"深呼吸の必要"に学ぶメンタルヘルス




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深呼吸

映画「深呼吸の必要」を題材に、企業のメンタルヘルス対策の本質・目標等について論じています。

メンタルヘルス対策の目標を疾病対策におくのではなく、生産性の向上に向けることの重要性を説いています。



1 「深呼吸の必要」とは

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(1)深呼吸の必要のストーリー

「深呼吸の必要」は2005年に公開された、どちらかといえばマイナーな映画である。ストーリーはきわめて単純で、それぞれ心に問題を抱えた若者7人が沖縄のあるサトウキビ農家の援農に参加し、いがみあったり傷つけあったりしながらも、最初は困難と思われたキビ刈りを成功させて、少しだけ元気になるというものである。


(2)深呼吸の必要の魅力

沖縄の民家

ストーリーは単純なのに、この映画が魅力を持っているのは、7人が様々な心の問題を抱え、性格的な問題などからお互いの人間関係をうまく築くことができずに、ぶつかり合っていくにもかかわらず、ひとつの目標を見つけて、それにむかっていく中で、関係を改善するとともに元気になってゆく姿が、説明的なシーンがあまりないにも拘わらず、巧みに描かれているからだろう。

映画では、7人がそれぞれの心に問題を抱えていることが最初から語られるわけではない。途中で明確に語られる者もいれば、最後までそれらしいと思わされるだけの者もいる。脚本が優れているのだろうが、視聴者が理解できるギリギリの線までしか表現しないのである。それだけ、役者の表情や言葉の調子が重要な意味を持っているといえる。


(3)登場人物たち

ア 派遣労働者のひなみ

香里奈が演じる主人公のひなみは派遣労働者で、「今度は自分で自分を派遣した」と仲間の修一に語るシーンがあるだけで、最後まで自分の抱える問題や弱さを表に出すことはないが、生き方に悩んでいるということが、様々な態度や言葉の端々で分かるようになっている。ひなみはしっかり者という設定だが、全編を通じてそれほど変化することはない。修一と恋人になりそうな様子もあるのだが、最後に別れを示唆するような場面で終了する。

イ 悦子

一方、トリックスター的な存在で、周囲には深刻さを感じさせない悦子は、買い物依存症らしいのだが、彼女も「私、返さなきゃならないものがいっぱいあるんだ」と言って周囲を一瞬だけギクリとさせるが、すぐに他のことを言って紛らわしてしまう。悦子は、最初の頃は、不満を口に出すことが多かったが、やがて前向きにキビ刈りの仕事に取り組むようになる。

ウ リストカッターの加奈子

リストカット

もっとも大きな変化があるのが、長澤まさみ演じる加奈子であろう。リストカッターで、最初のうちはまったく口もきかず、感情を見せない高校生だが、最後には豊かな表情を見せるようになる。キビ刈り隊の仲間を本気にさせるきっかけを作るのも加奈子の役割だ。長澤は、映画全体の8割程度の、セリフのない難しい役柄をみごとにこなしている。

エ その他の人々

その他には、妊娠して恋に破れ、故郷の沖縄に戻った看護師の美鈴、子供が好きで小児科医になったが担当する子供の患者が次々と亡くなる中で自信を無くしたとひなみに語る修一、肩を壊して野球ができなくなった甲子園の元エースの大輔、普通の生活ができずに援農を繰り返すことで生きている豊がメンバーとなっている。

豊は、他人の気持ちを思いやることができないのか、言わなくてもよいことを口に出したり他人の詮索をしたりするため、大輔から嫌われたり、修一にたしなめられたりする。最初に全員で自己紹介をするとき、悦子が「私、何歳に見えますか」と聞くと、「○○歳って履歴書に書いてあるじゃん」と言い放つ。このシーンで、豊がデリカシーのないことこの上ない人物であることを表現しているのだろう。しかし、本人に悪気はないのである。

映画の最後近くに、修一が大輔の前にポンとグローブを置いて、豊とキャッチボールを始めるシーンがある。修一が、大輔を誘うと、大輔は、一瞬、とまどったような表情を見せるが、そのときはすでにこだわりをなくしていて、笑いながら参加する。悦子がそれを見て自分も参加しようとすると、豊は例によって「できんのかよ」と余計なことを言うのである。悦子は軽く受け流して豊に替わってもらうのだが、修一と大輔は、悦子に頼まれたわけではなく、何も言わずに距離を縮めてやる。豊が、そのままの性格で仲間に受け入れられていることを示す良いシーンである。


