第二電通事件から学ぶべきこと




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メンタルヘルス対策

第二電通事件(高橋まつりさん事件)を引き起こした電通の労務管理の問題点を、人材活用の失敗という観点から分析します。

この事件から、企業が何を学ぶ、労務管理にどう活かしてゆくべきかを論じています。




1 第2電通事件(高橋まつりさん逝去)の発生

執筆日時:

最終改訂:


(1)悲劇は繰り返された

ア 再発防げず

またこの会社か

誰しも死にたくはなかったのだ。にもかかわらず、働くことが原因となって自ら命を絶つ事件が、この国にはあまりにも多すぎるのだ。まして、電通は過労自殺の代名詞になっているほどの企業である。そこで、また繰り返されたのだ。

本件を知った産業保健関係者の多くは、そう思っただろう。私もそれは同じだ。産業保健に関する職務に就いていれば、この会社の名前が"事件名"となっている最高裁判決は誰でも知っているからだ。

それは、自殺が労働災害であり得ることについて、社会が認識を深める契機となった第一次電通事件(※)である。朝日新聞は、2016年10月8日の第二次電通事件を報じた記事で、見出しを「過労死、再発防げず」とした。

※ 1991年に電通の入社2年目の男性社員(高橋さんと同じ24歳であった)が自殺した事件。もちろん、当時はいわゆる事件名に"第一次"などとは付いていなかった。ここでは、便宜的に"第一次"とつけている。

そして、本件については第二次電通事件と呼ぶこととする。だが、本当は第三次電通事件と呼ぶべきなのかもしれない。というのは、2013年に30歳の男性社員の病死が過労死とされて労災認定されているからだ。

なお、本サイトは、企業、個人の名称は、不名誉と考えられるような場合については原則として表示しない方針だが、本件のようにあまりにも有名で、企業名を隠しても意味がないと思われるようなものについては、企業名のみ表示している。ただし、個人名については、公的立場の人物を除き、すでに報道されている場合であっても不名誉と思われる場合は表示しないこととしたい。

この事件は、大きく報道され、さまざまに解説等も行われている。私はそれらの解説とは違った観点=人材活用の失敗という面から、この問題について論じてみたいと思う。

だが、本題に入る前に、第一次電通事件の社会問題化から、第二次電通問題の社会問題化までの流れを、ざっと振り返ってみよう。

イ 第一次電通事件の意義と教訓

(ア)最高裁編決

今でこそ精神疾患は、職業性疾病のカタログともいわれる労基則別表1の2に明記されており、職業性疾病の一つの型として認められている。そして、自殺が労災認定され得るということも、労災保険の専門家の間では共通認識となっている。

しかし、かつては、原則として自殺は労災として認められることはほとんどなかったのである。自ら命を絶ったのだから、業務との因果関係がない(因果関係が断絶する)とされていたのだ。

例外的に認められたケースもまれにはあったが、管理区分4のじん肺患者が、かなり異常な方法で自殺したという事例の他は、外国で長期抑留された船長など、ごくわずかな例があるのみであった(※)。とりわけ、遺書があると「心神喪失」ではなかったとされて、労災として認められることは、まずなかったのである。

※ これらの事件では、被害者は心神喪失だとされ、法的に"故意"に死亡したのではないとされた。なお、この考え方そのものは、現時点でも変わりはない。考え方が変わったのではなく運用が変わったのである。

ところが、第一次電通事件では、裁判所は長時間労働を原因とする労働災害としてうつ病を発症していたことを認定し、それを前提に損害賠償請求権を認めたのである。この種の事件について、労災だと認められたことは、当時は、労災保険や産業保健の専門家にとって、驚くべき事件であった。

(イ)行政の対応
① 労働衛生課の取り組み

第一次電通事件をひとつの契機として、労働災害と自殺の関係について、労働行政が本格的に取り組むこととなり、私もまたその渦中に入ることとなった。当時、夏休みも返上し、毎日、夜遅くまで作業を行っていたのが、今となっては行政時代の大きな思い出となっている。当時、所属していた労働衛生課の送別会や忘年会なども、私だけはほとんど出席できなかったものである。

企業のメンタルヘルス対策のよりどころとなった、「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」(いわゆる旧メンタルヘルス指針)は、このときに有識者や関係者からなる委員会で検討して策定したもので、私が主担当者だった(※)

※ 事業者への支援として「メンタルヘルス対策支援事業」の予算化も行った。これは、2001年度から、中央労働災害防止協会への委託事業として始まり、メンタルヘルス推進センターが同協会に設置された。私自身、後に、現役出向の形でセンター所長の職に就いたが、現在では予算もセンターも廃止されている。

また、そのとき、自殺防止対策の在り方について、当時の局長からの指示で、報告書をまとめ、局長室で局内各部署の中堅の職員と議論をしたこともあった。ただし、これは予算化には、至らなかった。

② 労災補償のための取り組み

この事件を契機(※)として始まった、「精神障害等の労災認定に係る専門検討会」において、自殺の労災補償について本格的な検討が行われた。その検討結果は、平成11年(1999年)9月14日の労働基準局長通達「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」となって、自殺の労災補償への道が開かれることとなったのである。

※ 心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針は、2000年の電通事件の最高裁判決よりも前に発出されているが、電通事件そのものは1991年に発生し、地裁判決が1996年、高裁判決が1999年に出されている(労災の申請は地裁判決後)。この指針の策定は、これらの下級審判決が契機となっている。

