
※ イメージ図(©photoAC)
我が国の労働安全衛生について定める法令は、1972 年に制定された現行の安衛法は言うに及ばず、1947 年に制定された労働基準法の時代を含めて、個人事業者の保護という観点はなかったといってよいでしょう。
個人事業者が、安全についてどのような対策をとるかは、本人の責任と負担において決定されるべきであり、国が規制をかけるべきではないという私的自治の原則が重視されていたのです(※)。
※ 経済的な強者である発注者と個人事業者の関係では、個人事業者を保護する必要性はあるが、それらは下請法、家内労働法や最近ではフリーランス新法など別な法によって保護されるべきだと考えられていた。
これらの法令では、家内労働法を別にすれば安全衛生に関する規定はなく、また家内労働法も、厚労省(旧労働省時代を含めて)の安全衛生部という専門部署が担当していたわけではなかった。
しかし、「建設アスベスト訴訟」で最高裁が「安衛法第 22 条は、労働者だけでなく、同じ場所で働く労働者でない者も保護する趣旨」であるとの判断を示したことを契機として、安衛法令が一人親方等の個人事業者の保護のための改正が進められています。
その一環として、2025年に施行された安衛法改正に個人事業者の保護が盛り込まれました。その関係の省令を策定するため、2025 年9月5日の第 177 回労働政策審議会安全衛生分科会において、「個人事業者等災害報告制度」を創設する安衛則等の改正案要綱が諮問され、「妥当と認める」との報告を得たところです。
この制度改正について、分かりやすく解説するとともに、事業者にとってどのようなことが課題(問題)となるかについて指摘しています。
- 1 個人事業主の保護が法令に位置付けられてきた
- (1)労働者保護の歴史的経緯
- (2)石綿訴訟とこれまでの安衛則の改正等
- 2 個人事業者等災害報告制度
- (1)改正の趣旨と条文
- (2)具体的な内容
- 3 本制度への疑問点
- (1)報告が必要な災害の多くが隠されるのではないか
- (2)報告を恐れることで、かえって災害を重篤なものにすることはないか
- (3)なぜ、適用事業場の労働者と同じ場所で働く場合に限るのか
- 4 最後に
1 個人事業主の保護が法令に位置付けられてきた
(1)労働者保護の歴史的経緯
ア 近代社会における労働者の状態
(ア)近代市民革命による自由主義社会の実現
執筆日時:
最終改訂:

※ イメージ図(ルーブル美術館にて)
なぜ、個人事業主を保護する必要があるのかについて、基本的な考え方をご理解いただくためには、歴史的な経緯を知っていると理解しやすいので、簡単にフランス革命以降の近・現代における歴史的な経緯を説明する。
しかし、この部分を飛ばしても、制度そのものの理解には差し支えないので、必要がないとお考えであれば「1(1)」は飛ばして「1(2)」へ進んで頂きたい。
絶対王政への怒りによって勃発したフランス革命に端を発する近代市民社会では、「私的自治の原則」が絶対的な価値を有していた。すなわち、国民(市民)は基本的に国家からは自由であり、国家が国民に規制をかけるのは例外的な場合に限られるべきとされていた(※)のである。
※ これが徹底された国家の在り方は「夜警国家」と呼ばれる。国家は、最小限の国家機能である「夜警」(治安・防衛など)しか行わず、国民への規制は最小限のものに限り、国民には最大の自由が保障される。
そして、「私的自治の原則」には「契約自由の原則」が含まれる。この原則の下では、ある国民が他の国民と契約を結ぶか結ばないか、また、どのような契約を結ぶかは自由である。国家(裁判所)は、国民が契約を遵守しないときに、これを司法権によって強制する役割を果たすのみである。
このような社会にあっては、労働者は自由な市民であると考えられ、事業主と労働契約を結ぶときは、自らの自由な意志によって行い、その結果については自らが責任を負うべきと考えられていた。
(イ)自由主義社会の弊害
だが、その結果、現実には様々な弊害が現れたのである(※)。労働者はどうしても事業主(企業)よりも弱い立場にあるため、低劣な労働条件で雇用されざるを得なくなる。
※ 例えば、亀塚智章「19 世紀中後期のイギリスの労働者たち-雇用と不況の狭間で」(金沢星稜大学論集 Vol.39 No.1 2005年)、永島剛「産業革命期イギリスにおける子どもたちの労働と健康」(大原社会問題研究所雑誌 No.748 2021年)など。図は、英国で 1840 年に設置された「鉱山と工場における児童の雇用と状態に関する調査委員会」の報告書の挿絵から。
