映画「ハドソン川の奇跡」と災害調査の在り方




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上昇中の航空機

※ イメージ図(©photoAC)

映画「ハドソン川の奇跡」(原題 Sully:2016年 米国映画)は、実際に発生した US エアウェイズ 1549 便のハドソン川への不時着水事故に基づいた映画です。といっても、この映画は事故そのものを描いたアクション映画のジャンルに属するものではありません。事故調査の過程で苦悩するパイロットの心理描写がメインの人間ドラマとなっています。

バードストライクによって全エンジンが停止した飛行機をハドソン川に不時着水させ、乗員・乗客すべての生命を救ったことで、機長はマスコミや市民に英雄としてもてはやされます。しかし、航空運輸委員会はそうではありません。また、保険会社も、機長が適切な操縦を行えば、ハドソン川ではなく安全に空港に着陸できた主張します。そして、シミュレーションの結果と、人間がシュミレーターを用いて行う操縦では事故機は最寄りの飛行場に到着して着陸することが可能だという結果が出ていました。

機長としては、事故時の自分の判断が、乗客。乗員の声明を危険に陥らせたのではないかと悩みます。原題の「Sully」は劇中の機長の愛称である。マスコミや市民から英雄としてもてはやされる一方、事故の処理が適切だったのかと精神的な苦痛にさいなまれる機長の人間としての面が主題となっています。

そして、この映画のもうひとつの見どころが、航空運輸委員会における機長の反撃です。

本コンテンツでは、この航空運輸委員会における機長の反撃を通して、労働災害等の事故調査のあり方について学びます。



1 はじめに

執筆日時:


(1)プロローグ

ニューヨーク市街

※ イメージ図(©photoAC)

映画は、事故の心的外傷トラウマによるストレスにさいなまれる機長の姿から始まる。

機長は、離陸直後の地上からわずか 850 メートルの高度(※)で、鳥の激突事故バードストライクによる全エンジンの停止という緊急事態にい、機体をハドソン川に不時着水させるという荒技あらわざで、結果的に乗客・乗員の全員の生命が救ったのである。

※ 事故が起きた高度が低いことは、事故によって機体の高度が保てず徐々に高度が下がっていけば、墜落までに移動できる距離が短くなる。また、地上に激突するまでの時間も短くなるので、必然的に事故処理のための時間が限られることとなる。低い高度で全エンジン(事故機は双発で両側に2基のエンジンを積んでいた)が停止したことは、ほぼ最悪のケースである。

なお、機内の発電は、主エンジンがすべて停止した場合は APU という補助発電機を使用する。空中で主エンジンがすべて停止した場合でも、APU を用いることで再始動をかけることができる。この事故でも、事故後に乗員がエンジンの再始動を試みたが、エンジンが完全に破壊されていたため、当然、再始動はしなかった。

しかし、1月のニューヨークである。ハドソン川の水温は2度、体感では氷点下であった。一つ間違えれば多数の死者が出かねなかったのである。自分の判断が正しかったのかについて、機長は悩まされ続けていたのである。


(2)航空運輸委員会

委員会

※ イメージ図(©photoAC)

機長は、結果的に絶望的な状況から、全乗客の生命を救ったことで、乗客は言うに及ばず米国の多くの市民から英雄視されていた。メディアでも繰り返し報道されたため、あちこちで賞賛の声をかけられることになる。事故後しばらくは、自宅の周囲にはメディ陣がひしめいていた。ただ、機長は性格的にそのようなことが苦手だったのである。

さらに、事故原因の調査に当たった航空運輸委員会は、機長を英雄視などしていなかった。委員会は、左エンジンについては機能を失っていなかったと判断していた(※)のだ。

※ エンジンはその時点ではハドソン川に沈んでおり回収できていなかった。なお、ボイスレコーダーは浮が付いており、事故後に浮かんでいるのが発見されて回収済みであった

そして、片方のエンジンが機能を失っていないと考えれば、機体を付近の飛行場に着陸させることができたはずだと考えていたのである。事実、コンピュータによるシミュレータでは、機体は問題なく飛行場に着陸できていた。