③ 政府全体の対応

そればかりか、この事件は、労働行政の枠をも超えて、政府全体として自殺対策に本格的に取り組むことになる大きな契機となったのである。

(ウ)教訓は活かされなかった

このように、第一次電通事件は、企業がメンタルヘルス対策に本格的に取り組む大きな契機となったのである。にもかかわらず、同じ企業で再び(三度というべきだろうか)、悲劇が繰り返されたのだ。貴重でかつ重く受け止めるべき教訓が活かされなかったのである。

私も、労働衛生行政において、メンタルヘルス対策や自殺防止対策に携わった者として、残念でならない。


(2)再び社会問題化

ア 本件が知られることとなった経緯

(ア)事件の第一報が報じられる。

高橋まつりさんは、2015年のクリスマスに永眠され、翌2016年4月に、ご遺族による労災申請が行われ、9月30日に労働災害として認定された。これをご遺族が10月7日に公表されたのである。毎日新聞と産経新聞は、その日のうちにこの記事をWEBの自社サイトに流した。また翌8日には、朝日、毎日、産経など報道各社の朝刊が、一斉にこの事件を報じている。

この公表があった7日の夜、後に社会問題化するあるコメントがニュースサイト"newspics.com"にアップされていた。ある大学の教授が、電通事件と名指しこそしなかったものの「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」とのコメントを載せたのである。だが、この教授の意図に反して、情けないのはこの教授の方だと、多くの方が思われたようだ。この発言はネットで炎上し、10日には、所属大学が学長名の謝罪文を公表するという顛末となった(※)のである。11日から12にかけて、この大学教授の発言も、報道各社が報じるところとなった。

※ この教授は、この発言を後に非表示にした上で、「言葉の選び方が乱暴で済みませんでした」と投稿してさらに炎上するという結果となった。しかも、その後、この教授の発言に対して、別な大学の経営学の教授が「炎上で怯むなかれ。当事者でない者が当事者の心情を忖度して自分は安全地帯に居ながら勇み足の発言を非難し血祭りに上げるような輩に屈する必要一切なし」と擁護すると、件の教授はこれに対して「いいね」をしてまた炎上した。

こんな発言に「いいね」をするのなら、最初のニュースを堂々と残しておき、お詫びなどしなければよいのである。「(世論に)屈する必要一切なし」という発言に賛同するのなら、それに屈して最初の発言を削除したのは"曲学阿世(学説を曲げて世におもねる)"の輩と言われてもしかたがあるまい。

最初の発言の内容と炎上した後の対応という2つのことについて、「情けない」という言葉はこの教授に対して当てはまるという気がしないでもない。

私が、この第二次電通事件に関心を持ったのは、この教授のコメントについての報道によってだった。ところが、そのときに手元に保存していた資料を調べてみたところ、第二次電通事件そのものを報じた新聞記事もその中にあった。すなわち、記事を読んではいたのである。にもかかわらず、そのときは、それほど気には留めなかったのだ。過労自殺事件の数は多い。そのため、感覚がマヒしていたのかもしれない。

いずれにせよ、この教授は、意図していたかどうかはともかく、皮肉なことに第二電通事件の社会問題化の一端を担ったのである。

(イ)大きく報道される

12日には、朝日新聞が社説「過労自殺根絶 企業も国も問われる」で、第一次電通事件が発生していることを指摘し、「再発防止を誓ってきたはずの会社で、再び若い社員が自ら命を絶ったことはきわめて深刻で、責任は重い」と断じている。

さらに、同紙が15日「社員『過労自殺2度目なので…』 電通の労務管理焦点に」、27日「(あすを探る メディア)電通過労死、見えぬ核心 津田大介」、29日「電通、染みついた鬼十則 『命を削って給料もらってる』」、11月18日「(時時刻刻)電通捜査、異例のスピード 労働局が大規模動員、上層部の責任追及へ」など、繰り返して続報を掲載している。

また、毎日新聞も23日「過労自殺>心身に高負担 「ゴールが見えない」労働」、24日「<電通>午後10時に全館消灯 過労自殺受け残業抑制策」などの特集記事を組んだ。

イ 第二次電通事件が大きな社会問題に

(ア)行政機関が調査に着手

ただ、先述したように、私自身は、この第二次電通事件の最初の報道に接した時点では、この事件がそれほど大きな社会問題になるとは予測できなかった。そのこと自体が異状というべきことではあるが、過労自殺そのものは、現在の日本ではそれほど珍しい事件ではないからである。

しかし、労働基準行政当局の反応は早かった。10月14日には労働基準監督官が電通の本社に抜き打ち調査に入っている。なお、前日夜に開催された「多様な働き手との意見交換会」で、安倍総理(当時)が、電通を名指しして過労自殺防止を話題にした。安倍総理の発言と、この抜き打ち調査の関係は分からないが、常識的に考えれば、安倍総理は抜き打ち調査が行われることについて、事前に報告を受けて知っていたのだろう。いずれにせよ、時の政権からも見放された形になったのである。

そして、11月7日には、労働基準法違反の疑いで電通の本社と3つの支社に対して、刑事訴訟法による家宅捜索を行った。少なくともこの時点で、電通において犯罪行為が行われていると行政が認識していたのである。