また、安全の水準も低く抑えられ、怪我をすればその責任(費用負担)は本人が負うしかなかった。事業主に損害賠償を請求しようにも、近代市民社会の原則のひとつである「過失責任の原則」(※)があり、裁判を起こして事業主を訴えてその過失を証明しなければならない。だが、現実には訴訟には巨額の費用が必要となり、貧困状態に置かれた労働者に訴訟を行うことは不可能に近かった。
※ 近代市民社会革命を指導したのは、近代的な産業資本家であるが、彼らが事業を行う上では、事故などにより他者に大きな損害を与える可能性があった。そのときにその損害を賠償させられたのでは、経営が成立しない。そのため、過失がない限り他人に損害を与えても倍書する必要はないという原則が打ち立てられたのである。
現代の日本の民法も、一部の例外を除いてこの原則が取り入れられている。従って、労働災害が発生しても、事業主の側に過失がなければ、原則として事業主への損害賠償請求は認められないこととなる。
なお、東海村臨界事故(JCO臨界事故時)では、原子力損害の賠償に関する法律第3条により、無過失責任による損害賠償対応が行われたが、労働災害ではこのようなことはまれである。
(ウ)近代市民国家へのアンチテーゼとしての現代福祉国家
そのため、近世では労働者の労働条件が劣悪なものとなり、その結果、当時の軍事国家としての国家運営が困難になってきた。また、労働運動の高まりもあり、契約自由の原則の例外として、労働契約へ国家が介入し、一定の労働条件の確保が図られるようになってきたのである。
その流れの中で、労働災害の防止についても、国家が積極的に事業主に対して規制をかけるようになっていったのである。さらに、労働災害保険制度が充実し、労働災害発生時には事業主は、ほぼ無条件での災害補償が義務付けられ、さらには国家による強制保険制度が創設されていった(※)。
※ 独立行政法人労働政策研究・研修機構「労災補償保険制度の比較法的研究」(2020 年9月)、厚生労働省「Ⅰ 労働者災害補償保険制度の沿革」(令和5年度労働者災害補償保険事業年報)など
(エ)個人事業者については近代市民国家の自由主義の原則が残された
しかし、個人事業主は、たとえ小規模な事業主であったとしても、あくまでも自ら個人事業主という立場を選んでいるのである。従って、契約自由の原則への国家による介入は、最小限とするべきと考えられている。自由主義の原則は、公共の福祉に反しない限り(※)、軽々に覆されるべきではないのである。
※ 日本国憲法第 13 条参照
もちろん、発注条件の極端な引下げや一方的な発注のキャンセルなどは、公共の福祉に関わるとも考えられ、国家による規制は必要である。実際にわが国でも規制はかけられている。
しかし、労働災害防止は、原則として事業主個人の責任と負担において行われるべきで、その結果も個人事業主自信が負うべきものとされた。これは、個人事業主の場合、労働安全衛生対策を発注者側がコントロールすることは困難(※)であり、一方、労働災害に遭って死傷するのは本人であって他人に迷惑をかけるわけではないからである。
※ 発注者側が仕事のやり方を詳細に指示すれば、労働関連法令から逃れるための偽装請負ということになりかねない。そもそも、発注者側は、(混在作業などのため)自社の労働者の安全に影響があったり、(事故が発生して)発注者側の社会的評価に影響を与えたりすることがない限り、(支援・助言することは別として)受注者側の労働災害防止に直接口を出すべきではないのである。
従って、(他人に迷惑をかけない限り)労働災害防止対策をとるかとらないか、またどこまで対策をとるかについては、本人が決定すればよいと考えられてきたのである。
イ 現代日本の中小個人事業主の従来の保護

※ イメージ図(©photoAC)
現代の日本においても、従来は、たとえ下請けの小規模企業だったとしても、事業主については安全衛生に関する国家の規制は原則として行われてこなかった。
もちろん、我が国においても、個人事業主を保護する法令は、少なからず存在している。その主なものとしては、下請法、家内労働法、最近ではフリーランス新法などがある。
しかし、家内労働法(第4章)の限定的な規定を除けば、個人事業者の保護を目的とする法令に労働安全衛生に関する規定はない。また、家内労働法も安全衛生に関する条文はひとつの条文のみであり、基本的に安全衛生に関する責任は家内労働者の側にあるという位置づけである。
