コロナに学んで「次」への準備を!




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平和公園の石像

※ イメージ図(©photoAC)

菅政権は五輪の開催を「人類が新型コロナに打ち勝った証」としていました。しかし、現実には2022年の夏に1日当たり 20 万人以上にまで感染者が激増し、死者数は過去最高を更新して死亡リスクも過去最大となっています。

それにもかかわらず、岸田政権には緊張感の低下がみられます。それは、第5類への変更や全数把握の停止などが話題に上がることに象徴的に表れています。

もちろん、それはそれで一つの考え方かもしれません。しかし、大切なことが抜け落ちています。それは、「次」への備えです。いずれ、より強力な感染症が、必ず人類を襲うことになるでしょう。

新型コロナは、人類の文明社会を滅ぼすほど強力ではありませんでした。しかし、「次」もそうだとは限りません。現在の新型コロナとの戦いは「練習試合」と位置づけて、この闘いの失敗から学び、「本番」への備えをする必要があります。




1 リスクに備えることは「正しく恐れる」こと

(1)国民を守るとはどういうことか

執筆日時:

最終改訂:

第二次世界大戦末期の1945年8月、ソ満国境で強力なソ連軍を前にして怯える新兵に、一人の古参兵がさとした。

危険てやつはな、直面するまでは恐れろ。直面したら恐れるな。俺たちは直面したんだ。

※ 五味川純平「虚構の大義」(1083年 文藝春秋)

この古参兵は五味川純平。後に「人間の条件」を書く。関東軍は、国境に一部の部隊を薄く残し、残留部隊が戦っている間に主力を満州南部へ退却する作戦をとっていた。五味川らはその残留部隊に所属していたのだ。

旧日本軍のポスター

※ イメージ図(パリ廃兵院)

マンドリン機関銃とT34重戦車を備えた優勢なソ連軍に対し、日本軍は1発撃つごとに遊底を引かなければならない三八式歩兵銃と手りゅう弾、それにわずかな擲弾筒てきだんとう(小型爆弾の投擲とうてき装置)を備えているだけだった。

勝てないことは明確だった。主力部隊を撤退させるための時間稼ぎのために全滅させられる役割しかなかったのである。主力部隊は、重火器さえ残留部隊には与えなかった。

危険が現実となるまで、ソ連との形だけの不可侵条約によって平穏が保たれていた間は、軍首脳部は準備を怠っていた。そして、ソ連軍の侵攻という危険に直面したとたん、在満州日本人の保護を放棄して逃げだしたのだ。

そればかりか、事前に、満州から日本人を引き揚げさせることさえしなかった。このため、大混乱の中で国民に多くの被害を出すことになった(※)のである。

※ 在満州の日本人から多くの壮丁(大人の男性)を軍に招集したが、その軍が早急に撤退したため、満州での死者は男性より女性や子供の方が多かった。むしろ、日本軍主力が早期に撤退し、ソ連軍の正規軍が急速に南下して日本人を保護下に置いたため、中国の民衆による報復を免れた面さえあるのだ。

とは言え、ソ連軍による暴行等が数多く発生したことも事実である。ソ連軍も、規律のある優秀な部隊は対ドイツの西部戦線に配置されており、ソ満国境にいたのは劣悪な部隊が多かったこともその原因である。

当時の日本国政府は、五味川が新兵に諭したこととまるで逆のことをしていたのだ。これは多くの戦線で共通した状況だった。敵軍が現れず増援・補給ができる間は事態を放置し、敵軍が現れてどうにもできなくなってから、不十分な対応をしてなすところなく犠牲を出すのである。

占守島しゅむしゅとう(千島)でも、ガダルカナルでも、ペリリューでも、フィリピンでも、沖縄でも同じことの繰り返しであった。


(2)政府の危機管理は進歩していないのか

新型コロナに対する政権の対応を見ていると、政府の危機管理はあの頃から、まったく進歩していないのではないかとさえ思える。

2020年春、当時の安倍政権の新型コロナ対策は拙劣をきわめていた。ありとあらゆることが中途半端で、しかも事前に十分な検討を行わないため、完全に空回りしていたのである。

緊急事態宣言を出すために(必要があるとも思えない)法改正を行いながら、最初は緊急事態宣言を迅速に出そうとせずに、感染者数を拡大させてしまう。時機に遅れてから出すには出したが、徹底しようとせず補償も不十分だったために、中途半端になってしまう。しかも感染者数が減ると不十分なまま解除してしまい、次の波の発生が起きてしまうのである。

マスクの需要が急拡大してマスクが市場から払底すると、国民にマスクを配ると決めたまではよかった。ところが、先の見通しもなく指導力も発揮しないため、市販の優秀なマスクが出回ってから、性能の悪い布マスクを配布して誰も使わない結果となる。