2 企業におけるメンタルヘルスの目的とは

(1)メンタルヘルスの向上は企業に利益をもたらす

この映画の中に、企業のメンタルヘルスの真髄があると私が思うのは、一言でいえば、キビ刈り隊のメンバーが元気になるだけでなく、最初は困難視されたキビ刈りを完成させるからである。映画の最後に近くになって、キビを収集に来た製糖工場の職員が、平良家(キビ畑の持ち主)のおじいに「今年は当たりだね」というシーンがある。おじいはいかにもそうだという対応をとるのだが、キビ刈り隊のメンバーのメンタルヘルスが向上し、同時に生産性も向上し、事業の目的も達成したわけである。


(2)企業の財産は労働者

どんな企業も、最大の財産は労働者のはずである。労働者をたんに賃金を出せば働く機械のようなものと経営者が思っていたら、そのような企業は競争社会を勝ち抜くことはできないだろう。労働者のモラールが低下して、自主的に企業のために何をなすべきかを考えなくなったら、企業は滅びるのである。

すなわち、メンタルヘルス対策とは、労働者のために行うものではあるが、結局は企業の発展にもつながるのである。ここを忘れると、メンタルヘルス対策はうまくいかない。


(3)不要なストレスをなくすことは最低の要件

そして、そのためには、第一に、次のような不要なストレスをなくす必要がある。すなわち、将来への不安、同規模・同業種の他企業と比較して過度に低い処遇、極端に問題のある人間関係、裁量性が低く意味の感じられない長時間労働などである。もちろん、難しい面はあろうとは思うが、ここを放置していては、結局は企業の活力も向上せず、業績も上がらないのである。

映画では、平良家のキビ刈りの仕事は一時的なものなので将来の不安は問題外である。しかも、仕事は単調で、労働時間にも裁量性はない。賃金も他の職場に比較すると若干は安目のようではある。

しかし、途中でキビ刈り隊が自ら長く働こうとするまでは、おじいも、無理に労働時間を長くするようなことはしないし、約束した週休も与える。豊は、キビ刈り隊のメンバーに、仕事の進み方が順調ではなく、キビ刈りが日限までに完了しなければ平良家は「やばい」と説明をしている。むしろ、おじいが「なんくるないさー」(なんとかなるさ)といい、おばあも「あんたたちが気にすることないよ」という。労働時間のことで無理をさせようとはしていないのだ。

なお、人間関係は、豊のデリカシーのなさのせいで、大輔との関係が悪化したりすることもあるが、修一やひなみさらには悦子がその都度フォローしており、また豊もキビ刈り隊のメンバーを飲みに連れて行ったりしており、そう悪くはない。

だが、人間関係がそれほど悪化していかないのは、おじいとおばあの人柄にもよるところが大きい。

むしろ、おばあは、毎日、苦労して食事を作り、それをキビ刈り隊に勧めることも忘れない。彼らの身体のことを考えているのである。

最初、加奈子がみんなといっしょに風呂に入るように言われたのに、一人だけ後から入ろうとするシーンがある。豊は例によって、苦情を言うが、ひなみが「そういうの苦手なのよね」とかばってやる。

豊がシャワーの水を出すようにしてやるというのを、加奈子が断って水道の水で頭を洗おうとする。人に親切にされるのに慣れていないのだろう。そこへおばあが出てきて、子供の頃の思い出話をしながら、頭を拭いてやる。加奈子は、この親切にどうしてよいか分からず、とまどうような表情をするのだが、それからはおばあを慕うようになり、休みの日にあばあの洗濯を手伝ったりするようになる。

最初の朝、いつまでも寝ていて加奈子にけっとばされた悦子も、根に持たない性格なのか、加奈子には親切にしてやろうとする。もっともお節介に近いものなのではあるが。かえって、修一が割って入って、結果的に加奈子を助けてやったりするのである。