また、家内労働法の第4章は、(旧労働省時代も含めて)厚労省の労働災害防止を主任務としている安全衛生部(※)の所掌ではない。家内労働法は、女性労働をつかさどる部署が担当しているのである。
※ 安全衛生部は、労働安全衛生部門を主なキャリアパスとする技官が実働部隊を担っており、労働安全衛生分野の専門家の集団なのである。なお、家内労働法は都道府県労働局においても安全衛生を主務とする部署ではなく、女性労働を主務とする部署が担当している。
安衛法も、第1条で「職場における労働者の安全と健康を確保すること」等を目的とすると明記されており、個人事業者の安全の確保がその目的に含まれるとは考えられていなかったのである。
【労働安全衛生法】
(目的)
第1条 この法律は、労働基準法(昭和22年法律第49号)と相まつて、労働災害の防止のための危害防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする。
(2)石綿訴訟とこれまでの安衛則の改正等
ア 石綿訴訟判決での安衛法の解釈の変更
ところが、「建設アスベスト訴訟」の最高裁判決において、石綿の規制の根拠条文である安衛法第 22 条は、労働者だけでなく、同じ場所で働く労働者でない者も保護する趣旨との判断がされたのである。
【労働安全衛生法】
第22条 事業者は、次の健康障害を防止するため必要な措置を講じなければならない。
一 原材料、ガス、蒸気、粉じん、酸素欠乏空気、病原体等による健康障害
二 放射線、高温、低温、超音波、騒音、振動、異常気圧等による健康障害
三 計器監視、精密工作等の作業による健康障害
四 排気、排液又は残さい物による健康障害
第27条 第20条から第25条まで及び第25条の2第1項の規定により事業者が講ずべき措置及び前条の規定により労働者が守らなければならない事項は、厚生労働省令で定める。
2 (略)
※ 第 27 条第1項は、2026 年4月1日より「第 20 条から第 25 条まで及び第 25 条の2第1項の規定により事業者が講ずべき措置及び前条の規定により労働者及び労働者と同一の場所において仕事の作業に従事する労働者以外の作業従事者が守らなければならない事項は、厚生労働省令で定める。」と改正される。
ある意味で、これは青天の霹靂であった。安衛法第 22 条は、かなり抽象的で全般的な表現がされており、具体的な内容は同法第 27 条により省令で定めるとされている。そして、安衛則をはじめとする多くの省令の膨大な条文のうち、労働衛生に関するもののほとんどの根拠となる条文といってよい。
これらが、個人事業者についても対象とするとされれば、安衛則などの条文で、本条を対象とするものはすべて個人事業者を対象とするということになりかねない。それまでの安全衛生の考え方の骨幹が揺るぎかねないのである。
イ 石綿訴訟判決を受けた関係省令の改正
しかし、厚労省の職員は、この判決文に打ちひしがれたりはしなかった。その官僚的な優秀さをいかんなく発揮し、あっという間に、安衛則等の中で、個人事業者に関係しそうな条文の改正を行ってしまったのである。そればかりか、安衛法第 20 条(安全関連の省令の根拠条文)の関係の条文も同じように改正してしまったのだ。
ウ 石綿訴訟判決を超えた安衛法の改正
(ア)個人事業者等に対する安全衛生対策のための安衛法の改正
さらに最高裁の判決を超えて、安衛法の改正(令和7年法律第 33 号)を行い、個人事業者等に対して次のような対策をとることとしたのである。
【個人事業者等に対する安全衛生対策】
- 注文者(建設業におけるゼネコン等)が講じるべき措置
- 統括管理の対象に個人事業者等を含む作業従事者を追加する
- 個人事業者等自身が講じるべき措置
- 構造規格や安全装置を具備しない機械等の使用禁止
- 特定の機械等に対する定期自主検査の実施
- 危険・有害な業務に就く際の安全衛生教育の受講
- 個人事業者等を含む作業従事者の業務上災害を労働基準監督署に報告する仕組みを整備
※ 厚生労働省「労働安全衛生法及び作業環境測定法の一部を改正する法律(令和7年法律第33号)の概要」から作成。
(イ)改正法における論理的整合性の欠如
しかし、この個人事業者等に対する安全衛生対策は、個人事業者等が、安衛法の適用事業場においてその事業場の労働者と同じ場所で働く場合に限られたのである。しかも、その一方で、措置義務者は、適用事業場の事業者ではなく個人事業者とされているのである。