(イ)正式裁判で有罪判決へ

その後の東京地検への送検も速やかに行われた。12月28日に、電通(法人)と職員1名を送検し、2017年4月には電通と職員3名に対して2度目の送検を行った(※)。これは、労働基準行政OBの私の感覚では、異例のスピードという印象を受ける。

※ なお、少なくとも現時点では東京労働局のWEBサイトの報道発表資料には載っていない。東京労働局は、送検事案などは、一定期間ののちに削除する扱いなのかもしれない。

送検された東京地検は、7月5日に電通のみを東京簡裁に略式起訴した。ところが、これに対して東京簡裁は12日に略式不相当の判断をする。これはかなり異例なことだと言ってよい。2015年に略式起訴された27万件のうち略式不相当とされたのは全体で55件に過ぎない(※)のである。

※ 毎日新聞2017年7月12日記事「『法人の略式命令は不相当』正式裁判へ」による。なお、同記事によると厚生労働省の過重労働撲滅特別対策班が調査した5事件のうち2件は略式不相当の判断が出ている。

そして、10月5日、東京簡裁は有罪(罰金50万円)の判決を言い渡した。

(ウ)大きな社会問題へ

第二次電通事件について、「過労死ゼロの社会を」(連合出版)の著書の一人である川人弁護士も、「三十年にわたり過労死問題に取り組んできた経験から、私は相当の社会的影響があるとは予想していたが、これほどまでに大きなインパクトを与えるとは想定していなかった」と書いておられる。

マスコミが、この問題を大きく取り上げたことは、企業が過重労働への対応を行う大きな原動力となったことは否定できない。そのことは積極的に評価したい。だが、この事件よりも前にも同様な事件は数多く発生していた。第二電通事件でできるのであれば、なぜそれらの事件のときに、もっと大きな問題意識をもって、社会的全体としての取り組みを行うことができなかったのかとは思う(※)。そうしていれば、その後の悲劇は防止できたかもしれないのだ。

※ これに関係するが、白戸圭一「ボコ・ハラム:イスラーム国を超えた「史上最悪」のテロ組織」(新潮社2017年)は、ボコ・ハラムが多数の少女を誘拐した事件で、世界の報道機関が大量の報道活動を行い、米国大統領が対応をとると宣言するなど国際社会がその解決へ向けて大きく動いた。しかし、実はそれ以前にも、同様な事件がより大規模に発生していたが、そのときは、国際社会は何もしなかったと指摘している。

白戸氏が述べているように、国際社会は、1994年に発生したルワンダにおけるフツ族によるツチ族(及びツチ族に同情的なフツ族)に対する大量虐殺のときも見て見ぬふりをしたのである。

人の命はすべて同じ重さのはずである。遺族の悲しみや苦しみに違いがあるわけではない。どのような基準に基づいて、マスコミは報道する量を決めるのであろうか。ご都合主義という気がしないでもない。

いずれにせよ、この事件は、大きな社会問題となり、その後の「働き方改革」の議論にも影響を与えることとなる。電通で起きた過労自殺事件が、2度にわたって大きな社会問題となったのである。


2 この事件から何を学ぶべきか

(1)第二電通事件の問題点

第二電通事件では、長時間労働と上司によるパワハラという2つのことが、報道機関や識者によって問題とされている。これは、川人博他著「過労死ゼロの社会を」などでも、論じられている。

確かに、この2つが、この事件できわめて大きな要素であることは間違いないと私も思う。高橋まつりさんのTwitterでも、そのことはなんども述べられていた(※)

※ 高橋まつりさんのTwitterは、その後、一時的に非公開とされたが2016年の10月の時点では公開されていた。私が拝見したときは、2015年5月29日から、同年12月20日までの348件のツイートがアップされていた。なお、その時点でフォロワーは8,278件に達していた。

ツイートには、「男性上司から女子力がないだのなんだのと言われる」、「1日20時間とか会社にいる」「22時前に帰れるなんて…奇跡だ」などの言葉が並んでいる。高橋さんが、死にたくなるほどの思いの中で書き残したものである。

だが、その2点は、様ざまなところで、論議されているので、それらの文献に譲り、冒頭でも述べたように、私は別な観点=人材活用の失敗という面からこの事件について問題点を指摘したい。


(2)最大の問題

ア 社員の能力を活かさずに潰してしまったこと

私自身は、電通の業務上の業績については、かつては高く評価していた。行政にいたころ、広報のためにポスターを作製したことがあったが、デザインなどを電通に依頼すると、他社とは比較にならないほど良いものが出来上がってきた。私は、当時の電通は、他社には追随ができない良い仕事をしていたと思っている。

だが、電通のようなタイプの仕事をしている企業において、将来にわたって"よい仕事"をするためには、何よりも、一人一人の社員が持つ才能を活用することが重要なはずである。言い古された言葉ではあるが、企業の最大の財産は社員の意欲と能力なのだ。

ところが、この事件では、高橋まつりさんという才能のある若い女性の能力(その前には24歳の男性社員)を、育てて引き出すということに失敗したのである。

これこそが、この事件の原因となった電通の"体質"が同社に与えた最大の損失であると私は思っている。若い社員が、仕事に悩んで追い込まれているという現状が、電通のような業種において、よい影響を与えるはずがない。これを改善することが、電通の営業という観点からもきわめて重要なはずである。