2 航空運輸委員会の調査の問題点

(1)原因究明よりも責任追及の方が優先された

ア 機長のハドソン川へ降りるという判断は正しかったのか

ニューヨーク市街

※ イメージ図(©photoAC)

なお、本稿はあくまでも映画のストーリーについてのことであって、現実の航空運輸委員会のことではないことを予めお断りしておく。現実の航空運輸委員会の検討の経緯も、全体の流れとしては映画が再現した通りではあるが、細かな経緯まで再現されているわけではないので、それを前提にお読みいただきたい。

この事故では、原因がバードストライクによるエンジン停止であることは明らかであった。そうなると、事故調査としては、ハドソン川への着水が正しかったのかどうかということになる。すなわち、機長の責任追及が事故調査のメインになってしまったのである。

機長も事故直後は、出発した飛行場へ戻ろうと考えて、管制官にそのように要求している。また、飛行機には事故時のためのマニュアルが備えてあり、副操縦士がマニュアルを精査しようとしたが、あまりにも高度が低くマニュアルを読みこむ時間的な余裕はなかった。そこで、機長の判断でハドソン川へ降りると決意したのである。

飛行場へ引き返すためには、市街地上空を飛ぶことになる。そのときに墜落すれば、乗員・乗客ばかりか、地上の人びとまで巻き込みかねないのである。機長としてはそれは避けたかった。市街地を長時間、通行せずに飛行機が下りられる平たんな場所がどこにあるだろうか。それは、目の前のハドソン川以外にはなかったのだ。

この機長の決断が問題とされたのである。

保険会社にとっても、機長に過失があった方が支払金額が減額されることから、機長の判断が誤っていたために機体と貨物が失われたという航空運輸委員会の判断は都合がよかった。機長が「適切に」近くの空港にへ降りていればエンジン2基の破損とチケットの払い戻しだけで済んだのである。


イ 事故調査と責任追及

航空機事故における事故調査では、近年では責任追及と切り離すべきであると考えられている。この考え方は、労働安全衛生などの分野にも広がりつつある。

【国際民間航空条約(シカゴ条約)の第13附属書】

  • 責任非難を目的とした、いかなる司法上又は行政上の手続も、この附属書に基づく調査とは分離しなければならない(Chapter5.4.1General)
  • 調査報告書の開示が、当該調査又は将来の調査に及ぼす国内的及び国際的な影響を考慮して、調査課程で入手した情報の開示には慎重を要する(Chapter5.12Non-disclosureofrecords)
※ 池田良彦「航空事故における「調査」と「捜査」が競合する問題を考える」より

責任追及と事故調査を切り離さないと、災害の原因が隠蔽されるおそれがある。また、問題が発生して、パイロットが今まさに対応をとらなければならないときに、余計な不安(処罰)が生じれば適切な対策をとれなくなるおそれなしとしないであろう。

労働安全衛生の分野においても、災害発生時に、その目的をどこにおくべきかは常に念頭に置かなければならない。安全衛生の担当者が行う事故調査の目的は、責任追及ではなく再発防止に置かなければならない。

【なぜ、事故(災害)調査の目的を再発防止におくべきか】

  • 事故(災害)発生に責任がある(とされた)者とその責任の内容が特定されてしまうと、「その者が注意していれば災害は発生しなかった(はず)」ということになり、事故の遠因や背景事情の調査などが疎かになってしまうこと。
  • 事故(災害)発生の責任の追求に主眼がおかれた調査結果では、関係者が事故の原因や関連する事情を隠す可能性があること。
  • 推定した事実や推測による解説を記しにくいので、事実関係だけを書かくことになりやすく、わかりにくくなることがあること(再発防止対策には推測も役に立つ)。
  • 事故(災害)調査の主眼を責任追及におくと、インシデント(ヒヤリ・ハット)に関する報告が作成されなくなるおそれがあること。