これは、論理的な一貫性(整合性と言ってもよい)を欠くというべきである。
個人事業者等の私的自治の原則そのものを修正して、個人事業者等の安全について個人事業者等自身の負担において行わせるということは、法的にはあり得るだろう(※)。しかし、そうであれば、安衛法の適用事業場においてその事業場の労働者と同じ場所で働く場合に限ることは理論的に説明がつかないのである。
※ 個人事業者等の安全は、個人事業者等の利益(=私益)ではあるが、個人の安全とはいえ、実際に災害が起きれば公的な負担を要するのであるから、公益的な要素もある。そこで、個人事業者等自身の負担において、個人事業者等の安全を守ることを国家が強制するということそれ自体は、法的にもあり得ないことではない。
一方、適用事業場の事業者という社会的強者が、社会的弱者である個人事業者の保護を行うべきという公益の観点から、適用事業場の労働者と同じ場所で働く場合に限ったというなら、それはそれであり得ないわけではない(※)。しかし、そうであってみれば、措置義務者を適用事業場の事業者ではなく個人事業者としたことは理論的に説明がつかない。
※ 後述するように、厚生労働省の「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方に関する検討会 報告書」(2023年10月)は、「労働者と同じ場所で就業する者や、労働者とは異なる場所で就業する場合であっても、労働者が行うのと類似の作業を行う者については、労働者であるか否かにかかわらず、労働者と同じ安全衛生水準を享受すべき
」としている。
そうだとすると、費用負担を個人事業者等に行わせることの理由が不明であるというべきである。
なんとも中途半端で、理論的な説明のつかない改正であるとしか言いようがない制度なのである(※)。
※ 個人事業者が、必要な教育を受講していなかったり、その持ち込む機械が定期自主検査を受けていなかったりすると、同じ場所で働く適用事業場の労働者に危険を及ぼす可能性がある。そこで、個人事業者の負担において、適用事業場の労働者の保護を図ったと考えると、理論的に説明がつくこととなる。筆者は、この改正はそのように説明するしかないと考えている。
2 個人事業者等災害報告制度
(1)改正の趣旨と条文
本稿は、前項で解説した法改正のうち「個人事業者等を含む作業従事者の業務上災害を労働基準監督署に報告する仕組」について解説するものである。
厚労省の資料(※)によると、個人事業者等の災害の報告をさせる理由として「個人事業者等の業務上災害については、現在、網羅的に把握する仕組みがないことから、労働者死傷病報告の仕組みを参考にして、個人事業者等の業務上災害の報告制度を創設することにより、労働災害防止をはじめとする施策の検討に資する
」ことが挙げられている。
※ 厚労省「第 177 回労働政策審議会安全衛生分科会」資料3-2「労働安全衛生規則及び労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律施行規則の一部を改正する省令案の概要について(諮問)(個人事業者等災害報告制度関係)」
すなわち、厚労省として、今後の「労働災害防止をはじめとする施策の検討に資する」というのである。明確には言っていないが(逃げられる余地は残しているが)個人事業者の災害防止にも関わってゆくという意思表示ともとれる表現となっている。
なお、改正後の安衛法の条文は次のように、新しい条文を追加する形となっている。従来の報告等に関する第 100 条の一部修正という形はとらず、新しい条文を追加しているのは、第 100 条には罰則が掛かっているので、この制度には罰則をかけないようにするためである。
また、従来の死傷病報告などに比べて(法律的な意味合いは)大きく異なるということでもあろう。
【労働安全衛生法】
(災害状況の調査)
第100条の2 厚生労働大臣は、労働災害の防止に資する施策を推進するため、業務に起因して作業従事者が負傷し、疾病にかかり、又は死亡した災害の発生状況に係る情報その他の必要な事項について調査を行うことができる。
2 厚生労働大臣は、前項の調査のために必要なときは、厚生労働省令で定めるところにより、事業を行う者及び作業従事者に対し、必要な事項を報告させることができる。
3 前項の厚生労働大臣の権限は、厚生労働省令で定めるところにより、都道府県労働局長に委任することができる。