メンタルヘルス対策や、働きやすい職場の実現を、企業にとっての負担と考えるべきではない。それは、企業に利益をもたらすための投資なのである。もちろん、このような考え方に対しては、会社の利益を第一に考える「功利主義」だという批判があるかもしれない。

確かに、功利主義という批判は当たっているかもしれない。だが、あえて私は言いたい。若い社員の才能を育てて、その能力を引き出すということは、その社員にとっても、仕事に生きがいを持てることとなり、大きな利益になるのだと。であれば、功利主義も大いに結構なことではなかろうか。

イ どうするべきだったのか

誤解のないようにお断りしておくが、それは、人格を無視した洗脳まがいの研修、軍隊式の教育、パワハラまがいの上司と部下の関係、強制に基づく業務の推進、際限のない長時間労働などとは無縁のものだ。そのようなことは、第3、第4の(※)事件を引き起こすだけだ。

※ 先ほども述べたように、第4、第5のというべきなのかもしれない。

そうではなく、一人ひとりの職員が、積極的に"いい仕事をしたい"と思えるような組織体制・企業風土を作ることである。さらには、"いい仕事ができる"環境を整えることである。それは、職員と会社の双方にとって利益になるのである。それは、良い仕事をさせるために職員を巧妙に働かせるなどということとは全く違うのだ。

労働者と企業の関係は、利益に根差した契約にすぎない。それを前提にした上で、労働者に生きがいと利益をもたらしつつ、企業の利益を上げること、これこそが目指すべき方向なのである。

ウ 電通「鬼十則」と「責任三ヵ条」について

(ア)電通 鬼十則

第二電通事件を契機として一般にも知られるようになったが、電通には、「電通 鬼十則」と「責任 三ヵ条」というものがある。「電通 鬼十則」の方は、2016年まで高橋さんも持っていた電通の社員手帳であるDennoteにも記載されていた。

【電通 鬼十則】

  1.  1.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
  2.  2.仕事とは先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
  3.  3.大きな仕事と取組め! 小さな仕事は己を小さくする。
  4.  4.難しい仕事を狙え! そして成し遂げるところに進歩がある。
  5.  5.取組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは...
  6.  6.周囲を引きずり回せ! 引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
  7.  7.計画を持て! 長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
  8.  8.自信を持て! 自信が無いから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
  9.  9.頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ!! サービスとはそのようなものだ。
  10.  10.摩擦を怖れるな! 摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。

※ 電通「Dennote」

(イ)電通 鬼十則は問題なのか

「電通 鬼十則」は、第二電通事件の後、これが諸悪の根源のようにいわれるが、私自身は、「電通 鬼十則」それ自体は、運用によっては、それほど問題があるものだとは思っていない。朝日新聞社は、2016年10月28日の記事「電通、染みついた鬼十則 『命を削って給料もらってる』」で、かなり批判的に取り上げているが、朝日新聞出版の朝日親書でこれを高く評価する書物(※)を発行していたのだから大きなことは言えまい。

※ 柴田明彦「ビジネスで活かす電通『鬼十則』」(2011年)

問題は、あくまでも運用の実態なのだ。

(ウ)電通 鬼十則のむなしさ
① 電通十則の1~4

「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない」という。大いに結構である。「大きな仕事と取組め! 小さな仕事は己を小さくする」。ますます、素晴らしい。「大きな仕事と取組め! 小さな仕事は己を小さくする」「難しい仕事を狙え! そして成し遂げるところに進歩がある」。まさにその通りだ。

目を転じて、高橋さんのTwitterを見てみよう。「日々ごりごりと数字を見てるだけに クリエーティブの人の仕事を見るたびにこの仕事楽しい!って思うな(高橋さんのTwitterから。以下Tと記す)」とある。ということは、電通では「日々ごりごりと数字を見てる(T)」仕事をさせられていたのだ。だが、電通では「私が人一倍仕事が遅いにしてもこれは意味不明すぎるので絶対にやめたい(T)」と思ったら、その仕事はやめられるのだろうか。

「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない」なら、クリエィティヴな仕事を創ることもできたろう。だが、「ごりごりと数字を見てる(T)」仕事は自ら創ったものではあるまい。与えられたものなのだろう。そもそも、大きな仕事も何も、電通の社員は、「小さな仕事」は選ぶ必要はないとでもいうのであろうか。だとしたら、大いに結構なことではあるが。

先述の「過労死ゼロの社会を」には、高橋さんが職場懇親会の監事をやらされ、二次会の場所が遠かっただの、乾杯の音頭を誰がとるかを決めていなかっただのと言われて、深夜に反省会を行ったと記されている。それとも、電通では、懇親会の二次会の予約や、乾杯の音頭を誰がとるかを決めることは「大きな仕事」「難しい仕事」ということなのだろうか。

あまりにも、電通 鬼十則の1から5までに書かれていることは、電通の実態とはかけ離れているのである。

② 電通十則の5

「取組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは...」。これまた素晴らしいスローガンだ。高橋さんも、自身のことを「火事とか地震の時でも逃げることに罪悪感覚えて最期までPCの前にかじりついて死ぬやつだわ(T)」と評している。

だが、このスローガンに従って、よい結果を出せるのは、よい仕事ができる環境と、様々な資源やサポートがあってこそだ。「眠りたい以外の感情を失った(T)」状態になっても放さないでいて、よい結果が出せるはずはあるまい。

