汚染水の海洋放出と不都合な真実




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福島の海

※ イメージ図(©photoAC)

福島第一原発の汚染水の海洋放出の方針を政府が正式に決定しました。

これに対して、国内外から批判と不安の声が巻き起こっています。これに対する政府の対応は、ゆるキャラを公開したり、麻生氏が「飲んでも害はない」「太平洋は中国の下水道か」と述べるなど、まともな説明さえしていない状況です。

福島第一について、政府は「無害だ」「批判派は非科学的だ」などというだけで、根拠をほとんど示していません。この問題をリスク管理という観点から問います。




1 汚染水を薄めて排出?

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最終改訂:

事故後の福島第一

2021年4月13日の朝日新聞DIGITAL記事は「福島第一原発の処理水を海洋放出、政府が方針を正式決定」と報じ、汚染水についての国際的な不安を掻き立てた。

政府は、2010年10月16日の朝日新聞DIGITAL記事が「福島第一原発の処理水、海洋放出へ 政府が最終調整」と報じたように、昨年来からこの問題について検討していた。国際基準を満たすために、タンクの水を二次処理して海水で薄め、放射性物質の濃度を法令の放出基準より十分低くしてから流すというのだ。これに対して、国民の間に多くの懸念が生じていた。

このとき、朝日新聞の調査によると、日本国民全体で反対が55%、賛成は32%で、自民支持層でも反対が賛成を上回った。これを「非科学的な不安」というべきではない。

そもそも、日本政府が海洋放出を行った場合の環境影響について、納得できる説明をしていないのである。であれば、反対派の不安はむしろ科学的な態度であり、また良識的な態度だというべきだ。

報道によれば、海水で薄めて基準値より低くするという(※)。だが、そんなことを言い出せば、どんなものでも海洋中に放出してかまわないことになる。海は広大ではあっても有限なのだ。不安を感じるのは当然だと言えよう。

※ 実際には、海水で薄めるだけではなく、多核種除去設備(ALPS)によって、トリチウム以外の放射性物質のかなりの部分は除去している。

結局、政府は国民からの批判を恐れたのか、海洋放出についての結論を先延ばしにし、いきなり結論を出したのである。


2 薄めれば被害は少なくなるのか?

さて、ここで2つのクイズを出そう。

  • 問1 純粋な塩酸10リットルが霧状になって漏洩し、100人の人に噴霧されるという事故が発生したとしよう。その結果は悲惨なものだ。100人全員が酷い薬傷を追うことになるだろう。
     では、同じ量の塩酸を1万倍に薄めて100万人に噴霧したらどうなるだろうか?
  • 問2 ある量の放射性物質を100人の人が吸入したとしよう。そして、5人の人ががんに罹患するリスクが出たとする。
     では、同じ量の放射性物質を1万倍に薄めて100万人が均等に吸入したらどうなるだろうか?

この答えは次のようになる。

  • 答1 誰も健康影響は受けない。まったく、害はない。
  • 答2 同じように5人ががんに罹患するリスクがある。

※ 厳密さを無視していますが、概念としては正しい回答です。

放射性物質の場合、いくら薄めても全体としてのばく露量が変わらなければ、がんに罹患する人数は変わらないのである。

では、なぜ職業ばく露限界値などのばく露基準を濃度で決めているかと言えば、100人中5人ががんになるとすれば、それはその個人にとって重大な問題だが、100万人中5人ががんになるリスクなら大きな問題ではないという考えからだ。人が一生のうちにがんになる確率は、男性で65.5%、女性で50.2%あるのだ(※)。さらに100万分の5程度、発症率が増えたとしても、さして気にすることもないだろうというわけだ。

※ 国立がん研究センター「最新がん統計」による。

麻生氏が「飲めるんじゃないですか、普通」と言っているのはこのことなのである。確かに、麻生氏の年齢なら、お勧めはしないが飲んだとしても、がんになる確率の上昇割合は問題にならないほどだろう。

だけど、全地球的に見た場合、本当にそう言ってよいのだろうか?

【やや専門的な解説】

  • やや専門的な話になるが、問1の答えが「無害」になるのは、塩酸はある程度の濃度以下になれば健康影響がでない(閾値がある)からだ。
  • そして、問2の答えが「薄めても変わらない」となるのは、放射性物質による健康影響のうち発がん性などは、いくらばく露量が少なくても“それなり”の影響が出る(閾値がない)と考えられているからだ。また、発がん性は、ばく露量が少なくなると健康影響が軽度になるのではなく、発症する確率が減るだけで、重篤さは変わらない(確率的影響)からである。
  • 従って、海水で100倍に薄めて一人当たりのばく露量を100分の1に減らせば、一人当たりの発がん確率は100分の1に減るのである。しかし、ばく露する人間の数が100倍に増えれば、罹患する者の数は変わらないのだ。
  • なお、トリチウムが放射性物質であり、発がん性があることは明らかである。また、ばく露量と健康影響の関係が比例する(線形である)と仮定していることをお断りしておく。

