映画撮影時の危険行為例




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映画監督

内外の歴史に残る映画を撮影していたときに、誤って危険な行為を行った例や、あえて危険な行為をした事例を、企業の安全衛生管理の参考に学びます。

このような行為が行われた原因について併せて考えます。



1 映画撮影時の危険な行為

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最終改訂:

本稿では、映画撮影時において、想定外のヒヤリハットではなく、最初から危険な撮影をした事例や、映画の撮影以外の危険な行為の事例を紹介する。


(1)パッチギ(化学物質の有害性についての無理解)

ア 映画「パッチギ」の概要

「パッチギ」は、2004年に作られた日本映画である。朝鮮高校のヒロインと日本人高校の主人公のラブストーリーに、朝鮮高校生と日本人高校生の対立を絡めて描いた秀作である。

イ 撮影中のきわめて危険な行為

この映画の中で、日本人高校生が対立する朝鮮人高校生3人にセメントをかけるシーンが出てくる。セメントをかけられる3人のうちの1人モトキ・バンホを演じた波岡一喜が初日舞台挨拶で述べたところによると、このセメントは本物だったということである。

だとすれば、これはかなり危険な行為である。化学物質の有害性についての専門家であれば誰でも知っていることだが、セメントはアルカリ性なので、皮膚疾患(※)の原因となり得るのである。

※ このリンク先には皮膚疾患の写真がありますので、その種の画像が苦手な方は閲覧は注意してください。

ウ 撮影中にセメントを用いた災害事例

実際に、2013年に制作されたあるテレビ番組で、子供といってもよいような年齢の女優に、罰ゲームと称してセメントをかけたため、複数の女優が皮膚疾患に罹患したとされる事例も存在している。

この話を聞いたとき、ある報道写真集の中に書かれていた「心の傷よりも体の傷の方が耐えられない年齢というものがあるものだ」という言葉が思い出された。容貌を売り物にしている女優にとって、皮膚疾患になったことは泣くに泣けなかったであろうことは想像に難くない。

エ 日常、身の回りにある化学物質の怖さ

セメントは、工事現場などで普通に目にするものではあり、ホームセンターなどでも簡単に入手できるものではあるが、だからといって決して有害性のない物質ではないのである。

誤った用い方をすれば身近に存在しているものでも、危険なのだということは意外に理解されていない。現代の日本人は、安全は誰かが確保してくれているから、少々のことは大丈夫とでも思っているかのようだ。

なお、パッチギの撮影の時点では、セメントは労働安全衛生法上の通知対象物ではなかったため、当時はSDSの提供義務やラベルの表示義務はなかった。しかし、その後の検討で、追加するべきとの報告書が出され、現時点ではポルトランドセメントとして通知対象物となっている。

また、セメント関連の業界団体も、義務化される前から自主的に表示やSDSの提供等の対応を行っている。もちろん、不必要におそれる必要はないが、どのようなものでも、有害性を正しく理解して使用する必要があるのである。


(2)八甲田山(こわさを知らないことのこわさ)

ア 映画「八甲田山」とは

「八甲田山」は1977年の日本映画である。八甲田山で行われた雪中訓練における遭難の史実を描いた新田次郎の小説が原作である。

イ 撮影中の危険な行為

雪中行軍の遭難を描いた映画だけにかなり危険な撮影も行われている。雪中に焚火で暖をとって汗をかいた原田君事が演じる兵士が、汗が凍り付いたために、苦しくなって吹雪の中で裸になり雪中に倒れこむというシーンがある。

なお、冬山などで遭難した者が凍死する前に、暑いと感じて服を脱ぐ矛盾脱衣という現象があるが、映画のパンフレットではそのような説明はされていなかったように記憶している。

ウ 危険を甘く見ることの怖さ

おそらく原田は北海道か東北の出身者ではないだろうと思う。北海道か東北の出身者なら、このような撮影は絶対に拒否するだろう。雪や寒さの怖さを知らないからこのような撮影ができるのではなかろうか。ある意味で、知らないということはおそろしいことである。

エ きわめて愚かな行為と言えよう

当時の映画のパンフレットによれば、生命保険をかけての撮影だったということだが、労働安全衛生の世界で生きている人間の感覚としてはやや理解に苦しむ面がないでもない。

良い映画を作りたいという意識がこのような撮影をさせたのかもしれないが、純粋に営業的に判断しても、もし死亡事故でも起きていれば、その時点で撮影が中止に追い込まれた可能性もあるし、そうなればそれまでに投下した資金は無駄になってしまう。

しかも、このシーンは予告編などに使われはしたものの、映画全体の中ではそれほど意味のあるシーンとも思えないのである。

結果的に何もなかったからよいようなものの、あまり意味のないリスクを冒しただけというようにも思える。本来、特撮などというものは危険に見えるシーンを安全に撮るのが原則である。

実際に危険な撮影するなどというのは、邪道というべきであろう。このシーンは背景に遠景が写りこんでおらず、当時の技術でもスタジオで撮ることが可能(※)だったのではないだろうか。

※ 俳優が吐く息を白くしなければならないので部屋の気温を下げる必要はあるが、雪を人造のものを用いることで危険性を下げることができただろう。なお、1997年のタイタニックの撮影では、人々が吐く息を合成している。