社員には仕事を「放すな」と言っておきながら、会社の方は、社員がよい仕事ができる環境を作るという仕事の方は、「放って」おいたのではないだろうか。

③ 電通十則の6

「周囲を引きずり回せ! 引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる」。確かに結構なことだ。だが、まともな仕事や企画で引きずり回すならだ。

しかし、「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな(T=上司の言葉)」「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる(T=同)」。こんな言葉で、新人の部下を引きずり回しても、良い仕事にはつながらないだろう。

まして、靴に入れたビールを新人に飲ませる(※)など異常としかいいようがないのである。

※ 第一次電通事件で被害者の男性社員がやらされた。

④ 電通十則の7

「計画を持て! 長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる」。なんとも素晴らしい。長期の計画は絶対に必要だ。優秀な社員であれば、よい仕事をするためにも、長期の計画を持ちたいと誰でも思うものだ。

しかし、「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい(T)」ような状況で、長期の計画など持てと言われてもむなしいだけだろう。

⑤ 電通十則の8

「自信を持て! 自信が無いから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない」。素晴らしいスローガンだ。社員に自信を持たせることは極めて重要だ。

ではその社員に対して、「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄(T=上司の言葉)」「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない(T=上司の言葉)」というのは、言った相手の新人女性社員に自信を持たせるために役立つ言葉なのだろうか。「自信を持て」というなら、自信を持って働けるような職場環境づくりをすることが重要であろう。そうはなっていなかったのではないのだろうか。

⑥ 電通十則の9

「頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ!! サービスとはそのようなものだ」。確かにその通り。頭が全回転していることはよいことだ。そうでなくては、仕事の効率など上がるまい。

だが、人間は機械ではない。ときには休ませないと、常に、全回転している状態にしようとしてもできるわけがない。「眠りたい以外の感情を失った(T)」状態で、頭を全回転させることなどできるものではないのである。

⑦ 電通十則の10

「摩擦を怖れるな! 摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる」。これまた、素晴らしいスローガンだ。若く伸び行く企業の内部はこれでなくてはならぬ。大いに結構。また、企業内で自由にものが言える雰囲気は、成長企業に必須のものだ。

しかし、日本の多くの企業では、こういう社員は主流にはなれないのが現状なのである。

「誰もが朝の4時退勤とか徹夜とかしてる中で新入社員が眠いとか疲れたとか言えない雰囲気(T)」というのが、電通の職場文化だとすれば、これまたむなしいスローガンである。

(エ)電通 裏十則

吉田望氏が電通の経営計画室にいたときに「電通 裏十則」というものを作られたとブログに書いておられる。なかなかよくできている。リンクを張っておくので、ぜひご覧になっていただきたい。

職場風土・職場環境の悪い企業では、結局、裏十則のようになってしまうのである。たんに鬼十則をDennoteから落とすだけでは、形上の格好をつけただけで、なんの意味もないのだ。

社員が、生き生きと働けて能力を発揮できるようにするには、「鬼十則」が役に立つような、社員がそれに従って行動できるような企業にしてゆくことこそが重要ではなかろうか。

(オ)責任三ヵ条

私は、「電通 鬼十則」の方は、運用によってはそれほど問題があるとは思わない。しかし、「責任 三ヵ条」の方は、その執筆者が会社の職員をどのように考えていたかが相まみえて空恐ろしい気さえする。

【責任三ヵ条】

衛生の実務とは、事業場の労働衛生管理部門の管理職、衛生管理者等のほか生産現場等において労働衛生管理を担当し、所掌する者が下記の業務を行うことを示す。

  1.  1.命令、復命、連絡、報告はその結果を確認し、その効果を把握するまでは、それを為した者の責任である。その限度内における責任は断じて回避できない。
  2.  2.一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないのならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。
  3.    一を聞いて十を誤る如きものは百害あって一利もない。正に組織活動のガンである。削除せらるべきである。
  4.  3.われわれにとっては形式的な責任論はもはや一片の価値もない。われわれの仕事は突けば火を噴くのだ。われわれはその日その日に命をかけている。

※ 電通「Dennote」

① 責任 三ヵ条の1

1の「命令、復命、連絡、報告はその結果を確認し、その効果を把握するまでは、それを為した者の責任である」というが、命令についてはともかくとして、復命、連絡、報告については、その効果は受けた側にも責任はあろう。これは、それを受ける側(通常は上司)が責任を回避して、それをした側(通常は部下)に責任を押し付けているのではなかろうか。

下から報告を受けたとき、いい加減に聞いておきながら、後になって「聞いていなかった、分かるように説明しない方が悪い」という上司がときどきいる。それを是認するかのごとき、このようなことを言うようでは、まともな仕事などできるはずがないだろう。

② 責任 三ヵ条の2前段

2では、「一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないのならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ」というのは、部下のあるいは職員の才能をまったく信頼していないのである。会社の幹部職員が一般職員に対して、「(お前たちは)一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がない」と言い切って、だから「一を完全に行う注意力と責任感を持」て、と言っている。

部下の才能を育てようなどとは全く考えていないのだ。むしろ、部下に対して、お前たちは無能だから無能なりにがんばれと言っている。これではやる気もそがれるだろう。

そもそも「一を聞いて十を誤る如きものは百害あって一利もない」というが、一を聞いて十を誤るのは、一を伝えた側(通常は上司)の伝え方に問題があるのではなかろうか。一を聞いた側の問題としたのでは、一を聞いた側はたまったものではあるまい。

