「安衛法なんか守らなくったって事故は起きないよ」とは、現場でよく聞く言葉です。事実、法違反があっても事故は起きていません。
安衛法は災害が起きないからこそ規制をかけるのですというと驚かれるかもしれません。逆説的に安衛法の神髄を解説します。
- 1 対策なんかしなくったって事故は起きないよ
- (1)高所作業と命綱
- (2)タバコ(喫煙と受動喫煙)
- (3)シートベルト
- (4)なぜ人々は危険な行為を続けるのだろうか
- 2 事故が起きないからこそ規制するんですけど
- (1)薬物は害がないから危ない
- (2)不安全行動も薬物と同じような面がある
- (3)事故が起きないからこそ規制する
- 3 最後に
1 対策なんかしなくったって事故は起きないよ
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(1)高所作業と命綱
私の実家は古い民家なのだが、田舎のことであり、都会の家よりもかなり高さがあった。今の若い人には信じられないかもしれないが、昔は家をつくるときは、けっこう親戚から素人が集まって建設の仕事を手伝っていたものである。
そのため、当時の男たちは家の作り方も分かっており、小さな改修程度のことなら素人だけで行っていた。私の家にも竹を細く割るための道具が残っていた。細く割った竹を格子状に組み合わせ、藁を混ぜた土を塗りつけて壁にするのだ。子供たちは、この竹の余りをもらって弓を作り、笹の穂を矢にしてよく遊んでいた。
さて、どのような経緯だったかは忘れたが、実家の2階の木製の窓をサッシにすることになり、そのときはプロの業者が工事を行った。昔のことである。作業員は命綱など着けてはいない。そのまま窓の外側で作業をするなど、かなり危険なこともしていたので、「命綱は着けないのか」と訊いてみた。その時の答えは、
【なぜ命綱をつけないのかとの問いに対する回答】
- ① 命綱なんかしなくても落ちたりはしないよ。
- ② 命綱なんかつけたらかえって危ないよ。
というものであった。なお、当時、私は中卒で県外の某メーカで働いており、そのときは実家へ帰省していたのである。
私は、就職先のメーカでは電気設備の修繕を担当しており、まれに工場の天井などへ登ることもあった。天井と言っても、H 鋼が張り巡らされているだけで、天井板があるわけではない。高さは5メートル程度だった が、下には動いている工作機関が並んでいる。落ちれば死亡事故になるおそれはあった。
しかし、やはり移動の際には命綱などしてはいなかった。工場の柱の一部は鋼鉄の枠組み構造で、斜めに鋼材が取り付けられているので、それを足掛かりにして天井へ上がり、天井に張り巡らされた H 鋼の上を、上部にある鉄の棒などにつかまりながら歩いて移動するのである。
もちろん私が、高所の作業をするようになったのは 18 歳になってからである。私がへっぴり腰でいると、先輩は笑いながら「大丈夫だ、落ちても床までだ」と言ったものである。上へ落ちたら限りがないが、下なら床までだというわけだ。
私たちもまた、墜落事故を起こすなどとは全く考えていなかったのである。
(2)タバコ(喫煙と受動喫煙)
ア もしタバコがなかったら
仮定付きの話ではあるが、タバコがこれまで嗜好品として用いられたことが一度もなかったとしよう。ところがタバコの有害性についてのデータは、現在の我々の社会が保有しているものと同程度のものが存在しているとする。
その状況で、タバコを嗜好品として販売し始めた企業が現れたとしよう。さて、どういうことになるだろうか。
これは、断言しても良いが、世界中、どのような国の政府もこのような企業の行動を放置することはあり得ない。このような行為は、なんらかの法令に違反することになるだろう。この企業の行為は、ただちに禁止されることになるだろう。
また、仮に、嗜好品や食品に新しい化学物質を用いるときは許可を得なければならないという法制度がある場合は、許可されることはあり得ない。万一、許可を得ずに販売したような場合、少なくない国家において、企業の責任者は刑務所に入ることになるだろう。
タバコはこれまで嗜好品や飲料品として用いられた歴史が長いために使用が許されているにすぎないのである。嗜好品や飲料品としての使用が許されるかどうかは、その有害性の強さだけが問題になるわけではない。歴史的な経緯も考慮されるのだ。現在でもヒジキを食品として使用することを禁止している国もある。そのような国家は、ヒジキを食品として使用してきた歴史がないのである。
