2025 年5月に法律文化社から、三柴丈典編著「コンメンタール 労働安全衛生法」が出版されました(※)。
※ 本書の詳細は柳川行雄「【書評】労働安全衛生法の条文と現実の事業場をつなぐ書籍」(日本産業保健法学会誌 Vol.4 No.1 2025年)を参照されたい。
労働安全衛生法は、およそ他人を雇用していれば、必ず遵守しなければならない、国が定めたルールです。そしてそれを遵守するためには、法令の内容を正しく知って、具体的に何をしなければならないかを理解しておかなければならないことは当然です。
ところが、事業場における労働安全衛生活動のために、安全衛生法を参照しなければならないような場合であっても、実際に条文を読むという人は、意外なほどに少ないのが実態です。
なぜ、条文を読まないかといえば、一言でいえば「条文を読んでも日本語として何が書いてあるのかさっぱり分からないし、日本語として意味が分かっても具体的に何をしてよいか分からないから」ということではないでしょうか。
このため、安全衛生法令の各条文について、分かりやすくその意味と具体的に何に対して何をすればよいのか、また守らなかったときの実質的な弊害が網羅的に記載されているコンメンタール(逐条解説)が熱望されていました。本書はそのような期待に応えるべく、正面から取り組んだ労作といえます(※)。
※ 比較.com の「労働安全衛生法 本 の売れ筋ランキング」で、2025 年8月7日現在、第4位となっている。
本書は、①事業者にとって関心の高い民事判例が充実していること、②法令・行政・医学など広範な分野の専門家・実務者が執筆に加わっていること、③1500頁を超える膨大な分量であり実務に必要な事項を網羅しているなどの点で、類例のないものとなっています。
企業の安全衛生担当者にとってはいうに及ばず、産業医や労働安全衛生コンサルタントにとって、非常に有益な書物です。ぜひ、労働安全衛生法令に関する辞書的な役割として、活用することをお勧めします。
- 1 労働安全衛生法とは実務者にとってどのような法律だろうか
- (1)労働安全衛生法が分かり難くなってきた
- (2)行政解釈が強い効力を有する法令
- (3)関連する判例が重要になりつつある
- 2 「コンメンタール 労働安全衛生法」の出版
- (1)広範な専門家・実務家による大著
- (2)具体的な適用場面についての記述が豊富
- (3)関連する判例についての記述が豊富
- (4)行政解釈の記述とその解説が充実
- 3 最後に(本書を推薦する)
1 労働安全衛生法とは実務者にとってどのような法律だろうか
(1)労働安全衛生法が分かり難くなってきた
執筆日時:
最終改訂:

※ イメージ図(©photoAC)
労働安全衛生法(安衛法/労安法)が分かり難くなってきた。法律とはとかく難しいものと言ってしまえばそれまでであるが、難解さのレベルでいえば、法律の中でもとくに屈指の部類に入るであろう。
たんに文章として難しいというだけではない。安衛法違反にならないために、具体的に何をすればよいのかが、条文を読んだだけでは分からないのである。
実を言えば、安衛法が、1972 年(昭和 47 年)に、労基法から分離独立して新たに制定されたころは、どちらかといえば分かりやすい法令だったのだ。現在でも、安衛則の第二編の「安全基準」の規定の多くは、技術用語が多用されていることを別とすれば、読めば日本語としての意味は分かる(※)。制定されたころは、安衛法の全体がこの程度には分かりやすかったのである。
※ 例えば「労働者に危険が生ずるおそれのあるときは、蓋、囲い等を設けなければならない」との規定(第142条)では、「労働者に危険が生ずるおそれのあるとき」とは具体的にどのような状況なのか、また「囲い」とはどのようなものなのかなど、やや不明瞭な点はある。しかし、そこは労働災害防止に十分なものという観点で考えれば、おのずと分かるものである。
これが、近年、きわめて分かりにくくなってきたのである。その理由としては次のようなことが挙げられよう。
ア 構造が複雑になってきた

※ イメージ図(©photoAC)
