学校の理科実験による救急搬送事件に思う




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学校の理科実験

※ イメージ図(©photoAC)

学校の理科実験で児童・生徒が救急搬送される「事故」が続発しています。もちろん、子供たちの安全が確保されるべき学校の場で、子供たちが事故にあうことはあってはならないことです。

しかし、これらの「事故」の発生経緯をみると、理科の実験で不適切なことが行われていたわけではないようです。しかしながら、結果的に多数の子供たちが軽傷とはいえ救急搬送されたことも事実です。

これをどのように考えるべきでしょうか。これは、子供たちに化学物質の有害性とそのリスクについて正しい知識を付与していない一方で、安全のための十分な設備がなかったために生徒に無用な不安感を与えてしまったことに原因があるのではないでしょうか。

このようなことをしていれば、子供たちは、有害な化学物質のリスクについていい加減に扱っても大丈夫という感覚を意識せずに身に着けてしまったり、その一方で「化学物質は怖い」という意識だけを植え付けられてしまったりすることになりかねません。これは、どちらの場合も、安全という観点からは有害なのです。

学校の理科の実験を通して、子供たちに化学物質のリスクと正しい扱い方について身に着けさせるために何をするべきかについて解説します。




1 学校の理科実験における救急搬送事例の多発

(1)最近の学校の理科実験での災害の発生状況

執筆日時:

救急車

※ イメージ図(©photoAC)

最近、中学校の理科実験において硫化水素中で生徒が救急搬送される事例が相次いている。2023年6月に入ってからだけでも、6月2日の福岡県飯塚市で10人が搬送※1、6月15日に東京都八王子市で8人が搬送※2、6月28日に兵庫県豊岡市で11人が搬送※3された事例が報道されている。

※1 RKBオンライン2023年06月02日「理科の「硫化水素」を発生させる実験中に生徒が“体調不良”中学2年の 10 人が病院へ-福岡

※2 朝日新聞デジタル2023年06月15日「中学校で8人体調不良、搬送 理科の実験で硫化水素発生か 八王子

※3 朝日新聞デジタル2023年06月28日「硫化水素の理科実験で「気分悪い」中学生11人搬送 兵庫県豊岡市

幸運にも搬送事故には至らなかったが、同様なことになりかねないよう状態で実験が行われている例は、おそらくかなりの数になるだろう。

また、小学校の理科実験の事故についても、春日他は新聞記事のデータベース等から、1978年から2015年3月までの事故事例を調査しているが、この間に 54 件の事故が確認されたとしている。

※ 春日光他「過去 30 年間の小学校理科実験事故の傾向に関する研究」(理科教育学研究 Vol.57 No.1 2016年)


(2)個々の事故の原因はどこにあるか

ア 「事故」が発生した実験とは

フラスコとアセチレンランプ

※ イメージ図(©photoAC)

中学校の理科の実験では、2023年のみならず例年のように5月から6月にかけて毎年のように硫化水素による救急搬送事例が発生している。2023年には、毎日新聞がまとめたところによると「硫化水素を発生させる実験で生徒が搬送される事例は、5~6月に少なくとも秋田▽茨城▽愛知▽福岡▽埼玉――の5県で7件が確認され計 71 人が搬送された」とされている。

※ 毎日新聞2023年06月28日「学校の理科実験で多発する集団の救急搬送はなぜ起きるのか

硫化水素中毒が発生した実験は、いずれの場合もほぼ同様なものである。鉄と硫黄を化合させて硫化鉄を生成し、その硫化鉄に塩酸を加えて硫化水素を発生させるというものである(※)

※ 朝日新聞デジタル2023年06月10日「硫化水素の発生実験で集団搬送相次ぐ 全国各地の中学2年生


イ 硫化水素の有害性と「事故」が起きた例の実施方法

硫化水素は臭気を感じられたからといって、ただちに危険があるというわけではない。その濃度と臭気と人体影響の関係を分かりやすく表したものとして、時事通信社の時事メディカル「硫化水素中毒のメカニズムと対応方法」に以下の表がある。

●硫化水素中毒の症状
硫化水素濃度 症状
0.05~0.1ppm 独特の臭気(腐敗卵臭)を感じる
50~150ppm 嗅覚脱出が起こり、独特の臭気を感じなくなる
150~300ppm 流涙、結膜炎、角膜混濁、鼻炎、気管支炎、肺水腫
500ppm以上 意識低下、死亡

久保木氏がまとめたこの実験について記載された教科書の記述(中学理科5社教科書比較表<硫化鉄の実験>2022(久保木氏のサイト))を見る限りでは、発生する硫化水素の濃度が危険なレベルに達するとは考えにくい。

また、2017年に告示された「【理科編】中学校学習指導要領(平成29年告示)解説」によれば、理科室は十分に換気することとされており、この告示に従う限り危険が伴うものではないだろう。

例えば、金属が酸素や硫黄と結び付く反応のように、反応前後の物質の色や形状などの違いが明確なものを取り上げる。また、物質同士が結び付いて生成した物質の性質を調べる方法を考えさせる際には、「(2)身の回りの物質」で学習したことを活用させるようにする。なお、硫黄を用いた実験では有害な気体が発生することもあるので、適切な実験の方法や条件を確認するとともに、理科室内の換気に十分注意する

※ 文部科学省「【理科編】中学校学習指導要領(平成29年告示)解説(2017年)(下線協調引用者)

