ストレスチェックと民事賠償判例




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ストレスチェック

※ イメージ図(©photoAC)

労働者が精神障害に罹患しあるいは自殺した場合に、雇用者の責任であるとして民事賠償請求が提訴される例が増えています。

その中で、ストレスチェックを行ったにもかかわらず、その結果に基づく面接指導の結果報告書で指摘された事項を放置したことが、雇用者の敗訴の原因の一つとされたものがあります。

その一つの例に、奈良地裁判決・令和4年5月31日があります。この事件を題材に、何が問題となり、事業者はどうすればよかったのかについて、分かりやすく解説します。




1 事件の概要

執筆日時:

(1)事実関係(原告と被告の間に争いはない)

職場で悩む男性

※ イメージ図(©photoAC)

この事件は、被告(奈良県)の職員であった A が自死したのは、過重な業務に従事させられたことが原因であるとして、A の両親である X1 及び X2(原告)が被告に対して国家賠償法1条1項又は民法 415 条に基づく損害賠償請求を行った事件である。

被災者である A は、公立大学を卒業後、2005 年 4 月に被告に就職した。その後、複数の部署を経て、2014 年 4 月から教育委員会事務局教職員課給与係に主査として配属されている。

A は教職員課給与係在職中の、2015 年 3 月下旬又は同年 4 月上旬にうつ病又はうつ病エピソード(以下、まとめて「うつ病」という。)を発症した。A は、同年 4 月 11 日に「仕事に能力がついていかず処理できない、毎日の仕事が苦しいことによるうつ症状、気分の落ち込み、意欲の減退がある」などと訴えて、精神科医院であるクリニックを受診し、同月中にもう一度受診している。

このような事情から、被告は、翌年の 2016 年 4 月になって(異動の時期ではなかったが)A を、県土マネジメント部砂防・災害対策課災害防止係(主査)に異動させた。

ところが、その直後の 2016 年4月から 2017 年 4 月までに計 15 回、同クリニックに通院している。2017 年 5 月 21 日に死亡(自死)するまで同課で勤務していた。

地方公務員災害補償基金奈良県支部長は、2019 年 5 月 17 日に A の自死が公務上の災害であると認め、2020 年 3 月 27 日に支給決定をした。

まとめると次のようになる。

  • 2005・04 A が被告(奈良県)に就職
  • 2014・04 教育委員会事務局教職員課給与係(主査)に配属
  • 2015・03 or 04 うつ病又はうつ病エピソードを発症(4 月中に 2 回通院)
  • 2016・04 県土マネジメント部砂防・災害対策課災害防止係(主査)に異動
  • 2016・04~2016・04 (計 15 回クリニックに通院)
  • 2017・05 死亡(自死)
  • 2019・05 公務上の災害であると認定

(2)亡 A の業務の量と困難性

ア 原告の主張

(ア)教育委員会事務局教職員課の業務

本件の A がうつ病を発症した教職員課給与係の業務の量と困難性について、原告は以下のように主張し、A のうつ病発症は教職員課給与係の過大な業務と因果関係があるとした。

  • 2014 年度から2015年度まで A が教職員課給与係で行っていた業務は、臨時職員給与システムの副担当、義務教育国庫負担金の処理、旅費の副担当等であるが、次に示すように、うつ病発症前の A の業務は、質的に過重なものであったといえる。
    • 2015 年 3 月の旅費の業務量は、例月の3倍であったこと
    • 国庫負担金事務は、量が多く、かつ、プレッシャーのかかる責任ある業務を一人で担当していたこと
    • 2014 年秋の会計検査院による検査対応という突発的な業務にも従事していたこと
    • 2015 年度は給与管理システムの更新時期であったこと
  • また、教職員課は、繁忙期を中心に、職場全体が長時間勤務となっていた。次に示す勤務実態は、厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準」(2011 年 12 月 26 日基発 1226 第1号)において、心理的負荷が「強」となり、原則として業務上と判断される出来事である「2週間(12 日)以上にわたって連続勤務を行」い、「その間、連日深夜時間帯に及ぶ時間外労働を行った」場合に当たる。
    • 時期によって違いがあるものの、午後 10 時前後まで勤務することが多い
    • 2015 年 4 月上旬のうつ病発症前1か月間(同年 3 月 11 日~ 4 月 10 日)は 100 時間を超える時間外勤務に従事した
    • 2015 年 3 月 23 日から 4 月 4 日までは 13 日間連続で勤務し、そのうち多くの日に午後 10 時から午後 11 時までの深夜時間帯まで勤務した

イ 砂防・災害対策課災害防止係の業務

また、砂防・災害対策課災害防止係において A が自殺する直前の業務の量と困難性について、原告は以下のように主張し、A の自死は砂防・災害対策課災害防止係における過大な業務と因果関係があるとした。

  • A は、砂防・災害対策課災害防止係において、土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)の指定業務等に従事していたが、下記に示すようにその業務は質的、量的に過重であったといえる。
    • 教職員課給与係からの異動により業務内容に著しい変化が生じた
    • 土砂災害特別警戒区域指定の検討箇所は1万箇所に及ぶもので、過大な区域指定の課題が課され、数値目標も設けられていた
    • 割り当てられた業務が過大で、2016 年 4 月上旬にうつ病が増悪する前3か月間は、月 100 時間前後に及ぶ時間外勤務に従事した
    • 2016 年 3 月 14 日から 4 月 1 日までの 19 日間は、長時間の連続勤務に従事した

この原告の主張を見る限りでは、労働時間の長さだけで業務と自死の間には因果関係が推測されそうである。


イ 被告の主張

これに対して被告の側は、A が教職員課給与係において担当していた業務は、次に示すように、被告の行政職職員が通常担うべき業務であって、A の年次や職務経歴等を踏まえると、量的、質的に過重な業務ではなかったと主張した。また、A がうつ病に罹患したのは、地方公務員災害補償基金の認定によると2015 年 3 月下旬であるとしている。

