※ イメージ図(©photoAC)
労災隠しは犯罪であるばかりか、その労働者に対して精神的にも経済的にも大きな損害を与える行為です。
しかし、かつてはサービス残業と労災隠しは、大企業において公然と行われていました。最近は、CSRの自覚が高まり昔ほどではないといわれますが、残念ながら皆無とは到底いえない状況です。
災害が起きたときに事業者が労災隠しをしようとする場合、労働者としてはどのような手立てがあるのでしょうか。本稿では、最初は労働者が労災隠しに協力してしまった架空の例を挙げて、本例に沿って詳細に解説します。
- 1 労災隠しは何が問題か
- (1)労災隠しは犯罪である
- (2)被災労働者本人の受ける経済的損失等
- 2 具体的な架空事例と各機関の労災との係わり
- (1)事件の発端
- (2)有給休暇をめぐって
- (3)傷病手当金は支払われるか
- (4)労災保険給付をめぐって
- (5)民事賠償をめぐって
- (6)示談に関する留意事項
- 3 最後に
1 労災隠しは何が問題か
(1)労災隠しは犯罪である
ア 私自身の経験から
執筆日時:
すでに時効になっているが、筆者(柳川)自身、上司から労災隠しをさせられた経験がある。中卒で、某製造メーカー(大企業)で働いていたときのことである(※)。今まで、50年近く家族にも話したことはなかったが、心の底に澱のように沈んで消えたことはない。
※ なぜ中卒で働いていたのかと疑問に思われる方がおられるかもしれない。私の経歴は「私の青春」を参照して頂きたい。
さすがに 50 年近く経て、話してみようという気になってきた。災害は単純なもので、乗用車の組立てラインで、上方から吊るされて移動している乗用車のタイヤを取り付けるハブに固定されているハブボルトに顔をぶつけたのである。
目のすぐ近くが裂けてかなりの出血をしたのだが、上司は何やら相談をしていて、なかなか病院へ連れて行ってもらえなかった記憶がある。上司の乗用車で病院へ行くとき、保険証を持っているかと尋ねられた。
当時は、世間知らずの子供で、労働災害(労災)という言葉さえ知らなかった。病院では、健康保険証で治療をした(※)が、それが問題だとは思っていなかったのだ。傷口をかなり縫い合わせたが、後で、上司が入院はさせないように病院側に申し入れたと聞いた。
※ 労働災害を健康保険証で治療することは、刑法第246条の詐欺罪に該当する。
翌日から、上司が、毎日、車で寮まで迎えに来て、会社ではとくにすることもなく、やらなくてもよいような作業をしていたが、有給休暇は使わなくて済んだ。
※ この企業は日給月給制で、有給休暇制度はあったが、有給を取得すると賞与から休んだ分の賃金額が差し引かれたのである。この当時は、これは違法とはされておらず、大企業でさえ有給休暇を取ると収入が減ったのである。
私も、子供だったから、上司に迷惑をかけたのに親切にしてもらえたと感謝していた。しかし、本当のところは、休ませると休業災害になって監督署長への報告が必要になるので、無理に会社に出させて不休災害にしてしまう手段だったのである。
イ 労災隠しによる法違反
やや古いデータだが、厚労省が平成15年11月に公表した資料によると、労働基準監督機関が労働安全衛生法第100条及び第120条に基づく労働者死傷病報告義務違反で送検した件数は次のようになっている。
件数 | |
---|---|
平成15年1月~10月 | 106 |
平成14年 | 97 |
平成13年 | 126 |
平成12年 | 91 |
平成11年 | 74 |
平成10年 | 79 |
※ 明確に「労災隠し」の送検件数が厚労省から公表されたのは、この年が最後である。なお、その後は労働基準監督年報に安衛法第100条違反で送検された件数が公表されているが、そのすべてが労災隠しかどうかは判然としない。
労災隠しは、安衛法第100条(安衛則第 97 条)に違反することはいうまでもない。また、労災補償を行わなければ、労基法第8章の各規定にも違反する。
そればかりか、健康保険で治療すれば、先述したように刑法第246条の詐欺罪(※)にも該当する。
※ この場合、主犯は本人となるが、会社も共犯(教唆又は幇助)となる。状況によっては、共謀共同正犯となることもあり得よう。