最近の安衛法が分かりにくくなった理由の一つに、構造が複雑怪奇になっていることが挙げられる。とくに第3章の「安全衛生管理体制」のうち、重層下請け構想の現場に適用される「統括安全衛生責任者」(第15条)、「元方安全衛生管理者」(第15条の2)、「店社安全衛生管理者」(第15条の3)、「安全衛生責任者」(第16条)などはその典型であろう。
例えば、次の条文は、引用条文が2か所あり、さらに「厚生労働省令で定める」との記述が4か所に出てくる。もちろん、そこにいう厚生労働省令が、どの省令の第何条かを教えてくれるような親切な文章とはなっていない(※)。
※ これは、法律で政省令に委任規定を設ける場合の常であり、安衛法に限らない。
【労働安全衛生法】
(店社安全衛生管理者)
第15条の3 建設業に属する事業の元方事業者は、その労働者及び関係請負人の労働者が一の場所(これらの労働者の数が厚生労働省令で定める数未満である場所及び第15条第1項又は第3項の規定により統括安全衛生責任者を選任しなければならない場所を除く。)において作業を行うときは、当該場所において行われる仕事に係る請負契約を締結している事業場ごとに、これらの労働者の作業が同一の場所で行われることによつて生ずる労働災害を防止するため、厚生労働省令で定める資格を有する者のうちから、厚生労働省令で定めるところにより、店社安全衛生管理者を選任し、その者に、当該事業場で締結している当該請負契約に係る仕事を行う場所における第30条第1項各号の事項を担当する者に対する指導その他厚生労働省令で定める事項を行わせなければならない。
2 (略)
しかもこの条文が引用している元の条文も、他の条文を引用しており、さらにその引用元の条文が別な条文を引用しておりと、次々と他の条文を読んでいかなければ、何が書かれてるのかが分からない仕組みになっているのである(※)。
※ そればかりか「厚生労働省令で定める資格」(安衛則第 18 条の7)には、第四号に「厚生労働大臣が定める者」という規定がある。
実は、この「厚生労働大臣が定める者」は、現在まで定められていない。ところが定められていないということが、職場のあんぜんサイトの「安全衛生キーワード 店社安全衛生管理者」などにも書かれていない。
どこかに厚労大臣が定める告示があるのなら見つけることもできようが、ないということは簡単には分からない。そのため、一般の事業者には疑問が疑問として残ってしまうことになるのである。
これは、いつか行われるであろう改正のときに、改正条文の立案者が関係する条文を見落とさないようにするには便利なやり方である。また、状況に応じたきめの細かい規制をかけようとすると、どうしても条文が複雑になってしまうことは避けられない面はある。
とはいえ、このような複雑な構造の条文は、行政の担当者にさえ分かりにくくなっていることも現実である。改正条文を起案した本人でさえ、担当を外れて何年かすると、その結論は覚えていても、その条文上の根拠は分からなくなっているなどということが起きるのである。
イ 文章そのものが分かりにくい
これは安衛法に限らないが、法律の文章には独特の言い回しがされることが多く、これは一般の国民には意味が分かりにくい理由の一つとなっている。
例えば、ごく基本的な条文である「統括安全衛生責任者」について定める安衛法第 15 条であるが、「当該事業の仕事の一部を請け負わせる契約が2以上あるため、その者が2以上あることとなるときは、当該請負契約のうちの最も先次の請負契約における注文者とする」という文書を(初めて)読んで、すぐに意味が理解できるのは、かなりこの種の文章に慣れた方だけであろう。
【労働安全衛生法】
(統括安全衛生責任者)