事故(災害)調査を行う場合に、責任を追及することがよくないと言っているわけではない。あくまでも、再発防止のための事故(災害)の原因の調査と責任追及は分離されるべきなのである。

この事件では、航空運輸委員会の目的が、再発防止よりも責任追及になってしまっていたのである。


(2)空港へ向かうのは正しい判断だったか

ア シミュレーターは引き返せば事故は起きないと判断した

上昇中の航空機

※ イメージ図(©photoAC)

映画では、航空運輸委員会は、機長の責任追及に主眼が置かれてしまった。そのため、あまりにも現実離れした結論になろうとしていたのである。確かに、機長の責任を追及するのであれば、現実を無視して、「飛行場へ戻ろうとすれば戻れた」ことを証明すればよかったのだ。

コンピュータシミュレーションではなく、シミュレーターを用いて、他のクルーによる実験も行われた。クルーは、この事故のバードストライクを受けた航空機と同じ状況に置かれたシミュレーターを操縦し、元の空港と別な空港に飛行機を着陸させて見せた。


イ 現実とシミュレーターでは全く状況が異なった

だが、それはあまりにも現実離れした思考実験だった。シミュレーターを操縦したクルーは、バードストライクの後、悩む必要はなかったのだ。シミュレーターでは何が起きようと地上に激突するおそれはない。ただちに、空港へ向けてシミュレーターを移動させればよい(※)

※ さらに、非現実的なことに、シミュレーターを操縦したクルーは、何度も練習を繰り返していた。実際の事故では、機長も副操縦士も初めての経験で、低空で全エンジンが停止するというシミュレーターによる訓練を受けたことはなかったのである。

現実(映画での現実だが)は、全く異なっていた。

【現実とシミュレーターの違い】

  • シミュレーターのクルーは、バードストライクによる全エンジン停止の後、ただちに空港へ戻る行動に移った。現実は、状況の確認、APU(補助発電設備)の起動、エンジン再始動の試み、マニュアルのチェック等を行う必要があった。
  • シミュレーターのクルーは、何度も練習を繰り返してから、事故の再現に取り組んだ。現実の機長と副操縦士は、このような事故は初めての経験で、シミュレーターによる同種事故の訓練は受けていなかった。
  • シミュレーターのクルーは、全エンジン停止の後、ただちに空港に向かうように指示されていた。現実の機長と副操縦士は、そのような助言は受けられなかった(※)
  • シミュレーターのクルーは、機体が墜落しても大勢の人が亡くなることを心配する必要はなかった。現実の機長は、空港へ向かえば市街地の上を通過することとなり、そこで墜落すれば多くの人の生命を奪うことになるという恐れがある中で、空港に向かうか機体をハドソン川へ着陸させるかを判断する必要があった。

※ 実際の事故機は、管制官から空港までの位置情報を得ていた。しかし、空港に向かうように指示は受けていなかった。

これだけの違いがある状況で、シミュレーターで事故機を空港に着陸することができたからといって、機長の責任を問うことは果たして正しいことなのだろうか。そこが問題にされなければならないのである。

しかも、その時点では航空運輸委員会は、左エンジンは機能を失っていなかったと判断していた。しかし、現実には機長はエンジンの再始動の試みをしているが、エンジンは再始動しなかったのである(※)

※ 最終的に、この点では航空運輸委員会は誤っていたことが判明する。エンジンが引き上げられると、エンジンの内部は破壊されており、再始動は不可能だったことが分かるのである。


(3)ハドソン川への不時着水の状況

ハドソン川が一定の広さがあるとはいえ、まず橋梁を避けなければならない。また、小型の観光航空機は管制官から注意を受けている(※)にせよ、多くの観光船や小型船舶を避けなければならない。