なお、労働者が休業しているときに、有給休暇を取らせるケースがある。この場合、労働者が納得するのであれば労基法に違反しているとまではいえないかもしれないが、悪質な脱法行為というべきである。
(2)被災労働者本人の受ける経済的損失等
健康保険は私傷病の保険なので、労災保険よりも保障のレベルが低い。療養費(治療費)も健康保険では自己負担分があるが、労災保険ではない。このため健康保険で治療すれば、本人に経済的な損失を与えることとなる。
また、労災隠しのような犯罪行為に協力させることは、本人に対する人権侵害行為である。精神的にも大きな負担を与えることなのだ。
2 具体的な架空事例と各機関の労災との係わり
(1)事件の発端
それでは、ここでひとつの架空の労災事故を例にとり、労災が発生したときの公的な機関のかかわり方を解説する。各公的機関に、やってもらえること、もらえないことを本稿から理解して、上手に活用して頂きたい。
事故は、Y社で発生した。代表取締役社長のY氏はワンマンで知られ、労働者はY氏の配偶者と長男の2人が正社員の他は、3名の嘱託社員と4名のパートタイマーである。被災者のX氏は嘱託社員の立場であった。
健康保険には正社員と嘱託職員のみが加入し、パートタイマーは未加入である。雇用保険と労災保険は加入手続きを行っておらず(※)、保険料を支払っていなかった。
※ 雇用保険と労災保険は強制保険であり、違法状態である。
これについて、Y氏は労働者に対して、「違法状態だが、労働者の収入が減らないように、保険金は払っていない」(※)と説明していた。X氏らはこれを信じており、収入を減らさないために自分たちも違法行為をしていると考えていた。
※ 労災補償は事業者の責務である。そのため労災保険料は、全額事業主負担であり、労働者が保険料を負担することはない。この点、Y氏は嘘をついている。
また、X氏らにも非難すべき点はあるが、弱い立場の労働者としては会社側に言われれば、従わざるを得ないのが現実である。もちろん、褒められたことではないが同情すべき余地はある。
ところが、安全装置が破損したままの工作機械を用いて仕事をしていたX氏が、要休業3か月という事故に遭ったのである。
病院へは、同僚の自家用車で運ばれた。労災保険が支給されないと思っていたX氏は健康保険で治療を受けている。翌日、病院へ現れたY氏に対して、X氏が言ったことが問題の発端となった。
俺は、労働基準法で有給休暇を取る権利があるはずですよね。
Y社長、○月○日から○月○日まで40日分を、有給休暇にして下さいよ。
うちみたいな中小企業で有給休暇なんか出していたら倒産しちゃうよ。
有給休暇が欲しければ大企業に勤めな。うちで働きたければ余計なことはいうんじゃない。
Y社では、それまで有給休暇を取ることは事実上できなかった。日給月給で、休むと欠勤扱いにされ、それだけ賃金が減らされたのである。X氏は、労働基準法の最低付与日数である当年の20日分と前年の20日の合計を日を指定して請求した。なお、それ以前の分は消滅時効にかかっている。
これに対して、Y氏は時季変更権を行使していない(※)。従って、法的には、労働者は有給休暇を行使できる。すなわち、事業者は年休を使用した日の平均賃金を、労働者に支払わなければ、このケースでは労基法第39条違反となる。
※ 労働者の有給休暇の請求に対して事業者が時季変更権を行使しなければ、法律上は有給休暇の取得権が成立する。もっとも、このケースでは時季変更権を行使することは事実上不可能である。
(2)有給休暇をめぐって
X氏は、3ヶ月の間、無収入になると生活ができなくなる。さすがに腹に据えかねたこともあり、これから収入獲得のためにあらゆる手段をとろうとする。
このような場合、労働者は労基法第104条に基づき、労働基準監督官に申告できる。X氏も、体の自由が利くようになってから、病院から外出許可を取って、労働基準監督署へ申告にいく。
監督官さん。うちの会社に有給休暇を欲しいといったのに、社長は有給休暇をくれません。僕は有給休暇を取得する要件は満たしています。是正させてください。
分かりました。申告ですね。もちろん対応できますよ。
監督官は、司法警察職員として申告を受ければ犯罪捜査を行うことになる。しかし、申告者が是正を望めば、捜査の前に事業者に是正の勧告をする。事業者が是正に応じれば、悪質ではないとして捜査には着手せず送検をしないことが多い。
