※ イメージ図(©photoAC)
厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」は、「安全でスムーズな職場復帰を支援するためには、最終的な職場復帰決定の手続きの前に、必要な情報の収集と評価を行った上で職場復帰の可否を適切に判断し、さらに職場復帰支援プランを準備しておくことが必要である
」としています。
心の健康問題で休業した労働者の職場復帰のみならず、職場のメンタルヘルス対策の推進には、個々の労働者の健康情報を所得する必要があります。しかし、収集する健康情報は、個人情報保護法第 17 条第1項の趣旨等からも「職場復帰への支援及び安全配慮義務の履行に必要な範囲」でなければなりません。
労働者の同意が得られたとしても、職場で集めるべきではない健康情報はありますし、また、集めることによってデメリットがある情報もあります。個々の労働者の健康情報をどこまで集めるべきかについて解説します。
- 1 健康情報を収集する重要性と個人情報の保護の必要性
- (1)取得しない方がよい情報
- (2)取得すべき健康情報もある。
- 2 取得しなければならない健康情報とは
- (1)判例が健康情報を取得すべきとした例
- (2)判例が健康情報の収集は許されないとした例
- 3 最後に(結論)
1 健康情報を収集する重要性と個人情報の保護の必要性
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(1)取得しない方がよい情報
※ イメージ図(©photoAC)
心の健康問題で休業した労働者の職場復帰の可否の判断や、復帰後の本人への支援を適切に行うためには、その本人の健康情報を入手する必要がある。しかしその範囲は、個人情報保護法第 17 条第1項の趣旨からも「職場復帰への支援及び安全配慮義務の履行に必要な範囲」でなければならない。
仮に情報を取得することが可能だとしても、あった方がよいとか、使うかもしれないという程度の理由で無限定に個人情報を所得してはならない。必要もない個人情報を取得すれば、漏洩したり不適切な使用を行ったりなどというリスクが生じるだけである。また、労働者にとって都合の悪い情報は、あえて取得しない方がよい場合もある(※)のだ。
※ やや本題から外れるが、古代から近代にかけて中国の帝国が交代する動乱の時期に、中国の中原を二分割するような戦争で、敗者の側の居城等から大量の文書が見つかることがある。そんなとき、勝者の側のトップは、打ち負かした相手の居城から出てきた書類は目を通さずに焼き捨てたといわれる。
天下分け目の闘いともなると、多くの諸侯や武将たちは、祖先の位牌を祀る者(血統)を絶やさないために、同族を2つに分けて両陣営のそれぞれに荷担させたのである。そのため、敵の居城から出てきた文書には、味方の諸侯や武将が敵と通じていた証拠があるはずなのだ。
そんなものをトップが読んでしまうと、味方の諸侯や武将は、裏切り者として誅殺されることを恐れて反乱を起こすおそれがある。しかも、すでに勝利してしまったのだから、いまさらそのような文書を読む必要もない。そこで、トップは、自分が読んでいないことが諸侯や武将に分かるように、彼らの目の前で焼き捨てたのである。
では、集めるべき情報の範囲とは具体的にはどのようなものだろうか。これは、専門家の考え方や判例にも幅があり、大変難しい判断を要する。
(2)取得すべき健康情報もある。
ア 手引きが示す取得すべき健康情報
主治医から「○○の業務を除き、職場復帰可能」または「職場復帰可能だが、○カ月は○○○の配慮を行うことが望ましい」との情報を得れば、職場復帰への支援は可能であるとも考えられる。しかし、手引きには次のように明記されている。
主治医による診断書の内容は、病状の回復程度によって職場復帰の可能性を判断していることが多く、それはただちにその職場で求められる業務遂行能力まで回復しているか否かの判断とは限らないことにも留意すべきである。また、労働者や家族の希望が含まれている場合もある
※ 厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」※ この手引きを作成した際の委員会報告書を見て頂ければわかるが、手引きを大きく改訂した際の委員会には(社)日本精神神経科診療所協会 会長も参加している。
単純に、主治医の診断書を信じてよいとはされていない(※)のである。
手引きには、本人、主治医、家族からどのような情報を収集するべきかについて詳細な記述があるので、原則としてこれに従うようにすべきである。そして、健康情報の収集は安全配慮義務の履行や、職場適応への対応のために重要なものではあるが、一定の制約(個人情報保護の問題や正確性の担保の問題)があることに留意しなければならない。また、産業医面談等での本人状況の確認も重要である。