しかも、さらに重大な問題は、その中で消費税を財源にした病床の削減を行っていた(※)ことである。政府の言い分は、「コロナが解決すれば病床は余る」というものだった。

※ これについては、「勤務医の労働条件と国家の危機管理」を参照して頂きたい。

感染症の蔓延まんえんという現在の危険に直面していてさえ、将来のさらに強力な感染症の発生という危険を恐れようとはしていないのである。脳天気というべきか。


2 コロナに学んで、将来のリスクに備えるべきだ

(1)コロナ対策の失敗に学べ

ア なぜ我々はここまで追い込まれたのか

岸田政権において、コロナ感染症に対する気の緩みが感じられるのは私だけだろうか。岸田総理は就任早々から、新型コロナの症状はワクチン接種の普及で軽症化したとして2類から5類に落とすことを検討していた。

ところが、その後、感染者数が1日に20万人を超える状況に急拡大し、死者数が過去最高となる中で、医療崩壊が現実の危機となってくる。すると、今度は、医療現場の負担を軽減することを目的に、5類への変更を画策し始めるのである。

ダチョウは強力な敵に襲われると、首だけを土に隠して敵を見ないようにする(※)と言われる。「逃げられない状況だ。だから、なかったことにしよう」というわけだ。それと同じことである。

※ オストリッチ政策ポリシーとは危険を直視せず、世の中を都合よく解釈して行う政策を指す。ただし、ダチョウが首を土に差し込むのは土の中の砂を飲み込んで消化を助けるためであり、敵に怯えるためではない。

小型の肉食動物は、ヒョウでさえ大型のダチョウを捕らえることができないのである。それを知っているダチョウは、小型の肉食動物の前で、逃げようともせず平気で土に頭を入れることがある。そのことからきた誤解であろう。

とはいえ、現在、与えられている状況の中で、とるべき政策を判断するのであれば、そのような選択もあり得るのかもしれない。そのことは私も否定はしない。

だが、大事なことが抜け落ちている。それは、なぜ、我々は、ここまで追い込まれたのかということについての考察と反省だ。長年にわたって、医療機関の病床を削減してきた政策のツケがここにきているのである。


イ 問題は、現在のコロナだけではない

PDCAのイメージ

※ イメージ図(©photoAC)

岸田総理は否定するかもしれないが、将来、新型コロナ以上の感染症が人類を襲う可能性はかなり高いと考えなければならない。それは、10 年後なのか、100 年後なのかは分からない。だが、ひとつだけ明確なのは、新しいウイルスはホモサピエンスが絶滅する数万年後まで待ってはくれないということだ。

そこに思いが至らないなら、1945 年にソ連軍に関東軍がなすところなく敗走したたように、再び新しい感染症に敗退することになるだろう。新しいウイルスは、新型コロナ程度の死亡率とは限らないのだ。

新型コロナへの対応を十分とることはできなかった。そのため、多くの死者を出してしまった。だが、なぜ、そうなったのか、それを繰り返さないために何をすればよいのかを考えなければならない。我々は、ダチョウよりも愚かであってはならない。

もし、次のようなウイルスが現れたら、我々ホモサピエンスは、絶滅するか少なくとも現在の文明を保てなくなるおそれがある。

  • 空気感染し、しかも感染力が高い。
  • 致死率が高い。
  • 活動可能な感染者ががいる。
  • 無症状者又は軽症者がいて、彼らも感染させる能力がある。
  • 感染してから発症までの期間も、感染させる能力がある。
  • グローバル化した人口密集地域で発生する。

幸い、これまではこのようなウイルスは発生しなかったのである。

  • エボラウイルスは1976年に発見されたが、感染者は重症となったため、病院に入ったか少なくとも海外へ旅行することはほとんどなかった。そのため、アフリカの一部地域以外に感染は広まらなかった。
  • 2002年に発見されたSARSは、2003年に香港の結婚式の出席者から、アジア各国やカナダなど各地へ広まった。しかし、感染が拡大した地域が限られていたため、各国の協力によって抑え込めた。
  • 2012年に中東で発生したMERSは、2015年には韓国でも発見されるなど各地に広まったが、SARSの教訓が活用されて、現時点ではほぼ収束している。
  • ところが、新型コロナウイルス(COVID-19)は、感染拡大を押さえることはできず、世界全体に蔓延まんえんしてしまった。しかし、幸いなことに致死率がそれほど高くなかったため、ホモサピエンスを絶滅させるようなことはなかった。
  • 次は・・・

だが、これがウイルスというものの必然的な性質なのか、それとも奇跡的な僥倖ぎょうこう(幸運)にすぎないのかは、誰にも分からないのである。というより、分かったときにはその教訓を生かせるホモサピエンスは地上から姿を消しているだろう。


(2)将来の感染症に備えよ

批判を恐れずにあえて述べるが、現在の新型コロナは、将来のさらに深刻な感染症に備えるための有効なモデルになってくれているのである。これは、自然界が我々ホモサピエンスに与えてくれた「予行演習」の機会ととらえるべきなのだ。