また、申告者が、申告したことを会社に知られたくない場合もある。そのときは、臨検監督をかけて、その時にたまたま違反を見つけたような形をとるなどの配慮はされる。
X氏のケースでは、監督官はX氏から事情を聴きとって、会社に対して監督をかけることとした。
なお、X氏は、災害が起きるまで、Y氏から労災保険を払わないのは違法状態だと教えられていたため、監督官から尋ねられたときも、休んだ原因が労災だということは隠している(労働者は保険料を払う必要がないことを知らなかった)。
Yさん、権利のある労働者が有給休暇の取得を申告したら、時季変更権を行使するのでない限り、取得させてください。(是正勧告書の交付)
ごめんだね。お前らの言うことを聴いていたら、倒産しちまうよ。誰がなんと言おうと有給休暇なんか取らせてたまるかい。
そんなこと言わないで、法律上の企業の義務なんですから。守ってくれないと困ります。労働者もその方が喜びますし、モチベーションもあがりますよ。
どうしても守っていただけないと、場合によっては、司法的な手続きを取りますよ。
実際には、司法的な手続きをとるのは最後の段階であり、通常は何度も指導を行い、いきなり司法処分を口にするケースは少ない。ただ、Y氏のようなケースでは、強制するための手段として「司法処分」を持ち出すしかないという面があるのも事実ではある。
その後もY氏は、X氏の有給休暇を認めず、賃金を支払おうとしなかった。やむを得ず監督官は、書類送検し、検察官は略式手続きで起訴した。裁判所も罪状は明らかなので、あっさりと有罪判決を出して罰金刑を課した。
判 決
主文 被告人Yを罰金○○円に処する。
理由 ・・・・・
【独白】
いやー。まいったなぁ。有罪判決で罰金を払わされて前科がついちゃったよ・・・。
でもまぁ、有給を取らすよりは安くついたから、その意味ではよかったのかもなぁ。
Y氏は、前科が付いたことをそれほど気にしていない。実は、前科があることによる不利益は、通常であれば(※)それほど大きくないのである。
※ 医師や弁護士など国家資格が必要な仕事をしていたり、公務員だったりすれば、罰金刑や禁錮刑でも致命的な影響となることがある。
罰金刑を受けただけなら、会社の取締役に就任することも可能である。むしろY氏のように、会社を経営している場合、ほとんど不利益はないといってよい。
なお、罰金刑を受けた場合、その後5年の間、罰金刑以上の犯罪を重ねることなく経過すれば、犯罪人名簿からも抹消される(警察と検察庁に犯歴記録は残る)。
監督官さん。なんとかして下さいよ。裁判で罰金刑を受けたのにまだ有給休暇をくれませんよぉ。
いや、こうまで悪質なケースだと困りましたね。僕らは民事には介入できませんから、債権回収の執行はできない(取立てはできない)んですよ。
健康保険組合から傷病手当金は受けていますか。
そんな制度があるなんて! もっと早く言ってくださいよぉ。
現実には、監督官が司法処分(送検)を行った場合、その後で是正措置がとられることはないのが現状である。なお、この時点では民事訴訟が行われているわけではなく、誰にも(裁判所でも)民事執行はできない(※)。
※ 現実には、民事訴訟を行う場合は、事前に民事保全を行うことが多い。相手が中小の企業や個人事業主の場合、民事保全手続きがその後の成否を分けると言ってもよい。なお、民事保全手続きには、一般に供託金を積む必要がある。
ここで「債権」といっているが、労働者は有給休暇の権利が発生して(現に休んで)いるので、事業者が支払うべき平均賃金のことである。
(3)傷病手当金は支払われるか
なお、傷病手当金は健康保険の制度である。有給休暇の賃金が支払われないために、監督官が傷病手当金が使えないかと考えたのである。
厳密には、本来、X氏の休業は有給休暇であるから、事業者が平均賃金を支払うべきであり、傷病手当金を支払うべきかの問題はある。しかし、ここでは問題を単純にするためその問題を無視する。
健康保険組合さん。傷病手当金を下さい。怪我で3ヶ月も休まないといけなくなりそうなんです。
はい。健康保険法の傷病手当金は、連続した3日間の休業の後、最初の支給の日から18ヶ月間の休業した日は、平均賃金の三分の二が支給されますよ。一旦支給されれば、その後で会社を辞めたときも支給される場合もありますからね。
