルールの適用はなく、自由に利用できます
」とあるので、この図表を用いることも可能である。
一方、YouTubeなど各種のSNSで、難解な事項について、実に分かりやすく解説する動画を提供している個人もいる。こういった才能を持つ個人と、労働安全衛生の知識を有する個人が力を合わせれば、労働安全衛生教育のテキスト市場に、デジタルテキストによって参入することは容易であろう。
収入は、有償会員サイトとすることで確保することが可能である。また、(最近はネット広告市場は厳しくなっているが)利用は無償として、広告収入に頼る方法もあろう。
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