※ イメージ図(©photoAC)
2023年11月に廣瀬神社(静岡県伊豆の国市)の例大祭において、山車の横転による死亡事故が発生しました。
この例大祭で用いられる山車は、山車には自由に回転できる4つの車輪がついており、例大祭で道を進むときは、2本のロープを多人数で牽いて前進させます。
前側の2つの車輪の近くに制動のための装置(ブレーキ)はありますが、重量のある山車がいったん動き出してしまえば、安全に止めるだけの性能はありません。また、坂道を動き出せば、制動装置で山車を止めることは不可能です。
しかも、山車は、重心が高くやや転倒しやすい構造となっています。もっとも、例年の例大祭ではゆっくりと進行するだけで、特に危険なことはしていませんし、これまでは転倒事故を起こすようなことはなかったようです。
この事故は、下りの坂道で発生しました。山車は下りの坂道では、支えておかないと転がり落ちてしまいますから、例年は前後を反転させ、坂の上側(進行方向の後方)からロープを曳きながら、ゆっくりと坂道を下ろします。
ところが、今年の場合は、下りの坂道で方向を変えずに、そのまま前進したのです。そのため、支えるものがない山車は坂道を転がり下り、スピードがついて横転したものと考えられています。
普通に考えれば、例年のように操作しなければ、危険であることは明らかな状況です。なぜ、例年とは異なる方法にしたのか、異なる方法にすることを決めたのは誰なのか、決めたとしたら反対意見はなかったのか、というより何も考えずに道なりに進んだのではないかなど、現時点では何も分かっているわけではありません。
しかし、このようなあまりにも基本を忘れた災害を防止するには、どうするべきなのかを考えてみたいと思います。
- 1 廣瀬神社(静岡県伊豆の国市)例大祭における死亡事故
- (1)事故の発生
- (2)詳細な事故発生の経緯
- (3)山車の曳き手を反転させようとしていたのか
- 2 なぜ、このような操作をしたのか
- (1)明確な指揮者は定まっていたのか
- (2)指揮者の果たした役割はどのようなものだったのか
- (3)法的な責任について
- 3 最後に
1 廣瀬神社(静岡県伊豆の国市)例大祭における死亡事故
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最終改訂:
(1)事故の発生
ア 山車の横転事故の危険性
2023年11月に廣瀬神社(静岡県伊豆の国市)の例大祭において、山車の横転による死亡事故が発生した。静岡朝日テレビ(※)によると、この山車は重心位置が高く倒れやすい構造ではないかと思われる。
※ 静岡朝日テレビ2023年11月03日「神社の祭りの山車が横転し男性1人死亡18人けが 下り坂でバランスを崩したか 静岡・伊豆の国市」によると「上部には人が10人以上乗れる構造となっています
」「事故当時も、おはやしの人など複数人が上部に乗っていたとみられ
」るなどとされている。10 人が載っても大丈夫なように頑丈にできており、しかも複数人が上部に載っているというのであるから、かなりの重量があり、しかも重心も高いだろう。
しかし、通常の祭事では平坦な場所をゆっくりと動かすため、転倒する危険性はほとんどないといってよい。この動画は前年の例大祭のものであるが、これを視ても分かるように、山車はゆっくりと動かされており、転倒するような危険性は感じられない。
※ TAKIO WORKS「【令和3年度】廣瀬神社例大祭(当日)(11月3日)【霜月】」より。
先述の静岡朝日テレビでも、近隣住民の声として「山車が倒れるというのは聞いたことがない」という証言を紹介している。
イ 山車の構造
事故が起きた山車の構造は、自由に回転できる4つの車輪がついており、道を進むときは、2本のロープを多人数(※)で牽いて前進させるようになっている。
※ NHK2023年11月03日「静岡 伊豆の国 祭りの山車が横転 72歳男性死亡 18人けが」によると、「横転した山車を引いていた男性によりますと、当時、引く役割だったのはおよそ30人で、亡くなった佐藤さんもその中の1人で、山車の近くにいたということです
」とされている。
前側の2つの車輪の近くに制動のための装置(ブレーキ)が取り付けられている。静岡テレビ(※)によると「車内に簡易的なブレーキはあります。事故とは別の同じ型の山車の映像をみると、移動する時に木の棒をタイヤ付近に挟んでいます。木の棒を地面に接して摩擦でブレーキをかけています
」とされている。