また、職場復帰が成功するか否かは、実際に仕事をしてみなければ分からない面があることも事実である。そのため試し出勤の実施は効果的であろう。また、医療機関等が行うリワークプログラムが利用できる場合は、その医療機関と連携を図ることも考えられる。
イ 具体的な健康情報取得のツール
家庭における状況等の調査については、秋山他(※)が「職場復帰準備性評価シート(解説)」の開発を行っており、これを参考にすることも考えられる。
※1 秋山剛「職場復帰準備性評価シートの開発」(2009年)
また、厚生労働省「事業場における治療と職業生活の両立支援のためのガイドライン」を公表しているが、これを受けて神奈川産業保健総合支援センターが、「『職場復帰支援プログラム』構築のためのガイドライン」を策定した。この中にある「Ⅳ.諸フォーム 参考例」が、本人に対する調査項目として参考となる。また、その別添に示された、岡崎(※)による「うつ病患者復職準備度質問紙」も参考になろう。
※ 岡崎祐士「病休・休職中のうつ病患者の復職可能性判定を客観化するための評価尺度と質問紙の開発」(2007年)
なお、心の健康問題から職場復帰する労働者に、企業の側が心理テストを行うことには慎重になるべきである(※)。
※ 職場復帰に関する柏木他の精神科医・心療内科医に対する調査(柏木雄二郎「メンタルヘルス不全者の職場復帰支援に関する調査研究(第1報)」(2005年))では、主治医判断の補助として利用している心理検査として、(複数回答)自己評定式抑うつ尺度のSDSが30.6%と最も多く、他者評定式抑うつ尺度のHAM-Dが12.3%、作業能力検査の内田クレペリン精神作業能力検査が10.5%と比較的よく利用されていたとされている。
2 取得しなければならない健康情報とは
(1)判例が健康情報を取得すべきとした例
ア 健康情報を取得すべきとした判例
一方、状況によっては、法的にも事業者に健康情報の収集が求められる場合があることに留意するべきである。一例として、企業の側が労働者の心の健康に異状があるとの疑いを持ち得るような状況でのケースではあるが、次のように判示された判例も存在している。
A(自殺した労働者:引用者注)の心身の状況について医学的見地に立った正確な知識や情報を収集し、Aの休養の要否について慎重な対応をすることが要請されていた
※ 東京高判平成14年7月23日
Aの心身の故障を疑い、同僚や家族に対してAの勤務時間内や家庭内における言動、状況について聴取すべき義務があった
※ 広島地判平成12年3月30日
個人情報保護の問題を起こしたくなければ健康情報を集めなければよい。しかし、それですむケースばかりではないのだ。それでは安全配慮義務の遂行ができなくなるのである。
イ 学説による批判
これに対し、水島は次のように述べて、「事業者に健康情報収集の義務がある」とする考えを否定する。
私は、個別の労働者に対して使用者がなすべき配慮(※)は、労働者の申し出によることでよいと考えている。したがって、使用者側が積極的に労働者の健康情報の収集を図る必要はない(むしろ、情報収集してはならない)と考える
※ 水島郁子「メンタルヘルスで求められる使用者の健康配慮義務とは?」(ビジネス・レーバー・トレンド研究会 2005年)※ 労働者一般への配慮ではない。水島はこれを安全配慮義務と区別して健康配慮義務とする:引用者注
しかし、この考え方に立っても、「配慮」を求める労働者の申し出を拒否する場合は、健康情報を収集しておかないと、災害が発生したときに安全配慮義務(水島のいう健康配慮義務)違反を否定できない場合があるのではないかと思える。一方、それを避けるために労働者の申し出をすべて受け入れるとすることにはやや抵抗を感じる(※)。
※ それでは、申し出た本人に疾病利得を生じさせることとなり、本人のためにならないケースもあるし、周囲の労働者のモラールに悪い影響を与えることになりかねない。
また、労働者からの申し出がなければ配慮する必要がないとする考え方は、通常の場合であれば適切であるにせよ、健康障害の発症を予測できるような場合(※1)に限れば、東京高判平成11年7月28日(最決平成12年10月13日)によって否定されている(※2)と考えられる(なお東京地判16年7月29日、札幌地判平成17年3月9日参照)。
※1 心の健康問題からの職場復帰の場合もそれにあたるのではないだろうか。
※2 前田陽司他「トラブルを起こさないためのメンタルヘルス対策の実務と法律知識」(日本実業出版社 2008年)
(2)判例が健康情報の収集は許されないとした例
ア 健康情報の収集は許されないとした判例
名古屋地判平成18年1月18日は精神的疾患に関する受診の義務づけは許されないし、現行労安法体系に照らすと、事業者が医師等の意見を聴取すべき義務は、精神的疾患に関する事項についてまで生じるものではない(※)とする。