③ 責任 三ヵ条の2後段("削除"とは)

また、ここにいう「削除」とは何を指すのであろうか。最初にこれを読んだとき、私は某宗教団体が内部で使っていた"ポア"という言葉や、映画「20世紀少年」の中で使われていた"絶交"と言う言葉が浮かんできたのだが・・・。

(カ)責任三ヵ条の問題点

この企業には、本気で職員を育てようという気があるのだろうか。幹部職員がこれではストレスもたまるだろう。

なお、「責任 三ヵ条」の方は、1987年までDennoteに乗っていたが、それ以降は削除されたらしい。


(3)解決の方法

労働基準法に違反するような長時間労働は、もとより許されることではない。しかし、仮に、長時間の労働をしたとしても、仕事の方に、次の様な条件が満たされていれば、耐えることは可能だったかもしれないと思うのである(※)

※ もちろん、1日に数時間しか眠れないというような状況があれば、話は別だ。また、労働者には個人的にも様々な事情がある。それによっては、労働時間以外の職場の環境が整えられていたとしても事故は起こり得るのである。基本的に常態としての長時間労働は避けなければならないと考えなければならない。

【ストレスの低い仕事の在り方】

Ⅰ 裁量性等

① 残業をいつ何時間行うのかなど、勤務時間について、ある程度は自ら決めることができること。もし、それが不可能であれば、少なくとも、事前にその日の残業時間が予測できること。

 【反対例】

ⅰ 労働時間が長すぎて、そもそも裁量の余地を働かせることが不可能。

ⅱ いつ帰るのを自ら決めることができない。

ⅲ 毎日、いつ帰れるのか予測がつかない。

② 仕事の内容や進め方を、ある程度、自ら決定できること。

 【反対例】

ⅰ こまかいことまで指示され、創意工夫の余地が全くない。

③ 仕事の範囲や権限が明確であること。

Ⅱ 仕事の意義・評価

④ 仕事の目的が、社会や顧客にとって役に立つ、喜んでもらえるものだという確信が持てること。

 【反対例】

ⅰ 反社会的な仕事をさせられること、ごまかしを強制されるようなこと。

⑤ 仕事をすれば、上司や同僚から正当な評価を受けること。

⑥ 仕事の具体的な内容や進め方について、合理的なものであると感じられること。

 【反対例】

ⅰ あきらかに意味のない仕事をさせられること

ⅱ 具体的な指示のないまま仕事をさせられて、完成後にダメ出しをされること

ⅲ 必要な知識を獲得することもできず、たんに長時間働かされていたりすること。

Ⅲ その他

⑦ 健康管理体制ができていること。また、パワハラやセクハラに対して、適切な措置が取られていること。

 【反対例】

ⅰ 残業時に夕食をとることもできずに、長時間働くようなこと

だが、電通においては、そうはなっていなかったのではなかろうか。この動画は、沖縄在住の方が作られたものだが、本質をよく突いていると思うので紹介しておく。


(4)私の知っているある例から

私がよく知っているある人物が、前(1980年代前半)にいた会社でも似たような状況があった。ある大規模企業のIT関連部門の工場で、彼はその設計部門に属していた。まさに当時の最先端技術の部門である。その工場の製品は、当時としては、日本産業の中心的な役割を果たすものだったのである。

その職場は、とにかく所定外労働時間が長いのである。平均すると、所定外労働時間(休出を含む)が所定内労働時間(週48時間の時代だった。)よりもはるかに長かったのである。

だが、それだけなら耐えられたと彼は言う。耐えられない理由はいくつかあったが、それは次のようなものであった。

ア 長時間勤務の不合理な理由

(ア)食事ができない

その工場には社員食堂はあるのだが、設計部門の職員は夕食をとることができなかった。その職場では、建前は残業をしていないことになっているのである。社員食堂で食事をすると、残業の証拠が残ってしまうことから禁止されていたのである。近くには、食事ができる食堂や、売店の類はなかったし、あったとしても外出は禁止されていた。そのため、夕食をとらずに、朝方の2時、3時まで残業をするのである。

しかも、製品の試作品が完成すると、テスターにかける必要があるのだが、テスターは高価なものだったので、設計部門の職員は昼休みに使うしかなかった。それでも、最初の頃は昼休みが終わってから昼食はとれたのである。ところが、製造現場から「設計部門の職員は昼休みでもないのに食事をしている」という指摘があったという理由で、昼休みが過ぎてから食事をすることを禁止されてしまったのである。それだけならまだしも、労務部門の指示で、職員を交替で見張りに立たせるということまでやりだしたのだ。

食事もできずに、昼休みが過ぎてから職員の見張りに駆り出され、その後は延々と長時間労働をさせるという、合理性に欠けた前近代的労務管理に不満が高まったのは当然であろう。

長時間労働がどうしても必要だというのであれば、彼とても理解できないわけではなかった。だが、そうさせるなら、少なくとも会社が責任をもって健康管理などの環境は整えるべきであろう。また、食事もさせずに長時間労働をしても効果が上がるとも思えない。これでは、インパール作戦を強行した牟田口廉也中将と同じレベルである。労務管理がまともに機能していないのだ。

(イ)長時間労働に合理性がない

先述したように、仕事の関係でどうしても長時間労働をしなければならないのであれば、やむを得ないとは言わないが、納得はできただろう。だが、長時間労働そのものに合理性がないのである。効率的に仕事をすれば20分の1の時間で同じ成果を上げることができたと彼は今でも思っている。

