ネットを活用した安全衛生教育




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在宅安全衛生教育

かつて、関係法令で実施が義務づけられている安全衛生教育について、WEB を通した実施が可能かどうかはグレーな面がありました。関係当局に、消極的な面があったことも事実です。

しかし、実態は、行政の思惑にかかわりなく、特別教育を中心に WEB を利用した実施は広まっていきました。利便性が高いなどのメリットもあり、現実が先行していたのです。

ところが、2021 年に厚生労働省安全衛生部の3課長名連名の通達が発出され、労働安全衛生教育のネットを通した実施をどのように進めるべきかについての解釈が示されたのです(※)。これは、当時のコロナ禍を契機としたもので、たんなるコロナ対策の一環という印象を受けた方も多いようです。

※ この通達は、ネットを介した教育が現実に行われている状況を前提として、一部に行われていたずさんな方法に歯止めをかけるという意味もあった。

しかし、実は労働安全衛生教育の在り方に大きな転換をもたらすエポックメイキング的なことだったと考えるべきものです。ネットを介した教育には、大きな可能性があり、事業者、労働者双方に大きな利益をもたらすことがあり得ます。ネットを介した教育の在り方と、これが与える影響について考えます。




1 コロナ禍を契機とする変化

 

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最終改訂:

起きがけに熱が出る女性

※ イメージ図(©photoAC)

2020年の初めにコロナ禍が大問題となりつつあったとき、あれほど長引くと思った人はあまりいなかったと思う。

当初は、梅雨の時期か遅くとも夏までには収束すると誰もが思っていた。しかし、現実には、今もなお新型コロナによる死者は発生し続けているのである。もっともそれに対する国民の恐怖感は完全に薄れており、その意味では「収束」したといえるのかもしれない。

だが、この未曽有の事件は、我々の生活に大きな影響を残している。そのひとつは、大手の企業を中心に在宅勤務が急速に進んだことだ。現実には、嫌々やっていてコロナ禍が終わればすぐに止めてしまった企業もあり、その一方でメリット(※)に気付いてコロナ禍の「収束」にかかわらず継続している企業とに二分化しているようである。

※ もちろん、在宅勤務は、社員の運動不足や社内の意思疎通の低下というデメリットももたらしているが、そのメリットは、なんといっても通勤時間が無くなることだろう。その時間を、家庭や自己研鑽のために使うことができるのだ。

そして、あまり意識されていないようだが、実は、コロナ禍は、労働安全衛生の世界にも大きな影響をもたらしているのである。


2 安全衛生教育にネットの活用が可能に

ネットで教育をする女性

※ イメージ図(©photoAC)

コロナ禍の渦中であった 2020年、eラーニング等による特別教育について、厚生労働省の安全衛生部から「厚生労働省安全衛生部の3課長名連名の通達」が発出され、労働安全衛生教育のネットを通した実施についての解釈が示された。これは、どちらかといえば eラーニング等による特別教育について、やや消極的な行政の意思が感じられるものであった。

ところが、この通達は早くも翌年に廃止されてしまい、新たな「厚生労働省安全衛生部の3課長名連名の通達」が発出されたのである(※)。こちらは、特別教育に限らず、技能講習のような資格制度の講習を含めて労働安全衛生教育のネットを通した実施についての広範な解釈が示されている。前回の通達がやや消極的な内容だったのに対し、こちらは eラーニング等が行われることを前提にその在り方を示したものである。むしろ積極的に eラーニング等を積極的に進めようという意図が感じられるものであった。

※ この通達は、後に2度に渡って改正され、2024年の改正で、「インターネット等を介したeラーニング等により行われる労働安全衛生法に基づく安全衛生教育等の実施について」(令和6年4月4日基安計発 0404 第1号他)となっている。

この通達で注目すべき点は、たんなるリモート教育のみならず、動画の視聴が認められたことである。それまで、安全衛生教育と言えば、OFF-JT 形式で行うものは、リアルの講師が行う集合教育が当然と考えられていたが、これがいつでもどこでも動画を視聴すればよい(技能講習などは除く。)というのだから、大きな発想の転換である。

大きな変更だったがゆえに、逆に過小評価もされたし、批判も起きた。WEB による動画視聴など受講者はまじめに聴かないし、形だけになりやすく、教育が形骸化するおそれがあるというのである。確かに、そのような指摘には首肯できる点はある。しかし、その一方で、動画等の活用によりこれまでにない効果的な教育が行える可能性もある。そこは、活用する企業次第であろう(※)

※ 学校がリモート研修を行うようになったことから、すでに公布されていた著作権法の第35条改正が施行されることとなった。これにより、一般の学校や教育機関はネット授業に著作物の使用が可能になった。しかし、安全衛生教育を行う営利企業はそもそも第35条の対象外であるガイドライン参照。)ので留意されたい。