タバコの煙は、現在の我が国の労働安全衛生法令で、作業環境測定や特殊健康診断を義務付けられている化学物質と比較しても、けっして有害性が低いとは言えない物質である。
仮に、学校などで吹き付け石綿が使用されていて、子供たちのいる空間に1リットル当たり数百本の石綿が存在している(※)などということになれば社会的な大問題になることは必至である。ところが、かつて、子供も入る可能性のある食堂を分煙化するという法制化をしようとしたとき、大きな反対が巻き起こったのである。
※ 大気汚染防止法では特定粉じん発生施設の敷地境界における気中濃度の基準は1リットル当たり 10 本となっており、労働安全衛生法上の管理濃度は1立方センチメートル当たり 0.15 本(1リットル当たりでは 150 本)となっている。なお、測定の方法は、それぞれの法令によって定められている。
イ タバコによる死者
我が国において、(余分な)死をもたらすリスクには様々なものがある。次の表は様々な原因による1年間のわが国の死亡者数(注記がなければ2019年)である。なお、一部には重複もあるものと思われ、各統計によって「死亡」の定義も異なるので、単純に比較することはできない。また、それぞれの死者には重複があり得ることをお断りしておく。
死亡の原因 | 1年間の死亡者数 |
---|---|
喫煙による超過死亡 1-3 | 12~13万人 |
肺炎(新型コロナではない)4 | 95,518人 |
自殺 5 | 20,169人 |
家庭内の不慮の事故(平成 24 年)6 | 13.952人 |
受動喫煙による超過死亡 7 | 6,800 人 |
交通事故 8 | 3,215人 |
火災 9 | 1,468人 |
労働災害 10 | 845人 |
水難(行方不明を含む)11 | 695人 |
他殺(殺人)12 | 299人 |
食中毒 13 | 4人 |
※1 Katanoda K, et al.2008
※2 Murakami Y, et al. 2011
※3 Ikeda N, et al.2011
※4 人口動態統計
※5 警察庁統計
※6 人口動態統計
※7 片野田ら、厚生の指標 2010
※8 警察庁発表資料(2020年は2,839人)
※9 総務省報道発表資料
※10 厚生労働省発表資料
※11 令和元年における水難の概況/警察庁生活安全局生活安全企画課
※12 人口動態統計
※13 令和元年食中毒発生状況の概要について/厚生労働省医薬・生活衛生局食品監視安全課
これによると、喫煙によるものは12~13万人とされており、自殺以下のすべての死亡者数の合計の倍近いのである。また受動喫煙による死者も 6,800 人で、交通事故と火災と労働災害の全死者数よりも多い。
なお、喫煙による死亡者数については、厚生労働省健康局総務課生活習慣病対策室が平成24年2月27日の「たばこアルコール担当者講習会」で用いた資料から引用している。
さて、ベトナム戦争で、米軍の戦死者数が最大となったのは 1968 年で、その年の戦死者数は 14,592 名(※)である。一方、同時期に南ベトナムに派遣されていた米国軍人の数は 53 万 6000 人である。従って、在南ベトナム米国軍人の死亡率は 2.7%という驚くべき高率であった。ベトナム戦争への派遣期間は、通常は2年間だったから、この年にベトナム戦争に派遣された米国軍人は、実に 5.4%もの死亡リスクがあったことになる。
※ ただし、友軍による砲撃での死亡など、"事故"による死者は含まれていない。実質的な死者はもっと多いのではないかとの主張もある。
一方、我が国の 2012 年 10 月時点の 20 歳以上の人口に、JTが公表している同年の喫煙率 21.1%を乗ずると、その時点における喫煙者数は2270 万人となる。そこで、喫煙による死者数の予測の最小値 12 万人を2270 万人で除すると 0.529%となる。これがひかえめにみた1年当りの喫煙による死亡リスクとなろう。20 歳から 60 歳まで 40 年間喫煙すると、21.2%(0.529×40:高次の項を無視している)となり、米国側のベトナム戦争参加の約4倍のリスクとなる(※)のである。
※ ベトナム側のリスクは、これよりはるかに高かったと思われる。米国は、常習喫煙者ほどのリスクさえ犯さずに、ベトナム戦争を遂行したという評価も可能かもしれない。