※ テレビ静岡2023年11月03日「【解説】山車横転事故で1人死亡18人ケガ 山車の体勢を切り替え途中でバランスを崩したか」。なお、車内に簡易的なブレーキはありますというのは、車外の誤植か。報道では車内から操作できるブレーキがあるような印象を受けるが、車内から操作できるブレーキはない。
事故を起こした山車の正確な重量は公表されていないようだが、かなりの重量はあろう。山車がいったん動き出してしまえば、報道にあるような簡易的なブレーキに山車を安全に止めるだけの性能はないだろう。また、坂道を動き出せば、制動装置で山車を止めることなど不可能といってよい(※)。
※ ブレーキというより、左右への方向を変えるための装置ではないかと思える。
(2)詳細な事故発生の経緯
ア 事故の発生した場所
事故は、小さな橋を渡り終えて左折した下り坂の道路で発生している(図の左奥へ向かう下り坂)。
図の手前側(小さな橋)から、ロープの曳き手が、山車を引いたまま左側の下り坂へ降りたとき、山車が坂道の重力によって坂下に向って進みだし、山車の前方にいた曳き手はどうすることもできず、制御不能となって坂下へ暴走して倒れたのである。
車輪の付いた山車を坂道へ引き込めば、上側から支えがない限り、暴走することは当然である。なぜこのようなことが起きたのか。
イ なぜ山車を引いたまま、下り坂へ入ったのか
産経新聞(※)によると、「ブレーキ役を担当していた男性によると、通常、下り坂ではロープの曳き手は山車の後方に回るというが、坂道に入った時、曳き手が移動する前に山車の制御が不能となり、曲がるように倒れたという
」とされている。
※ 産経新聞2023年11月03日「「止まらなくなった」祭りの山車横転 1人死亡、18人重軽傷 静岡」
すなわち、山車は坂道に入ると、そのままでは坂を高速で転がり下りて危険なので、本来は、坂の後ろに曳き手が回って坂上側から引きながらゆっくりと下ろすというのである。この報道では、坂道に入ってから曳き手が後方に移ろうとしている間に、山車が坂を転がり降りて転倒したとされている。これは先述したテレビ静岡(※)の報道でも同様な説明がされている。
※ テレビ静岡2023年11月03日「【解説】山車横転事故で1人死亡18人ケガ 山車の体勢を切り替え途中でバランスを崩したか」。
しかし、テレ朝ニュース(※)では、かなりニュアンスの異なる説明がされている。これによると「本来なら橋で止まり、縄を引っ張る態勢を作るそうです。現場にいた人は、橋でその態勢を作らず下り坂に行ったのではないかと話します
」という。これが正しければ、そもそも曳き手は反転しようとさえしていなかったのではないかと推測されるのである。
※ テレ朝news2023年11月03日「3連休初日に…祭りの山車横転で1人死亡 “映像分析”速度調整できず?」。
すなわち、反転の方法がまずかった(遅すぎた)のではなく、反転しなければならないことを知らなかったのではないかと思われるのだ。この2つは、起きた事象は同じだが、原因が全く別なので、求められる対策の方法も異なってくる。どちらなのかは極めて重要である。
さらに、NHK(※)によると、横転した山車を引いていた男性の発言として「山車は当時、橋を渡った後、ハンドルを操作して左に曲がり、下り坂にさしかかりましたが、男性によりますと、何らかの原因で山車の動きを制御できなくなり、前方に木の棒を立ててブレーキをかけようとしましたが、止まらなかったということです
」とされている。ここからも反転させようとしていた様子はうかがえない。
※ NHK2023年11月03日「静岡 伊豆の国 祭りの山車が横転 72歳男性死亡 18人けが」。
仮に、反転させるべきという意識がなく、そのまま坂道へ曳いていったのであれば、起こるべくして起きた事故ということになろう。なぜ、曳き手(又は彼らに指示をするべき者)がそのことを知らなかったのかが問題となる。
(3)山車の曳き手を反転させようとしていたのか
ア 初期の報道は、曳き手が山車後方に反転するタイミングが遅れたとした
先述したように、複数の報道が、下り坂に入る前の橋の部分で、山車の曳き手を後ろ側に反転させてから坂道に入るべきだったが、坂道に入ってから曳き手を反転させようとしている間に山車が転がり下りて止められなくなったのが事故の原因だとしている。
しかし、山車の後ろ側に曳き手を反転させようとしたという具体的な証言などは報じられていない。また、それを現認したという周辺住民の証言も報じられていないないのである。
事故原因として極めて重要なポイントであるが、報道を詳細に読めば分かるが、これらはいずれも報道機関側の推測として報じられているにすぎないのである。
イ 曳き手は、そもそも反転しようとしていなかった