病気療養のために仕事をお休みしなければならなくなったときは、請求の手続きを取ってくださいね。
ところで、労働災害じゃないですよね。
えっ?実は・・・。
ここで、健保組合は「労働災害ではないですね」と念を押している。労働災害の場合、労災保険から休業補償(※)が支払われるので、傷病手当金は支給されないのである。
※ 労災補償の支給金額は給付基礎日額(平均賃金)の60%であるが、その他に20%の休業特別支給金があるので、傷病手当金の「標準報酬月額を平均した額の30分の1に相当する額の3分の2に相当する金額」よりも、一般に高額になる。
ちなみに有給休暇を取得すれば、平均賃金の100%が支給されるので、これが最も金額が高いことになる。労災による療養中に有給休暇を取ることは、有給休暇制度において想定されていないが、法律的にできないわけではない。
なお、傷病手当金と傷病手当は別な概念である。後者は雇用保険によって支給されるものである。
(4)労災保険給付をめぐって
X氏は、労災保険の担当部署でないことで、安心感もあって、労働災害であると説明した。また、会社が労災保険に加入していないことも、健保組合の担当者に告げたのである。
これを聴いた健保組合の担当者は、事業者が労災保険の手続きをしていないケースの労災補償について説明した。労働災害だということが証明できれば保険給付が行われ、労働者には追徴もないことを知らされたのである。
これを聴いたX氏は、すぐに監督署へ戻って労災の担当者に話をした。
監督署さん。僕の怪我は労働災害なので傷病手当金は出ないと健康保険組合から言われました。
会社からは、労災保険に加入していないので労災保険は出ないと言われていました。
会社が保険料を払っていなくても労災保険は給付されるんですか。
もちろんですよ。調査して労働災害だと認められれば補償されます。また、会社が協力してくれなくても請求の申請手続きはできますよ。
この場合、会社には保険料の請求は遡って(時効部分を除く)するので、まとめて払って頂くことになりますけどね。
休業補償は、原則として療養のため休業している間は支給されます。
この事件は、監督署の調査が入ったが、Y氏は緻密な嘘が付けるタイプではなく、あっさりと労働災害であることがばれてしまった(※)。
※ Y氏は労災隠しで送検され、再び起訴されて罰金刑を科され、前科2犯となるが、それは後の話である。
X氏は、怪我が労働災害であると認められ、療養のための休業の補償がされることとなった。
(5)民事賠償をめぐって
X氏は、Y氏との関係が悪化し、支給されたのが平均賃金の6割(実質8割)というのが、だんだん不満に思えてきた。また、慰謝料もY社に払わせたいとも思える。
そもそも怪我をしたのはY社が必要な労働災害防止対策をしなかったためである。なんとか労災支給では補償されない残りの損害を取り戻し、さらに慰謝料も取れないかと考えるようになった。
日本の民事賠償制度では、損害賠償の請求ができるのは実際に発生した額(民法第416条)に限られる。また、労働者側に災害の責任があれば、その分も減額されることとなる(過失相殺)。
さらに、労災保険で給付された額は損害賠償金額から控除される(労基法第 84 条2項)。ただし、判例(最二小判平成8年8月 23 日(コック食品事件))は、労災保険によって支給される特別支給金は控除されないとする(※)。休業補償給付の場合、平均賃金の6割が休業給付され、さらに2割が特別支給される。従って、X氏側に過失がなければ、平均賃金額の4割を民事賠償で取り戻すことができるはずである。
※ また、東京高判平成 23 年2月 23 日(東芝事件)は、「第1審原告は、(・・・)賃金に関し、T健康保険組合から傷病手当金等、労働基準監督署から休業補償給付等を受領しているが、同条項の適用以前に、これらの給付は賃金を填補する関係にないから、第1審原告がこれらの給付を受領していることをもって、第1審被告が支払うべき賃金の額を減額すべきことにはならない
」としていることを紹介しておく。
監督署長さん。おかげで労災補償をして頂き、ありがとうございます。
事業者には安全配慮義務違反があるのではないでしょうか。損害賠償をするように指導していただけませんか?
