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安衛法が禁止していなければOK?

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メンタルヘルス対策

「安衛法で禁止されていることをしなければよい」これホント?

残念ながら、いまだに事業者の方で、「安衛法で禁止されていることをしなければいいんだろう」と考える方がいます。

もちろん、そのような考え方は誤りです。入手できる危険有害性に関する情報を集めて、必要なことを実施せずに事故が起きれば、民事上、刑事上の責任を負うこととなります。

重大な事故が発生すれば、懲役刑を受ける例もあれば、企業が倒産するほどの損害賠償を請求されることもあります。




1 ある民間資格の変な試験問題

執筆日時:

最終改訂:

もうかなり前のことになるが、ある民間資格の試験問題を解説したテキストで、「労働安全衛生規則においては、高さが2メートル未満の作業床や開口部には囲い、手すり、覆い等を設けなくともよいと定めている」という趣旨の設問を見たことがある。その問題は、設問に対して○×式で解答するようになっているのだが、そのテキストによる正解は“○”になっていた。

唖然としたが、そのテキストの解説を見ると、その根拠として安全衛生規則の第519条が挙げられていた。

【労働安全衛生規則】

第519条 事業者は、高さが二メートル以上の作業床の端、開口部等で墜落により労働者に危険を及ぼすおそれのある箇所には、囲い、手すり、覆い等(以下この条において「囲い等」という。)を設けなければならない。

 事業者は、前項の規定により、囲い等を設けることが著しく困難なとき又は作業の必要上臨時に囲い等を取りはずすときは、防網を張り、労働者に安全帯を使用させる等墜落による労働者の危険を防止するための措置を講じなければならない。

そのテキストによると、この条文は、2メートル未満の高さの作業床などには、墜落防止措置をとる必要がないと定めているのだそうだ。だが、本当にこの条文は、そのようなことを定めているのだろうか。

このテキストの筆者は、おそらくこう考えたのだろう。すなわち、「事業者を含めて国民は、本来、何をしようと自由なはずである。従って、法律によって禁止されない限り、何をしてもよいはずである。そして、労働安全衛生法は、2メートル以上の高さの作業床などについてのみ、事業者に墜落防止措置を義務付けているのだから、それ未満の高さの作業床などには墜落防止措置をしなくてもよいはずだ」と。

確かに、「しなくてもよい」という言葉を、「労働安全衛生法によって罰せられることはない」という意味に理解すればその通りかもしれない。だが「しなくてもよい」という言葉のニュアンスと「禁止してはいない」という言葉のニュアンスとは違うのではなかろうか。

労働安全衛生法の第3条には、「事業者は、単にこの法律で定める労働災害の防止のための最低基準を守るだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない」と定めてある。この法律で定めるのは最低基準だからこれを守るだけではいけないと言っているのである。

かなり前に、建災防が「1メートルは1命取る」という教育用ビデオを作成していたが、2メートル未満の高さの作業床から墜落しても労働災害になることはあるし、死亡災害となる事例も現実に起きているのだ。法律で、わざわざ墜落防止措置をとらなくてもよいなどと規定するわけがないのではなかろうか。

やはり、正答は“×”とするべきであろう。この条文は、2メートル以上の高さの作業床等の開口部などには手すりを設けるなどの墜落防止の措置をとれと規定しているのである。2メートル未満の高さの作業床については、墜落防止措置をとれとも、とらなくてよいとも規定はしていないのである。


2 他にもおかしなことが・・・

これだけなら、たんにこのテキストの出題者に法律を読む能力が欠けているというだけのことである。この民間資格についてだけ、信用できないものだと考えればよいことだ。わざわざここで取り上げるまでもないだろう。

しかし、このような誤解は、たんにこの問題だけにとどまらず、日本の労働安全衛生の実務における、ある根源的な問題を内包しているように思えるのである。


(1)特定化学物質の濃度

最近ではみられなくなったが、10年程前までは、マスコミの報道で、「特定化学物質(一部の物質を除く)について、「重量濃度1%以下のものは、国が安全であると定めている」としているものを見かけることがあった。すなわち規制をかけていないものは安全だというのである。この背景には、危険なものはすべて“お上”が規制をかけているはずだという発想があるのだろう。

ただそのような誤解が広まることは望ましいことではないので、国も、報道機関に対して、そのような誤解を解く努力をしてきた。そのためもあるのだろうが、最近では、そのような報道はめったに見かけなくなった。しかし、ネットの世界などではまれに見かけることがある。