※ ただし平成17年の安衛法改正において、平成18年2月24日基発第0224003号が、長時間労働者に対する(労働者の申出によって行われるもので、かつ労働者の側に医師選択の自由はあるが)面接指導に当たって「うつ病等のストレスが関係する精神疾患等の発症を予防するためにメンタルヘルス面にも配慮すること
(下線強調引用者)」としていることに留意していただきたい。
イ 学説による批判
しかし、三柴(※1)が指摘するように、通常の場合であればともかくうつ病からの職場復帰については労働安全衛生法の体系にとらわれすぎている感は否めない。サンユー会のハンドブック(※2)の同判例に対する産業医コメントや阿部(※3)、岡田(※4)も同判例に批判的である。また、大阪地決平成15・4・16がうつ病後の復職の可否判断のための検診命令も有効としているように、判例理論も必ずしも確立しているとはいいがたい面もある。
※1 三柴丈典「うつ病り患者の復職と使用者の安全配慮義務-富士電機E&C事件-」(民商法雑誌(有斐閣)136巻1号 2007年)
※2 サンユー会サンユー会研修実務委員会法令研究グループ「判例から学ぶ従業員の健康管理と訴訟対策ハンドブック」(法研 2009年)
※3 阿部和光「職場復帰後に自殺した課長の業務過重性と会社の安全配慮義務」(法律時報2007年5月)
※4 岡田邦夫「個人情報保護法への配慮(中央労働災害防止協会メンタルヘルス教育研修担当者養成研修テキスト検討委員会「メンタルヘルス教育研修担当者養成研修テキスト」所収」(2010年)
なお、厚生労働省「自殺・うつ病等対策プロジェクトチームの検討結果」(2010年)は、「労働安全衛生法に基づく定期健康診断において、労働者が不利益を被らないよう配慮しつつ、効果的にメンタルヘルス不調者を把握する方法について検討する
」とした。
このことは多くの波紋を生み出し、最終的に「職場におけるメンタルヘルス対策検討会報告書」(2010年)において、現在のストレスチェック制度の萌芽となる提案が行われた(※)。
※ この後も、ストレスチェック制度は、最終的な法令の改正まで迷走を続けることなるが、本稿ではそれには触れない。
3 最後に(結論)
※ イメージ図(©photoAC)
以上のことから、「本人の同意がなくても、労働者の健康情報を集める必要があるのでは」とか「正しい情報が得られれば、情報がないときよりも正しい対応ができるはず。人事労務管理スタッフが、疾患名や詳細な症状を含め、生のデータを知る方が良いのでは」といった疑問がでるかもしれない。しかし、個人情報保護の必要性や国の基準(※5)も尊重すべきである。
※ 個人情報の保護に関する法令としては「個人情報の保護に関する法律」(個人情報保護法)がある。また、同法第8条の規定に基づいて「雇用管理に関する個人情報の適正な取扱いを確保するために事業者が講ずべき措置に関する指針」(平成16年7月厚生労働省告示第259号)、「労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針(平成30年9月7日 労働者の心身の状態に関する情報の適切な取扱い指針公示第1号)」が定められている。
法令以外では、上記指針に定める雇用管理に関する個人情報のうち健康診断の結果、病歴、その他の健康に関する情報の取扱いについて事業者が留意すべき事項が「雇用管理分野における個人情報のうち健康情報を取り扱うに当たっての留意事項について」(厚生労働省労働基準局長通達 平成29年5月29日基発0529第3号)として定められている。これは、「個人情報の保護に関する基本方針」(平成16年4月2日閣議決定)や、国会の附帯決議で「医療分野における個人情報が特に適正な取扱いの厳格な実施を確保する必要がある」と指摘されていることを踏まえたもので、その内容は、「労働者の健康情報の保護に関する検討会報告書」(座長:保原喜志夫 平成16年9月)を踏まえている。また、関係するガイドライン等として、「事業場における労働者の健康情報等の取扱規程を策定するための手引き」、平成17年11月の厚生労働省職業安定局長通達「プライバシーに配慮した障害者の把握・確認ガイドライン」も挙げられる。
要は、法令・指針の遵守を前提に、プライバシーの保護と安全配慮義務・人事労務管理上の必要性のバランスをとることである。また、法令は公共の福祉の立場から事業者が守るべき(最低限の)事項を定めているのであって、企業の生産性の向上やモラールアップを図ることを目的として、人事労務管理や職場のメンタルヘルス対策を効果的に進めるための具体的な手法を教えてくれるわけではないことにも留意すべきである。
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