3 原子力発電所によるトリチウムの放出

(1)人類によるトリチウムの放出と、福島第一の汚染水

実は、トリチウムの環境中への排出は、“正常に”運転している原子力発電所でも行われている。三菱総合研究所が行った調査(※)によると、英国が1995年に放出したトリチウムは195TBq(テラベクレル)、韓国が放出した量は2013年以降は360TBqとされている。もちろん、排出濃度は“基準”は守っているのだろう。

※ 三菱総合研究所「平成28年度発電用原子炉等利用環境調査」(2017年)

これらに比較して、福島第一の汚染水に含まれるトリチウムの絶対量はどの程度だろうか。経済産業省の資料によると、福島第一原発のタンク内の汚染水には2018年3月時点で約1000兆Bq(1,000TBq)のトリチウムがあるとされており、その後も増加を続けている。

このようにいうと、これを海洋中に放出しても大したことはないのではないかと思われるかもしれない。韓国の年間放出量の“たったの”3倍に過ぎないのである。だが、では、そもそも韓国や英国の放出するトリチウムは、本当に安全なのだろうか。

政府の公聴会に提出された西尾氏の意見なども、トリチウムの危険性を指摘している。“基準”が本当に安全なのかについて異論があることも事実なのだ。


(2)自然界で生成されるトリチウムと、福島第一の汚染水

がんに罹患した少女

また、自然界にもかなりの量のトリチウムが存在している。自然界で宇宙線等により1年間に生成される量は、環境省のサイトによると70,000TBqだとされる。これに比較すると、汚染水中のトリチウムの量は、70分の1に過ぎないことも事実である。
しかし、それが福島近海という、ごく狭い地域に放出されるのである。異状が出ないという保証は誰にもできないのだ。

さらに、自然界はバランスの上に成り立っている。自然界が作り出す量と、自然界によって消滅される量は一致しているのだ。そうでなければ自然界のバランスはどんどん崩れて行ってしまう。そこへ、人間が微量とは言え量を増やすことが重大な悪影響をもたらさないとは誰にも言えない。

いずれにせよ、それを放出することで、世界中のどこかで、(自然界に生成されるトリチウムのによるものの70分の1に過ぎないとしても)がんへの罹患者が何人かは増加するのである。では、その人数はどのくらいなのだろうか。政府は、その予想は決して公表しようとはしない。


(3)それは本当に“風評被害”なのか

東京新聞2020年11月3日記事「福島の漁師は言った「漁業やる人がいなくなっと」 近づく汚染処理水の海洋放出方針決定」は“風評被害”という言葉を使う。だが、では何をもって、それを“風評”なのか“現実の影響”なのかを区別するのであろうか。それについても、誰も確たることは言わないのだ。


4 東電に対する疑念は拭えない

しかも、東京電力には、福島第一の事故発生まで、事故が予測できたにもかかわらず放置するという驚くべき怠慢ぶりがあった(※)

※ 私のサイトの「福島第一原発事故を引き起こしたもの」を参照されたい。

また、事故発生時にも危機管理能力が全くなく、驚くべき無能ぶりを発揮したばかりか、幹部職員からは事故を収束しようという熱意すら感じられなかった。

最近でも、他人のIDカードで施設内に入る職員がいて問題となったり、地震計が故障していたのを放置していたり、工事現場でパワーショベルが宙づり事故を起こしたりと、到底、危険な施設の運営を任せることができるとは思えないずさんな組織である。

東電に任せておいては、そもそも海洋放出が国際基準を遵守して行われるのかについてさえ、不信感が拭えないのである。西日本新聞2018年8月19日記事「基準値超の放射性物質検出、福島 トリチウム以外、長寿命も」も、東電の汚染水管理能力に疑念を持たせるものであった。

本当に、この会社に任せていて大丈夫なのだろうか?


5 さて、あなたは海洋放出を納得できるだろうか?

海辺と砂浜

ここまでの説明を聞いて、どう考えるかは、もちろんあなた自身が決めることだ。私自身のこの問題についての考えは、ここではあえて述べない。だが、人間が環境を破壊すれば、そのときになって元に戻そうとしても誰にも元に戻すことはできないのだとだけ言っておきたい。

いずれにせよ、原子力発電は再稼働することはせず、究極的にゼロを目指すべきだとは考えている。

人類が最初に実用的な原子力発電を行ってから、今年でわずかに65年である。その間に、TMI、チェルノブイリ、福島第一と3回の重大な災害が起きている。これは、リスク管理の観点から言えば、到底、許容できるレベルではない。福島第一も、ひとつ間違えれば日本の3分の1程度が居住不可能になる可能性もあったのである。

論理的に考えれば、原子力発電は、あまりにもリスクが大きすぎるのだ。


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