第15条 事業者で、一の場所において行う事業の仕事の一部を請負人に請け負わせているもの(当該事業の仕事の一部を請け負わせる契約が2以上あるため、その者が2以上あることとなるときは、当該請負契約のうちの最も先次の請負契約における注文者とする。以下「元方事業者」という。)のうち、建設業その他政令で定める業種に属する事業(以下「特定事業」という。)を行う者(以下「特定元方事業者」という。)は、その労働者及びその請負人(元方事業者の当該事業の仕事が数次の請負契約によつて行われるときは、当該請負人の請負契約の後次のすべての請負契約の当事者である請負人を含む。以下「関係請負人」という。)の労働者が当該場所において作業を行うときは、これらの労働者の作業が同一の場所において行われることによつて生ずる労働災害を防止するため、統括安全衛生責任者を選任し、その者に元方安全衛生管理者の指揮をさせるとともに、第30条第1項各号の事項を統括管理させなければならない。ただし、これらの労働者の数が政令で定める数未満であるときは、この限りでない。
2~5 (略)
ここにある「仕事の一部を請け負わせる契約が2以上ある」という部分を、普通の国民は「並列的な契約」のことだと思い込んでしまい、その後ろの「最も先次の請負契約における注文者」につながらないのである(※)。
※ もっともこれなどは、「元方事業者」という言葉から「重層的契約」のことだと分かるかもしれない。しかし、このようなヒントとなる言葉がある場合だけではない。
ウ あいまいな用語が用いられている

※ イメージ図(©photoAC)
安衛法のような刑事法では、あいまいな言葉を用いることは許されない。とは言え、完全にあいまいな部分を排除することは、現実には困難である。そこで、ある程度、あいまいな部分が残ることも、やむを得ないとして容認せざるを得ないのが現実である。
しかし、国民が、何をすれば法違反になるかが分からないようでは、罪刑法定主義が担保されないこととなってしまう。そのため少なくとも「合理的解釈によって確定できる程度の明確性をそなえている」(明確性の原則)ことが求められるのである(※)。
※ これについて最高裁は、「刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法 31 条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによってこれを決定すべきである」(最大判昭和 50 年9月 10 日 徳島市公安条例事件)としている。
その具体例として、例えば最決平成 10 年7月 10 日 食品衛生法違反事件は、食品衛生法第4条(現在の第6条)の「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは付着し、又はこれらの疑いがあるもの」という条文について、「『有害な物質』の意義が不明確であるということはできない」としている。
安衛法では、「常時」、「必要な措置」、「有効な」、「おそれのある」などの用語について、境界事例(境目にあるようなどちらともつかない事例)について、法令への違反の有無が話題になることがある(※)。これは、ある状態(行為)が法違反となるかどうかが、これらの用語をどう理解するかによって変わってしまうからである。
※ これでは困るというので、事業者団体が、明確な基準を定めてほしいという要望を出すことがある。しかし、そう簡単に基準が決められるようなものではない。というより、簡単に決められるものならとっくに決めているのである。
しかし、事業場の安全衛生の担当者、産業医などの実務家や、労働安全衛生コンサルタントなどの専門家は、仕事をしてゆく上でそれを判断しなければならない状況となることが起きることは避けられない(※)。
※ 法違反となるリスクを避けるためには、結局は、安全側で(厳しい側で)判断することにならざるを得ないのであるが・・・
エ 記載されている内容や用語について専門知識がないと理解できない
安衛法令の範囲は、労働安全、労働衛生のきわめて広範な内容を含んでおり、一人の専門家がそのすべてに通暁することは困難となっている。
例えば、ワイヤロープに関してストランドだのアイだのと言われても、化学物質の専門家にはなんのことだか分からない。一方、変異原性試験だの発破時計だのと言われても、クレーンの専門家にはなんのことだか分からない。