そして、産総研のサイトにこれらの事故について、まとめられているがいずれの事故についても、とくに不適切に行われた例はないようである。また、生徒が体調不良を訴えたときに、ただちに医療機関に救急搬送したことも正しい判断であり、適切であった


ウ なぜ救急搬送事例が発生したのか

しかし、実験が適切に行われていたにもかかわらず、結果的に生徒が気分が悪くなったと訴えて、救急搬送されている。これをどのように考えるべきだろうか。これは、化学物質の有害性によるリスクについて正しい知識ではなく、一般的な有害性のみを教えていたのではないかと推測されるのである(※)。また、化学物質の有害性から身を守るための方法について、生徒に納得させるだけの正しい知識を教えていなかったのではないだろうか。

※ 筆者自身、労働省勤務時代に、あるIT産業の工場で複数の職員が異臭がすると訴えて、結果的に長期休業に至るという災害を経験したことがある。その工場では様々な化学物質が使用されていたが、換気の状態や化学物質の使用量から判断して化学物質に有害なレベルでばく露した可能性はないと判断された。複数の職員が臭気を感じたことで、体調に異状を感じたものとしか考えられなかった。

化学物質は、適切に行われていたとしても、それを取り扱うものに正しい知識が付与されていなければ、このような問題が発生するのである。


2 教師たちの安全意識の向上のために

(1)化学物質についての安全研修の実施と必要な設備の整備

ア 化学物質についての安全研修の実施

子供たちと理科実験

※ イメージ図(©photoAC)

小中学校の化学実験で起きる化学変化は、すでに解説したように有害性の高い化学物質が高濃度で発生するようなものではない。とはいえ、硫化水素は高濃度でばく露すれば重大な災害が発生するおそれのある物質であることも事実である。

そのようなものを子供がいる部屋で発生させるのであるから、教師は化学物質の有害性とリスク、またそのリスクを容認できる範囲に抑える方法等に関して、一定の知識を有しているべきであろう。

一般的な意味で有害性があることを生徒に教える一方で、いい加減な扱い方を生徒に見せているのでは、安全教育という観点から問題があるというべきである。これでは、生徒に安全な意識が身につかない一方で、微弱な臭気が感じられたことだけで体調不良を訴える生徒がでても不思議ではない。

理科の教師については、化学物質管理について、初任時及びその後、数年に1回程度の頻度で、1日程度の研修を行わせるべきである。そして、生徒に化学物質を扱わせるときは、化学物質の有害性とリスクについて、科学的に正しい知識を教える能力を身に着けさせるべきである。

なお、GHS のラベルの見方や、SDS の読み方について、理科の教師に一定の知識を付与するための研修も計画的に行うべきではなかろうか。残念ながら、多くの理科の教師は、最近の化学物質管理の知識が欠けているように思えるのである。


イ 必要な機器の整備

その上で、おおげさに思えるかもしれないが、有害な化学物質を扱う際の常識として、局所排気装置等を設置し、それによって扱うことを体験させることにより、化学物質を扱う場合の「感覚」的なものを生徒に身に着けさせるべきであろう。

非工業的な全体換気装置だけで、臭気を感じるような環境で有害な化学物質を扱うことは、教育という観点から問題が大きいと言わざるを得ない。

現在のような環境で実験を行わせていたのでは、有害な化学物質のリスクについていい加減に扱っても大丈夫という感覚を意識せずに身に着けてしまう生徒がいる一方で、「化学物質は怖い」という意識だけを植え付けられる生徒が出てしまうのである。これは、どちらの場合も、安全という観点からは有害なのである。


(2)児童・生徒への安全知識の付与

学校の理科実験

※ イメージ図(©photoAC)

前述の毎日新聞の記事によると「硫化水素を発生させる実験はなぜ必要なのか。多くの教育関係者は『身近にある危険を身をもって学ぶためだ』と口をそろえる」という。しかし、このような考え方は理解に苦しむ。

「身近にある危険を学ぶ」のであれば、それで硫化水素などの化学物質には一定の危険性があることを教え、その上で安全な正しい扱い方をさせるべきであろう。「危険を学ぶ」という目的は否定しないが、教育の本筋は「危険を安全に学ばせる」ことであろう。

本当に危険を体験させるのでは、いたずらに怖がってしまい、正しくリスクを理解させることはできないのである。そうなってしまうと、かえって正しい扱い方はできなくなる。

子供たちが、初めての実験で救急車で搬送されるようでは、化学物質の有害性から目を背けるようになってしまい、正しい化学物質管理ができる能力の付与という観点からは逆行してしまう。

有害な化学物質についてたんに怖がらせることは、子供たちに化学物質への適切な対応ができる能力を身につけさせるという観点からはかえって有害無益だということを理解するべきである。


3 最後に

寺田寅彦氏が次のように述べておられる。

ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。 ○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。

※ 小宮豊隆編 「『寺田寅彦随筆集』第5巻」(岩波文庫,改版,1963年6月)

学校の理科の実験で毎年のように救急搬送事例が起きるような事態は望ましいことではない。安易に「身近にある危険を身をもって学ぶため」の必要悪と考えてはならないだろう。

このような事態は、化学物質についての正しい知識を身に着けさせるとともに、適切な設備で扱うという対応で防ぐことができるのである。そして、それこそが安全教育の本道ではなかろうか。


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