ウ タバコはなぜ禁止されないのか
であれば、タバコを嗜好品として禁止していないのは、あまりにもばかげてはいないだろうか。石綿でがんになるのは許されないが、それよりも社会全体のリスクがはるかに大きい喫煙や受動喫煙でがんになることはかまわないとでもいうのだろうか。
しかし、タバコは現在でも人体に対して使用することが許され続けている。自らに対して使用するだけではない。周囲にいる子供や女性に対して間接的な喫煙を強要するばかりか、妊婦の前で喫煙したり、ときには妊婦自身が喫煙したりすることも禁止されてはいないのだ。
だが、禁止されていないからといって、なぜ、少なくない人々がそのような危険な行為をするのであろうか。たぶんその答えは、次のようなことではないだろうか。
【なぜタバコが許されるのか】
- ① タバコに害があることは、理論では分かっている。
- ② しかし、これまでそれの人体への使用は許されていた。
- ③ 1本のタバコでただちに健康障害を生じるわけではない。
- ④ たぶん(自分は)病気になることはないだろう。
- ⑤ タバコにも、気分を落ち着けてくれたり、楽しくしてくれたりというメリットはある。
肺がんや喉頭がんに罹患したときのデメリットとタバコを喫することによるメリットを合理的に比較しているわけではない。もし、これを合理的に比較するなら、そこから得られる合理的な結論は、タバコは吸わないということになる。そうではなく、希望的に(自分は)病気にならないと、さしたる根拠もなく思っているにすぎないのである。
(3)シートベルト
また、今では車に乗るとシートベルトをするのが当然になっているが、まだ規制がなかったころのことだが、友人の車に乗ったときにシートベルトをしたら、事故に遭ったとき逃げられなくてかえって危ないからやめろと言われたことがある。
今でこそシートベルトの効果はよく知られるようになっており、テレビドラマの悪漢たちが警官から逃げようとしてカーチェイスをするときもシートベルトをしているが、シートベルトを義務付けようとしたとき、意外にリベラルな識者からも反対の声が上がったものである。
反対の理由はいくつかあったが、そのひとつが、事故が起きたときにシートベルトをしていると逃げられないというものであった。実際には、事故が起きたとき、シートベルトをしていなければ、死亡したり大怪我をしたりする可能性が高く、そうなれば逃げたくても逃げられなくなるのだ が。
また、シートベルト着用が義務付けられても、タクシーのドライバーはシートベルトが引き込まれないように固定して、体の左側に垂らしておくだけなので、もし事故が起きて上体が前方に投げ出されると、このシートベルトが凶器になり、頸動脈を切られるようなことになって危険だという主張がなされることもある。
結局これらの主張がなされる理由は以下のようなことである。
【かつてシートベルの義務付けに反対した理由は何か】
- ① シートベルトをするのは不快である。
- ② (自分は)シートベルトが必要になるような事故に遭わない。
- ③ シートベルトをすると、かえって危険である。
- ④ 従って、シートベルトの義務付けには反対である。
実際には表向きは、③と④だけが主張されるのであるが、その背景には①と②があるのだ。事故に遭うことなどないと思っているのである。
(4)なぜ人々は危険な行為を続けるのだろうか
また、少なくない電気工事士は、200 ボルト程度なら電気が通じている活線を、素手で平気で触って工事を行うことがある。これは、同時に電位の異なる2つの導線に触りさえしなければ、体に致命的な電流が流れないと思っているからである。事実、絶縁体の上で作業をする限り、多少、ピリピリとはするが、慣れてしまえば大したことはない。
しかし、これには個人差がある。活線作業に慣れた先輩が、新人の後輩に活線を押さえるように指示して、新人が死亡したという事故も起きているのである。
また、戦後、電柱が木製からコンクリート製に変わっていく過程で、かなりの電気工事士が感電事故で亡くなっている。コンクリートは木材よりも電気を流しやすいのだが、そのことは専門家でもなければ知らない。一般の電気工事士はそのことを知らないため、木製の電柱と同じような感覚で活線作業をして感電死亡したのである。
活線作業が危険だとは知っていても、(自分が)事故で死亡するなどとは考えてもいないことが多くの悲劇を生んだのである。