※ 観光ヘリが管制官の依頼を受けて、着陸の状況を観測して管制官へ報告していた。

しかし、機長の操縦で、小型船舶を避けて、水面への着水は成功したのである。ハドソン川の水温は2度ではあるが、機体には水が侵入してきた。いつ沈むか分からないので、ただちに乗客・乗員を脱出させなければならない。不時着水した場合、各扉に付いている緊急脱出シューターが避難用のボートになるのである。また、主翼の上で救助を待つこともできるだろう。

着水した場合、後部の出口は使用できない仕組みとなっているので、客室乗務員が前方の扉をただちに開いた。そして、緊急脱出シューターを膨らませ(※1)たのである。一方、乗客の力を借りて、主翼近くの非常用扉もただちに開放して(※2)、乗客が主翼の上で救助を待てるようにした。

※1 扉のモードにはマニュアルとアームドがあり、離着陸時にはマニュアル、上空ではアームドになっている。マニュアルであれば、緊急脱出シューターを手動で膨らませなければならないが、映画ではアームドになっており扉を開くと自動で膨らむようになっていたようだ。ただ、前方右側の扉の脱出シューターは、最初は開かなかった。

※2 民間航空機の主翼は胴体下部についている(低翼機)が、これは不時着水したときに主翼が浮きになって胴体が水没しないための工夫である。なお、軍用機の翼が導体上部についている(高翼機)のは、不整地に着陸したときに、地面の塵埃をエンジンが吸い込まないようにできるだけエンジンの付いている翼を高くするためである。

実際には、数人が川の中に飛び込んでしまったが、ほとんどの乗客は緊急脱出シューターと主翼の上に脱出したのである。機長は、(当然のことではあるが)最後に機内に乗客・乗員が残っていないことを確認してから脱出した。

不時着水後、ただちに付近の観光船3隻(史実では7隻)が集まって、主翼と緊急脱出シューターの上にいた乗客・乗員の収用に当たり、警察のヘリが川に飛び込んだ乗客の回収に当たった。結果的に 24 分で全員を救助したのである。

ニューヨークの中心部ということが幸いして、結果的に、全員の生命が救われたのである。


3 最後に

(1)事故発生時の時点における判断はどうだったのか

OKマークを出す女性

※ イメージ図(©photoAC)

ここでは、これから映画を見る人のために(映画における)航空運輸委員会の結論はあえて書かない。しかし、状況を客観的に見る限り、機長の判断は正しかったのではないだろうか。

バードストライク発生時の状況における判断として、やはり市街地へ墜落する可能性を否定することはできなかいだろう。そうなれば、乗客・乗員は助からなかっただろうし、地上の住民を巻き込む恐れもあったのである。

一方、ハドソン川は水温は低かったにせよ、風は強くなく波はほとんどなかった。また、観光船も多くニューヨークの中心部とも近いことから、迅速な救助体制が期待できたのだ。

このような場合、事故発生時の、コクピットの中における判断を尊重することも必要だろう。仮に、コンピュータシミュレーションの結果が正しかったにせよ、その時点における判断としては、やはりハドソン川への不時着水は誤ってはいなかったと思える。


(2)事故には「人間」の要素を無視することはできない

また、このような災害の調査を行う場合に、「人間」を考慮に入れないのでは、確実な再発防止対策には寄与しないのではないだろうか。

バードストライクによる低高度での全エンジン停止という、過去に訓練を受けた経験のない事故が起きた後、瞬時にすべての事態を正確に把握してただちに正しい措置を採るべきだったと言わんばかりの航空運輸委員会の態度には大きな疑問を感じる。

人間はコンピュータのシミュレーションプログラムではない。また、結果としては無駄になったが、エンジンの再始動の試みや、マニュアルの精査なども必要になるのだ。無駄な行為をしなければ近くの空港へ降りられたはずだなどというのは、「人間」を無視した机上の空論に過ぎない。

事故調査が(とりわけ責任の追及を伴う場合には)「人間」を考慮に入れなければならないのである。


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