3 安全衛生教育の世界に何が起きるか

(1)ネットの世界は勝者総取り

ア 講師の教えられる数に制限はなくなる

もっとも、これは既存の教育機関やテキスト作成者にとっては、辛いつら時代の幕開けとなるかもしれない。

実際にリアルの世界で講師が教育を行っているときは、講師のレベル(知識や教える力)は、それほど「教育の生産性」に影響を与えなかった。どれほど能力の高い講師でも、リアルで一人で教えることのできる受講生の数には限りがあるし、その結果として能力の低い講師にもそれなりに仕事は回ったのである。

一番を示す女性

※ イメージ図(©photoAC)

ところが、ネットを使うとなればそうはいかなくなる。ネットの世界は「勝者総取り」なのだ。果実は、1位からせいぜい数位までが独占してしまい、10 位以下になると存在しないのと同じになるのだ。

通達によれば、特別教育については、受講は動画を見るだけでよく、質問は別途受け付ければよいというのだから、講師1人当たりの受講者数の制限などはなくなる。能力の高い講師は、いくらでも受講生を集めることができるのだ。


イ テキスト作成者にとっても大競争の時代に

教育のテキストが紙(書籍)でできていた時代には、これをつくることは個人レベル出来ることではなかった。本をつくるとなると、ある程度の資本力が必要だし、仮に売れなかったときにはコストが回収できないためリスクをとれる体力が必要だったのである。

しかし、ネットの世界で使用されるデジタルテキストをつくるのであれば、少なくとも資本力は必要はない。知識と分かりやすく説明する能力(と一定の時間)さえあれば可能なのだから、個人にでも参入は可能なのである。

※ 例えば、このサイトでも熱中症対策のためのデジタルテキストを公開している。個人でもこの程度のテキストは簡単に作れてしまうのである。しかも紙のテキストと異なり、リンクや動画を貼り付けることも簡単にできる。

さらに、紙のテキストでは誤植を避けることは困難で、次に印刷するまで修正は困難だが、ネットのテキストなら誤植が発見されれば、かんたんに修正ができてしまう。

ネットで学ぶ女性

熱中症予防管理者の教育用デジタルテキスト

熱中症による労働災害防止対策を、厚労省の要綱に示された教育カリキュラムに従って、具体的に何を行うべきかをテキスト形式にまとめています。

もちろん、事業者としては、個人の作成したテキストを採用することには躊躇を感じるかもしれない。その意味で個人のテキストには不利な面はあろう。しかし、ネットの利用に慣れた若い経営者が増えるにつれて、そのような問題も解消されてゆくことが期待できる(※)

※ こう言っては何だが、プロの作成した教育のテキストより個人のブログなどの方がはるかに分かりやすいというものもある。そればかりか、販売されているテキストでも内容が古かったり誤っていたりという例はいくらでもあるのだ。

権威よりも、中身を選択する時代が来たとき、現在の安全衛生教育のテキスト作成者が安泰でいられるほど、現行の教育用テキストは優れたものばかりなのだろうか?


(2)新規参入はネットの世界で始まる

企業創設

新参者による市場の寡占化は、すでにネットの世界では起きていることだ。SNS は決してザッカーバーグのオリジナルではない。フェイスブックが誕生したとき、米国にはマイスペースやフレンドスターが先行していた。しかし、フェイスブックは先見の明があったのか幸運だったのか、あっという間に寡占状態となってしまった。Google やマイクロソフトでさえ、そこに食い込むことは難しい状態となったことはよく知られている。

安全衛生の分野でもネットの利用により、教育機関で優れた講師を集め、すぐれた動画を作成するノウハウを持った企業が、労働安全衛生教育の市場に参入し、シェアを占有することも考えられよう。労働安全衛生教育は、法的な義務のあるものについては一定の需要を見込め、ある意味で「魅力的な」分野なのである。


4 eラーニングの大きなメリット

(1)受講生にとってのメリット

一方、eラーニング等が認められたことは、受講生の側にとっても大きなメリットになる。能力の高い講師の質の高い教育を、文字通り「居ながらにして」容易に利用することができるからだ。

リアルの教師による教育では、簡単に講師を変える(先生を選ぶ)ことはできない。しかし、ネットによる教育なら比較的簡単にこれができてしまうのである。

とはいえ、昭和に高校から大学へ進んだ人々にとっては、「動画による教育など役には立たない、リアルの教師による教育でなかれば身に付かない」と感じておられる方も多いかもしれない。動画に慣れていなければ、その意識は簡単には変えられないだろう。