  • A の担当していた業務は、毎月の業務の流れがあらかじめ決まっていて、手引きやマニュアルに沿って行うことができる事務作業であり、業務に関する特殊なスキルや経験、プログラミング等の専門知識は不要である
  • 政策立案的要素は全くない
  • 県民からのクレーム対応や職場での人間関係における特段の配慮も不要で、上司からのハラスメント被害もなく、客観的に困難な業務ではなかった
  • 現に、給与システムの過去の担当者も、未経験でありながら上記業務に従事していたのであって、A が給与システムを使用する業務の経験がなかったことをもって、質的に過重な業務であったともいえない
  • 早出出勤をしなければならないほどの業務量ではない

ただ、この反論は、仕事の質は難度の高いものではないと言っているが、量的に問題がないとの主張にはなっていない(※)

※ 「早出出勤をしなければならないほどの業務量ではない」というのは、原告の(居残り)残業が長くて長時間労働であるとの主張への反論にさえなっていない。

なお、レベルが低く量の多い仕事はかえってストレスを増すことも事実であるが、原告はそのような主張はしていないので、そのことは問題とはならない。

また、A が砂防・災害対策課災害防止係において従事していた業務については、被告は、次に示すように質的、量的に過重な業務ではなかったと主張した。

  • 砂防・災害対策課災害防止係において担当していた土砂災害特別警戒区域の指定業務は、チェックリストに基づく公表図書や告示図書の形式面での確認作業であり、私権の制限に直接影響する判断を行っていたわけではない
  • 対応する相手も、県の土木管理事務所職員かコンサルタント会社であり、政策立案的要素は全くなく、土木の専門的知識も不要であった。
  • 住民説明会に関する住民対応も、土木管理事務所と市町村が主として行っていたから、A が苦慮することはない
  • その他の業務も行政職職員が通常担うべき業務であり、特別な知識や技能は必要なかった
  • A の業務内容、成果に不十分な点はなく、おおむね目標どおりの成果が得られており、A は担当業務を行うだけの能力を有していた
  • 地方公務員災害補償基金の認定によると、自殺前6か月間において、時間外労働が1か月当たり 100 時間を超える月はなく、業務の量的過重性も認められない。

確かに、被告の主張が正しければ、A の砂防・災害対策課災害防止係においても業務の質的な面はこれほど難易度の高いものとは思えない。

しかし、労働時間の長さをどう評価するかについて原告の主張に反論している(※)ものの、「自殺前6か月間において、時間外労働が1か月当たり 100 時間を超える月はなく」という主張は、逆に 100 時間程度の時間外労働があったということであり、やや、弱々しいという印象を受ける。

※ 労働時間そのものは記録が残っており、争う余地のないケースである。


(3)業務と亡 A の自死との因果関係

ア 原告の主張

原告は、地方公務員災害補償基金の「精神疾患等の公務災害の認定について」(平成24年3月16日地基補第61号)が「発症直前の1か月以上の長期間にわたって、質的に過重な業務を行ったこと等により、1月当たりおおむね 100 時間以上の時間外勤務を行ったと認められる場合」には、強度の精神的又は肉体的負荷を与える事象を伴う業務に従事したものと判断できるとしていることを根拠に、「業務の質的、量的過重性が認められる本件において、業務の過重性と A のうつ病発症及び自殺との間に因果関係があるのは明らかである」と主張した。

要するに、因果関係については、労働時間の長さだけで十分に立証できると考えていたようだ。


イ 被告の主張

これに対し、被告の側は準備書面では「否認ないし争う」としているが、労働時間に関して具体的な主張立証をしているわけではない。因果関係については、争っても無駄だと考えていたのかもしれない。


(4)安全配慮義務違反の有無

ア 安全配慮義務違反が認められるためには

本件について、A の業務と自死との間に因果関係があることを、被告が争うことは、次の理由からも困難であろう。

  • 地方公務員災害補償基金が公務災害であると認めていること
  • 原告と被告の双方とも月に 100 時間程度の時間外労働があったことは認めていること

しかし、A の業務と自死との間に因果関係があるからといって、ただちに被告の側(雇用者)に安全配慮義務違反(※)があることにはならない。安全配慮義務違反があるとされるためには、被告(雇用者)の側に過失があることが認められなければならないのである。

※ 安全配慮義務違反があれば、損害賠償の責任が生じることになる。

そして、過失があったとされるためには、被告の側に自死を予見でき、かつ自死を防止できたにもかかわらず、それをしなかったといえなければならない(※)のである。

※ 例えば、被災者に通常の範囲から外れるような異常な事情があるとしよう。その事情のために、通常の労働者であれば自死することなどあり得ないような業務上の原因で被災者が自死した場合を考えよう。その場合、その異常な事情を被告(雇用者)が知り得なかったのであれば、通常は損害賠償責任は免れることになる。


イ 原告の主張

原告は、以下のように主張して、被告は、A のうつ病の発症及び自殺について、国家賠償法第1条第1項に基づく責任(心身の健康に対する安全配慮義務違反)及び民法 415 条に基づく債務不履行責任(安全配慮義務違反)があるとした。

  • A の勤務時間を適正に把握せず、心身の健康を損ねることが明らかな質的、量的に過重な業務に従事させ続けて長時間勤務を放置した
  • A の心身の健康状態の悪化を認識した後も業務軽減措置を講じず、産業医の面談指導結果に基づく是正措置も講じなかった
  • 被告は、A が教職員課給与係において、同人の心身の健康を損ねることが明らかな量的、質的に過重な業務に従事していることを認識し、又は認識し得た
  • 職員証読取機により把握される勤務時間と時間外勤務命令簿による時間外勤務との間に著しい齟齬が日常的に生じていたことについて、その理由を検証することもなく放置するなどして、 A の勤務時間を適切に管理、把握しなかった
  • A を長時間勤務に従事させ続け、2015 年 3 月下旬から同年 4 月上旬にかけては、1か月当たり 100 時間以上の時間外勤務等に従事させてうつ病を発症させた