大学を卒業して民間を経て労働省(現厚生労働省)へ就職すると、安全衛生活動に熱心な事業者の方と知り合うことも多かった。中には、気心が知れて、本音で話ができる関係になることもある。そんなとき、規則の必要性は分かるが・・・としつつも次のように言われることがあった。
【なぜルールが守られないのか】
- ① 規則通りの措置をすると仕事がやりにくいとか、暑いとか作業者から苦情が出る。
- ② 安全装置を外しても実際に事故は起きない。
確かに、労働災害の発生件数は、戦後の一時期に比較すればかなりの減少を果たしている。個々の事業場でみると、一部の業種を除くと、かなりの大企業でもない限り、ここ数年間は休業災害など起きたこともないというケースがほとんどである。
一方、では安全衛生法が順守されているかといえば、少なくない事業場で違反が認められることも事実である。労働基準監督官による臨検監督において、労働安全衛生法違反が認められる事業場は多い。また、違反までいかなくとも、不安全な状況があるとして指導票を切られるケースも多いのである。
これはどういうことだろうか。違反や不安全な状況があっても事故は起きないということなのであろうか。ではなぜ、安衛法は罰則をかけてまで様々な規制をかけているのだろうか。
2 事故が起きないからこそ規制するんですけど
(1)薬物は害がないから危ない
私は、現役時代に労働基準局の安全衛生課長や、労働局の労働基準部長の経験がある。そのような職についていると、業界団体の安全衛生大会などで短い講和や挨拶を頼まれることがある。
そんなとき「覚せい剤などの薬物はなぜ危ないか分かりますか」と問いかけることがあった。そして「あれは害がないから危ないんですよ」と続けるのである。そうすると、眠そうにしていた聴衆も、顔をこちらに向けて頂ける。
そして、話を次のように続けるのである。
【なぜ薬物は危ないのか】
① | 一度だけなら害はない | ||
↓ | |||
② | 好奇心で手を出す者がいる | ⇒ | 一度で健康にひどい害が出るなら誰も手を出さない。 |
↓ | |||
③ | かなりの快楽が得られる | ⇒ | しかも一度で健康が悪化するわけではない |
↓ | |||
④ | 必ずもう一度手を出す。 | ⇒ | しかもその一回で健康が急激に悪化するわけではない |
↓ | |||
⑤ | 必ず使用を繰り返す。 | ⇒ | しかも各使用のたびに健康が急激に悪化するわけではない |
↓ | |||
⑥ | 依存によって、使わないと離断症状が出る | ⇒ | 適切な治療と支援がない限り、もうやめられない |
↓ | |||
⑦ | 重大な健康障害が出るが使用をやめられない | ⇒ | どんなことをしても薬物を手に入れようとして、生活を破壊する |
↓ | |||
⑦ | 廃人又は死亡 |
そう、もし一回の使用で健康に深刻な影響が出るなら、誰も手を出さないのである。それがないから、すなわち危なくないから、好奇心から手を出すのである。ところがそれによって得られる快楽はきわめて大きいのである。
こうなると、必ず、もう一度手を出すことになる。そして、これを繰り返す。ところが、どの一回の服用についても、その1回で健康を悪化が急速に進むことはないのだ。こうなると止められなくなるのである。
もちろん、適切な支援や治療が行われて、本人がきちんとした自覚を持てば社会復帰ができないわけではない。そのような経験のある人物にも社会への再参加への道は開かれているべきである。ここに挙げてあるのはあくまでも、適切な支援と治療が行われなかった場合のことであるので、誤解のないようお願いする。
(2)不安全行動も薬物と同じような面がある
そして、話を労働安全衛生につなげるのである。「では、労働安全衛生法違反をしたら事故は起きるでしょうか」と尋ねて、「起きません」と自ら断言する。そうすると、意外に多くの聴衆の方にメモを取って頂けることがある。話す側としてもこれはうれしいことである。
そして薬物依存と安衛法違反の共通性を述べるのである。
【なぜ安全衛生法違反が行われるのか】
① | 一度だけなら災害は起きない | ||
↓ | |||
② | 急いでいる、仕事がしにくいなどの理由で違反をする | ⇒ | 必ず事故が起きるようなら、誰も違反しない。 |
↓ | |||
③ | 仕事がやりやすく、早く済む | ⇒ | しかも一度で事故が起きることは、ほとんどない |
↓ | |||