さらに言えば、法律の専門家にとっては、技術的な事項については、条文を読んでも具体的な措置義務の内容が把握しずらいということもある。例えば、丸のこ盤の反ぱつ予防装置の設置を求める安衛則第 122 条は、丸のこ盤を使用している事業者にとっては当たり前のことを定めているに過ぎない。しかし、法律の専門家にとっては、「割刃」や「反ぱつ」という用語の意味が分からないのである。
【労働安全衛生規則】
(丸のこ盤の反ぱつ予防装置)
第122条 事業者は、木材加工用丸のこ盤(横切用丸のこ盤その他反ぱつにより労働者に危険を及ぼすおそれのないものを除く。)には、割刃その他の反ぱつ予防装置を設けなければならない。
当然のことではあるが、現実には、安全衛生の担当者や専門家が、安衛法の全般にわたって知識を有しているとは限らない。このように、あまりも広範な知識を必要とすることも安衛法を分かり難くしている理由のひとつであろう。
(2)行政解釈が強い効力を有する法令

※ イメージ図(©photoACの図を一部修正)
別稿(安衛法令における行政解釈の位置づけ)で解説したので、ここでは繰り返さないが、安衛法令というのは通達がきわめて重要な意味を持つ法令なのである。刑事法であるにもかかわらず、法令の条文は抽象的な記述となっており、具体的な内容が通達に書かれていることがよくある(※)。
最近の典型例としては、熱中症対策を義務付ける安衛則第 612 条の2が挙げられるだろう。
【労働安全衛生規則】
(熱中症を生ずるおそれのある作業)
第612条の2 事業者は、暑熱な場所において連続して行われる作業等熱中症を生ずるおそれのある作業を行うときは、あらかじめ、当該作業に従事する者が熱中症の自覚症状を有する場合又は当該作業に従事する者に熱中症が生じた疑いがあることを当該作業に従事する他の者が発見した場合にその旨の報告をさせる体制を整備し、当該作業に従事する者に対し、当該体制を周知させなければならない。
2 事業者は、暑熱な場所において連続して行われる作業等熱中症を生ずるおそれのある作業を行うときは、あらかじめ、作業場ごとに、当該作業からの離脱、身体の冷却、必要に応じて医師の診察又は処置を受けさせることその他熱中症の症状の悪化を防止するために必要な措置の内容及びその実施に関する手順を定め、当該作業に従事する者に対し、当該措置の内容及びその実施に関する手順を周知させなければならない。
本条の「暑熱な場所において連続して行われる作業等熱中症を生ずるおそれのある作業」とは、いったいどんな作業だろうか。通達(令和7年5月20日基発0520第6号「労働安全衛生規則の一部を改正する省令の施行等について」)によれば、「WBGT が 28 度以上又は気温が31度以上の場所において、継続して1時間以上又は1日当たり4時間を超えて行われることが見込まれる作業」だという。
しかし、そのようなことは条文を読んでも絶対に分からない。すなわち、法令に従う(監督官から是正勧告書を交付されないようにする)ことは、この通達を知らない限り困難なのである。これなど、他の刑事法であれば、通達ではなく法令に書かれるところだろう(※)。
※ 仮に、この通達の解釈に満たない状況(WBGT が 28 度未満かつ気温が31度未満の場所で長時間の作業を行うような場合)で、この条文の対策を採らずに労働者が熱中症で死亡し、「間違って」安衛法違反で送検・起訴されたらどうなるだろうか。この条件が条文に明記されているのなら有罪となることはない。しかし、このケースのように通達にかかれているだけだと、有罪となる可能性が否定はできないのである。
これはほんの一例であり、安衛法においては、法令に書かれるべきことが通達によって示されていることが少なくない。
従って、法令を具体的な現場に適用するには、通達を知り、それを理解することが必要不可欠となる。そのため、これまでも法令集などで、各条文のすぐ後ろに関係する通達の関係部分を付記しているものがあり、現場の安全衛生担当者は言うに及ばず監督官からも重宝されている。
とは言え、法令集という位置づけからか、通達が実際の現場でどのような意味を持つかの解説まで行う書籍はほとんどなかった。通達そのものが法令の解釈としての位置付けなので、その解釈は必要がないということだったのかもしれない。しかし、現実にはその通達の内容でさえ、疑問が出るような記述となっていることが少なくないのである。