これに対し、テレ朝ニュース(※)が重要な報道をしている。それによると、山車を先導していた交通指導員の証言として「橋渡ってから川沿いに下る急斜がある。本来ならそこで止まって体勢を入れ替えて、それから後ろに縄を引っ張って下りるという状況。多分その辺を怠ったもので、そのまま流れで行っちゃったのかな
」、また祭りの参加者の証言として「毎年のことであれば、去年ここは危なかったから気を付けようねというのが次の役員に伝わるが、4年ぶりというところもあって、そこのポイントが危ない場所だというのがうまく伝わっていなかった可能性もある」というのだ。
※ テレ朝news2023年11月03日「「傾斜が」“祭りの山車”横転し男性死亡 名神高速では車3台絡む事故…71歳女性死亡」。
すなわち、そもそも曳き手を山車の後ろ側に反転させることなく、そのまま曳き手を山車の前側においたまま坂道を下がろうとしたということを証言を基に報じているのである。
TBSニュース(※)も「事故を目撃した人によりますと、例年、事故のあった坂を下る場合、山車が先頭となり、曳き手が後ろからロープで引っ張る形になります。ロープで引っ張ることで、坂を下る山車にストップをかけます。しかし今回は、ロープの曳き手が山車の前にいる形になり、制御をかけることができず、横転したのではないかということです
」として。坂道の下り方を誤ったとの見方をしている。
※ TBSニュース2023年11月03日「4年ぶりの祭りで経験者が少なかったか 山車横転で72歳男性が死亡 18人が重軽傷 坂の下り方に間違いが=静岡・伊豆の国市」。
ウ 正しい反転の方法は、橋を渡った後、右側に曲がることだった
さらに、例年の反転の方法として、静岡朝日テレビ(※)は「普段なら(橋を渡り終えたところで:引用者)道を上(右側:引用者)に曲がっていく。そして上の部落でUターンして下ってきて、橋の向こう側を下っていく。ただ今回は橋を渡っていきなり左折し、坂を下りて行こうとしていた。そこで一気に山車が下って行っちゃって5mぐらい先で横転した
」という近隣住民の証言を紹介している。
※ 静岡朝日テレビ2023年11月03日「神社の祭りの山車が横転し男性1人死亡18人けが 下り坂でバランスを崩したか 静岡・伊豆の国市」
すなわち、例年であれば、橋を渡った直後に曳き手はいったん右折して右側の道路を進み、山車が橋を渡った平らな場所に出たところで、今度は右側の道路を戻って山車を後ろ側から引きながら左側の道路を下ろしていたというのである。
事故直後に報じられたような、曳き手が左折して山車が橋を渡り切って坂道に入ったところで、曳く位置を反転させようとしていたというのは、どう考えても不自然である。そのためには、ロープを前側から後ろ側へ繋ぎ変えなければならず、あまりにも手間がかかりすぎる。静岡朝日テレビが報じた例年の反転方法の方がどう考えても合理的である。
むしろ、反転させる気がなく、左折してそのまま曳いていこうとしたと考える方が自然である。
エ なぜ反転しなかったのか
そして、11月5日になると、さらに重要な報道がなされる。静岡新聞が目撃者の証言として次のように報じたのである。
事故当時現場にいた目撃者の50代男性によると、山車は橋を渡った後、坂を登る方向に当たる右に向かおうとした際、「今年はそっち行かねえよ」との声がどこからか飛んだ。声と同時に曳き手が駆け出し、山車は左旋回して向きを変えて、勢いをつけたまま下り坂に突入した。そのすぐ後に「ドカン」と山車が揺れて「危ない」との声が響き、ほとんどの曳き手が縄を離し左側の路肩へ逃げた。山車は勢いをつけたまま上下に跳ねながら蛇行し、右側の斜面に衝突。跳ね上がるように左側面を下にして横転したという。
※ ニュースあなたの静岡新聞2023年11月05日「伊豆の国の山車横転 勢いよく下り坂突入か 直後に揺れ、制御不能に」
これによると、山車の曳き手は橋を渡り終えた後、例年通り(正しく)右側の道へ向かおうとしたが、「今年はそっち行かねえよ」という声で左折して坂道を下ったというのである。そして、曳き手を反転させようとすることもなく、山車は坂道を勢いよく下ったとのである。
おそらく「今年はそっち行かねえよ」という声は、反転の正しい方法を知らず、曳き手がコースを誤ったと誤解したものであろう。本来なら、曳き手はここで左折してはならなかったのだが、「声と同時に曳き手が駆け出し、山車は左旋回して向きを変えて、勢いをつけたまま下り坂に突入した
」というのであるから、事故の発生はこれが直接の原因だったと考えるのが自然である。
2 なぜ、このような操作をしたのか
(1)明確な指揮者は定まっていたのか