4 前項の規定により都道府県労働局長に委任された権限は、厚生労働省令で定めるところにより、労働基準監督署長に委任することができる。
※ 2027 年1月1日より施行(労働安全衛生法及び作業環境測定法の一部を改正する法律)。
何をしなければならないのか、分かりにくい文章となっているが、厚労省の資料によれば「個人事業者等が労働者と同一の場所における就業に伴う事故等により、死亡し、又は休業(4日以上)した場合には、以下のとおり、所轄労働基準監督署が情報を把握できるよう、関係者に必要事項の報告を義務付ける【罰則なし】
」とされている。
すなわち、第2項において「厚生労働省で定めるところにより」、個人事業者の災害を厚生労働大臣(実際は第3項及び第4項により監督署長)に報告させる(罰則なしの)仕組みである。
そして、この第2項から第4項の「厚生労働省で定めるところ」が、2025年9月5日の「第 177 回労働政策審議会安全衛生分科会」において、省令案要綱が労働政策審議会に対して諮問され、妥当であるとの答申を得たわけである。
この改正省令案の概要が、厚労省より「労働安全衛生規則及び労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律施行規則の一部を改正する省令案の概要について(諮問)(個人事業者等災害報告制度関係)」(以下「省令案概要」という。)に示されている。以下、この概要に沿ってその内容について説明する。
(2)具体的な内容
ア 報告の義務者
報告の義務者は「特定注文者」であり、「特定注文者」がいない場合は「災害発生場所管理事業者」である。個人事業者ではないことに留意する必要がある(※)。
※ 個人事業者は、災害に遭っているので、(負傷の程度が酷かったり、死亡したりしていて)報告したくてもできない場合もあるから、その個人事業者と直接契約をしている「特定注文者」などに義務付けるしかないのである。
ここに「特定注文者」とは、災害発生場所における直近上位の注文者であって、自らもその場所で仕事をしている者を指す。また、「災害発生場所管理事業者」とは、災害発生場所を管理する事業者である。
イ 報告すべき災害、報告すべきとき及び報告先
(ア)報告すべき災害
報告すべき災害は、個人事業者等が、適用事業場の労働者と同一の場所における就業に伴う事故等により、死亡し、又は休業(4日以上)した場合である。すなわち、安衛法が適用される事業場(※)で、その事業場の労働者と同じ場所で働いていて被災した場合に限られる。
※ 工場や店舗などの継続事業場のみならず、建設現場などの有期事業場を含む。
個人事業者が自らが所有する工場などで被災した場合は含まれない。従って、ほとんどの自営業の農家や、社労士、行政書士などの士業の専門家なども対象とはならないものと思われる。
あくまでも、国が、個人事業者等の災害防止のために規制をかけるのは、その個人事業者等が適用労働者と同じ場所で働くような場合に限られると考えられているのである。
(イ)報告すべきとき及び報告先
報告は、報告すべき個人事業者の業務上の災害(※)を把握した場合に、所轄の労働基準監督署長に対して、個人事業者のその災害について遅滞なく報告する。
※ ここで「業務上の災害」という用語が使われているが、労働災害でないことはもちろんである。労働災害は安衛法第2条第一号に「労働者が負傷し、疾病にかかり、又は死亡すること
」とされている。個人事業者は労働者ではないので、その災害が労働災害になることはない。
また、あくまでも「把握した場合」であり、報告義務者が積極的に個人事業者の災害を調査する必要はないこととなる。
ここに「遅滞なく」とあるが、遅滞なくとはいつまでかについては、今後、通達等で示されるものと思う(※)。
※ 常識的には休業4日以上の労働者死傷病報告(安衛則第 97 条)と同じ扱いとなるであろう。もっとも、安衛則第 97 条第1項の「遅滞なく」が何を意味するかについての行政解釈は示されていない。一般的な意味の「遅滞なく」については、「直ちに・速やかに・遅滞なくとは」を参照されたい。
ウ その他
(ア)個人事業者から報告義務者への報告
個人事業者が災害に遭って、(負傷の程度が酷くないため)災害発生したことを第三者に伝えることができ、法律上の報告義務者はその災害を把握していないという場合であっても、監督署長への報告はあくまでも報告義務者が行う必要がある。
このような場合は、個人事業者が報告義務者に災害に遭ったことを伝え、報告義務者が必要事項を監督署長に報告することとなるのである。