(3)関連する判例が重要になりつつある
かつて、労働安全衛生の実務においては、あまり判例は重視されてこなかった。安衛法違反の刑事訴訟では、多くが略式手続きで行われ、被告が法解釈について争わないため、判決文で法令の解釈が示されることがほとんどなかったからである(※)。
※ 業務上過失致死傷罪がからむと、正規手続きになることが多い。しかし、その場合でも、業務上過失致死傷罪と安衛法違反が観念的競合(2つ以上の法条文に違反するが、行為としてはひとつである場合)となる場合は別として、安衛法の解釈そのものについてはそれほど争われないことが多い。
しかし、最近では、安衛法違反や労働災害の認定を契機にして、民事賠償請求訴訟が行われるケースが散見し始めた。すなわち、民事賠償請求訴訟で、(間接的に)安衛法違反が争われるケースが出てきたのである。このようなケースで被告側(事業者側)が敗訴した場合、その後の安衛法の規定の運用に影響を与えることもあり得る。
このような訴訟は、事業者にとって(ということは、企業の安全衛生担当者や労働安全衛生コンサルタントにとっても)重要な意味を持つのである。また、このようなケースを含めて、最近では、労働安全衛生に関しては、次のような訴訟の判例が重要な意味を持つようになっている。
- 労働災害が発生したときに、安衛法違反があったことを理由に、安全配慮義務違反であるとして損害賠償を請求する訴訟
- 産業医の業務上の行為が、労働者への不法行為になるとして、労働者が産業医と企業に対して損害賠償を求める訴訟
- 健康上の問題などで長期の休職をした労働者が解雇された場合に、解雇無効の確認や賃金の支払いを求める訴訟
- 同僚などのパワハラやセクハラが不法行為であるとし、職場のそれを防止するための管理体制の不備が安全配慮義務違反であるなどとして損害賠償を請求する訴訟
ところが、なぜかこれまで、労働災害に関する民事賠償請求訴訟を、安衛法との関連から解説する総合的な文献がなかったのである。
2 「コンメンタール 労働安全衛生法」の出版
(1)広範な専門家・実務家による大著
このような中、2025 年5月に法律文化社から、三柴丈典編著「コンメンタール 労働安全衛生法」(以下「本書」と略記する。)が出版された。B5判で 1,584 頁あり、辞書用の紙に印刷されているが5cm の厚さがある。
本稿執筆時点で、ネットの売れ筋ランキングサイトで、「安全衛生」、「労働法」、「労務管理」などの関連キーワードで、4位~10 位程度になっている。販売数もかなり好調なのではないかと推察する。
この書籍の大きな特徴は、広範な専門家と実務家が協力しておられることだろう。編著者である三柴丈典近畿大学法学部教授が中心となって執筆しておられるが、その他、大学の法学部で教鞭をとる学識者、厚生労働省で安全課長・化学物質対策課長などを歴任した元行政官、同省の職業病認定対策室長として労災補償を総括した元行政官、労働関連の訴訟の第一線で活躍する弁護士、労働基準監督行政の第一線で事業者への指導に当たる労働基準監督官、労働安全衛生コンサルタントとして活躍する実務家など、広範囲の専門家、実務家が執筆を分担しておられる。
このことは、安衛法のような、法律、産業医学、安全工学などの広い知識と経験が凝縮した法令の解説書としては、きわめて重要な意味を持つ。とりわけ、労働基準監督官が執筆陣に入っていることなどにより、労働安全衛生法令の記述が実務に直結したものとなっている。これは、企業の労働安全衛生の担当者やその支援にあたる労働安全衛生コンサルタントなどにとって、きわめて有用なものとなっていることを意味する。
なお、当サイトの見解や作図が、本書において何か所かで引用を頂いていることを合わせて紹介しておく。
(2)具体的な適用場面についての記述が豊富
ア 具体的な災害事例と条文の関係
労働安全衛生法は、職業性疾病を含む労働災害の防止を一義的な目的とする法令である。そして、労働災害の防止のためには、広範な知識(理論)と深い経験(実務)が必要なことは言うまでもないが、過去に発生した災害事例について、その発生のメカニズムとともに知っておくことが有効である。