ア 経験のある者が少なかったことが事故の原因なのか
報道によると、コロナ禍のためにこの例大祭は過去3年の間実施されておらず、経験者が少なかったとされている。それが事故の遠因になったと臭わせるような報道(※)が多いのである。
※ TBSニュース2023年11月03日「4年ぶりの祭りで経験者が少なかったか 山車横転で72歳男性が死亡 18人が重軽傷 坂の下り方に間違いが=静岡・伊豆の国市」など。
しかし、これには強い違和感を覚える。確かに、経験者がまったくいなければ、それが事故の原因だといえるだろう。また、操作方法が未熟だったために起きた事故だというなら、確かに経験者の少なさが事故の原因だといえるだろう。
イ 経験者が少ないことはこの事故の原因とはなり得ない
しかし、これはどう考えても指揮者の判断ミスによる事故である。であれば、全体の行動を指揮する者か、指揮者を補佐する者のどちらかに経験者がいれば判断は誤らないはずである。報道によれば経験者は半数以上であるとされているのである。指揮者やそれを補佐する者のすべてが未経験者だったとは考えにくい。
すなわち、全体の実質的な指揮者がいるのであれば、その指揮者か補助できる者が経験を有していれば、参加者の中に経験不足の者が多いことは、本来であれば、この事故の原因とはなり得ないはずなのである。
ウ 問題は、指揮系統の不明確さではないのか
このような場合に考えられる問題としては、経験者が少ないことよりも、むしろ明確な指揮者が定まっていなことであろう。誰もが変だとは思いつつ自分が判断しなければならないという意識を持たないまま、全体が誤った方向へ進んでしまうような状況こそが問題なのである。
静岡新聞が報じた「今年はそっち行かねえよ」の声が、指揮者によるものなのか、一参加者によるものなのか、見物人によるものなのかは分からない。これが指揮者によるものだとすれば、指揮者の判断の過程が誤っていたというべきである。指揮者以外の者によるものだとすれば、従ってはならない指揮に従ったことが原因であり、指揮系統の不明確さが問題となったものと言えよう。
明確な指揮者が定まっていない状況は、経験不足や知識不足よりも、判断ミスによる事故の発生という観点からは、はるかに危険である。この事故も、このような状況ではなかったのかを調査する必要があろう。
(2)指揮者の果たした役割はどのようなものだったのか
ア 少なくない曳き手は、正しい反転の方法を知っていた
また、仮に明確に指揮者が決まっていたとしても、その指揮者が判断を行う過程や、判断した結果がどのように参加者に伝わるか、また参加者からの反論(意見具申)が可能なのかも問題となる。
報道によれば、参加者の半数程度は経験者だったというのである。であれば、少なくともそのうちの何人かは、正しい反転の方法を知っていたのである。
また、4年前まで、事故現場の橋を渡った三叉路では、曳き手が右へ進むことで方向転換をしていたのである。だとすれば、そのときに曳き手をしていた参加者は、橋を渡った後で、そのまま坂下の左へ行けば危険だということは体感として知っていた(※)であろう。
※ 橋の右側の道から左側の道へ戻るとき、坂道を下ろうとする山車の動きを押さえていて山車の重さを感じていれば、坂道で山車を支えなければ危険だということは分かるはずである。
イ なぜ引手は、誤った反転方法に異議を唱えなかったのか
それなのに、なぜ、「今年はそっち行かねえよ」の声に対して危険だという声を発せず、これに従って左側の道へ行ってしまったのだろうか。それとも、一部の曳き手が意義を発したにもかかわらず無視されたのだろうか。
経験のない曳き手が一斉に左側の道へ移動するなど、左側への道への方向転換が急だったとしても、山車はゆっくりと進んでいる。意見を述べることはできただろう。
なぜ、昨年までの経験者が声を上げなかったのか、この点が、大きな疑問なのである。
ウ 指揮すべき者は、何をしていたのか
指揮者が「今年はそっち行かねえよ」の声を出したのかどうかは分からないので、右折するべきか左折するべきかについてどのような判断をしたのかは分からない。その判断によって問題は次のように切り分けられるだろう。
【指揮者の判断とその問題とは】
- 判断の成立過程の問題:指揮者が判断を誤って「今年はそっち行かねえよ」と指示したとすれば、それを修正できない集団の体質(又は意見を聴かない指揮者の体質)が問題とされるべきである。
- 作業指揮の問題:指揮者が正しい判断をしていたにもかかわらず、曳き手が指揮者以外の「今年はそっち行かねえよ」の声に従ったとすれば、指揮者の指示が徹底されない集団の体質(又は徹底しようとしない指揮者の体質)が問題とされるべきである。