このあたりは説明的なシーンはまったくないのだが、加奈子にとっても決して居心地の悪い職場ではなかったのだろう。


(4)形だけの「温情主義」は逆効果

途中、大輔が時給のよい他の畑をみつけてそちらに移ろうとしたり、悦子は仕事が辛くて辞めようとしたりするが、結局はおじいとおばあの親切心に気づいて戻ってくるのである。この当たり、ややユーモラスなシーンに仕上がっているが、現実の企業で、辞めてゆく労働者のことを考えられる事業者がどれだけいるだろうか。このようなことが、労働者のモラールを高めており、またメンタルヘルスにも良い影響を与えているのである。

うがった見方をすれば、おじいとおばあがキビ刈り隊に親切にして、彼らを巧妙に働かせているという評価もできないわけではないだろうが、そういうことであれば悦子が辞めようとしたときにまで、朝食のおにぎりを作ってやるなど親切にしたりはしないだろう。

労働者はばかではない。本物の親切と、親切なふりをしているだけを見分けることはできるのである。


3 本当に労働者のメンタルヘルスを向上させるには

(1)何が加奈子を変えたのか

ある朝、キビ刈り隊の加奈子がいないことに気づく。荷物はあるので出て行ったわけではないだろう。みなで探すがどこにもいない。あきらめてキビ畑へ行くと、加奈子が一人で働いている。悦子が「どうしたの。みんな探したんだよ」と叱るが、その後すぐに、「そうか、明るくなれば仕事はできるよね」と気づくのである。

このとき、おじいが一言「加奈ちゃん。ありがとね」というと、加奈子は初めて表情を見せてにっこりと笑う。このときの長澤の演技が実に良い。この映画のクライマックスシーンだが、個人的にも好きなシーンである。

結局、誰かの役に立ちたいという意識と、誰かの役に立っているという確信が加奈子を変えたのである。


(2)労働者のやる気を引き出すために

そして、これがきっかけとなってみんなで、寸暇を惜しんで仕事に励むようになる。すさまじい長時間の超過密労働が始めるのだが、みんな元気いっぱいである。人は、(もちろん他に事情がないという前提でだが)ひとつの目標をもって積極的に仕事をする場合、その目標の必要性や意義が分かっており、仕事についてきちんと評価され、それが誰かの役に立っているという意識があれば、元気になるものなのである。

そんな中で、加奈子が初めて出す言葉は「朝は来るんだ」というものだ。それに続けて、「くたくたになるまで働いて、ご飯食べて、それでぐっすり眠れば朝は来るんだよね」と言う。これを聞いて悦子が「あんた声出るんじゃん」と驚くが、もう加奈子は動じない。この映画の最大の見せ場である。

長澤は「ロボコン」でも、やる気のなかった高専の生徒が、ロボットコンクール(ロボコン)という目標を見つけて元気になってゆく姿を演じているが、これもさわやかさを感じる映画になっている。


(3)メンタルヘルスと問題の解決

もちろん、キビ刈りの仕事を通じて、彼らはその根本的な問題を解決したわけではない。ひなみは相変わらず派遣労働者だし、悦子の買い物依存症が治ったわけでもないようだ。また、大輔の肩が治ったわけでもなければ、豊の一言居士も相変わらずである。しかし、加奈子は元気になり、美鈴も子供を産み育てる決心をし、修一も自信を取り戻した。

確かになにも問題は解決していない。しかし、解決してゆくための、心の活力ができたのである。そしてキビ刈りの仕事も成功し、事業者である平良家の問題も解決したのだ。そして、これこそが企業のメンタルヘルス対策の目指すべき理想であり、真髄なのである。

メンタルヘルス対策というと、「メンタルヘルス不調に陥った原因が解決できなければ意味がない」と考える方がおられる。確かに、その原因が職場にあるのなら、それを解決することはメンタルヘルス対策の重要な課題である。一次予防というと、"ヘルスプロモーション"のことだと思っておられる方が多いが、実は職場のメンタルヘルス対策の一次予防としては"ヘルスプロテクション"の方が重要なのである。すなわち、"健康づくり"よりも、"健康保護"すなわち長時間労働の解消、物理的な作業環境の改善、仕事の裁量性の拡大、深夜勤務や過度な出張業務の解消、業務の責任の明確化など、過剰なストレスの解消を図ることの方が重要なのである。