そして、被告が自死する恐れがあることは、以下の事情により予見できたはずだと主張したのである。そして、被告はそれにもかかわらず、うつ病の増悪を回避するために勤務時間を短縮したり、仕事上のストレスを緩和する具体的、実効的な措置を講じたりするなどして過重な業務を軽減することなく、症状を増悪させるおそれのある長時間勤務に従事させたため、A のうつ病は増悪し、自殺に至ったと主張した。

  • 被告は、2015 年 10 月に A の祖母が被告の人事課を訪問して A の異動を要望したことや面談時の A の言動等から、A の心身の健康状態悪化を認識した
  • A が砂防・災害対策課災害防止係に異動した後も、教職員課給与係における心身の不調の情報の引継ぎがされないままであった
  • A に面接指導した産業医から就業場所の変更の必要性や長時間の時間外勤務の回避措置の必要性を指摘する意見が提示された

すなわち、原告の主張をまとめると次のようになる。

  • 被告は、A に対して「普通の」労働者でも心身の健康を損なうような長時間労働をさせていた
  • 被告は、遅くとも2015 年 10 月にA の心身の健康状態悪化を認識した
  • A に面接指導した産業医から就業場所の変更の必要性や長時間の時間外勤務の回避措置の必要性を指摘する意見が提示された
  • その後も、A を長時間勤務に従事させ続け、うつ病を発症させた


ウ 被告の主張

これに対して、被告は、A のうつ病罹患及び通院の事実を初めて認識したのは、砂防・災害対策課の課長が 2016 年 12 月 13 日に抑うつ治療中である旨の産業医の面接指導結果報告書を受領した時点であると主張した。

  • 砂防・災害対策課課長は、2016 年 12 月 13 日頃に産業医による A の面接指導等結果報告書を受け取った時点で、初めて A がうつ病に罹患していることを認識した。
  • もっとも、同課長は、同報告書に「平常勤務でよい」と記載されていたことや、A の勤務時の様子等に問題がなく、 A との面談においても、体調や業務における不安について大丈夫である旨回答したことから、この段階では業務量の削減や病気休暇の取得を求める必要はないと判断した
  • その後は、改めて A の業務の様子、仕事ぶりを注視することとし、他係への応援業務等の突発的な業務が発生した場合でも A には単純な作業しか頼まないようにしたり、A に毎日声を掛け、できる限り早めの帰宅を呼び掛け、職務の偏重がないよう改めて係内での仕事の進捗とやり方を点検するといった対応を執り、A の時間外勤務がこれ以上増えないようにするための具体的措置を講じた。

また、それまでは、A の勤務態度等から精神疾患や心身の健康状態の悪化の様子をうかがい知ることは不可能であり、同日より前に A の精神障害の発症を具体的に予見することはできなかったと主張した(※)

※ 後述するように、この主張を裁判所は認めるのだが、そのことによって被告敗訴の結論につなげるのである。そして、その際にストレスチェックの結果に基づく医師による面接指導が重要な意味を持つのである。

なお、被告の主張によれば、A は、教職員課給与係配属当時の上司である同課長補佐に対し、メンタルヘルスに関する相談等をしたことはなかった。また、A の担当職務は行政職職員であれば誰もが担う業務であり、実際に A は締め切りまでに余裕をもって当該業務を終了させていた。

そして、被告は、労働時間や A の職務に関して、以下のように必要な対策は取っており、または過度な負荷はなかったと主張したのである。

  • 被告は、時間外勤務について月 30 時間、年 300 時間の目標を設定し、教職員課給与係においても、その認識を共有し、時間外勤務の実績を報告する文書で時間外勤務の時間数を管理していた。
  • また、A が 2015 年 12 月ないし平成 28 年 1 月に実施された課長補佐との面談の際に、異動の意向を示したことや、2015 年 10 月 5 日に A の祖母が来庁して A の異動を求めるという出来事があったことから、教職員課は、人事課に対し、 A の異動が可能である旨の意見を出し、2016 年 4 月に A を転出させる措置をとった。
  • 被告は、A を教職員課給与係から転出させるに当たり、A が被告の県職員として採用後 11 年の勤務経験をもつ中堅職員であること、出先機関でなく、県庁の本庁で経験を積んだ方が本人のキャリア形成上有益であること、A に桜井土木事務所における勤務に伴う土木行政の経験があったこと、A が異動を希望していた土木事務所と土木行政という点で合致すること、及び A が苦手意識を有していた電子計算システムに関する業務の担当がないことなどを考慮し、砂防・災害対策課災害防止係を異動先に決定した
  • 同課における A の業務の進捗に問題はなく、業務中の態度、様子に異変は見受けられず、職員や一般市民との間のトラブルもなかった

すなわち、最も大きな争点は2点であり、被告がいつの時点で A の健康状態を知り得たかということと、被告の取った対策が(その時点において)適切なものだったかなのである。所定外労働時間の長短については、原告の主張は 100 時間以上、被告の主張は 100 時間に満たないという違いはあるものの、それほど大きな違いではない。


2 裁判所の判断

(1)教職員課給与係における A の業務の量と困難性

ア A の業務の内容及び労働時間

スマホで話すコンピュータの前の女性

※ イメージ図(©photoAC)

裁判所が認定したところによると、A がうつ病を発症したとされる教職員課給与係における業務の中心は、パソコン上で給与システム等に情報を入力し、確認するというマニュアルに沿った事務作業であった。単純作業であるが、その性格から、コンピュータシステムを使用する業務には強い苦手意識があり、負担に感じていたようである。

裁判所は A の所定外労働時間を具体的に認定している。もちろん、ごまかしがなければという前提ではあるが、A がクリニックを受診する直前の1月間を除けば、それほど過重とは思えないものである。