- 管理体制の問題:そもそも指揮者が判断をしなかったために、経験不足の曳き手が「今年はそっち行かねえよ」の声に従ったのを止めなかったとすれば、指揮者の責任が問われるべきである。
エ 肝心なときに判断をしない指揮者は事故の原因となる
残念なことに、世の中には、指揮者の立場にありながら判断をするべきときに判断をしたがらない人物がいるのである。また、組織が誤った判断をしたときに、もめごとを恐れてこれを正そうとしない指揮者がいることも事実である。
ワンマンの指揮者も事故を起こしやすいが、自ら判断をして責任を持とうとしない指揮者も事故の原因となるのである。
このような指揮者は、災害防止や組織不正の防止という観点からは、きわめて厄介な存在というべきである。
オ 指揮系統の欠陥が事故の原因となるとき
報道を見る限りでは、この事故は奇妙な事故である。報道されているような山車を、上側から支えずに坂道に置けば転がり下りて極めて危険だということは誰でも分かりそうなものである。しかも、参加者の半数は経験者なのである。
まったくの未経験者の集団であれば、全員がミスを犯すということもあり得るだろう。しかし、この事故では、4年前とはいえどのようにしなければならないかという経験と実績がある者がいるのだ。
やはり、指揮者の判断を行う過程か、それが参加者に伝わる過程に問題があったか、指揮者の判断に問題があったとしか思えないのである。
(3)法的な責任について
ア 刑事上の責任(業務上過失致死)
(ア)山車の運行は業務といい得るか
※ イメージ図(©photoAC)
報道によれば、捜査当局は業務上過失致死傷罪(刑法第211条)を射程においた捜査を行っているとのことである。事故が起きて死傷者が出ている以上、それは当然のことである。
最大の問題は、この事故を防止する責任が誰にあったか、すなわち誰が実行行為者として被疑者になるかであるが、それを明らかにすることは本稿の目的とするところではない。
本稿が問題とするのは、例大祭の山車の操行が業務といえるのかと、死傷と因果関係のある過失があったのかの2点である。
業務と言い得るためには、社会生活上の地位に基づき反復継続して行われ、かつ一定の危険性を有する行為であることが条件となる。例大祭は1年に1回しか行われないとはいえ、反復継続して行われると考えてよいであろう。また、複数の人が乗ったかなりの重量の山車を人手で曳くのであるから一定の危険性を有していると考えてよい。
従って、山車の操行は、業務上過失致死傷罪の業務であるといい得るであろう。
(イ)過失は認められるか
次に過失があったかであるが、これは予見可能性があったかどうかによる。しかし、現に例年は、この事故現場の坂道では曳き手は坂の上側から引っ張って操作していたというのであるから、災害が起こり得るということは事故発生前の時点において予見し得たというべきであろう。
業務上過失致傷罪の成立にはとくに問題はないものと考えられる。
イ 民事賠償責任
また、被害者側からの不法行為(民法第709条)又は安全配慮義務違反(民法第415条)による民事賠償責任についても、とくに問題はない(※)だろう。
※ もちろん誰を訴えるか(誰に過失があるのか、安全配慮義務違反の場合はさらに誰に被害者に対する安全配慮義務があるのか)という問題はあるだろうが・・・
3 最後に
本件事故は、先述したようにかなり奇妙な事故という印象を受ける。数十人の参加者がいながら、誰が考えても危険なかなりの急坂(※)に入っていって事故を起こしているのである。
※ 一部の報道は、ゆるやかな坂としているが、山車のような背の高い(従って重心の高い)、車輪のついた不安定な構造物を扱う上では急坂と言うべきである。
このようなことをすれば、山車が転がり下りてかなりの速度がつき、転倒のおそれがあることは容易に想像がつくだろう。しかも、過去に何度も通っている場所で、半数程度は経験者なのである。下りの坂道を通る場合にどうするべきかは、このような山車の操作の作業にとって基本中の基本であろう。
なぜ、このような単純な判断ミスが原因となる事故が起きるのか、理解に苦しむというべきである。例年の通りに作業を行っていればとくに問題はないケースなのである。
判断の成立過程の問題なのか、作業指揮の問題なのか、責任体制の不明確さの問題なのか、あるいはそれ以外の問題なのか、現時点では軽々には言うべきではないが、公的な機関が調査を行って後の経験とするべき事故のように思える。
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