それは民事になります。我々行政機関は、民事には介入できないのです。個別紛争処理制度はありますが、裁判所と違って事業者に紛争を解決しようという気がまったくないと、我々には解決は難しいですね。
地方自治体の無料の法律相談か、法テラスなどで相談してみてはどうでしょう。
最後は裁判ということになると思いますが・・・
当然のことであるが、監督署は労基法や安衛法についての違反の是正や、司法警察職員としての捜査(※)・送検はできるが、民事には介入できない。
※ 実務では、あまり行うことはないが、証拠保全の必要があれば令状による強制捜索・差押も行うし、悪質なケースでは逮捕状による逮捕を行う権限も持っている。
X氏は、弁護士の無料相談を受けて訴訟を行う(※)ことにした。
※ ここでは、分かりやすくするためにいきなり訴訟にした。現実には、示談交渉や紛争処理制度の利用を行って、どうにもならない場合に訴訟となることが多い。この事件程度では、賠償額よりも裁判費用の方が高額になることも考えられ、訴訟に持ち込むことはあまり現実的ではない。
裁判所書記官さん。事業者を「安全配慮義務違反」で訴えたいのですが・・・
損害賠償請求の訴訟ですね。140万円以下の場合、原則として簡易裁判所で対応します。訴状を提出してください。60万円以下だと小額訴訟の制度もありますよ。
ここで裁判所は、「損害賠償請求」と言っている。有給休暇が成立しているので、平均賃金の請求権のように思えるかもしれないが、先述したように有給休暇は考慮していない。
なお、本人訴訟なら、この時点で必要になる費用は訴状への印紙貼付(手数料)程度であるが、日本の裁判の手数料はけっこう高い。また、現実には、法律家でない一般人に訴状が書けるものではない(※)。
※ もちろん、裁判所書記官が相談に応じてくれるし、訴訟に記指されている請求が法的な争いで、法的な理論が整っていれば訴訟は受理される。ただ、あまり現実的ではない。
ここからは、民間の法律家に依頼してください。
- 弁護士は全ての法的な紛争ですべての業務に対応できます。
- 司法書士は裁判所に提出する書類の作成や関連相談に乗れます。
- 法務大臣の認定を受けた司法書士は簡易裁判所の代理業務もできます。
- 社労士は労務管理全般のご相談に乗れますし、特定社会保険労務士は個別紛争処理制度の代理業務ができます。
もちろん依頼のための費用はかかりますよ。
ここから先は、裁判による手続きに入る。民法などの損害賠償に関する規定は、その災害の「損失」を誰に負担させるのが正義にかなうかという思想で定められている。
言葉を換えれば、災害の発生の原因を起こす「過失」を犯した者に、過失の割会に応じて負担させるということである。誰にも過失がないというケースでは、損害は被災者が負担することになる。
なお、少額訴訟の場合、相手が答弁書の提出や第1回公判期日に出席しないこともある。相手が争わなければ、裁判所は、第1回公判期日の当日に、判決文を書かずに原告勝訴の判決を出してくれる(※)。ただし、勝訴しても、相手が任意に賠償金の支払いをしなければ、執行には民事執行手続きが必要となる。簡単にカネになるわけではない。
※ 書記官の作成した調書を利用するので、これを調書判決という。
しかし、現実の民事訴訟にはコストがかかり、しかも事業者側が争った場合には、原告側に必要な立証(証明)ができるとも限らない。そのため、一定の損害補填を事業者に対して強制したのが労災補償制度である(※)。
※ とはいえ、事業者が労災補償を拒否したり、支払い能力がなかったりすると、労働者保護ができなくなるので、これを強制保険にしたのが労災保険である。この保険は、適用事業場で労働者を雇用すると同時に、事業者と国の間に契約が成立する。
手続きを行っていない事業者は労災未加入ではなく、保険料を支払っていないだけである。そのため、X氏は労災給付を受け取れたのである。
そのため、労災給付は事業者に対して無過失責任を課すものであり、また、給付額の計算を単純にして迅速な補償を行うためにも、労災給付は損害の全額ではなく一部のみとなっている。
この労災保険給付によって補填されない残りの損害額が、民事損害賠償の対象となるわけである。
(6)示談に関する留意事項