  • Y の勤務日及び勤務時間は、原則として、平日の 8 時 30 分から 17 時 15 分までの 7 時間 45 分(12 時から 13 時までは休憩時間)である
  • Y は、2012 年 6 月 20 日、職員組合との間で、時間外勤務の上限を月 30 時間以内、年 300 時間以内にすることを具体的目標とする「宣言」に調印し、これを各部署の目標として設定した
  • A がうつ病を発症してクリニックを受診する 2015 年 4 月 11 日までの 6 月間の所定外労働時間(出退勤システムの記録から算定)は、以下のとおりである
    • 2014 年 10 月 13 日~11 月 11 日 28 時間 09 分
    • 2014 年 11 月 12 日~12 月 11 日 62 時間 07 分
    • 2014 年 12 月 12 日~01 月 10 日 35 時間 16 分
    • 2015 年 01 月 11 日~02 月 09 日 50 時間 57 分
    • 2015 年 02 月 10 日~03 月 11 日 64 時間 32 分
    • 2015 年 03 月 12 日~04 月 10 日 154 時間 41 分

おそらく、これを読んだ方の多くの感想は、意外に短いなというものではなかろうか。逆を言えば、これだけの労働時間でも精神障害や自死が問題になるということなのである。


イ 業務の負担感に関する A の言動及びこれに対する対応等

また、業務の負担感に関する A の側からの被告に対しての言動と、それに対して被告がどのように対応したかについて、裁判所は次のように認定した。

  • 教職員課給与係在任中、A の上司の課長補佐は、職員組合の連絡を受けて、2014 年 7 月 30 日に A と面談したところ、「しんどいので異動させてほしい、体を使った現業的な仕事がしたい」などと述べた。課長補佐は、係長に対して A の様子を気を付けて見るように指示した
  • A は、2014 年 12 月、職員組合のアンケートに対し、異動を希望すると回答し、その理由として、「担当業務が能力を大幅に超えていて全くついていけない、精神的にもかなり参っている」などと記載した。Y は、同組合を通じて、A の異動希望の事実を把握したが、同文書自体を確認していない
  • A は、2015 年 1 月頃に、係長と出張した際、「今の業務に向いていない、失敗して迷惑をかけるのではないか」といった発言をし、それ以降、同係長に対し、しんどいと言う頻度が増えた
  • A は、2015 年 4 月の人事異動の対象にならなかったことを知り、3 月末頃、課長補佐に異動希望を強く訴えた。課長補佐は、同日 A と面談し、給与システムの主担当になることに対する不安を聞いた。課長補佐は、係長と相談し、給与システムの担当から外す案を A に提示したが、本人が担当継続を申し出たため、同人を給与システム主担当にすることとした上で、従前、主・副の各担当1名の体制であったのを、副担当を名として A の業務を減らしたりするなど、A 業務の負担が偏らないようにした
  • A は、2015 年 3 月下旬から 4 月上旬にかけてうつ病に罹患した。A は、同月 11 日、仕事に能力がついていかず処理できない、毎日の仕事が苦しいことによるうつ症状、気分の落ち込み、意欲の減退があるなどと訴えてクリニックを受診した。心因反応により約1週間の休務加療を要すると診断され、同月中に合計3回通院し、投薬治療を受けたが、翌月以降は通院を止めた(※)。A は、被告に受診や治療について報告しなかった。
  • 2015 年 10 月、A の祖母が奈良県の人事課を訪問し、A の労働時間が長いこと、様ざまな奇行に及ぶことがあるとして、異動を要望した。A は、この頃から、係長に対し「病院にかかりたい、涙が止まらない、時々そういうことがある」と訴えることもあった
  • A は、2015 年 12 月、職員組合実施のアンケートに、前年度に続いて、異動を希望すると回答し、その理由として、業務への不適応と異動への強い希望を綴った
  • 課長補佐は、2015 年 12 月から2016 年 1 月にかけて、A と人事評価のための面談をした。A は、「仕事が何もわからない、降格させてほしい、異動させてほしい」と述べたのに対し、課長補佐は、人事課に伝える等と伝え、共済組合のメンタルヘルス相談に関するチラシを手渡した
  • 教職員課は、A の意向等を踏まえ、人事課に対し、「異動可」の意見を提出した。人事課は、諸般の事情を考慮し、本来の異動期ではなかったが、2016 年 4 月に A を教職員課給与係から転出させることとした。転出先については、 A の勤務年数、土木行政の経験、 A が苦手とする電子計算システムに関する業務を担当しないこと等を考慮して、砂防・災害対策課災害防止係とした。 A は、同年3月、異動の内示を受けたが、異動先が意に沿わなかったため、落胆した様子を見せていた

※ A は、2004 年 5 月頃に就職活動に関する悩みなどからうつ状態となったときに 8 か月程度、2009 年 1 月頃に仕事に関する悩みなどからうつ状態になったときに 3 か月程度、それぞれクリニックに通院したことがあった


(2)砂防・災害対策課災害防止係における A の担当業務及び勤務の状況

ア A の業務の内容及び労働時間

裁判所が認定したところによると、A の砂防・災害対策課災害防止係における業鵜の内容と労働時間等は以下のようなものであった。

  • 主たる業務は、以下のようなもので、要するに単純業務であった
    • 専門的な知識や技能を要せず、定型的な部分が多い事務作業である
    • 教職員課給与係において A が負担に感じていた電子計算システムを使用した事務作業は含まれていない
    • 住民との折衝やクレーム対応といった心理的負担が大きい場面に直面することが多い業務も含まれていない
  • A の業務の遂行状況や成果に問題はなかった。A は、同僚と成果物をダブルチェックしていたが、同僚のダブルチェック後に再度自身で確認していたため、終業時間が遅くなる傾向にあった。業務は全体として、おおむね予定どおりに進んでいた
  • A が死亡する 2017 年 5 月 11 日までの 6 月間の所定外労働時間(出退勤システムの記録から算定)は、以下のとおり
    • 2016 年 11 月 22 日~12 月 21 日 89 時間 20 分
    • 2016 年 12 月 22 日~01 月 20 日 44 時間 25 分
    • 2017 年 01 月 21 日~02 月 19 日 81 時間 22 分
    • 2017 年 02 月 20 日~03 月 21 日 66 時間 27 分
    • 2017 年 03 月 22 日~04 月 20 日 87 時間 40 分
    • 2017 年 04 月 21 日~05 月 20 日 84 時間 35 分
  • A は、2016 年 4 月 2 日、仕事の問題による負担を訴えてクリニックの通院を再開し、2017 年 4 月まで合計 15 回通院し、投薬治療を受けた