1%以下だから安全などということがあるはずがない。重量濃度1%のものが10ミリリットル蒸発した場合と、重量濃度10%のものが0.5ミリリットル蒸発した場合で、作業空間の気中濃度がどちらの方が高くなるかは考えるまでもないだろう。

法令では、ある化学物質について規制をかけるとき、「ある濃度以下なら適用しない」という規準を設けないわけにはいかないのである。そうしないと分子1個でも入っていれば規制がかかるということになってしまう。例えば、ある物質の容器を洗浄した後で、その容器についた洗浄液を洗い流した液体にまで規制がかかることになってしまう。それは、通常の場合、合理的な規制とはいえないであろう。

しかしこの濃度以下なら規制をかけないという基準を定めようとしても、これ以下の濃度なら安全だという科学的な根拠のある数値は、普通は存在していない。そのため、測定限界や、他国の規制状況、実際の扱われ方などによって、合理的と考えられる基準を定めるのである。必ずしも、それ以下なら安全というわけではないのだ。


(2)ある弁護士の発言

また、数年前に、ある化学物質によって、深刻な職業性疾病が発生した事例があった。報道によると、その会社の顧問弁護士が次に示す枠内のような発言をしたという。

【ある職業性疾病事件についての報道より】

  • 厚労省が10日に公表した再現実験結果によると、作業場で使われた洗浄剤に含まれる「1、2―ジクロロプロパン」の濃度は、米国の学会が安全管理の指標とする基準の6~20倍に達していた。これについて弁護士は「ジクロロプロパンには国が濃度や排気装置設置などの規制をしていない。この基準はあくまでも米国の基準だ」と述べた。(読売新聞 平成24年7月13日)
  • (顧問弁護士は、)国の「有機溶剤中毒予防規則」の対象ではないと指摘。会社としては、同規則が定める「局所排気装置」などを「つける必要がない」とした。(日本経済新聞 平成24年7月31日)
  • (顧問弁護士は、)従業員に防毒マスクを着用させていなかったが、労働安全衛生法に基づく規則の対象となるジクロロメタンを使っていないため、マスク着用は必要なかったと主張した。 (朝日新聞WEBサイトより)
  • (顧問弁護士は、)「有機溶剤中毒予防規則で規制対象となる洗浄剤の使用は確認できていない」とし、換気装置やマスクなど同規則で定められた安全・衛生対策をとる義務はなかったと主張。 (毎日新聞 平成24年7月31日)
  • (会社は)道義的責任を感じるとして、患者や遺族らに補償する考えを明らかにした。(中略)弁護士は、民事上の法的責任は「現段階では不明」とした上で「事実を重く受け止めた」と話した。(毎日新聞 平成25年3月28日)

※ カッコの挿入は引用者による。

もちろんマスコミの報道であり、その弁護士本人が記述した文章ではないので、前後が省略されている可能性もあるし、本人の意図とは異なる印象を受けるような文章となっている可能性はある。あくまでも、これらの報道が正しいということを前提としての話ではある。

なお、ここで対象となっている物質(のひとつ)が、当時は有機則等の特別規則によって規制はされていなかったことは事実である。しかし、その物質は、当時でもげっ歯類に発がん性があることは実験によって確認されていた。しかもACGIHがTLVを勧告しているものでもあった。

そして、現に、その企業の作業場の気中濃度がTLVよりもはるかに高かったと考えられる状況の下で、その物質が原因と思われる障害が多数発生していたのである。にもかかわらず、日本の法令で規制がかけられていないから、対策をとる必要はないのだと、弁護士という法律の専門家が主張する意図はなんなのだろう。少なくとも、これらの発言の趣旨は、私の理解の域をはるかに超えている。


3 問題の根源は何か

これらの事案に共通にみられる問題は、法律に定めてあることだけやっていればよいという、「思考停止」であると私には思える。1メートル以下の高さであっても、事故が起きる可能性があると考えられる状況では、そのリスクに見合う対策はとるべきであろう。また、法令に規制がなかったとしても、有害な物質を、職業暴露限界を超えて労働者にばく露させてよいわけがなかろう。職業暴露限界がアメリカで定められたものであろうが、民間の学会が定めたものであろうが、日本の政府が定めたものであろうが、ばく露すれば有害なものであることには違いはないのである。

