※ イメージ図(©photoAC)
厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」には自動車通勤をする場合や車の運転等の危険な業務が求められる場合は、薬の副作用の影響について調査すべきこととされています。
一方、(公財)日本精神神経学会の「患者の自動車運転に関する精神科医のためのガイドライン」(2015年)は、必ずしも抗うつ薬の服薬時の運転を一律に禁止するべきとはしていません。
道路交通法第 66 条も、抗うつ薬の服薬時の運転を一律に禁止してはいないと解釈されます。
主治医に相談しても、はっきりした回答が得られないことがあり、事業者にとっては悩ましい問題です。そのような場合にどうすればよいかを解説します。
1 抗うつ薬の服用と運転の業務等
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(1)心の健康問題で休業していた労働者の運転の可否
ア 運転の可否の決定の困難性と重要性
※ イメージ図(©photoAC)
心の健康問題で休業していた労働者を職場復帰させる場合、業務としての運転を認めることの可否や、マイカー通勤を認めるべきかの可否が問題となることがある。
厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」(職場復帰支援の手引き)には、自動車通勤をする場合や車の運転等の危険な業務が求められる場合は、薬の副作用の影響について調査すべきこととされている。
しかしながら、主治医や薬剤師と連絡がとれない場合もあり、連絡が取れても明確な答えがない場合もある。このような場合、安易に運転をさせると、実務上、重要な問題を引き起こすことがある。
イ 運転の一律禁止には必ずしも合理性はない
抗うつ薬のうちSSRIやSNRIと呼ばれるものについては、自動車の運転への影響はほとんどないとするものもあり(※)、また、少なくない精神科医が、治療の現場における経験等によって、運転をすることによるメリット(社会生活が可能になる)がデメリット(事故の可能性・リスク)を上回ることもあるという実感を持っているようである。
※ 例えば、尾崎紀夫「車の運転に影響が生じる抗うつ薬の危険」(月間自動車管理2005,FEB 2005年)、Puech A, Montgomery SA, Prost JF, Solles A, Briley M.「Milnacipran, a new serotonin and noradrenaline reuptake inhibitor: an overview of its antidepressant activity and clinical tolerability. Int Clin Psychopharmacol」(1997年)、Feighner JP.「The role of venlafaxine in rational antidepressant therapy. J Clin Psychiatry」(1994年)など
なお、薬物によって正常な運転ができないおそれがある状態での運転は、道路交通法第 66 条によって禁止されている(3年以下の懲役又は 50 万円以下の罰金(同法第 117 条の2の2第1項第七号))。しかし、薬物についてはアルコールに関する同法第 65 条のような規定はない。従って、正常な運転ができないおそれがなければ、運転が禁止されているわけではない。
例えば、柳田は次のように述べて、必ずしも抗うつ薬の服役者に対して、一律に運転の禁止をする必要はないとする。また、運転を禁止すると受療行動の抑制又は中止につながるとの指摘もある。
前記のような事例(抗不安薬を1錠就眠前に服用:引用者)に車の運転を禁止すべきかどうか、議論のあるところである。多くの精神障害は慢性であり服薬も長期にわたることが多い。また頭痛、腰痛、肩こりなど精神疾患以外の疾患にも抗不安薬や抗うつ薬は頻繁に処方されている。産業現場で働く産業医が、従業員の向精神薬服用を知った場合、車の運転や危険作業への従事を禁止するか大目にみるのかは多くの場合産業医の判断に任されている。難しい問題である
※ 柳田公佑「精神医学的な基礎知識(川上憲人他監修「職場におけるメンタルヘルスのスペシャリストBOOK」所収)」培風館 2007年
しかし、道交法第75条の規定からも、また、その(判断の)結果起こりうることの重大性からも、その判断は、産業医の意見を参考にするにせよ、企業として責任を持って行うべきであろう。産業医に判断を任せるべきではない。
【道路交通法】
(過労運転等の禁止)
第66条 何人も(中略)、薬物の影響その他の理由により、正常な運転ができないおそれがある状態で車両等を運転してはならない。
(自動車の使用者の義務等)
第75条 自動車(中略)の使用者(安全運転管理者等その他自動車の運行を直接管理する地位にある者を含む。(中略))は、その者の業務に関し、自動車の運転者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることを命じ、又は自動車の運転者がこれらの行為をすることを容認してはならない。
一~三 (略)
四 第六十六条の規定に違反して自動車を運転すること。
五~七 (略)
ウ 抗うつ薬服用者に運転をさせることの危険性
※ イメージ図(©photoAC)