裁判所が認定した事実から判断する限り、業務上の問題は労働時間のみである。令和 5 年 9 月 1 日基発 0901 第 2 号 「心理的負荷による精神障害の認定基準について」では「1か月に 80 時間以上の時間外労働が生じるような長時間労働となった状況それ自体を「出来事」とし、その心理的負荷を評価する」が、平均的な心理的負荷の強度はⅡと判断されよう。

問題は、A が精神疾患により通院していたことである。


イ 産業医面談とそれへの対応

A の2016 年 8 月から 10 月の所定外労働時間の平均は 82.3 時間であった。このため、Y 所属の保健師は、A に対して産業医による面接指導(安衛法第 66 条の 9 及び安衛則第 52 条の 8)の申し出を行うよう強く勧奨している。A はこれに応じて、申し出を行った。

このとき、保健師の勧奨により、A はストレスチェックに関する産業医による面接指導(安衛法第第 66 条の 10 第 3 項)も同時に受けることとなったのである。

A は産業医による面接指導の日に行われた保健師との「個別相談」において次のように述べた。

  • 抑うつにて治療中である(クリニックの通院状況を説明)
  • 2016 年 4 月から多忙であり、最近少しましになったが、これからまた忙しくなる
  • 業務が質量とも過重で自分に合っていない
  • 人から怒られる、土木事務所の作業が期日までにやってもらえない
  • 疲労が蓄積して目が回ったことがある
  • 睡眠時間は 4 時間で睡眠不足感がある

産業医は、長時間労働者に対する面接指導の結果についての奈良県への報告において、以下のように記述した。

  • 疲労蓄積度は非常に高い(4段階中もっとも高い)
  • 自覚症状として強い疲労感とめまいがあり、生活区分は「平常勤務(全く正常生活でよい)」(7段階中もっとも軽い)
  • 医療区分は「要医療(医師による直接の医療が必要)」(4段階中もっとも重い)
  • 長時間に及び過重労働が継続し、今後も改善の見通しがなく、疲労が蓄積し、現在抑うつ治療中である。これ以上長時間の時間外労働が生じないように職場における対策と配慮が必要である

また、同じころ、ストレスチェックに基づく産業医による面接指導の結果についても報告がされ、以下のように記述した。

  • 心理的な負担の状況は「高ストレス状態」である
  • 抑うつ状態のため通院中で現病治療継続が相当である。
  • 就業区分は「通常勤務」である
  • 就業上の措置は「就業場所の変更が必要」
  • 職場環境の改善については「抑うつ通院中であり、職場におけるメンタルヘルスに関する理解を高めることが必要」

砂防・災害対策課課長は産業医からの報告を受けて A と面談したが、A は、体調は大丈夫であると述べ、仕事への不安、不満や抑うつ治療中であることに言及することはなく、日常の仕事振りを見ても、うつ病を疑わせる様子は見られなかった。

そこで、同課長は、直ちに業務量の削減を図る必要はないと判断し、早めの帰宅の呼びかけと見守りを対策の中心に据えることとした

しかし、2016 年 12 月から 2017 年 2 月にかけての A の所定外労働時間は、それぞれ 83 時間、95 時間、90 時間であった

そして、裁判所はこのことを重要視して、被告の責任を認める(※)のである。

※ 砂防・災害対策課課長は公務員であり、国家賠償法1条により民事責任を負わない。


ウ A の自死

そして、A は、2027 年 5 月 21 日 自宅の寝室において、自死した。


エ A の業務は過重であったか

(ア)教職員課給与係配属当時における業務の過重性

裁判所は、A の教職員課給与係配属当時における労働時間は、月 150 時間を超えることがあり、22 日間の連続勤務があることなどから、かなり過酷な勤務状況に置かれていたものと認めている。

業務の内容は、専門的な知識や技能を要するものではないものの、「集中力と忍耐力を要する業務であることに加えて、パソコン上のシステム操作に苦手意識をもっていた A にとっては、心理的負担が大きい業務であったといえる」とした。

その上で、「教職員課における A の業務、とりわけ 2015 年 3 月から 4 月にかけての業務は過重なものであったと認められる」と判断した。


(イ)砂防・災害対策課災害防止係配属後の業務の過重性

裁判所は「A の死亡日前 6 か月間における 1 か月当たりの時間外勤務時間は、平均して 70 時間を超えるものであり、相当長時間の業務が常態化していたものと認められる」とし、A の業務は「私権制限につながるものであり、実体判断はしないものの、表記を間違えればその影響は小さくなく、数値目標もあったことから、(中略)その精神的な緊張は相応のものであったといえ、業務負担は軽いものとはいえない」とした。

その上で、「A の砂防・災害対策課における死亡前 6 か月間における業務も過重なものであったと認められる」としたのである。


(3)業務の過重性とうつ病の発症及び自殺との因果関係

ア 業務の過重性とうつ病の発症との因果関係

業務の過重性とうつ病の発症との因果関係は、その発祥の時期から教職員課給与係当時の業務との関連が問題となる。

裁判所は以下の理由から、教職員課給与係における過重な業務と A のうつ病の発症との間には、因果関係が認められるとした。

  • A は恒常的に長時間勤務に従事していたところ、2015 年 3 月 23 日から同年 4 月 4 日までは、13 日間連続勤務をし、その大半の期間が深夜勤務に及び、当該期間の1か月当たりの勤務時間が 100 時間以上に及ぶものである
  • この半年以上前から、業務の負担による疲労感を度々吐露し、教職員課給与係からの異動を希望し、このころにも課長補佐に給与システム担当に対する不安を述べ、異動希望を伝えていた
  • 連日に及ぶ長時間勤務の直後にうつ症状を訴えてクリニックを受診し、担当医は、うつ病の発症時期を 2015 年 4 月頃と判断している

