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労働安全衛生活動の目的を見失うな

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メンタルヘルス対策

近年、労働安全衛生法は、詳細な規定を定めるのではなく、枠組みのみを定めて現実の運用は事業者の自主的な判断に任せることを志向するものがあります。

リスクアセスメントやストレスチェックなどがその例ですが、これらはたんに形だけを整えていたのでは役に立ちません。

新しい、安全衛生法の枠組みの中で、事業者がどのように安全衛生活動を進めてゆくべきかを解説しています。




1 2014年を契機に労働安全衛生法の考え方が変わった

執筆日時:

最終改訂:

2014年6月25日公布の労働安全衛生法改正は、それまで安衛法がとってきた「詳細な規制を定める方式」とはかなり異なっていることにお気づきだろうか。国は基本的な枠組みを定めているだけであり、実際の具体的な部分は事業者の自主的な判断によって決定する必要があるのだ。

この考え方は、2021年1月18日に公表された「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会中間とりまとめ」において、さらに徹底されている。未規制化学物質の管理の在り方についての方向を示すとともに、一定の条件の下で国の規制を離れた自由な管理を認めるものとなっている。基本的に「自律的な管理」を基軸とする規制への移行を志向するものといえよう。

そして、このような自由な裁量の余地が大きい制度は、形式主義に陥ってたんに法律違反にならないようにすることを主眼にして実施すると、なんの役にもたたないばかりか、ときには弊害が出ることさえある。

これを効果的に実施するためには、その目的は何かを事業者の側で考えて、さらに、その目的に合致するようにするためにはどのようにすべきかを考えなければならないのだ。


2 ストレスチェック制度

ストレスチェック制度についていえば、その目的・意義は、労働者にストレスに気づく機会を与えるということと、労働者のストレスの状況の統計データを用いて職場環境等の改善を行おうということにある。だが、法条文で義務付けられているのは、ストレスチェックそのものといくつかの事後的な措置などに過ぎない。

その気になれば健診機関に職員一人当たり数百円の余分な支出を行えば、それだけで法律は満足したことになってしまう。だが、それだけでは何の役にもたたない。むしろ「自社はメンタルヘルス対策をしている」という現実から乖離した自己満足に事業者が陥ると、かえって危険である。ストレスチェックなどというものは、あらかじめ職員に対して、一定の教育を行っておかないと意味がないのである。すなわち、以下のようなことについての教育である。

  •  ストレスチェックの意義・目的
  •  ストレスに対処することの重要性
  •  ストレスコーピングの方法等

その上で、事後措置(保健指導など)についてもきちんと行っていく必要がある。メンタルヘルス対策などというものは、目的を定めて、その目的に沿うようにシステム化して行わないと効果が現れないのである。たんにストレスチェックだけを取り出して、形だけ実施してみてもさしたる意味はないのである。


3 化学物質のリスクアセスメント

化学物質のリスクアセスメントも同じことである。目的は職場における職業性疾病リスクの低下であろう。だったら、以下のことを確実に行わなければならない。

  •  まず、その目的に沿うように各種のリスクアセスメントのメリット・デメリットを勘案して手法を選択し、
  •  それらの手法を実施するために何が必要で、事業場では何が欠けているかを検討し、欠けているところを満たすようにし、
  •  実際にリスクアセスメントを行って必要な対策を検討して、
  •  予算を組んで実施する。

たんに行政がWEB上に用意したツールを使って形だけリスクアセスメントをしてみたところで、さしたる意味はないのである。


(1)弗酸による洗浄作業の薬傷を例にとり

一例として、数立方メートルの弗酸を用いて、IC製造用の炉心管を洗浄槽で洗浄する作業における、薬傷についてのリスクアセスメントについて考えてみよう。このときの手順は以下のようになる。

  •  資料を収集して、以下のことを調べる。
  •  弗酸の有害性について調査(SDSのみならず、災害時例なども集める)
  •  作業場で、どのような作業を行っているのか、保護委はどのようなものか、工学的対策としてどのような対応をとっているのか、ヒヤリハット事例としてどのようなものがあるのか等の調査
  •  どのような状況下になると薬傷が発生し得るかを想定する。これをシナリオ抽出という。
  •  そのようなシナリオによって薬傷事故が発生する確率を判断する。
  •  そのようなシナリオが発生したときの結果の重大性を判断する。
  •  適当なツールを選択してリスクを見積もる。
  •  対策について検討する。

ここで、目的意識が明確であれば、②をどのようにして想定するのか、また③と④をどのように判断すればよいのかという疑問が湧くはずである。そして、その疑問が解ければ、今度は①の段階でどのような資料を集めるべきかが分かってくる。たんに行政の指針をみて、それに従って資料を集めてみても効率が悪いのである。それをなんのために用いるのかが分からなければ、見当はずれな資料ばかりを集めることになる。

さて、②のシナリオをどのようにして抽出すべきであろうか。答えは明確である。現場が分かっている労働者と、化学物質管理の知識を持つ衛生管理者等の専門家が共同して検討することによってである。衛生管理者は、たんに資格を持つだけでは足りない。化学物質管理に関して必要な経験と知識があることが必要である。とはいえ、そのような者がいないということもあろう。そのときは目的に照らして最も適した者を選ぶのである。形式的に資格を持っているとか、経歴が何年あるからではなく、実質的な知識と経験を持つ者を選ぶようにしなければならない。

③と④も基本的な考え方は同じであろう。なお、結果の重大性を見積もるには化学物質の有害性に関する知識が重要である、一方、結果の発生の可能性を見積もるには現場を知っていることが重要であろう。


