「自律的な管理」の対象とその問題点




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化学物質を扱う研究者

※ イメージ図(©photoAC)

2021年7月に厚労省は、「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会報告書」を公表し、自律的な化学物質管理制度の導入を推進するとアナウンスしました。

基本は、SDS等による危険有害性の情報の伝達と、リスクアセスメントによる化学物質管理の2点が柱となります。自律的管理の義務の対象となる物質(リスクアセスメント対象物)は、安衛令で指定する約 2,900 物質となります。

現在のリスクアセスメント等の義務の対象である通知対象物(674 物質)を 2,900 物質に増加することは、事業場における安全管理の推進に寄与するでしょう。しかし、反面、そこには大きなリスクが潜んでいます。

そこに目を向けない限り、化学物質管理の自律的な管理が成功することはないでしょう。リスクアセスメント対象物とは何か、またその問題点は何かを解説します。




1 はじめに

(1)「自律的な管理」を一言で表現すると

執筆日時:

工場内でレクチャーする女性

※ イメージ図(©photoAC)

2021年7月に厚労省から「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会報告書」(以下「あり方報告書」という。)が公表された。これに基づき、2022年2月24日に改正安衛令等が公布され、5月31日には改正安衛則等が公布されている。

その内容をごく単純に要約すれば、次の3点にまとめることができる。本稿では、このうち③の対象物の増加とその問題点について述べる。

  • ① 従来の表示・SDS制度やリスクアセスメント制度の整備(強化)を図る。
  • ② 上記の確実な実施を確保するため、事業場内の管理体制を整備する。
  • ③ ①の対象物を大幅に増加する。

なお、筆者はこの改正は基本的に事業場の化学物質管理の方向として正しものと考えている。ただ、どのようなことにもメリットとデメリットが存在している。制度改正を効果的に進めるためには、そのデメリットに留意する必要があるということなのだ。

さて、今回の改正を「対象物質の増加」にフォーカスをあてて図式化すると図のようになろう。

化学物質規制対象の模式図

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現行の「通知対象物」(674 物質)について、上側は特化則等の特別規則による規制を外し、事業者の自律的な管理にゆだねる。

そして、下側は、現行の「(特定)危険有害化学物質等」(安衛則第24条の14第24条の15第2項)について、国が新たに多数の物質に GHS の分類と区分を行って、危険有害性のあるものについて、今回の自律的な管理の対象に加えようというのである。


(2)リスクアセスメントの対象物質

今回の自律的な管理の対象は「リスクアセスメント対象物」(改正後の安衛則第34条の2の7)と呼ばれるが、今後、次のように拡大してゆくとされている。

拡大される物質の規制の時期

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この拡大の対象となるものは、国による GHS 分類と区分の結果によるが、具体的には次表にひとつでも当てはまるものを定めるとされている。

表 拡大される物質とは
毒性 区分 区分
急性毒性 区分1 区分2~5
皮膚腐食性/刺激性 区分1 区分2~3
眼に対する重篤な損傷性/刺激性 区分1 区分2
呼吸器感作性 区分1
皮膚感作性 区分1
生殖細胞変異原性 区分1 区分2
発がん性 区分1 区分2
生殖毒性 区分1 区分2
特定標的臓器毒性(単回ばく露) 区分1 区分2~3
特定標的臓器毒性(反復ばく露) 区分1 区分2
誤えん有害性 区分1 区分2

※ 赤文字部分はすでに改正政令で公布済み

その物質数をまとめると、次表のようになると公表されており、具体的な物質名はすでに「労働安全衛生総合研究所」のWEBサイトに公開されている。

表 拡大される物質数は
現行の規制対象 674 物質 区分2~3
2020年度までにGHS分類済みの物質 約 1,800 物質 2021年度~2023年度に公布
2021年度~2026年度にGHS分類する物質 毎年 100~150 物質 2024年度~2026年度に公布
合計 約 2,900 物質

すなわち、物質数は現行の5倍近くになるものの、具体的な物質はすでに明らかにされている。そしてすでに述べたように、公布から施行までは十分な期間が設定されている(※)

※ これまでの通知対象物を追加する安衛令の改正では、公布から施行まで1年程度であった。それに比べても十分な長さであろう。

表示ラベル・SDSの対象物質を譲渡・提供する事業者は、早めに対応の準備を行うべきである。なお、当然のことであるが、公布前に対応したからといって法的な問題が生じることはない(※)

※ というより、災害が発生した場合に民事的な責任を問われないためには、法令が施行される前であっても、公表後、合理的な期間内に対応するべきである。もっとも、国がモデル GHS 結果を公表する前に対応することは、中小規模事業場にとっては厳しいかもしれないが。


2 物質数が大幅に増加することによる問題点

(1)増加する物質の多くは有害性の不明な物質

図書を探す女性

※ イメージ図(©photoAC)