なお、この映画はヒヤリハットよりも、映画に描かれている遭難に至る経緯の方が学ぶべきことは多いかもしれない。本サイトで、いつか取り上げてみたい映画の一つである。


(3)チャップリンのスケートと大地震(危険意識の鈍麻)

ア チャップリンのスケートと大地震

次に、「チャップリンのスケート」と「大地震」を取り上げる。普通に考えると、どうみても共通性のない映画であるが、危険な撮影という意味で同じようなことをしているのである。

イ チャップリンのスケートのスタント

「チャップリンのスケート」は1916年のサイレントムービーである。この映画では、工事中と思われる建物の中で、チャップリンが目隠しをしてローラースケートをするシーンがある。建物の床は未完成の状態らしく、一方は開口部になっており、手すりなどの墜落防止の設備は何もなく、落ちれば即死は間違いないような高さである。

設定では、チャップリンは開口部があることに気付かずに、目隠しをしてローラースケートをするのだが、スケートで何度も開口部近くを通り、かなりスリルのあるシーンに仕上がっている。チャップリンは、完全に振付けを記憶してから、撮影に臨んだということである。

もちろん、労働安全衛生法が適用される状況でこんなことをすれば、直ちに違反である。

ウ 大地震のスタント

一方、「大地震」は1974年のアメリカ映画で、パニック映画の大作である。センサラウンド方式という、観客が床が揺れているように感じられるというのが売り物の映画だった。

もっとも、少なくとも私には床が揺れているようには感じられなかった。この映画の後には、この方式を使った映画というのは、数本程度しか制作されなかったから、やはりあまり効果はなかったのであろう。

それはともかく、この映画でチャールトン・ヘストン演じる主人公と、エヴァ・ガードナー演じるヒロインがエキストラとともに、路上で地震に遭い、上から落ちてくるコンクリートの塊などに襲われるシーンがある。

撮影のときは一定の重さのある物を落とさないと感じが出ないというので、俳優たちにダンスの振付けのように決められた通りの動きをさせて、彼らに当たらないように上から物を落としたそうである。

エ 危険への感性の低下

「チャップリンのスケート」でも「大地震」でも、俳優が決められた動きと少しでも違ったことをすると災害になりかねないような撮影をしている。かなりスリルのあるシーンだと当時は思えたものだが、最近の映画に慣れた目で見るとさしてスリルは感じられない。とくに、最近の若者は、これらの映画を観てもまったくスリルを感じないらしい。

これは、安全に関する感覚が、当時と今とではかなり違ってしまったことも理由ではないかと思う。すなわち、安全であることが当然だという状況に慣れてしまい、危険を危険であると感じられなくなっているのだ。

これは、労働災害を防止する上でも、かなりやっかいな事態である。安全な状態を実現させたことはもちろんよいことであるが、そのことによって多くの労働者の危険に対する感覚が鈍磨しているのである。このことは、安全装置の不使用や無効化、危険な行為が行われる潜在的なおそれが増加しているということだと思った方がよい。


2 映画撮影を離れた危険な行為

(1)アフリカの女王(事前の教育の未実施)

ア 映画「アフリカの女王」とアフリカでの撮影

「アフリカの女王」は、1951年の米英合作の映画である。英国はアフリカの植民地で良いことをしていたという描き方や、黒人に対する差別意識が見え隠れするところは、やや辟易させられるが・・・。

なお、ヒロインを演じたキャサリン・ヘプバーンによると、アフリカロケを実現させたのは、彼女の強い意向があったということだ。

イ キャサリン・ヘプバーンの危険な行為

当時のアフリカにはまだ野生動物がかなりいたらしく、そのために撮影の合間にも、かなり危険な状況もあったようだ。

そのひとつはキャサリン・ヘプバーンが撮影の現場から離れたときに起きた。子連れのイノシシをみつけたキャサリンがイノシシに向かって歩いて行こうとしたとき、母イノシシがキャサリンの方に向き直ったのだ。

実は、これはかなり危険な状況なのである。子連れの場合に人が近づくと襲いかかってくることがあるのだ。キャサリンの方に向き直ったというのは、警告の意味だと思ってよい。イノシシは草食ではあるが、牙をもっているし、このような場合に、不用意に近づけば襲いかかってくる可能性が極めて高いのである。

ところがキャサリンはそんなことは知らない。彼女はイノシシの写真を撮りたいと思い、カメラを持って、さらに近づいていった。こちらに害意がなければイノシシが襲ってくるようなことはないと思っていたらしい。

近くにいたスタッフが気付いて、すぐにキャサリンに止まるように指示し、ゆっくり戻るように伝えた。キャサリンは"うるさい"とは思ったようだが、言われた通りにゆっくりと戻ったので事なきを得た。

ただ、その後でこのスタッフに文句を言ったらしい。しかし、そのまま進んでいたらイノシシに大けがをさせられていたことは間違いないだろう。

ウ 事前の教育の不足が問題を引き起こした

これはキャサリンも悪いが、アフリカでの危険性について予めキャサリンに伝えておかなかったスタッフ(映画会社)の方にも問題があろう。

キャサリンが野生動物の習性に詳しくないことは分かるだろうし、野生動物に遭遇することは予想されただろうから、やはりこのような問題については伝えておくべきであったと思える。

幸い、スタッフが気付いたからよいようなものの、スタッフが気付かなければキャサリンがそのままイノシシに近づいて大けがをするおそれもあったのである。事前の教育が不足していたというべき例であろう。





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