60歳を過ぎて役人生活に終わりを告げてから5つのものを止めようと決めました。
その5つとは、アルコール、煙草、エレベータ、エスカレータ及びテレビです。驚かれることがありますが、実は、それまでも自ら望んで使ったことはありませんでした。
理由は簡単です。いくつかは嫌いだからということであり、べつないくつかは一定のリスクがあることです。
1 60歳を過ぎて5つのことを止めた
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60歳を過ぎて役人生活に終わりを告げてから5つのものを止めようと決めた。
といっても、あくまでも「原則として」に過ぎないのだが。
その5つとは、アルコール、煙草、エレベータ、エスカレータ及びテレビである。こういうと驚かれることがあるが、実は、それまでもほとんど使っていなかったものだ。
このうち、エレベータ、エスカレータは、感心されることはあっても驚かれることはないのだが、他のものは「がまん」していると思われて呆れられることがある。そうではなく、嫌いなことや、好きでもないことはしないというだけのことなのだが。
人はそれぞれに価値観が異なるのだ。他人に勧めるつもりはまったくないが、変人と思われるのもあまり愉快な経験ではない。多様性を理想とするなら、こういう人間がいることも、異常なことだとは思って欲しくはない。
2 テレビ視聴を止めるということ
正確には止めるのではなく、止め続けるということにすぎない。テレビを原則として視ないと言うと驚かれることがある。だが、若いころからテレビは原則として視ていない。
単身赴任していたとき、テレビは持っていないので、NHKとの契約をしていなかったのだが、集金人には悩まされた。テレビがあると決めてかかり、視聴料を払わないのは違法だという態度を露骨にとるのだ。何度も、こちらから「部屋の中を見てテレビがないことを確認して欲しい」と頼むのだが、マニュアルなのか「それは結構です」と断るのだ。
※ お断りしておくが、テレビを視ているなら、NHKの視聴料は支払うべきだと考えている。私も自宅には家族のためのテレビ受像機があり、NHKには視聴料を支払っている。
若い頃は、長時間労働でテレビを視聴する時間が実質的になかったということもあるが、他にやりたいこと、本を読んだり散歩したりの方が楽しかっただけである。たんに人がやりたいことはそれぞれということなのだ。
情報は新聞で得られる。最近では、ネットでニュースも流しているからテレビを見なくても不自由はまったく感じない。ただ、職場の人間と、「当たり前に知っていること」がずれることがあるが、慣れると、さして困らないものである。
もっとも、出張したときは、ホテルでテレビを見ることはあるので、原則としてということに過ぎないのではあるが・・・。
3 私がアルコールを止めた理由
私がアルコールを止めた理由、それは単純なことである。「嫌いだから」という、それだけのことである。若いころから、自分から飲んだことは一度もない。好きな人には理解できないらしいが、嫌いな人もいるということは理解して頂きたいと思う。
若い頃は、アルハラなどという言葉もなく、飲まないと仕事にならないという時代もあったが、60歳を過ぎたら、仕事のために嫌いなものを飲むのは止めようと思っただけである。昔は、職場の飲み会に出たりすると、アルコールを「強要」されたりしたものだが、今ではそのようなこともなくなった。
また、宴席で私を除く全員がビールを注文し、一人だけソフトドリンクを注文すると、昔は、飲み物を持ってきた店員が何も言わずに、ソフトドリンクを女性の前に置いたりしたものだが、こんなこともなくなっている。
女性だからアルコールを飲まない、男性だからアルコールを飲むという、変なステレオタイプは解消されているらしい。結構なことである。
4 エレベータとエスカレータを止めること
エスカレータとエレベータも40歳になったころから、原則として使わないことにしている。ただ、階段が使えないホテルのような建物や、他の会社に仕事で訪問したときは別である。
厚生労働省に勤めていたとき、毎日、朝夕と昼食時に事務所のある15階まで階段で上がっていた。こういうと、驚かれることがあるが、退職後に勤めた小さな事務所は6階にあるので、下段の上り下りの数はかなり少なくなってしまった。
また、階段ではないが、時間に余裕があるときはタクシーは使用せずに1時間程度なら歩くようにしている。
ただ、最近は外出自粛で、運動不足気味ではあるが・・・。
5 煙草と健康
さて、この「5つの禁」のうち、他のものは(やむを得ず)利用したことがあるが、煙草だけはやったことがない。
大学時代の友人が2人、若くして亡くなっている。一人は咽頭がん、もう一人は急性心不全だった。そして、二人ともヘビースモーカーだった。煙草さえなければ、2人とも健康に人生を全うできたかもしれないと思うと、煙草だけはよい印象がない。
煙草は昔からある嗜好品だから普通に使われている。ただ、もし煙草が嗜好品として使われたことがなく、かつ有害性が分かっていたとした場合、これを嗜好品として使おうとしても、世界中、どんな国だって許可されることはあり得ないようなものなのである。
煙草の煙と同じ有害性のある物質が存在して、職場で用いられるとすれば、これもまず間違いなく、局所排気装置の設置と呼吸用保護具の使用が義務付けられることになる。
最近ではなくなったが、ある化学物質に規制をかけているとき、事業者の方から「煙草に比べて有害性はどうなんですか、なぜそう厳しいことを言うのですか」と問い詰められることがある。そんなとき、私はこう答えた。
「比べる相手が悪すぎますよ」
煙草の有害性は白石綿とほぼ同じだとよく言われる。そして、白石綿は、製造、輸入、使用等が禁止されており、違反すると3年以下の懲役又は300万円以下の罰金が科されるのだ。
古来、煙草は多くの国で国の専売だった。原価が安く製造できる割には、依存性があって多くの国民が喫しようとしたがるので高く売れる。要は、国家が、国民のカネを集めるために、国民の健康を犠牲にして販売していたものが煙草なのである。
それは、つい最近までわが国でもそうだったのだ。厚生労働省と財政当局で、対立するのが禁煙に関する施策である。厚生労働省が禁煙に関する施策をとろうとすると、(最近ではなくなったが)財政担当府省から必ず横やりが入ったものである。
健康を害してまで、国に儲けさせることもないだろう。