しかし、生まれたときにはすでにネットが存在し、YouTube で様々な知識を得ている若い人々はそうではない。令和の時代に高校・大学へ進んだ人々は、動画による教育に苦手意識などはまったくない。また、ある程度のフェイクを見分ける能力も身に付けている。

若い受講者にとって、大勢のものが参加する教室で受講生の一人として講義を受けるよりも、動画の視聴や配信で受講する方が、はるかに身に付きやすいということもあろう。その意味で、受講者にとっても大きなメリットとなり得るのである。


(2)企業にとってのメリット

また、これは特別教育などの教育を行わなければならない企業にとっても大きなメリットになる。企業にとって、教育から得られる最大のメリットは、「災害を減らせる」ということなのである。

もちろん、教育に必要なコストが下がるというのもメリットではあるが、それで教育の効果=災害の防止などが低下してしまったのでは、本末転倒と言うべきである。教育は安ければ良いというものではないのだ。

教育を受けさせる以上、受講者が必要な知識を理解でき、かつそれを実践できるようにならなければ教育を受けさせる意味がない。ところが、リアルの教育では教育がどのように行われているかを確認することが困難である。一方、動画の視聴であれば、その動画を企業の側が(試しに受講してみるなどにより)確認することも可能である。

また、最近の若い労働者は、教室でのリアルの講義を受けることには慣れておらず、講師の力量によっては大勢の受講者の中でほとんど講義内容が理解できないというようなことも起きてくる。しかし、動画の受講などであれば、若い労働者の関心を引き付けることも可能であり、知識を正しく身に付けることができるようになろう。

さらに、いつでもどこでも受講が可能となることで、移動の時間も必要がなくなるため、コスト削減に結び付けることができるようになるのである。


(3)技能講習の講師不足の解決の糸口にも

また、現在、技能講習の講師不足が深刻な問題となっている。講師の要件は安衛法第77条第2項(第二号)により同法別表第20に定められているのだが、やや非現実的な内容となっており、講師として適格な人材が講師になれない状況が起きているのだ。

このため、各登録教習機関で学科講習を中心に講師の確保が難しくなっており、技能講習事業から撤退を余儀なくされるケースも散見される。これがネットの活用によって解消する可能性もあるのだ。そのひとつのあり方として、東京、大阪などの優秀な人材の豊富な大都市で、技能講習の講師を確保し、各登録教習機関へネットを介した講義の提供を行う企業が創設(※)されることが考えられよう。

※ 技能講習の講師は、登録教習機関が雇用する必要はないので、これは安衛法違反とはならない。講師要件を満たす者が作成すれば、学科講習の動画を販売することも可能である。ただし、技能講習は、講習時間中に安衛法別表20の基準を満たす講師が質問に答える必要がある。予め作成した動画を提供する場合は、登録教習機関側か動画を作成した会社の講師がリアルタイムで質問に答えなければならない。

これらの場合、登録教習機関において、その講師や動画の作成者が講師要件を満たすことを、あらかじめ確認する必要がある。一方、講師の講義を提供する側の企業は、登録教習機関としての登録を受ける必要はない。

学科講習については、専門の企業が集中して行うことにより、誤りがなく分かりやすい講義の提供が可能になるだろう。これは、受講者にとっても大きなメリットであるばかりか、わが国の安全水準の向上に寄与する可能性もあろう。


5 これからの安全衛生教育の世界

学校での教育

※ イメージ図(©photoAC)

労働安全衛生教育について、同様にならないと考えることは困難だろう。確かに、我が国には複数の労働災害防止団体があり事業者の信頼を得ているため、これまでは一般企業が労働災害防止の市場へ参入することは困難な面があった。それは事実だ。だからこそ、安全衛生教育のテキストなども、きわめて大きな市場があるにもかかわらず民間の出版社が参入することはなかったのである。

だが、これからはそうではない。ネットを通した安全衛生教育の市場は、参入障壁はきわめて低い。労働安全衛生について熱意と知識ノウハウを有していて、労働災害防止団体に所属していない人材はいくらでもいる。そのような人材を結集して、教育のノウハウのある予備校などが、動画作成のノウハウのある企業とタイアップすれば、かなりの利益を上げることも可能だろう。

考えても見て欲しい。労働安全衛生法は、一定の危険有害な業務に労働者を従事させるときは、特別の教育を行わなければならないとしているのだ。そればかりではない。通達等で示された教育もあり、それらも一定の市場を有しているのである。

わが国の予備校がそこに目をつけないと考える方が奇妙である。

好むと好まざるとに拘わらず、労働安全衛生の世界にもWEBの波は押し寄せてくる。それを前提に、何をなすべきかを考えるべき時がきている。


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