(2)化学物質による労働災害のリスクの見積もり

では、リスクの見積もりはどのようにすべきであろうか。ここではっきりしておかなければならないのは、国の指針に書いてあるからとか、国のWEBサイトに支援ツールがアップされているからという理由だけで選んではならないということである。

国の化学物質のリスクアセスメント指針に関する通達には、このような場合のリスク見積もりの手法として、別紙2に「マトリクスを用いた方法(例1)」と「数値化による方法(例2)」の2つが挙げられている。なお、例3から例5はこの場合(弗酸による薬傷の場合)には使えない。

繰り返しになるが、ここで留意して頂きたいのは、通達に示されているのはあくまでも「例」であるということだ。数値などは合理的な理由があれば変更してよいし、むしろ変更しなければならないのである。現時点では、多様な化学物質の多様な使われ方に共通して通用するツールが示されているなどと考えるべきではない。

もちろん、ここに示された例1と例2は、リスクアセスメントにおいてよく用いられるものであり、かなり汎用的なツールである。この他には、「数値化による方法(掛け算法)」や「枝分かれ法」などがよく用いられる。従って、マトリクス法や数値化による方法などを用いること自体には問題はない。

問題は、ここに示された2つの方法のマトリクスやそれぞれの表中の数値をそのまま用いてよいのかということである。私自身は、このまま用いるのは避けるべきだと考えている。その理由として、ひとつの例を挙げると、致死性のガスなどを用いる場合などに、必ずしも妥当な結果が得られないからだ。

分かりやすくするために、極端な例を挙げてみよう。いまある企業で職員に海外へ出張を命じようとしているとしよう。そして、出張による事故に関するリスクアセスメントを行うとしよう。

海外出張による事故のシナリオとしては様々なものが考えられる。最近は欧州でさえテロに遭遇することがあるし、往復に利用する航空機が墜落する可能性もある。このようなことは、現実には、ほとんど起こり得ないのであるが、可能性はゼロではない。災害の発生があり得る以上、リスクゼロという状態ではないのである。

そして、これを単純に通達の例1と例2の数値をそのまま用いてリスクアセスメントを実施してみよう。まずは例1を使用する。テロや航空機事故では死亡する可能性が高いから、結果の重大性は「死亡」ということになる。一方、発生の可能性は「ほとんどない」であろう。例1のマトリクスを使うとリスクは4となる。リスク4の場合は、「直ちにリスク低減措置を講ずる必要がある。措置を講ずるまで作業停止する必要がある。」となっている。

すなわち、テロや航空機事故への対策をとるか、とれなければ(とれないだろうが)海外出張をとりやめろということである。

次に、例2の数値化法を用いて同じようにリスクアセスメントを行うとリスクは32点となる。すなわち例1の場合と同じ結論が出るのである。さきほども述べたように、本質安全化を採らない限り、リスクゼロはあり得ない。そうなると、本質安全化(=この場合は海外出張を取りやめる)しかないことになる。これはおかしい。

さて話を戻して、弗酸を数立方メートル用いて、洗浄槽で炉心管を洗う場合を考えよう。槽の内部に落ちれば死亡するだろう。現実にはそのようなことは考えられないが、可能性をゼロにすることはできない。そうするとリスクアセスメントをすると、やはりこのような作業はしてはならないことになる。それはICの製造を止めろということである。このことは、他の致死性のガス等を用いる工場の場合でも同じことであろう。これもおかしい。


(3)結果が重大で可能性がきわめて低い場合の対応

では、指針の数値をそのまま用いることを前提とした場合、前述のような場合に、どのような対処方法が考えられるであろうか。考えられることは以下の3つであろう。

  •  リスクが十分に低いと考えられる場合には、リスクはないものと判断して、例1や例2の方法を使うまでもないと考える。
  •  リスクが「レベル4」又は「高」のまま放置する。
  •  発生の可能性が低い場合は、結果の重篤度が低いものとしてリスクアセスメントを行う。

などが考えられる。しかし、1については、では何のためにマトリクス法や数値化による方法でのリスクアセスメントを行うのかということになる。リスクが十分に低いと考える場合にはこれらのツールを用いないというのであれば、リスクは十分に低いと判断する基準が必要になるはずだ。たんに、リスクは十分に低いからというのでは、そう言われた事業者や衛生委員会は、何をもってその判断の妥当性を判断すればよいのだろうか。

これでは、例1、例2によるリスクアセスメントではなく、たんに恣意的な判断によるリスクアセスメントだとしかいえないのではないだろうか。

2にも問題がある。「レベル4」又は「高」のまま放置するのであれば、もはやリスクアセスメントの結果を誰も信頼しなくなるだろう。また、他の「レベル4」や「高」とされたリスクへ対処するための優先順位も「放置」と同じでよいということになってしまう。「レベル3」や「中」以下の場合も何もする必要はない。しかし、これでは、なんのためにリスクアセスメントを行ったのかということになる。

3はさらにひどいというべきだ。発生の可能性が低いからといって、結果の重篤度が低くなるわけがなかろう。これは「基準がデタラメだから現場で適切に運用している」といっているようなものだ。これでは裏マニュアルを使用しているのと同じで、適切なマネジメントなどできなくなる。

これだけでも、指針のマトリクスや数値をそのまま使用できない場合があることはお分かり頂けると思う。

要は、人が死亡するおそれがある機械・設備・材料を用いる場合、リスクゼロはあり得ないという前提に立って、どこまで発生の可能性を下げれば容認できるとするのかを事業場内で組織的に検討して結論を出し、それに基づいてマトリクスや表の数値や表の行数(バンドの数)を修正しなければならないということである。そうしないと、リスクアセスメントの基準や、結論を出した根拠などが恣意的なものになってしまい、組織としての検討ができなくなるし、事業者も結果に責任が持てなくなるのである。


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