④ | 必ずもう一度違反をする。 | ⇒ | その一回でも事故は、ほとんど起きない |
↓ | |||
⑤ | 違反を繰り返す。 | ⇒ | それでも多くの場合、災害は起きない |
↓ | |||
⑥ | 違反を前提として、仕事の契約をしたり、作業予定を立てたりするようになる | ⇒ | 違反を前提とした仕事の契約や単価の設定になってしまう |
↓ | |||
⑦ | ヒヤリハットや軽微な災害が出ても違反をやめられない | ⇒ | 適切な教育・監督・指導がない限り、もうやめられない |
↓ | |||
⑦ | 重大災害の発生 | ⇒ | 宝くじの当たる確率よりは、はるかに高い |
やや、牽強付会と思われるかもしれないが、災害が起きないからこそ危険な行為が行われて、その行為の結果、宝くじよりもはるかに高い確率で事故が起きるのである。
(3)事故が起きないからこそ規制する
私の講話では、ここで「労働安全衛生法では、10 メートルの高さの建物から労働者を飛び降りさせてはいけないとか、動いている大型プレスの中に労働者を立ち入らせてはならないなんて定めてないでしょう」「安全衛生法は必ず事故が起きるようなことは規制していないんですよ」「事故が起きないからこそ規制をかけるんです」と続けるのである(※)。
※ 実際には、考えられないような不安全な状況で死亡災害が発生したケースもあり、現役時代に、都道府県労働基準局(労働局)で安全衛生課長や労働基準部長をしていたときなどに、上司の局長から「なんでこんなことが違反にならないんだ」と問い詰められたことが数回ある。しかし、あまりにも不安全な行為については、意外に禁止されていないので違反にならないものなのである。
【コラム:違反のありえない条文】
もっとも、これには例外もある。たとえば電気業に関して、ディスコンと呼ばれるスイッチを、電流が流れる状態のまま切らせてはいけないという条文が労働安全衛生規則にある(第 340 条)。これは、ディスコンの生切りの禁止条項などと呼ばれるが、実は、ほとんど意味のない条文なのである。
というのは、ディスコンを電流が流れたまま切ると、大事故が発生することは電気技術者なら誰でも知っているからである。そしてディスコンが設置されているのは、変電設備があって電気技術者のいる、かなりの大企業である。もちろん、素人が電力回路のディスコンを切ろうとすることなどありえないと言ってよい。つまり、ディスコンの生切りが、故意に行われる可能性はないといってよいのである。
現実には、労働災害の発生件数が減少してくると、個々の事業場では災害が発生しないような不安全行動でも、それを規制していかないと災害件数が減らない状況になっているのである。
残念なことに、近年の休業4日以上の労働災害の減少率は、鈍化傾向がみられる。そればかりか、教育研究業など、個々の業種では、ここ十数年の労働災害の発生状況を見ると増加する傾向さえあるのだ。この増加の原因は高齢者が増加していることによるものだと思われる。
こうなってくると、これまで労働災害の発生件数は、下がって当然のものだったのだが、これからは増加するのが当然という時代が来るかもしれないのである。
要するに、さらに災害件数を減らすためには、逆説的ではあるが、“事故が起きないような不安全状態”について規制をかけてゆく必要があるということなのである。
また、安全装置があるため、多少危険なことをしても事故が起きなくないようになっていて、そのために安心して不安全行動をとったら、たまたま安全装置が誤動作したり、そもそも設計が誤っていたりして事故に遭うという、新しいタイプの災害も発生しているのである。
【新しいタイプの災害の発生】
私が某地方局にいたときのことである。ある動力機械の材料がひっかかったため、機械が動かなくなるはずのスイッチを入れて、労働者が機械内部に入って材料を直したところ、いきなり機械が動き出して労働者が死亡するという災害が発生した。
驚くべきことに、そのわずか数日後に、近県の労働基準協会から送られてきた機関誌に、全く同じような災害の事例が載っていたのである。すぐにその県の労働基準局と連絡を取ったところ、同じメーカの同じ型の機械だということが分かった。
通常は考え難いような災害であり、安衛法違反にも当たらなかったのだが、本省とも相談し、そのメーカに対して、設計の変更と同型の機械の販売先へ注意喚起の連絡をするよう依頼した。