ア 一般的なケース
会社と交渉するに際して留意するべきこととして、必ず弁護士などの法律の専門家に相談してから行うことが挙げられる。
Y氏のような場合はともかくとして、通常、会社側には法律の専門家がいる。そのため、労働者側が個人で会社側と交渉していると、法律的な無知に乗じて常識的にはあり得ないような不利な状況で示談させられてしまうことがあるのだ。
例えば、東京地判平成20年11月13日(岩瀬プレス工業事件)は、労働災害で後遺障害等級併合第6級となった原告が会社に損害賠償を求めた事案である。ところが、原告は訴訟の前(退職後)に、「今般、貴社を退職するにあたり、貴社に対していかなる債取も存在しない事を確認致します」と印刷された文書に「金70万円確かに領収致しました」との手書きの記載がある文書を会社に提出していた。
※ 労働新聞社「岩瀬プレス工業事件 中国残留孤児の被災と過失割合 東京地裁平成20年11月13日判決」参照。
東京地裁は、会社の賠償責任(3割を過失相殺した)を認めたが、「本件念書の作成経過に照らしても、原告は、本件示談契約の内容を十分に理解していたことが明らかであり、被告が原告の無知と窮迫に乗じて本件示談契約の締結に応じさせたということはできない」として、70万円の示談を有効として原告の請求を退けた。
労働災害で被災した場合は、独自に会社と交渉するのではなく、法律の専門家に相談しておくべきことを示す例であると言えよう。
イ 三者行為災害
三者行為災害とは、事業者以外の第三者の行為が原因となった災害のことである。勤務中の労働者が、第三者が加害者となる交通事故に遭うケースが典型的な例である。
被災者が第三者によって労働災害に遭った場合(①)、労災保険の請求をすれば(②)、国は労働者保護を第一として給付を行う(③)のである。
しかし、ここで一件落着とはならない。ここで終わらせてしまうと他の加入者が納得しない(④)であろう。この場合、悪いのは加害者なのである。だったら、その費用は加害者に負担させるべきで、自分たちが支払った保険金が使われるべきではないと考えるのは当然である。
そこで、国は加害者に対して求償(⑤)を行うのである。
このとき、労災保健が出るからというので、被災者が加害者に同情して低額の示談をしていると、どうなるだろうか
加害者にしてみれば、示談でケリはついたのであるから、それ以上の求償に応じる義務はない。保険金を支払ったのは国の勝手で、加害者の債務を肩代わりして弁済したわけでもなければ、加害者が頼んだわけでもないのである。従って、国にカネを支払う必要はない。
そうなると、国は、被災者に対する保険の給付を減じるしかなくなる。
このため、被災者が加害者と示談をしていると労災補償が受けられなくなることがある。三者行為災害では、不用意に示談に応じないように注意しなければならない。
3 最後に
本稿で挙げた事例は、やや極端なケースである。X氏は、当初、私傷として処理しようとしたが、事業者から有給休暇の取得を拒否されたことをきっかけに、労災保険の受給を受け、さらに民事賠償の請求へと自らの権利の行使を進めていく。
- 労働災害として認められず、私傷として処理
- 労働災害として認められ、労災保険給付を受理
- 労災補償以外の民事賠償を請求
現実には、この事例のX氏のような例は多くはないだろうが、このような例に挙げることで、各段階における様々な機関がどのような役割を果たすかを説明した。
数年前のことだが、私の子供が怪我をして日赤のある病院の待合室にいたとき、作業服の怪我人がワゴン車で運ばれてきた。上司らしい人物が、窓口で私傷扱いできないかと交渉していたが、窓口の女性係員は「働いていて怪我をしたときは労災にしないとだめです」ときっぱりと断っていた。
公的な病院だったので、適切な対応をしたのだろうが、個人病院ではどうだろうか
残念ながら、労災隠しが行われる事例は少なくないのが実態である。立場の弱い労働者は泣き寝入りしてしまうケースがほとんどだろう。
ここに挙げた事例が、事業者による労災隠しをしようとしている事件の労働者の役に立つことを祈りたい。
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