(4)ストレスコーピング

しかしながら、メンタルヘルス不調の原因が職場にあるとは限らない。このようにいうと、原因が職場になければ企業がメンタルヘルス対策を行うことはできないという方もおられる。

しかし、原因が職場外にあるような場合であっても、メンタルヘルス対策は行うことは可能なのである。その場合、原因を解決するための支援・援助も重要である。しかし、この場合の職場のメンタルヘルス対策の重要な役割は、労働者のストレスに対するコーピング(※)への支援なのである。

※ ストレスへの対処と訳されることもあるが、より正確にはストレスと巧く折合をつけて、ストレスと付き合ってゆくことである。このニュアンス持つ日本語の単語は見当たらない。

ストレスへの気づきへの支援、ストレスコーピングのための教育、初期のメンタルヘルス不調への上司による早めの気付きと対応方法についてアドバイス、相談体制の整備など、様々なことが可能である。そして、そのことによって労働者が、ストレスと向き合う力をつけてゆくのである。

さらに言えば、そうすることによってこそ、企業の活力が高まってゆくのである。


4 最後に

(1)企業が求めるメンタルヘルスの効果

次の図は、日本生産性本部が、2012年に行った企業アンケート調査の結果である。企業がメンタルヘルスへの取り組みを通して期待している内容として、「従業員の活力が高まり、生産性が向上する」、「職場で何でも話し合える風土が出来る」「職場で互いに学び、理解し合う風土が出来る」などがかなりの割合となっている。まさにこれこそが「深呼吸の必要」のキビ刈り隊のメンバーの得たものなのである。

企業がメンタルヘルス対策活動で期待している事項

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(2)ワーク・エンゲイジメント

また、次図はワーク・エンゲイジメントに関する島津の論文中の図からの引用である。

ここで示されているのは、熱意と活力と没頭である。これこそがこの映画のキビ刈り隊のメンバーの姿である。メンタルヘルスを向上させることにより、生産性を向上させるというワーク・エンゲイジメントの考え方が、この映画にはそのまま表現されているのである。

ワーク・エンゲイジメント

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(3)やりがい搾取は逆効果

やりがい搾取

ただ、最後に誤解のないように申し上げておくが、私は長時間労働がよいと言っているのではない。労働者の中には様々な事情がある者もいるだろう。長時間労働は、それらの人々を職場から排除することになりかねない。そして、そのような事情は、一部の人の問題ではなく、すべての人がある時期には抱えることがあり得るのである。

また、長時間労働は、自己啓発を困難にする。また、広く社会と接することにより、労働者の知識や経験に幅を持たせることもできなくなる。極端な長時間労働は、長い目で見れば、やはり企業の活力を削ぐのである。

次図は、ハーズバーグの動機付け・衛生理論を図に表したものだが、この映画は2の「動機付け要因」に関するものだが、まずは1の「衛生理論」を満たすことが必要なのである。平良家のおじいとおばあは、この点についても完全ではないまでにせよ、ある程度は満たすようにしているのである。

ハーズバーグの動機付け・衛生理論

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(4)メンタルヘルスの目標を見失いうな

また、最後にもう一度、強調しておくが、メンタルヘルス対策は何を目標とするかが極めて重要なのである。

厚生労働省から、旧メンタルヘルス指針が労働基準局長通達として出されたとき、一部の先進的な企業を除くと、企業のメンタルヘルス対策は、「人」に着目した三次予防が中心であった。誤解を恐れずに言えば、疾病者対策の面が強かったのである。また、メンタルヘルス対策として「安全配慮義務」がかなり強調されていた。

しかし、旧指針は、安全配慮義務をメンタルヘルス対策の中心には据えなかった。なによりも企業活力の向上、すなわち生産性の向上や組織の健康の向上を念頭において策定されたのである。

そして、最近では企業のメンタルヘルス対策は、組織活力の向上に目的が置かれるようになりつつある。次図は、2007年にある学会誌に筆者が書いたものを一部修正したものである。ある事業を行うときは、その目的を明確にせずに行うことはあり得ないが、メンタルヘルス対策もなにを目的とするかが重要なのである。

メンタルヘルス対策の目標を明確に

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