にもかかわらず、不効率的な作業を延々と続けさせられたのだ。これでは耐えられなかったのである。以下に簡単に説明しよう。

① 合理的な仕事ができない

彼の仕事は、設計部門なので、一定の知識がなければ仕事にならない。にもかかわらず、必要な教育もせず、さらには自己研鑽さえさせずに、とにかく長い時間、会社に居続けさせるのだ。

これでは、そもそも仕事をしても効果が上がらない。仕事の目的の達成に必要なことをしているのではなく、たんに会社にいるだけである。こんな仕事には意味が感じられないのだ。

② 明らかに意味のないことをさせる

彼の仕事では、設計ができるとそれに基づいて試作品を作るのだが、最初の試作品は期待通りの動作をしないのが普通だった。そのため、誤動作の原因を見つけて、改修をする必要がある。

ところが、原因の究明の際に、明らかに意味のない試験をさせられるのである。そんなことには意味がないと、上司や関係部門にいくら説明しても、とにかくそれをしろと指示されるので、失敗すると分かっていることを延々とさせられたのだ。

(ウ)設備の改善がされない

設計には、大型のコンピュータを用いてシミュレーションを行うのだが、古くて性能が低いいため反応時間が遅いのである。新型だと瞬時に結果が出るようなことでも、30分とか1時間とか時間がかかるのである。そんな理由で長時間労働が発生するのだ。

新型コンピュータを入れれば、確かに数億円の出費にはなるのだ。しかし、彼には、労働者の健康よりもそれが大切だとは思えなかった。なぜなら、その程度の支出は簡単にできるだけの営業利益は上がっていたからだ。

(エ)残業手当が支給されない

当時は、多くの企業でサービス残業が蔓延しており、どこも同じではあったが、ご多分に漏れずその企業でも残業手当はほとんどつかなかった。また、毎週水曜日は「健康の日」と称して「ノー残業ディ」になっていたのだが、実質は「サービス残業ディ」だった。

あるとき、彼の同僚が、ばかばかしいからと水曜に残業の申請をしたところ、上司から「今日は労働組合が残業セロを徹底したいと言っているのだ。労働組合に協力しろ」とどなられて、残業の申請を取り消された。なんのことはない。労働組合と会社が一体となって、不払い残業を推進しているのである。

彼が入社したとき、社員教育で、会社幹部が労組に協力しないと出世できないと言っていた。語るに落ちたというべきか。

イ 彼の出した結論

結局、彼は会社を4年間でやめてしまった。

引継ぎの必要もあり、ぎりぎりでは迷惑をかけるので、3か月ほど前に上司に辞めると告げたのである。そのとき上司から辞める理由を尋ねられ、

  • 彼 :頭を使う仕事をしたいので転職します。
  • 上司:ここの仕事は、ものすごく頭を使うと思うけど。
  • 彼 :ここは眠らず、食事をとらずに、長時間会社にいることだけが求められています。私には、その能力に欠けています。

という会話があったそうだ。

その後、この工場は会社から分割され、他の企業の同種の部門と合併して新会社となった。その後も、別な企業の同種部門と合併を繰り返していったが、企業の従業員数は、ほとんど増えなかったという。結局は、衰退していったのである。

それは、合理性のない前近代的な労務管理で、職員の能力を引き出すことができなかったことが原因ではないかと彼は思っている。


3 最後に

(1)経済動向の変化と古い労務管理体質

ア かつての労務管理

我が国は、かつて高度経済成長を謳歌した時代があった。そして、その頃の成功体験は多くの企業に染みついているようだ。

当時の労務管理の在り方は、人口が増加する右肩上がりの経済成長期には問題が顕在化しなかった。また、他国よりも品質が良いものを、少品種で大量に生産して海外に販売することによって経済成長が可能な時代であれば、企業の職員は、上司の言うことをよく聞く、長時間労働に耐える者であればよかった。だが、こんなことは1ドル360円に固定され、米国は2つの戦争で競争力が落ちていたときの特殊な条件下でのみ、成り立ったことなのだ。

また、会社の職員の方も、休みを取らずにたんに長時間会社に居さえすれば、大した成果を挙げなくても、定年までは会社が面倒を見てくれ、定年後は年金で暮らしていけた。だが、時代は変わったのだ。いつまでも、前近代的な労務管理でやっていて、業績が上がる時代ではなくなったのだということを学ばなければならない。

イ 電通の問題

高橋さんのTwittersには、「二徹して作った自作の資料が全くダメだと言われたのだけれど、直してみて良かったらクライアントへ持っていこうということになり、休日出勤も厭わないやる気が出てきた私は社畜の才能が有り余ってる」と書かれている。また、高橋さんは、東大在学中に中国の精華大学に留学するため、様々な活動をしたりもしている。けっしてやる気のない女性ではないのだ。

その能力を活用できれば、電通のために大きな働きをしてくれたのではないだろうか。冗談とはいえ、「半年間えらかったね、もう働かなくていいよ、つって50くらいのバツイチのお金持ちおっさん(ハゲでも可)に求婚されて専業主婦になって飼われるように暮らしてえな。東大卒だけど(高橋さんのTwittersから)」と思われたのでは、電通のためにも日本のためにもよいはずがないのである。