この個人事業者の報告が、義務なのか任意なのかは本稿執筆時点では必ずしも明確ではないが、厚労省の「省令案概要」には「遅滞なく報告することとする(※)」とされている。おそらく努力義務のような位置づけになるものと思われる。
※ 法令上の表現で「するものとする」というのは、努力義務の婉曲な書き方である。
(イ)中小企業の場合
中小企業の事業主や役員の業務上災害については、所属企業が、所轄労働基準監督署長に遅滞なく報告する。
この場合は、被災した事業主や役員の他に、その企業に監督署長への報告を行える者がいるはずなので、このような対応となっている。
(ウ)脳・心臓疾患及び精神障害事案
個人事業者等の脳・心臓疾患及び精神障害事案については、個人事業者等(中小事業の事業主や役員の場合は所属企業)が直接、労働基準監督署に報告することができる。
このようにした理由は、個人事業者が、特定注文者や災害発生場所管理事業者に、脳・心臓疾患や精神障害に罹患していることを知られたくない場合があるからである。
(エ)報告の方法等
報告の方法は、原則として死傷病報告と同じような WEB サイトを経由した報告となる。
また、報告するべき内容も死傷病報告とほぼ同様であるが、個人事業者の場合は「特別加入の状況」についても報告することとなる。
(オ)不利益取り扱いの禁止
報告主体は、個人事業者が上記ウの(ア)による報告を行ったことを理由として、不利益取扱いを行ってはならないとされる。
ただし、報告主体が、事故を起こしたことを理由として個人事業者等に対して(契約打ち切りや、再契約を行わないなどの)不利益取扱いを行ってはならないとする規定はない(※)。
※ 契約自由の原則は、我が国の民事法、商事法においても確たる原則となっており、これを禁止することは法理論的に困難だろう。また、そのような規定を制定したとしても、報告主体に対して不法行為責任を問うことはできても、契約を強制することはできないだろうから、あまり効果はないだろう。
また、報告主体が労働基準監督署長に報告を行ったことを理由として、元請けが報告主体に対して不利益取扱いを行うことを禁止する規定や、元請けが報告主体に対して事故を発生させた個人事業者等との契約をしないことを要請することを禁止する規定もない(※)。
※ 元請けが安全成績の良い業者に対して優先して契約し、安全絵成績の悪い業者との契約を避けることは、法的に非難されるようなことではない。仮に、このような禁止規定を制定したとしても、現実には意味はないだろう。
エ 施行日及び関係省令の公布日
施行日は、2027 年1月1日、関係省令の公布日は 2025 年 11 月が予定されている。
3 本制度への疑問点
(1)報告が必要な災害の多くが隠されるのではないか
本制度の対象となる災害は、適用事業場の労働者が働いている場所において発生したもののみである。対象となる災害のほとんどについて、その適用事業場とは、元方事業者(安衛法第 15 条)又は発注者(安衛法第 30 条第2項)の事業場などであろう。
報告義務者は、その適用事業場の事業者の仕事を(数次の下請け契約を経て)請けているのであろうから、報告対象のとなる災害を労働基準監督署長に報告するときには、直前の発注者に対しても報告することを報せるだろうし、最終的にはその適用事業場の事業者にも報告されたことは知らされることとなるだろう(※)。
※ このことを禁じる規定はない。むしろ、適用事業場の事業者が、監督署長への報告がされたことについて、自社に対しても報告を求めることは奨励されることとなるだろう。それは、自社内の安全管理を適切に行うために必要なことだからである。
そうなると、適用事業場の事業者が、事故を起こすような安全成績の悪い個人事業者(※)は契約を打ち切るという意識になることも考えられる。また、そうならないまでも、個人事業者等が、そうなるのではないかという恐れを抱くことは避けられないだろう。現実問題として、おそれを抱くなという方が無理というものである。
※ 現実には、事故を起こした事業者の安全管理水準が低く、事故を起こさない事業者の安全管理水準が高いなどとはいえないのだが・・・。
そのため、災害の少なくない部分が隠される可能性は、否定できないのではないだろうか(※)。仮にそのようなことになれば、行政の施策がその隠されたデータに基づいて行われるわけで、政策が本来あるべき姿から歪む可能性も否定はできないだろう。
※ そもそも先述したように罰則もかかっていないのである。