しかし、一部を除けば、向精神薬のほとんどが抗ヒスタミン薬などに比較してもかなり強い眠気を副作用として持っている。また、精神科の治療で用いられる医薬品の多くの添付文書には、(SNRIおよびほとんどのSSRIを含めて)「自動車の運転等危険を伴う機械の操作に従事させないよう注意すること」等の表現が、「重要な基本的注意」として明記されている。
なお、医薬品の添付文書は「医療用医薬品 添付文書等情報検索」で検索できる。なお、添付文書には様々な副作用が記されているが、過剰な不安感を持つべきではないし、薬品の服用について本人を不安にさせるような発言は避けなければならない。
また、(SSRI中で最も処方量の多いといわれる)パキシルの場合は、添付文書の「重要な基本的注意」に(運転等を一律に禁止するのではなく、)「眠気、めまい等があらわれることがあるので、自動車の運転等危険を伴う機械を操作する際には十分注意させること。これらの症状は治療開始早期に多くみられている
」とされている。
(2)抗うつ薬を服用している労働者が事故を起こしたときの事業者の責任
このため向精神薬を服用している労働者が仕事で運転をしていて事故を起こした場合、企業が、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第3条の運行供用者責任や民法上の不法行為責任(民法709条または715条)を問われる可能性は否定できない(※)。また通勤途上で交通事故を起こした場合も、企業が責任を問われる可能性を否定はできない。
※ 過労運転について企業に責任が問われた例として仙台地判平成20年10月19日がある。
事業者に不法行為責任が問われるのは、(主に、)事業の執行について労働者の故意・過失によって第三者に(使用者責任:民法715条)、または事業者自身の故意・過失によって他人に(民法709条)、(違法に)損害をあたえたときである。マイカー通勤で労働者が事故を起こしたとしても、通勤は事業の執行ではないので事業者に使用者責任が問われることはないように思われるかもしれない。しかし、最近の判例で、会社がマイカー通勤を容認していたことを理由に「通勤を本来の業務と区別する実質的な意義は乏しく、むしろ原則として業務の一部を構成するものと捉えるべきが相当」として会社に使用者責任を認めたもの(福岡地飯塚支判平成10年8月5日)がある。
また、労働者が(運転を禁止すべき)抗うつ薬等を服用しており事業者がそのことを知っていた(または知り得る立場にあった)にもかかわらず、自動車通勤を許可(または黙認)していたとすると、事業者自身の不法行為責任(民法709条)を問われる可能性も完全には否定できないのではないだろうか。
なお、通勤災害保障給付に関しても、道交法に違反していたと考えられるような状況では、給付が制限されることもあり得る。
※ 昭和40年7月31日基発906号では、法令上の危害防止に関する規定で罰則の附されているものに違反する行為によって災害が発生した場合に、労働者災害補償保険法第12条の2の2第2項にいう重大な過失があると認定するとされている。
なお、マイカー通勤途上の(他人への)人身事故について、通勤を会社が実質的に管理(運行支配)して利益を得ている(運行利益)場合や、その自家用車を業務(社用)にも用いている場合は、自賠法3条により(自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと等を証明できない限り)、会社の民事責任が問われることがある。マイカー通勤に関して、運行支配・運行利益を肯定して会社の責任を認めた例としては最3小判平成元年6月6日、最1小判昭和52年12月22日などがあり、自家用車を社用に用いている場合に会社の責任を認めた例としては大阪地判昭和42年6月30日などがある。
2 最後に(結論)
※ イメージ図(©photoAC)
冒頭でも触れたように、職場復帰支援の手引きには、心の健康問題で休業していた労働者に運転の業務をさせたり自動車通勤を認めるような場合は、事故の防止のために、服薬の副作用についても調査すべきだとされている。なお、処方の内容を具体的に調査することはプライバシーの問題(処方から疾患名が、正しくまたは誤って推測される)につながるおそれがあるので避けなければならない(※)。
※ あくまでも問い合わせるべきは、運転への影響であって、処方の内容(薬品名)ではない。薬品名を問い合わせることは、合理的な理由がない限り行うべきではない。
受療行為中の労働者に運転業務をさせるのであれば、必ず産業医を通すなどにより主治医から服薬による影響について明確に聴き取るか、労働者本人に車の運転について支障がない旨が記された主治医の診断書を提出させるようにした方がよい。
もし、明確な確認が取れないのであれば、運転業務はさせず、マイカー通勤も認めないなどの措置を取る必要がある。もちろん、そのことによって、労働者の収入の減少や、通勤が困難になることはあり得る(※)。しかし、運転業務をさせた場合、起こり得る事故はの重大なものとなることもあり、一方で主治医の確認が得られない以上、そのように考えるしかないだろう。
※ そのことによって、労働者が自己判断で受療行為をやめることのないよう、十分な指導と説明を行うべきである。
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