イ 業務の過重性と自殺との因果関係

業務の過重性と自殺との因果関係は、砂防・災害対策課災害防止係配属後の業務の過重性のみならず、教職員課給与係当時の業務との関連も問題となる。

裁判所は、次の理由から、業務の過重性と自殺との因果関係も認めたのである。

  • ① 2015 年 10 月には、A の祖母が被告人事課を訪問し、A の帰宅時間が深夜に及び、奇行が見られるとして異動を強く要望したり、② その頃、A も係長に対して病院にかかりたいなどと相談したり、また、③ 2015 年 12 月から2016 年 1 月頃にかけての課長補佐との人事評価面談の際に A が業務負荷を理由に降格及び異動を希望したりするなど、業務の負担は依然として大きかったものと認められる
  • 被告は、A の祖母の来訪や A の異動希望等を考慮し、本来の異動期ではなかったものの、人事課に対し、A の異動が可能である旨の意見を出し、A は、2016 年 4 月、砂防・災害対策課災害防止係に異動したものの、不眠、憂うつ、疲労感を訴えて、すぐにクリニックへの通院を再開し、恒常的な時間外勤務を伴う長時間労働から解放されることがないまま、通院を継続し、2016 年 11 月から死亡に至るまでの約 6 か月間の時間外勤務時間は月平均 70 時間程度に及んでいた

(4)被告の責任(国家賠償法1条1項及び民法 415 条)

ア 被告の責任が認められるための要件

ここまでで、A の業務量が過大であったことと、業務と A の自死の間に因果関係があることまで、裁判所は認定したわけである。

次に問題となるのは、被告に A の自死について責任があるかどうかである。被告が原告に対して民事賠償を行う義務があるといえるためには、被告に法的な責任がなければならない。

その責任の法的な根拠となり得るのが、の国家賠償法1条1項に基づく責任(心身の健康に関する安全配慮義務違反)及び民法 415 条に基づく責任(安全配慮義務違反)である。

この義務に違反していたとされるためには、次のいずれかを原告の側が主張、立証しなければならない。

  • 被災者の業務量が、通常の労働者であっても被災し得るほど過大なものであった
  • 被災者の業務量は通常の労働者が自死し得るほど過大ではなかったが、被災者の特殊な事情の下では自死し得るほど過大であり、かつ被告は被災者の特殊な事業を知っていたか知り得た

イ A がうつ病に罹患したことの責任

A がうつ病に罹患したことの責任について、裁判所は、まず、2014 年 10 月から2015 年 2 月は、過重な長時間業務がうつ病の発症を予見できる程度に常態化していたとまではいえないとした。

次に、被告は、2015年3月から同年4月にかけて、A の業務量が過酷なほどに増加したことは認識していたものと認められるが、A は精神科医院に通院を要するほどの心身の不調を明確に上司らに訴えたとは認められず、A の業務の進捗状況にも問題がなかったこと等からすると、この頃に、上司らが A の勤務態度等から精神疾患の発症を疑ってしかるべき状況にあったとは認められないとした。

すなわち、A がうつ病に罹患したことについては、被告の責任を認めなかったのである。


イ A が自死したことの責任

次に A が自死したことの責任であるが、A はうつ病を発症していたという「特殊事情」があるのである。

仮に、被告がその「特殊事情」を知らず、かつ知らないことに責任がないのであれば、被告は、A に対して、通常の労働者であれば自死し得ないようなレベルの労務管理を行っていれば、責任は果たしたことになる。

しかし、被告が A の「特殊事情」を知っていたか、知り得たのであれば、さらに、うつ病に罹患した A が自死する原因となるような労働時間の管理を行う必要がある。

これについて、やや長くなるが、判例の該当部分を引用しよう。なお、引用文中で被災者の氏名は A とし、和暦は西暦に置き換え、証拠の表記は省略した。下線強調は引用者によるものである。

イ(ア)もっとも、被告は、 A がうつ病を発症する前の 2014 年 7 月頃以降、職員組合からの情報、上司との面談の際の A の発言、前記(2)イ①ないし③の事実等から、A が教職員課における業務を負担に感じ、心身の健康が危ぶまれる状態にあることを窺わせる情報を得ていたにもかかわらず、砂防・災害対策課において A を恒常的な時間外勤務に従事させる中で、A の当時の上司は、2016 年 12 月 13 日付の産業医面談指導等結果報告書を受領し、A が長時間に及ぶ過重労働の継続により疲労が蓄積し、抑うつ状態で治療中であるため、今後の措置として、これ以上長時間の時間外勤務が生じないように職場における対策と配慮が必要であるとの意見の提示を受けたことが認められる。

    そうすると、被告は、遅くともこの時点において、教職員課からの異動によっては、A の業務負担に起因して生じた心身の健康が危ぶまれる状態が解消されておらず、むしろ長時間の過重労働による疲労の蓄積の結果、精神疾患を発症して治療中であり、医学的見地から長時間の時間外勤務を避けなければならないことを認識したといえる。そうであるのに、被告(A の所属長である砂防・災害対策課課長)は、早期の帰宅の呼びかけ等で業務量の軽減を A の自由意思に委ねるのみならず、A を長時間の時間外勤務に従事させないための具体的な措置(担当事務の変更や分担事務量の軽減等)を講じるべき義務(安全配慮義務)が生じたといえる。それにもかかわらず、被告(砂防・災害対策課課長)は、A の時間外勤務を軽減するための実効的な措置を講じておらず、その結果、A は、産業医の面接指導後約6か月にわたり長時間の時間外勤務に従事し、自殺するに至ったのであるから、被告(砂防・災害対策課課長)は当該注意義務に違反したと認めるのが相当である。

 (イ)被告は、産業医の前記報告書を受け取った当時における A の勤務状況は良好で、その成果物にも問題がなく、面談の際に A が体調面に問題がないと答えたこと等から、A が死亡することについて予見可能性がなかった旨主張する。しかしながら、上記報告書を A の上司が受け取った時点においては、A が長時間労働を伴う業務負担に起因したうつ状態にあることは認識することができたところ、うつ状態にある者がその原因となった長時間労働に引き続き従事させられれば、自殺を図ることがありうることは予見可能であったといえるから、上記事情をもって被告の予見可能性を否定することはできない。