(2)報告を恐れることで、かえって災害を重篤なものにすることはないか
個人事業者にとって、本制度による報告をされること(※)は、場合によっては職を失うことになりかねないという恐怖感を受けることもあり得るだろう。
さらに、本報告制度の3月後の 2027 年4月1日からは、一人親方等にも安衛法の特別教育の受講や定期自主検査の実施が義務付けられることとなる。仮に監督署の調査が入って(※)、これらの違反があるとされて送検されれば、その後の仕事の受注に重大な影響を受けることとなろう。
※ 現実には、災害調査のための監督は、死亡災害など重大な災害が発生しなければ行われないのが実態ではあるが・・・。
災害が発生した後、事故を隠そうとして、医療搬送などの適切な対応がされずに、災害が結果的に重篤なものになるようなことがあり得ないだろうか。
【コラム】福知山線事故と超過事故報告の関係
JR福知山線の脱線事故は、我が国の鉄道事故事故の中でも、多くの犠牲者を出したものであり、亡くなった方だけでも 108 人(※)となっている。
※ 公式には犠牲者は 107 人とされているが、犠牲者の配偶者の方が自死しており、実際にはこの事故を原因として 108 人の方がなくなった。
運輸安全委員会の「事故報告書」によると、その直接の原因のひとつに、直前に伊丹駅で停車位置を(約2両分)超過するミスを犯した運転士が、車掌による総合指令所への報告(※)の内容を気にしたことがあるとされている。運転士は、このオーバーランによって賞与の減額や「日勤教育」の受講をさせられるのではないかと恐れていたのである。
※ 当時は、それがルールであり、車掌がことさらに報告したわけではない。
なお、日勤教育とは、正確な運転の知識を付与するというようなものではなく、社訓のようなものを書き写しさせるような精神的なものが中心であった。他の社員から見える場所で反省文を読み上げさせるようなこともあり、この運転士はかなり嫌がっていたようである。
かつて、労災隠しの典型的な方法として、入院が必要な重篤な負傷をした場合でも入院させず、負傷した翌日には(通院の傍ら)出社させて軽作業をさせるというやり方があった。この場合、休業ではないので、労働者死傷病報告を提出する義務がなくなると事業者が考えたのである(※)。
※ 実際には、労災隠し(安衛法第 100 条違反)そのものであり、発覚すれば、逆に悪質であるとして確実に送検されることになるケースである。
本報告制度では、休業4日以上の災害が報告対象となる。仮に入院した場合でも、被災後3日で無理に退院して4日目から現場なり事務所なりに顔を出して軽作業に従事して、休業は3日だと考える事業者もいるだろう(※)。
※ 当然、この場合も改正後の安衛法第 100 条の2に違反することとなる。もっとも、本条に罰則はかけれられていない。
このようなことは、適切な治療を行うという観点から、決して望ましいことではない。しかし、少なくない一人親方は、受注ができなければ、ただちに生活が成り立たなくなるだろう。必要な医療を受けることを諦めてでも、生活の糧を守ろうとする個人事業者等がいなければよいのだが・・・。
(3)なぜ、適用事業場の労働者と同じ場所で働く場合に限るのか
今回の法改正(令和7年法律第 33 号)では、個人事業者等の保護を図るということが、主要な柱の一つになっている。しかし、その保護は、適用事業の労働者と同じ場所で働く場合に限られている。
その理由は、厚生労働省の報告書(※)によれば、次のように説明されている。
※ 厚生労働省「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方に関する検討会 報告書」(2023年10月)
【個人事業者等が保護される場合】
3 個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方に関する検討結果
本検討会では、個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方について、労働者と同じ場所で就業する者や、労働者とは異なる場所で就業する場合であっても、労働者が行うのと類似の作業を行う者については、労働者であるか否かにかかわらず、労働者と同じ安全衛生水準を享受すべきであるという基本な考え方のもと、(後略)
※ 厚生労働省「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方に関する検討会 報告書」(2023年10月)