本書には、安衛法令の各条文と関係する労働災害(※)について、その発生のメカニズムとともに、どのようにすれば防止できたかの観点で解説されているのである。
※ 安衛則などの安衛令関連の省令の条文は、重大な労働災害が発生したことが契機となって、同種災害の防止のために定められたものも多い。本書で取り上げられている労働災害が、その契機となった労働災害とは限らないが、各条文を遵守していれば発生しなかったと思われるものが選ばれている。
安衛法は単に法理論的な解説だけではあまり意味がない。このように現実の労働災害と結び付けて解説することにより、実務に携わる利用者にとっては有用なものとなるのである。
イ 現場での疑問に役立つ条文解説
どのような法令でも、多かれ少なかれそうしたものだが、実際の現場に適用しようとすると、どうしても様々な疑問が出るものである。法令の文章は、ある程度「すっきり」とまとめられている。しかし、現実はそう「すっきり」とはしていないからである。
さらに、法令とはそうしたものではあるが、かなり抽象的な表現がされていることが多く、具体的な現実に当てはめようとすると、様々な疑問が生じるのである。また、法令で用いられている用語と現実に使用されている用語が異なっていることも多い(※)。
※ 化学物質の名称がその典型であろう。法令の化学物質の名称では、最近のものは IUPAC 命名法によって名称が付されている。しかし、実際の化学物質は、別名で呼ばれていることが多く、IUPAC 命名法によって名称が付された法令の名称で呼ばれることは多くはない。
さすがに、本書でも IUPAC 命名法による名称と実際の化学物質名の対照表までは付されていない(現実の化学物質の名称はユニークではなくそのようなことは不可能である)。しかし、本書には CAS 登録番号(CAS RN®)の利用についての記述があり、これは化学物質の専門家以外の実務家には役に立つ。
実務では、化学物質の特定には CAS RN® を用いることで化学物質を特定することが多いからである。なお、外部に公表する文書に CAS RN® を載せるときは化学情報協会のライセンスが必要である=これについては「CAS RN® の利用と訴訟リスク」を参照されたい)。
本書では、分かりにくい安衛法の各種の用語について、図表を多用して分かりやすく現実の現場に直結する形で解説されている。これは、法令の解説書としては、かなり特徴的なことであるが、読者が条文を理解する上で、大きな助けとなるであろう。
(3)関連する判例についての記述が充実
かつては、安衛法に関する判例は、(判例集に記載されたものがほとんどなかったこともあるが)あまり重視されてこなかった。ところが、先述したように、近年では、安衛法違反に関連する民事判例がきわめて重要な意味を持つようになってきたのである。
もちろん、これらのすべてが安衛法令に直接関係するというわけではない。しかし、広い意味では労働安全衛生に関係する面もあり、安衛法令の条文との関連が話題となることがある。このため、その判例が安全衛生の関係者にとり、重要なものとなっているのである。
本書においては、この判例の記述が充実している。執筆者が法律の専門家と訴訟実務にあたる弁護士が多いことにもよるのだろうが、これが本書の大きな特徴となっているのである。
【本書の姉妹編】生きた労働安全衛生法
労働災害に関する民事賠償請求訴訟を、安衛法との関連から解説する総合的な文献として、2025年5月に同じ法律文化社から本書の姉妹編である「生きた労働安全衛生法」が出版されている。
こちらは、安衛法の各条文について、監督指導状況(※)や関連する判例の関係部分を添付して解説を加えたものである。
※ この「監督指導状況」はかなり監督実務に突っ込んだ内容となっており、参考となるものと思われる。
判例は、民事法関連のものが多いが、一部に刑事法(業務上過失致死傷罪、安衛法違反)に関するものも含まれている。安衛法が問題となるケースでは、下請け労働者に対する元請けの責任や、オペ付きリース機械の貸与を受ける側の責任が争われたケースなどが紹介されている。