    また、被告は、産業医の面談指導等結果報告書を受け取った後、A との面談を実施し、改めて A の業務状況を注視する、早期の帰宅を呼びかけるといった業務軽減措置を講じた旨主張するが、これらの措置は、A の性格等を考慮すると、その業務軽減を図る上で十分なものとはいえない(現に、被告が産業医及び総務厚生センター所長に提出した時間外勤務報告書からは、A の 2016 年 12 月から 2017 年 2 月にかけての「時間外勤務実績」はそれぞれ 83 時間、95 時間、90 時間であると記載され、A の時間外勤務の状況は改善できていないことが認められる。)。

    被告は、同報告書等においても「平常勤務(全く正常生活でよいもの)」との判定がされている以上、その後も A を時間外勤務に従事させたとしても被告に A の死亡についての予見可能性はなく、結果回避義務違反もなかった旨主張する。しかしながら、産業医は、長時間労働を契機とする面談指導等の結果報告書において、現状以上の時間外勤務が生じないように配慮すること旨指摘したことに加えて、ストレスチェックに基づく医師面接の結果報告において、「就業場所の変更が必要である。」旨指摘していることからも、上記報告書における「平常勤務」の記載が、月平均 70 時間程度に及ぶ業務を許容する趣旨の記載であるとは解されないのであり、上記の記載をもって被告の予見可能性や結果回避義務違反を否定することはできない。

 (ウ)したがって、被告において、2016 年 12 月 13 日以降、A の心身の健康が危ぶまれる状態にあることを認識し、A の死亡結果についても予見可能であったといえるから、精神疾患の増悪を防止する措置を十分にとらず、同人を自殺に至らせたことについて、国家賠償法1条1項に基づく責任(心身の健康に関する安全配慮義務違反)及び民法 415 条に基づく責任(安全配慮義務違反)があるというべきである。

※ なお、(ア)の「前記(2)イ①ないし③の事実」とは、「帰宅が深夜に及ぶことになる長時間の時間外勤務が続き、① 2015 年 10 月には、A の祖母が被告人事課を訪問し、A の帰宅時間が深夜に及び、奇行が見られるとして異動を強く要望したり、②その頃、A もG係長に対して病院にかかりたいなどと相談したり、また、③同年 12 月から 2016 年 1 月頃にかけてのF課長補佐との人事評価面談の際に A が業務負荷を理由に降格及び異動を希望したりするなど、業務の負担は依然として大きかったものと認められる」とされている箇所である。

※ 奈良地裁判決・令和4年5月31日

すなわち、被告の責任を認めるに当たり、産業医面談の結果報告書が極めて重要な意味を持っているのである。そして、本件ではストレスチェックの結果に基づく医師の面接指導の結果が、「就業場所の変更が必要である」としたのに、様子を見たことも問題とされている。


(5)過失相殺

なお、原告と被告の主張は省略したが、過失相殺について裁判所は次のように判断した。

被告は、A の既往歴から、A の性格や精神的傾向には脆弱性があることがわかり、これは労働者の個性の多様さとして想定される範囲を逸脱しているため、過失相殺又は素因減額がなされるべきである旨主張する。

しかし、A のまじめで几帳面な性格が、労働者の個性の多様さを逸脱するものでないことは上記のとおりであるし、A の仕事の取り組み方によって、自ら不要な業務を増やしていたとも評価できないのであるから、本件において、賠償額を決定するに際し、被告が主張する事情によって、過失相殺や素因減額を行うことは相当ではない。

※ 奈良地裁判決・令和4年5月31日

過失相殺は、民法第418条(この場合は類推適用)に規定されている。精神障害に罹患しやすい本人の素因を、過失と同様なものと考えて、そのような素因があれば、損害賠償額を減額するという考え方である。

被告は「A の性格や精神的傾向の脆弱性」が「労働者の個性の多様さとして想定される範囲を逸脱している」として過失相殺を求めたが、裁判所は「労働者の個性の多様さを逸脱するものでない」として、過失相殺(ないし素因減額)を認めなかった。つまり、裁判所としては、A の素因は「普通」の範囲内のことであり、その程度のことは想定に入れて労務管理を行う必要があると言ったわけである。


3 どうするべきだったのか

(1)必要な情報の共有化

ア 必要な情報が正しく理解されなかった

では、A の自死を起こさないために、被告はどうするべきだったのだろうか。

判決文から判断する限りでは、A は、祖母、労組、主治医、教職員課の係長、教職員課の課長補佐、産業医及び保健師に対しては、業務量を負担に感じていることや、辛さを伝えているのである。

一方、砂防・災害対策課課長に対しては弱みを見せていない。ところが、A が自死した時点では、その砂防・災害対策課課長が実質的に人事への影響を与える権限を有していたように読めるのである。

なぜ、A が砂防・災害対策課課長に対しては弱みを見せなかったのか、その理由は分からない。日常的に接していないような上級の職員だったからか、あるいは配属から間がなかったためか、なんらかの理由で本音が告げられなかったのかもしれない。

あるいは、意識していたかどうかはともかく、砂防・災害対策課課長が個人的な価値観によって、他人の弱みを受け付けないような性格だったのかもしれない。砂防・災害対策課課長は医療職ではないのだから、医師や保健師ほどには、相手の本音を引き出す技術にもたけていなかっただろう。

また、原告の主張によれば、教職員課は A について把握していた健康情報を砂防・災害対策課に対して引き継いでいないようである(※)

※ 判例を読む限りでは、被告は、このことを争っていないようである。情報を引き継いだかどうかは被告の内部事情にすぎず、安全配慮義務を果たしたかどうかにかかわるわけではないので、争うまでもないと思ったのであろう。

いずれにせよ、結果的に、砂防・災害対策課課長は「直接、本人に確認した上で」(※)自分の耳で聞いた A の言葉を信じ、自分の眼で見た A の仕事ぶりから、差し迫った問題はないと判断して、早めの帰宅の呼びかけと見守りを対策の中心に据えることとしたのである。