すなわち、個人事業者等のうち、「労働者と同じ場所で就業する者や、労働者とは異なる場所で就業する場合であっても、労働者が行うのと類似の作業を行う者
」については、「労働者と同じ安全衛生水準を享受すべきである
」というのである。
そして、特別教育の受講と定期自主検査についての規定については、労働者と同じように義務付けようというのである。これを読むと、その負担は、個人事業者等に仕事を請け負わせる適用事業場の事業者臭わせようという趣旨のように読める。
しかしながら、特別教育(第 59 条第4項)及び定期自主検査(第 45 条第2項)に関する改正後の条文をみれば明らかなように、その義務は個人事業者等に負わされるのである。
【労働安全衛生法】
(定期自主検査)
第45条 事業者は、ボイラーその他の機械等で、政令で定めるものについて、厚生労働省令で定めるところにより、定期に自主検査を行ない、及びその結果を記録しておかなければならない。
2 個人事業者は、当該個人事業者に係る作業従事役員等が労働者と同一の場所において仕事の作業を行う場合には、前項の機械等について、厚生労働省令で定めるところにより、定期に自主検査を行い、及びその結果を記録しておかなければならない。
3~6 (略)
(安全衛生教育)
第59条 (第1項及び第2項 略)
3 事業者は、危険又は有害な業務で、厚生労働省令で定めるものに労働者をつかせるときは、厚生労働省令で定めるところにより、当該業務に関する安全又は衛生のための特別の教育を行なわなければならない。
4 作業従事役員等は、労働者と同一の場所において前項の業務に就くときは、同項に規定する教育を受けなければならない。
※ 2027 年4月1日より施行(労働安全衛生法及び作業環境測定法の一部を改正する法律)。
もしこれが、個人事業者等の保護のためであるというのなら、なぜ適用事業場の労働者と同じ場所で働く場合のみ義務付けるのであろうか。個人事業者に義務付けるのであれば、適用事業場の労働者と同じ場所で働く場合に限定する理由はないはずである。自社の工場で労働者と同じように働いていても義務付ける必要性はあるだろう。
一方、労働者と同様に働く場合には保護が与えられるべきというのであれば、その義務主体は適用事業場の事業者になるべきであろう。
これを矛盾なく説明しようとすれば、これは個人事業者等の保護が目的ではなく、適用事業場の労働者の保護が目的と考えるしかない(※)。
※ 適用事業場の労働者と個人事業者等が同じ場所で働いていて、個人事業者等が特別教育を受けていなかったり、持ち込んだ機械が定期自主検査を受けていないなければ、適用事業場の労働者にも危険が及ぶのである。
これは、社会的な弱者である個人事業者等の負担において、社会的な強者である適用事業場の事業者(の労働者)を保護しようというものと考えるより他はなく、社会政策という観点から強い疑問を抱かせるものとなってはいないだろうか。
4 最後に

※ イメージ図(©photoAC)
さて、本報告制度にはいくつかの疑問点はあるものの、法制度が整備される以上は適切に運用されることが望ましいことは言うまでもない。
この制度を表面だけ読めば、報告義務者に(罰則はないものの)自らが仕事を依頼している個人事業者等が災害に遭った場合に、その内容を労働基準監督署長に報告することを義務付けるだけである。
もちろん、報告義務者が災害を把握できない場合もあるだろう。意図的でなくとも、個人事業者が労災保険の特別加入者でない場合、普通の怪我と同じように考えて国民健康保険等で治療してしまい(※)、報告義務者がそのことを知らなければ報告は提出されないこととなる。
※ 労働者が労働災害であるにもかかわらず健康保険を利用して治療を受ければ理論上は詐欺罪(刑法第246条)となる。しかし、個人事業者が仕事で怪我をした場合に国民健康保険を使うことは違法ではない。
また、特別加入者であったとしても、本制度を知らなければ報告義務者に伝えることはないだろうし、報告を免れるためにあえて労災保険を利用しないこともあり得るだろう(※)。
※ 労災保険を利用しないことそれ自体は違法ではない。
行政としては、施行(2027年4月1日)までに、その周知を図る必要があろう。また、この報告を行った個人事業者等が仕事を請けられなくなるようなことがないように何らかの施策を取るべきでないだろうか。
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