ある化学物質が太平洋を越えると無害になるなどということがあり得ないことは当然であろう。

ところが、現実よりも法の方を見てしまうと、この分かり切ったことが見えなくなる。「とにかく国が定めた法律を守っていればよい」と考えて、現実に災害が発生するおそれがあるかどうかを考えないというところに、この問題の本質があるのだ。

よく、重大な災害を引き起こした後の記者会見で、「我々は労働安全衛生法に違反はしていない」などと言う事業者がいる。しかし、これは「手術は成功しましたが患者は死にました」と言っているようなものだろう。ギャグではなく、大真面目でこんなことを会社の責任者が言うようではその会社の経営状況の方も危ぶまれるというものだ。

労働安全衛生法がリスクアセスメントを事業者に義務付けたのは、このような状況をなんとかしようという発想があったからである。最初は努力義務で始まったが、2016年6月から通津対象物(いわゆる640物質)については義務となった。

これは、なによりも、事業者自ら労働災害のリスクを見出し、その大きさを評価して必要な対応をとって欲しいということなのである。事業場の作業の方法や用いられる機械設備、化学物質などがきわめて多様化している状況にあっては、国が個々の機械設備や化学物質について詳細な規制をかけるだけでは、対応しきれなくなっているのである。その意味で、リスクアセスメントの定着化は、きわめて重要な課題であった。

そして、そのためには事業者に機械設備や化学物質の危険・有害性に関する情報が提供される必要がある。機械譲渡時等における機械の危険情報の提供の制度の創設、化学物質のSDS提供の制度の充実、職場のあんぜんサイトの開設なども、事業者の自主的な判断による労働災害防止対策に寄与しようとの目的を持った制度なのである。

ところが、このリスクアセスメントについても、「これだけやればOKという簡便な手法を国が示してほしい」という声が、実に多いのである。

そもそも化学物質の慢性毒性についてであればともかく、アクシデント性の災害についてリスクアセスメントを簡便に行う手法を示すことなどできるわけがない。アクシデント性の災害のリスクアセスメントを行おうとする場合、シナリオ抽出や、事故の可能性の大きさを見積もることなどが必要になるが、これらは知識と経験を有する者が個別に行うよりほかはない。マトリクス法のマトリクスを国が示すことなら可能かもしれないが、なぜかそのような声はあまり聞くことがない。

また、化学物質の慢性毒性に関する手法にしても、リスクを完全に見積もる方法など存在していないのである。これだけやればOKなどという方法を示すことなどできるわけがないのだ。

逆に、本来のリスクアセスメントの趣旨からいえば、国が「これでなければならない」などとは言ってはならないのである。ただ、中小企業などではリスクアセスメントは難しい面があることから、最初の一歩としてWEBサイトで簡便な手法を示しているにすぎないのである。


4 ではどうすればよいのか

事業者は、ある対応をとるかどうかを決めるときに、法令や国のガイドラインに書いてあるかどうかによって決めるのではなく、それが現実に役立つのかどうか、労働者の安全と健康を守るために必要かどうかを第一に考えるべきなのである。

もちろん、それが必要かどうかを適切に判断するにはコストが必要になる。なにごとにせよ、適切な判断をするにはカネがかかるのだ。判断に必要なものは情報とそれを用いる知識・経験である。必要な情報はコストをかけなければ収集できないのは当然である。また、知識と経験は社内に専門家を確保するか、相応な対価を支払って外部の専門家を利用するかである。いずれにせよコストはかかるのだ。日本人は、他人が集めた情報や、他人の専門知識は無料で使えると思っているようだが、ビジネスの世界においては、そのようなことはないのだということを知る必要がある。

労働災害が発生すれば、労働者のみならず企業にとっても大きな損失(ロス)をもたらすのである。それを避けるためには、コストをかける必要があるのだということを考えて欲しい。

ただ、安全な職場を確立することは、労働者のモラールの向上や、生産性の向上という形で返ってくることもあるのである。

なお、労働災害をおこさなければ法律に違反してもよいということではないことはいうまでもない。しかし、法律に違反はしなかったが労働災害は発生したということよりは、はるかによいのである。

また、誤解を避けるために最後に言っておくが、筆者は、個々の機械設備や化学物質を指定(リスト化)して、一律に規制をかける従来の安全衛生行政の規制の手法を否定するものではない。そのような規制についても一定の効果はあるし、まだ必要な手法であることに変わりはない。

ただ、それだけでは対応しきれなくなっており、事業者が自ら対応をとる必要があるということをいいたいのである。


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