かつて、災害はルールを守らせることによって減らせました。ルールを守らせることによって労働災害は減少するのが当然でした。
しかし、現在ではその常識は通用しなくなっています。労働災害を減少させるために必要なことは何でしょうか。
- 1 かつて労働災害は減少するのが当然であった
- 2 どのような労働災害が減少していたのか
- 3 なぜ5つの労働災害は減少していたのか
- 4 なぜ5つの労働災害が減少しなくなっているのか
- 5 どのような災害が増えているのか
- 6 これからの労働災害防止対策の在り方
1 かつて労働災害は減少するのが当然であった
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ほぼ1960年から2000年までの間、労働災害発生件数は減少するのが当然であった。前年より増加したり、前年と変わらなかったりというのは異常なことだったのだ。
この常識が通じなくなってきたのが、ここ20年ほどの間である。むしろここ5年程度の労働災害発生件数はトレンドとしては増加傾向を示しているのだ(※)。
※ 当サイトの「労働災害の発生状況の推移」に、様ざまな観点からみた労働災害の推移をグラフに表しているので参照して頂きたい。
2 どのような労働災害が減少していたのか
上図は、厚生労働省のサイトで型別の労働災害発生件数が公表されている1988年以降の数値をグラフ化したものである。意外に思われるかもしれないが、2000年頃までの災害減少は5つの型の災害だけの減少によっていたのである。「はさまれ巻き込まれ」「墜落・転落」「飛来・落下」「切れ・こすれ」及び「動作の反動・無理な動作」である。
しかし、「動作の反動・無理な動作」は2000年以降は増加に転じた。他の4つの災害は、2009年までかろうじて減少していたが、2010年以降は減少傾向がみられず増減を繰り返している。
3 なぜ5つの労働災害は減少していたのか
実は、この5つの災害は、かつては“ルールを守らせることによって減らせた”のである。というのは、ルールそのものが高度化したことによって災害が減少したこともあるが、むしろかつては守られていなかったルールが守られるようになったために災害が減少したという面も大きいのである。
例えば、墜落・転落は、足場を設置し、できるだけ開口部をなくし、残った開口部には囲いや手すりを設け、それらが困難な場合は墜落制止用器具(安全帯)を使用させるという基本を徹底することで、ある程度まで、災害を減らせたのである。
さらに災害防止対策の改善も進んできた。かつては型枠足場を設置するときの最上段からの墜落を防止する対策は困難だと思われていたが、先行手すり工法を導入することで対策が可能となった。また、低層住宅の工事における墜落事故は対策が困難と言われていたが、これも先行足場工法によって対策が可能となった。そうは言っても、低層住宅での一時的な作業で足場を設置することは費用面から困難だったが、これは低層住宅工事で親綱の設置を普及させるという対策がとられた。
こうした、法令やガイドラインという“ルール”を遵守させ、また“ルール”を高度化することによって、災害件数をある程度まで減らせたのである。
これは、飛来・落下災害についても同様で、上下作業をできるだけやめて立入禁止措置をとったり、防網の設置、保護帽の着用などの“ルール”を遵守させる対策である程度まで減らせたのである。また、はさまれ・巻き込まれ災害も、立入り禁止措置や、危険な場所への覆いの設置などの“ルール”の遵守が有効だった。
一方、切れ・こすれ災害と動作の反動・無理な動作による災害は、工学的な対策をとることは難しかったが、作業標準の徹底という“ルール”の遵守で減らすことができたのである。
4 なぜ5つの労働災害が減少しなくなっているのか
では、この10年間は、なぜ5つの型の労働災害が減少しなくなっているのかといえば、ひとつには“ルールの徹底で減らせる災害は減らしてしまった”ことが大きいのである。
例えば、墜落転落災害について言えば、厚生労働省の調査(※)によれば2015年に発生した墜落死亡災害のうち安全帯(現在の墜落制止用器具)を使用していなかったものは236件発生しているが、そのうち法令違反が原因となっているものは95件に過ぎない。
※ 厚生労働省「第3回墜落防止用保護具に関する規制のあり方に関する検討会資料」による。
残りの141件には法令違反はないのである。このような災害は、“法令(ルール)”を守れと言っても、減らすことはできない。例えば、事務員が建物の中の階段でころんで転落したという場合、これを“ルール”の徹底で減らすことは困難である。このような災害が“残って”いるのである。
5 どのような災害が増えているのか
では、この10年間で増加している労働災害はどのようなものがあるだろうか。これは、先に示した図からも明らかであるが、「腰痛」「無理な動作・動作の反動」が増加しているのである。
ここで、一つの例として「教育・研究業種」の労働災害発生件数の推移を示そう。この業種ではここ約20年間は増加傾向がみられる。この業種で増加しているのは、上記2つの型と、さらに「墜落・転落」である。そして「教育・研究」のみならず、これと同様な業種は多いのである。
「腰痛」「無理な動作・動作の反動」及び「墜落・転落」が何故増加しているかと言えば、その原因は高齢化である。この4つの型のうち「腰痛」「無理な動作・動作の反動」が高齢化によって増加していることは説明するまでもないだろう。
「墜落・転落」がなぜ高齢化によって増えるのかと思うかもしれないが、高齢者はバランスを崩しやすいため開口部などから墜落しやすいのである。また、墜落しかけたときにとっさに何かにつかまって災害を逃れることが困難である。さらには、墜落時に若者なら怪我をしないような状況で、重篤な負傷になりやすいのである。
要約すれば、最近の労働災害の発生件数の増加は、ひとつには高齢化であり、もうひとつには“ルール”を守らせることで減らせる災害はすでに減らしてしまったということなのである。
6 これからの労働災害防止対策の在り方
また、労働災害が減少しないもうひとつの理由は、斉一的な“ルール”を作って規制をかけるには、産業形態や事故の態様が複雑化してきていることが挙げられる。
次の図は、厚生労働省に届のあった新規化学物質の数である(※)。産業界で用いられる化学物質の種類は年々増加している。これらの化学物質のすべての有害性を調査して、有機則や特化則で規制をかけることなど不可能である。
※ 2023年度の数値は第 160 回安全衛生分科会資料に基づいている。なお、参考までに右目盛りで、過去5年間の少量新規化学物質製造(輸入)確認申請件数(物質数)を示した。
労働災害は、定型的にとらえられ、予め統一的な“ルール”を作って徹底すれば減らせるタイプは少なくなり、特殊な経過をたどって発生するため、斉一的な“ルール”を作ることが困難なものの割合が増加しているのである。
別稿「法令遵守ではなくリスクの管理を!」でも述べたが、このような状況においては、(ルールを守ることも重要ではあるが、)事業者は、自らリスクを評価して自ら対策を立案して災害を避けることが求められているのである。
実は、労働安全衛生法が、SDSを義務化したり、リスクアセスメントを義務化したりしているのは、そのような考え方に基づいているのである。ルールを守るという意識だけでは、これらの制度を有効に活かすことはできないのだ。
これからの労働災害の防止には、法令を守るだけではなく、自ら考えて対策をとることが必要になりつつあるのである。