実は、2021年の「あり方報告書」が出される前も、政府は法規制のない化学物質の GHS の分類と区分を、順次行っていた。しかし、最近では、新しく分類と区分を行う物質には、ほとんど有害性の情報がないのが実態であった。そのため、区分できない」という評価が多くなっていたのである。

そもそも、新しく GHS の分類と区分を行う物質は、生産の現場でほとんど用いられていないものが多くなっている。あまり使われていないのであるから、有害性の情報も Ames 試験の結果はあるものの、他に権威のある情報がほとんどなかったのである。

政府は、最終的に 2,900 物質をリスクアセスメント対象物として規制するとしているので、それらの物質すべてについて有害性区分が得られるという見込みはあるのだろうが、やや疑問を感じざるを得ない。


(2)ばく露濃度の危険性の評価(リスクアセスメント)の手法

ここで、規制の対象となる物質は、ばく露管理値のある物質とない物質に分けて、それぞれ異なる考え方で規制がかかることとされている。

具体的には、次のような形になる。

自律的な管理を基軸とする規制

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では、その事業場におけるばく露濃度が危険なレベルかどうかをどのように評価(リスクアセスメント)するのであろうか。新しい「自律的な管理」においては、ばく露管理値のある物質とない物質に分けて、評価を行うことになっている。

コンピュータを操作する女性

※ イメージ図(©photoAC)

ばく露管理値のある物質は、労働者のばく露濃度(実際の気中濃度と考えてよい)がばく露管理値よりも十分に低ければ安全だと評価する。一方、ばく露管理値のない物質は、リスクアセスメントの結果に基づき、それに対応してなるべくばく露濃度を低くすることで安全になると評価するという考えのようである。

一見、異なる対策のように見えるかもしれない。しかし、考え方は、双方とも「ばく露しても問題がないと考えられる濃度」よりもばく露濃度が低ければ安全(※)だと評価するということでは変わりはない。

※ これは化学物質の慢性毒性におけるリスクアセスメントの基本であり、すべてのリスクアセスメントはこの考え方に基づいて設計されている。

ばく露管理値のある物質の場合、この「ばく露しても問題がないと考えられる濃度」は、ばく露管理値という具体的な数値を用いることができ、また(その気になれば)ばく露濃度も測定で確認できるという違いがあるだけである。

では、ばく露管理値のない物質はどうするのだろうか。行政はこれらの物質のリスクアセスメント手法としては、CREATE-SIMPLE や ECETOC TRA などの手法をとることとしている。実を言えば、これらの手法は GHS 分類と区分の結果から「ばく露しても問題がないと考えられる濃度」を推定(※)するのである。

※ そして、ばく露量も様々なデータから推定することとなる。


(3)有害性の不明な物質が安全な物質と誤解されないか

厚労省は、単純に、次のように考えているようである。

  • CREATE-SIMPLE などの数理モデルは、リスクアセスメントは簡易にできるが、安全率を高くとるので過度な対策が必要となる。
  • 実際に測定を行う方法は、コストはかかるが、より確実な数値で比較できるので過度な対策は必要がなくなる。
  • 従って、ばく露管理値のある物質については、それぞれの事業場の状況に応じて対策を使い分ければよい。

この考え方は、特定の「ある物質」についてであれば正しい。しかし、複数の物質についてリスクアセスメントを行い、どの物質のリスクが低いかを比較するときには、CREATE-SIMPLE などの数理モデルを用いることはきわめて危険な面があるのだ。

【なぜCREATE-SIMPLE などの数理モデルで、物質を選択すると危険なのか】

  • CREATE-SIMPLE などの数理モデルは、「ばく露しても問題がないと考えられる濃度」を GHS の分類と区分の結果から推定するものが多い。
  • ところが、GHS では、情報のない物質と有害性のない物質を、同じと評価する。
  • 従って、CREATE-SIMPLE などの数理モデルでリスクアセスメントを行うと、有害性情報のない物質を用いればリスクが低くなるという評価をされる恐れがある。

これは、残念ながら化学物質の有害性の評価に GHS 区分を用いる場合には必然的に発生する問題なのである。これを軽視してはならないだろう。


(4)「自律的な管理」の内包するリスクとは

リスクアセスメント対象物を 2,900 まで拡大することについて危惧の念を感じる理由は、まさにここにあるのだ。

【新しい「自律的な管理」で予測される危険性】

  • 「ばく露管理値」のある物質をばく露管理値より十分低いばく露濃度で用いれば安全である。
  • 現実には「ばく露管理値」のある物質は、有害性が高い物質であるという誤解が広範に生じかねない。
  • このため、CREATE-SIMPLE などの数理モデルでリスクアセスメントを行い、有害性情報のない物質を用いれば安全だと安易に評価されかねない。
  • 結果的に、2,900 物質のうち有害性情報の少ない物質への移行が進み、これらの物質が十分な対策を足られずに使用されるおそれがある。