私は、電通の事件について調べれば調べるほど、電通は職員の能力を活かすことに不向きな古い体質の企業だったのではないかと思えるのだ。長時間労働も原因の一つであろうが、上司の無理解や意味のない仕事もまた高橋さんを苦しめたのではなかろうか。それが、この事件の背景にあるように思えてならないのである。


(2)米国と日本の違い

ア 米国と日本の評価の違い

米国の企業・役所と日本の企業・役所の大きな違いは何だろうか。それは、米国では専門知識とチャレンジ精神が尊ばれるが、日本では人間関係や調整能力が評価されるということである。日本では、チャレンジ精神や専門能力などは、ほとんど評価されない。やや極端な言い回しにはなるが、組織内に強力な人間関係を構築できた者が、企業内で成功する例が、まだ多いのである。

私自身、某省の課長をしていたという某業界団体の専務理事から、ある法令改正に対して強硬な妨害を受けたことがあるが、彼には基本的な知識がまったく欠如していた。厚労省の係長クラスの職員よりもはるかに知識のレベルが低かったのである。なぜ、ああも知識のない人間が課長になれるのか不思議だったものだ。

イ 米国のような成功者が日本はいない

2017年1月のフォーブスの長者番付によると、財産を最も多く保有している8人の人間の保有する富は、最も少なく保有している世界の半数の人間の富と同じなのだそうだ。

この8人の中に5人の企業の創業者がいるが、そのうち4人が米国人である。日本人は一人もいない。ちなみにその4人とは、

  • 1位:ビル・ゲイツ(Microsoft創業者)
  • 5位:ジェフ・ベゾス(Amazon創業者)
  • 6位:マーク・ザッカーバーグ(Facebook創業者)
  • 7位:ラリー・エリソン(Oracle創業者)

である。

私、個人は、富の偏在は好ましいことではないと考えている。しかしながら、少なくとも彼ら4人は自らの才覚でのし上がったのであり、親からの遺産で豊かなわけではない。我が国には、このような成功例はほとんどないと言ってよいのではなかろうか。せいぜいジャストシステムの浮川和宣氏やアスキーの西和彦氏が挙げられる程度であろう。

我が国では、正社員にならずに創業などを行えば、失敗して悲惨な人生が待っている可能性がある。米国でも大差はないかもしれないが、少なくとも優秀な人材は再就職の道を探すことができるのである。そのために、挑戦がしやすい状況があるのだ。

残念ながら、我が国にはそのような状況は存在していないのである。


(3)職員が働きやすく能力が発揮できる職場の実現を

ア 日本の目指すべき方向

日本においても、これからはたんに長時間会社にいることだけを求めていてはならない。働きやすい環境を整えて効率よく業務を行えるようにすることだ。何よりも、個々の社員が、その能力を発揮できるような環境を整えることだ。短時間しか会社にいなくても、実績が上がれば評価することである。

それなら、「電通 鬼十則」も意味を持つだろう。もちろん、社員にとっても、別な意味で厳しい状況にはなるだろうが、少なくとも意味のない長時間労働を行って、身体と心の健康を害するよりははるかにましであろう。

イ 労務管理の改善は急務だ

少なくとも、企業においては、ただ長時間の労働を行わせるような前近代的な労務委管理は、ただちにやめるべきである。懇親会の乾杯の音頭や二次会の予約のことを、重要職務として若い職員の教育に使うような古い体質も改めた方がよい。

どのようにすれば、職員の能力が発揮できるようにできるのかを考えることである。職員がメンタル不調を引き起こすような職場では、企業が発展するはずもないのだということを理解する必要がある。

ウ 中堅職員の意識改革も重要

そのためには、制度を変えるだけではだめなのだ。組織の風土や中堅職員の意識も変えてゆかなければならない。私は、旧メンタルヘルス指針を策定した直後に、リベラルといわれるある大手新聞社の若い女性記者から取材を受けたことがある。

そのとき、なにかの話の関係で、「企業がコミュニケーションをよくすることもよいことだが、社員旅行や飲み会をすればよいというものではない。そういうことにストレスを感じる人もいるからだ」と私が言ったのである。するとその記者は「そうです、そうです、社会旅行というのは最悪です」と繰り返して何度も言われた。はっきりとは言わなかったが、セクハラまがいのことをされた経験があったようだ。

私は、「リベラルと言われる御社でも、そんなことがあるのですか」と思わず聞いてしまった。どうやら、リベラルな新聞社でさえ、新聞紙面の理想と社内の実情は、大きく異なるらしい。

やはり、たんなる制度を変えるのみならず、幹部職員や中間管理職の職員全体の意識改革を行わなければ、実行は伴わないのだ。形式だけ改革してみても、様々な抜け道を昼間の管理職が思いついて"自主的に"骨抜きにしてしまうこともあり得るからだ。


(4)最後に

最後になるが、川人博他「過労死ゼロの社会を」の中から、筆者の一人である高橋さんの御母堂の言葉を引用させていただいて、本稿を終えることとしたい。そして、このような苦しみを二度と我が国のすべての、親、子供、恋人、配偶者、兄弟姉妹そして友人たちが受けることのない社会が実現することを願いたい。

私の本当の望みは、まつりが生きていることです。「まつりを返して!」と泣き叫びたいのです。日本の社会と電通のせいで、まつりがいのちを失ったことは絶対に許せません。

※ 川人博他「過労死ゼロの社会を」(連合出版, 2017年)


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