常識で考えれば、機械の動作を止めるはずのスイッチを入れているのであるから、発生するはずのない事故であった。ところが、信じがたいほどの設計の拙稚さからそうはなっていなかったのである。そして、そのために2名の労働者が死亡したのである。
この場合も、安全装置を過信せず、機械の電力を切ったうえで、物理的に機械が動かなくなるような措置をとってから機械の中に入っていれば起きなかった事故である。もし、多くの機械設備がいつ動き出すか分からないような危険なものであれば、労働者もそうしたであろう。
ところが、ほとんどの機械設備は安全なものになっているのだ。スイッチさえ入れておけば安全だという、まさに"に津城における安全な状況"に"例外的な設計思想の拙稚さ"が重なって災害を発生させたのである。
そのため、安全について二重の規制が必要となる場合もでてきているのである。このような規制の例としては、産業用ロボットに関する規制が挙げられる。産業用ロボットは、誤動作するおそれがあることから、一定の場合には、柵を設けるなどにより、稼働な範囲に労働者を立ち入らせてはならないことになっている。
ところが、意外なことに、左翼的といわれるマスコミが、これを過大な規制だとして、批判することがある。ロボットと作業者が共同して働くことが重要であり、あまりにも形式的な規制だというのだ。
しかしながら、前述したような"新しいタイプ"の災害も発生するようになってきている。また、自動機械というものは、必ず誤動作することがあるのだ。
繰り返しになるが、労働災害のさらなる減少のためには、まさに、本稿の表題にあるように、災害が起きないからこそ規制をかける必要があるようになってきているのである。
3 最後に
2019 年の1年間に、ある雇用者が被災するリスク(被災可能性)はどの程度だろうか。
休業4日以上の被災者数は 125,611 人である。一方、労働力調査による雇用者数は 5669 万人であるから、単純に計算すると約 451 人に1人が被災するリスクがあることになる(※)。
※ 異なる統計の数値で計算しているので正確なものではない。概算だと思って欲しい。以下、同様である。
この状況下で40年間(25歳から65歳まで)働いた場合に被災する確率は、高次の項を無視して計算すると、(1/451)×40=1/11.3 となり、約 11.3 人に1人が被災することになる。
また、2019 年の1年間の被災死亡者者数は 845 人であるから、約5万6千人に1人が死亡するリスクがあることになる。この状況下で40年間働くと仮定すると、同じように計算して 1,677 人に1人が死亡することになる。
この数字をみて、すでに容認できるほどに少ない数値であると理解するのか、まだまだ減少させなければならない数値であると考えるかは、人によるだろう。
しかし、このリスクは平均値なのである。現実には、事務職など被災する可能性のほとんどない雇用者も存在している。従って、一定の危険性を有する職業に従事する労働者が被災するリスクはこれよりもかなり大きいのである。
また、私個人は、仮にリスクがかなり低い数値になったとしても、この事故は事前に予想ができて、合理的な対策を採っていれば防げたはずだと考えられるような災害が発生している間は、そしてまさに現状はそうなのだが、災害を減少させるための努力が必要だと考えている。
そして、かつての労働災害の減少は、確実な対策を採ることによって防ぐことのできる「墜落転落」「はさまれ巻き込まれ」「飛来落下」などの災害の減少によって実現してきた面がある。これらの災害は、たんに法令を守っている"だけ"でも、ある程度までは減らすことができる災害なのである。ところがこれらの減少幅も、すでに停滞気味なのである。
これからは、規制の在り方をさらに詳細なものにしてゆくか、各事業場において労働災害防止のための十分なリスクアセスメントを実施することが必要になるのである。そのために、「墜落転落」「はさまれ巻き込まれ」「飛来落下」などの従来型災害以外の、ある意味で発生件数が少ない労働災害防止について、きちんと予測ができる専門家の育成が急務になっている。
すなわちこれからの労働災害防止は、法令や通達も詳細なものになってゆかねばならない。また、行政の外の専門家も、法令や通達だけ知っているようでは通用しない時代が来ているといってよい。
このサイトでも、労働安全衛生コンサルタント試験の支援のためのページを設けているが、できるだけ多くの専門家が育ってきて欲しいと思うものである。