現在の特化則や有機則の対象物質を、これらの規則に従って用いていれば災害が発生しなかったにもかかわらず、安易に有害性情報の少ない物質への移行が進み、かえって職業性疾病発生のリスクが大きくなるということになりかねないのである。

私は、まさにこの点について危機感を持っている。


3 最後に

(1)事業者の意識が変わらなければ、自律的な管理は職業性疾病のリスクを高める

残念なことではあるが、我が国の事業場における労働安全衛生対策は、しばしば労働安全衛生対策になっているのである。そればかりか、労働安全衛生の専門家で労働安全衛生の専門家にすぎない場合(※)がしばしばあるのだ。

※ 最近、この今回の法改正のあるキーパーソンの方にお会いして、この件についてお話をする機会があった。そのときに聞いた話だが、ある労働安全衛生の専門家が「特化則などが廃止されたら、専門家はやることがなくなる」と言っていたという。まず、この辺の意識を変える必要があるだろう。

現在の多くの事業場は、まさに「法規制に依存した」労働安全衛生対策(※)になっているのである。これからは、まさに自律的な管理に変えていかなければならない。

※ 建設現場や製造業の事業場で、安衛法令の規制がないからというので、水性溶剤を用いた塗料を衛生対策なしに使用しているなどというケースは非常に多いのである。もちろん、水性の溶剤で有機則の対象の有機溶剤より有害性の高いものはいくらでもある。まずは、ラベルを見てアクションを起こしてほしいのだが、なかなかそうはなっていないのである。

自律的な化学物質管理とは何か?

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ある意味で、5年後に特化則等の特別規則の廃止を想定したというのは、事業者や専門家の意識を変えて頂くための「ショック療法」のようなものであろう。

【今までは自律的な化学物質管理は求められていなかったの?】

  • 実を言えば
  •   これまでの安衛法令上でも、化学物質管理については自律的な管理が求められていた。
  • しかし現実は
  •   少なくない事業者の意識が、「法令遵守」のレベルにとどまり、真の「自律的な管理」のレベルに達していないという現実があった。
  • そこで
  •   法令の方を変えないと、事業者の意識が変わらないので、法令の方を変えちゃえというのが、今回の改正の本質。

ただ、事業者の意識が変わらないままで、省令が廃止されれば、化学物質管理の現実がおかしな方向に向きかねない。

確かに、表面上は化学物質による事業場のリスクは低いが、実質的には恐るべき無数の時限爆弾=職業性疾病の多発という=が仕掛しかけられた状況になっていくかもしれないのである。


(2)事業者は意識を変える必要がある

安衛法で、化学物質のリスクアセスメントを最初に導入したとき、私も説明会の講師を務めたことがある。

そのとき、必ずこういう質問が会場から出るのだ。

【リスクアセスメント説明会での(残念な)質問】

  • リスクアセスメントはどこまでやれば、法違反にならないのでしょうか?

そういう意識を変えてほしいのである。法違反になるかどうかではなく、その時点で明らかになっている情報を収集して災害を発生しないようにするにはどうすればよいのか、そこへ考え方を変えて欲しいのである。

私は、かつて化学物質のリスクアセスメントの研修で、最初に必ず次のように尋ねた。

【化学物質管理についての質問】

    下記は、2つの工場の安全衛生担当者の発言です。より安全な工場はどちらでしょう?

  • A工場
  •   当社は、法律で規制がかかっている危険/有害な化学物質は一切使っていません。洗浄剤や溶剤などもできるだけ天然のものを使用しています。その分はコスト高ですが、労働者の「安全/安心」の方が大切ですからね。そのかわり、局所排気装置などのコストが削減できます。また、労働者が嫌がる保護具を着用させる必要もないので、作業もしやすく生産性もあがるという効果もあります。
  • B工場
  •   当社では、過去に化学物質による災害を起こしたことがあります。問題を起こした化学物質の使用を止めることも検討したのですが、現場から、その性能を代替する製品がないという声が上がり、使用は続けることになりました。生産を続ける以上、リスクをゼロにすることはできないと思います。しかし、局所排気装置を確実に稼動させ、作業環境測定で第一管理区分であることも確認しています。

化学物質の安全管理を行っている方の多い研修だと、さすがにB工場の方が安全だと答える方が多い。しかし、一般の工場の受講者だと、とくに疑問も感じずにA工場だと答える方がほとんどなのである。

これについて、B工場の方が安全なのだと事業者の意識を変えることが重要だと私は考えている。それが、今回の自律的な管理が成功するためのひとつの要素になろう。


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