報道によれば、現在、コロナでの緊急搬送は困難事例(※1)が相次いでいるという。さらには、交通事故の負傷者を医療機関に搬送することができず、事故現場に戻すという例(※2)まで発生している。

※1 毎日新聞2022年8月16日「コロナで救急搬送困難相次ぐ 「100件以上断られ」自宅で死亡も」、朝日新聞2022年8月16日「救急搬送困難事案、3週連続で過去最多に コロナ感染疑い患者は微減」など。

※2 神戸新聞2022年8月12日「交通事故けが人の搬送やめる 尼崎市消防、コロナ陽性を理由に 現場に戻って置き去り」による。

医療の崩壊は、現実のものとなっている。コロナに感染した妊婦が医療機関に受け入れられずに自宅で出産して新生児が死亡した例(※)も報告されている。

※ 朝日新聞2022年8月20日「自宅出産で男児死亡 コロナ感染の妊婦、なぜ入院できず」、NHK2022年8月19日「【詳しい経緯は】自宅療養中の妊婦 自宅で出産 新生児死亡」など。

このような事態が何故起きているのかについて、たんなる直接原因だけではなく、背景事情まで含めた反省と調査が必要である。

医療機関の不足、感染症専門の医療機関の不足は、短期的にはどうにもならない問題である。だが、なぜ、このような事態になったのかを反省しなければならない。そして、将来、再び、人類を襲うであろう感染症のときに活かす必要がある。悲劇は、繰り返してはならないのである。


3 何をなすべきか

(1)医療資源の充実を図れ

厚生労働省

※ イメージ図(©photoAC)

現在の新型コロナとの戦いに、我々は決して勝利してはいない。それは、現在の緊急搬送困難事例の急増によっても証明されている。政府にはびこる楽観主義は、医療危機の現実を見ようとしていないのだ。

何が問題なのか。それははっきりしているではないか。医療機関、とりわけ感染症に専門対応できる医療機関の不足。感染症研究機関と研究者の不足。さらには、勤務医の労働条件の劣悪な状況などである。

日本政府は、長期にわたって病床の削減を図ってきた。また、感染症を研究する国立研究機関や大学の予算を削減してきた。これの解消を図る必要がある。


(2)防衛予算を医療の拡充に充てよ

財源がないだって? では、尋ねるが、防衛予算や米国の軍隊への「思いやり予算」はどこからひねり出されてくるのだ? ほとんどあり得ない外国からの侵略に備えることと、確実にやってくる感染症に備えることのどちらにカネを使うべきなのだ?

第二次世界大戦後、わが国で戦死した国民は数名程度だが、感染症で亡くなった国民はきわめて多数なのである。

超過死亡リスク

図をクリックすると拡大します

様々な原因による死者数を図に示しておこう。一般の肺炎による死者は毎年10万人規模、インフルエンザによる死者は毎年1,000人程度である。そして、新型肺炎による死者は累計で2022年08月19日現在36,509名(※)を数えるのだ。

※ 厚生労働省「国内の発生状況など」による。

プーチンがウクライナへ侵略したことで、防衛費の増強が必要だと思っている方も、おられるだろう。しかし、考えて頂きたい。ゼレンスキーは、その「愛国的」な発想から、プーチンを挑発して刺激し、そのことが侵略の遠因となった面もあるのだ。

※ 日経ビジネス2022年2月16日「ロシアとの緊張を高めたウクライナ大統領の危険な「挑発」行為」、Newsweek「ゼレンスキーは英雄か、世界を大戦に巻き込むポピュリストか」、PRESIDENT Online 2022年6月8日「大前研一「プーチンの怒りの根源を見抜けなかったゼレンスキー大統領は、決して英雄なんかではない」」など参照

しかも、「軍事大国」ロシアでさえ、陸続きの元ロシア連邦の小国ウクライナに侵略したことで、国力が傾くほどの影響を受けているのだ。日本は、周囲を大洋に囲まれた西側の国家である。侵略するためのコストはウクライナの比ではない。

そもそも戦争を防ぐ最大の手立ては外交である。安倍政権以来、日本政府の外交の能力はゼロに等しい。様々な国を訪問してカネを配るだけで、まともに日本の立場を主張することもできず、各国から馬鹿にされてきたのが実態(※)である。これを解消する方が、防衛費にカネをつぎ込むよりはるかに効果的である。

※ PRESIDENT Online 2022年3月16日「プーチンと27回も会談したのに…この重大局面でまったく役に立たない「安倍外交」とは何だったのか」、YAHOO!ニュース2022年8月1日「安倍晋三元総理とは何者だったのだろうか」など参照。

戦争を防ぐ最高の手立ては、防衛費の増額などではなく、よりよい外交能力の構築なのである。

我々は、現在の政府の病床削減政策をただちにやめさせ、感染症対策に備える必要がある。それこそが、国民を守るために必要な、リスクに備える真の正しいやり方なのだ。


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