※ 心の健康問題について、正面から本人に確認したのでは、必要な情報が得られないことは言うまでもない。

ところが、しかし、結果的に長時間労働は改善されず A の自死という最悪の結果を招くのである。

とは言え、砂防・災害対策課課長には、面接指導を行った産業医及びストレスチェックを行った医師から、A の精神疾患や精神状態について情報は伝わっていたのである。しかし、それは信用されず、適切に考慮されることはなかったのだ。


イ どうするべきだったのか

少なくない企業の労務管理の責任者にとって、医師の書いた診断書や意見書などの書類は、本音では信じられていない面があることは否定できない(※)

※ 例えば、PRESIDENT Online2014年3月3日「都市部で乱発傾向! うつ病の怪しい診断書」にもあるように、こころの健康問題に関する診断書は、本人の希望通りのことが書かれているだけではないかという疑いを持つ労務管理者がいるのである。このようなことは望ましいことではないが、そのような現実があることは理解しておかなければならない。

本件でも、面談を行った産業医の報告書には「これ以上長時間の時間外労働が生じないように職場における対策と配慮が必要」とされ、ストレスチェックを行った医師の結果報告書には一歩進んで「就業場所の変更が必要」とされていたにもかかわらず、顧慮されなかったのである。

顧慮されなかった理由の一つには、それぞれ「生活区分は、平常勤務(全く正常生活でよい)」「就業区分は通常勤務」とされていたことがある。

しかしそれは、被告において「平常」又は「通常」である長時間労働を放置してよいということではない。法令が想定する「通常」、すなわち所定労働時間を短縮する必要まではない等とする意味にすぎないのである。砂防・災害対策課課長は、ここを完全に読み誤ったとされたのである。

ここは、課長が単独で判断するのではなく、産業医などの専門家と人事労務管理部門の責任者を含めて、組織としての対応を検討するべきであった。情報の扱い方が誤っていたのである。


(2)メンタルヘルスに対する職場内教育の実施

ア 異動先は限られてくる

そもそも、教職員課給与係から砂防・災害対策課災害防止係への異動が決まったとき、A は「異動先が意に沿わなかったため、落胆した様子を見せていた」とされる。

残念ながら、メンタル上の問題を抱えた職員が配属されることはどの部署も避けたいと考えるのが実情である。昔であれば、その是非はともかく、いきなり長期の休業をされても困らないような「閑職」に就けるようにしたものなのである。

しかし、最近は、メンタルの問題を抱える対象者が増えたこともあるが、ほとんどの地方自治体では、定員削減の必要から、そもそも「閑職」などというポストがなくなっている。

本件の場合も、異動先については、仕事の内容は単純作業で困難性がなく、人との接触が少なく、コンピュータを扱う必要のない部署ということでの、配慮をしたものであろう。

ただ、本人が望んでいた「事務系の仕事よりも体を使った現業的な仕事」になることはなかった(※)。あるいは、本人(A)のキャリアを考えての温情だったのかもしれない。

※ これは想像でしかないが、「体を使った現業的な仕事」であれば、残業がないことを期待したのかもしれない。

いずれにせよ、不慣れな仕事であり、また A の性格もあって、長時間労働は解消されなかったのである。


イ どうするべきだったのか

判決文を読む限りでは、A の仕事ぶりについて、「簡単な仕事にもかかわらず効率が悪くて遅くまで残業をしている」という印象を、砂防・災害対策課の職員や課長に与えていたのではないかと推測される。

このような場合、一般論としてはこころの健康問題を抱えた労働者が、すぐに周囲と良好な人間関係を築けるタイプでないと、どうしても孤立しがちになる。現実には、心の健康問題を抱えていると、初めて接する職員と良好な人間関係を築けないことがしばしばあるのだ。

そして、職場で孤立した状況で、周囲の職員がこころの健康問題を抱えた労働者のために自分に負担が増えていると感じられるようだと、その感情はこころの健康問題を抱えた労働者にも伝わって、ますますこころの健康問題を抱えた労働者を精神的に追い込むことになりやすい。

本件の A がそのような状況にあったかどうかは分からないが、周囲の労働者に対する負担感の軽減(※)と、心の健康問題に関する教育の実施が必要となる。

※ 心の健康問題を抱えた労働者の効率が低いために、他の労働者の負担が増えるようだと、その労働者のこころの健康問題が生じることがある。


4 最後に

健康管理

※ イメージ図(©photoAC)

本件を判決文から見る限り、被告には悪質と評価されるような問題があるとは感じられない。むしろ、異動の時期でもないにもかかわらず本人の希望を容れて移動させたり、補助要員の増加によって業務の負担軽減を図ったりするなど、かなりの配慮を行っている。

さらに、県庁ということもあるのだろうが、長時間労働者への医師(この場合は産業医)による面接指導を、法定の基準に達していない状況で行ったり、ストレスチェックの結果に基づく面接指導の受診勧奨を行ったりするなど、心の健康問題にも積極的に取り組む姿勢が感じられる。

しかし、それにもかかわらず、本件では、ほぼ全面的な敗訴をしているのである。やはり、最大の問題は、せっかく産業医や医師による面接指導を行っておきながら、その結果を素人の管理職個人(砂防・災害対策課課長)に任せてしまったことである。

これでは、なんのための専門家(産業医及び医師)による面接指導を行ったのか分からない。というより、その結果を適切に活用しないのなら、面接指導はたんなる「恰好付け」にすぎないのである。

本件も、長時間労働者に対する医師による面接指導や、ストレスチェック及びその結果に基づく面接指導の閣下について、きちんと対応するべきものという意識づけが管理職になされていなかったことが問題なのである。

これは、産業医や保健師の問題ではない。産業医や保健師がいくら頑張っても、現場の管理職が、それを「恰好付け」と理解していたのでは、健康管理は進まないのである。そして、それを「恰好付け」と現場が感じてしまうのは、県の幹部級職員、言葉を換えれば高級管理職に問題があるのだ。

やはり、県の幹部級職員が、面接指導やストレスチェックとその結果に基づくその重要性をきちんと理解して、それを組織に対して徹底しなければならないことを、この判例は教えていると言うべきである。


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