こちらは、本書の編著者である三柴丈典氏が執筆しておられる。また、本書が作成される過程において、大学の法学部の教員、弁護士、労働基準監督官などが関わっておられる。
こちらも、本書と合わせて労働安全衛生の実務家に役立つ良書となっている。
なお、こちらでも、74 頁に私(柳川)の見解について紹介を頂いている。
(4)行政解釈の記述とその解説が充実
また、先述したように、安衛法は行政解釈がきわめて重要な意味を持つ法令である。そして、行政解釈には(法令の条文と同様に)独特の言い回しがあり、行政官の経験がないと分かりにくい面があることも事実である(※)。
※ 行政の実務においては、「文書として明示はできないが、行間を読んで欲しい」というケースがあり、そのような場合は、通達でもかなり持って回った言い方をすることがある。
最近の例では、低圧電気自動車整備の特別教育の受講が必要となる業務の範囲が、低圧に限られない電気自動車の整備に拡大されたときの通達がある。このとき、改正前の低圧電気自動車整備の特別教育をすでに受けた者が、新たに高圧の電気自動車の整備を行うような場合、高圧に関する電気自動車の整備に固有な知識についての特別教育を新たに受ける必要があるかについて問題になったのである。
これに対して、省令改正に関する解釈通達(令和6年6月12日基発0612第22号「電気自動車の整備の業務等に係る特別教育に係る労働安全衛生規則等の改正について」)は、「追加的に教育が実施されている必要がある
」としつつも「特別教育の科目の全部又は一部について十分な知識及び技能を有していると事業者が認める労働者については、労働安全衛生規則第37条の規定に基づき、当該科目についての特別教育を省略することができる
」と付記したのである。
これは、改正前の特別教育と改正後の特別教育の実質的な内容がそれほど変わるわけではないことから、特別教育を省略してよいと暗に認めたのである。仮に、教育が必要であると行政が考えているのであれば、追加するべき教育の科目・内容・時間等をこの通達で定めるはず(これまでの同種のケースではそうなっていた)だが、この通達にはそのような記述はなかった。
このような通達の裏側の事情は、行政出身者には(個人の資質にもよろうが)すぐに了解できるのだが、行政の思考に慣れていないと理解することは困難だろう。
本書は、先述したように、実際の立法に携わった厚生労働省の幹部職員と、現場で事業者の指導を担当する労働基準監督官が執筆にあたっている。このため、安衛法令を、実務に適応するときに疑問となりやすい事項についての記述の範囲や正確性は確かなものとなっている。
3 最後に(本書を推薦する)

※ イメージ図(©photoAC)
これまで、安衛法に関しての公的又は定番のコンメンタール(逐条解説書)は出版されていなかった。法令集には定番のものがあり、企業の監督にあたる労働基準監督官がそれを使っていることもあって、多くの企業がそれを採用している。
しかし、広くその解釈や解説を加えたもので公的なものはなかったし、一定の分量があるもの(※)では、定番といわれるものはほとんど存在していなかったのである。
※ 安衛法のような広範囲の法令では、ある程度の分量がないと、どうしても入門書か概説書になってしまう。
今後、本書が、多くの企業や労働安全衛生コンサルタント事務所などで、定番のコンメンタールとして活用され、職場の安全衛生の水準が向上することを祈念したい。もちろん、法令は常に改正を繰り返しているのであるから、そのためには、今後、定期的に改訂されることが必要条件とはなろう。
そのためには、ある程度、コンスタントに販売量が確保されなければならないだろうが、民間のランキングサイトにおいても上位を占めているのであるから、販売量もかなりあるのではないかと思われる。その意味では、今後の定期的な改訂も期待されるところである。
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