※ イメージ図(©photoAC)
厚労省は、自律的な化学物質管理をめざして2022年2月24日に改正安衛令等を公布し、同5月31日には改正安衛則等を公布しました。
この改正により、約 2,900 種類のリスクアセスメント対象物を製造・取扱う事業場は、業種・規模にかかわりなく化学物質管理者を選任しなければならなくなります。また一定の場合には、保護具着用管理責任者を選任しなければならなくなります。
そして、化学物質管理者等には、事業者は一定の「権限」を与えなければなりません。このことは、労働災害が発生した場合に、化学物質管理者が民事上・刑事上の責任を負うことになり得ることを意味します。
この点について、事業者のみならず、化学物質管理者等の候補者の方も、かなり不安を感じておられるようです。
労働災害が発生した場合の化学物質管理者等が、法律上、どのような責任を負うことになるのかについて詳細に解説します。
- 1 はじめに
- (1)化学物質管理者等の負う法的な責任への不安
- (2)化学物質管理者等と事業場内における権限
- 2 災害発生時の化学物質管理者蝋の責任
- (1)安全配慮義務は誰にあるのか
- (2)労働災害が発生した場合の民事賠償責任
- (3)労働災害が発生した場合の刑事上の責任
- 3 最後に
- (1)50 人未満の事業場での法令の問題点
- (2)化学物質管理者等が責任を問われないために
1 はじめに
(1)化学物質管理者等の負う法的な責任への不安
ア リスクコミュニケーションでの質問
執筆日時:
最終改訂:
※ イメージ図(©photoAC)
厚労省は、自律的な化学物質管理を志向して2022年2月24日に改正安衛令等を公布し、同5月31日には改正安衛則等を公布した。
この改正により、約 2,900 種類のリスクアセスメント対象物を製造又は取扱う事業場で、業種・規模にかかわりなく化学物質管理者を選任しなければならなくなる。
これに先立つ「令和3年度 第2回職場における化学物質管理に関する意見交換会」では、この改正についてのリスクコミュニケーションが行われた。その際、2人の講師(1名は厚労省の担当者)の説明の後、質疑応答の時間がとられた。
会場から、事前に集めておいた質問票を司会役の堀口教授が順番に読み上げて、2人の講師が回答していたが、そのとき次のような質問があった。
○ 堀口教授 ありがとうございます。
「化学物質管理者を選任した場合、化学物質管理責任者の職務に対する安全配慮義務は化学物質管理者が負うことになるのでしょうか。」―すみません、ちょっと意味が分からないので、ペンディングしておきます。
※ 厚生労働省「令和3年度 第2回職場における化学物質管理に関する意見交換会 議事録」
この質問を司会者は「ペンディング(保留)」としてスルーし、その後も講師が回答することはなかった。本当に質問の意味が分からなかったのか、回答する立場の講師に配慮して分からないふりをしたのかは不明である。しかし、質問の趣旨は明確であろう。
事業者は、労働者に対してその安全を配慮する契約上の義務を負う。これは、わが国の確定した判例理論である。この質問を文字通りに読めば、その安全配慮義務を履行する上で、化学物質管理者がどのような役割を果たすのかという趣旨であろう。あるいは、労働災害が発生した場合に、化学物質管理者に民事賠償責任が生じるのかという質問だったのかもしれない。
質問を無視するというのは如何なものかという気はするが、民事上の法律論について、さすがに行政の立場としては答えにくかったのであろう。
イ 当サイトへの質問
また、最近、このサイトへの掲示板でも「化学物質管理者になって災害が起きると、責任を取らされることもあるのでしょうか
」という質問を受けている。
こちらの方は、より直接的な質問であるが、化学物質についての知識や安衛法についてよく知らないのに、化学物質管理者とされることに、質問者の方が不安を感じておられるのである。
事業者のみならず、化学物質管理者の候補者の方も、この点について不安を感じておられる方は多いようである。そこで、本稿において解説をしておきたい。
(2)化学物質管理者等と事業場内における権限
ア 安衛法上の各種「管理者」の責任
※ イメージ図(©photoAC)
安衛則において、事業者は安全管理者(第6条)、衛生管理者(第 11 条)、産業医(第 14 条の4)等に対して、必要な措置等を行う権限を付与しなければならないと定めている。
なお、50 人未満・10 人以上の事業場に選任が義務付けられている安全衛生推進者(衛生推進者)には、このような規定はない。
一方、安衛法に違反があった場合、安衛法第 122 条は実行行為者を罰するとしている。そして、法律上ある行為をしなければならないにもかかわらず、ある事業場でそれが実施されなかった場合、その実行行為者とは、その行為を実施するべき者なのである。
すなわち、事業者から権限が与えられているのであれば、それを実施するべきは権限を与えられていた者である。50 人以上の事業場(※)で選任される安全管理者や衛生管理者は、自らの権限で行うべき法律上の行為を行わなければ、その者が実行行為者として処罰されることもあり得るのだ。
※ 50人未満の小規模な事業場の安全衛生推進者(衛生推進者)の場合、権限は事業場のトップにあり、責任もトップがとるべきとされているのである。そのため、名称も「推進者」であって「管理者」ではないのである。
イ 化学物質管理者等が負う責任
そして、化学物質管理者及び安衛則による保護具着用管理責任者(※)についても、労働者数が1名でも選任しなければならないにもかかわらず、彼らに対して必要な権限を付与しなければならないこととされているのだ。
※ 化学物質管理者については「化学物質管理者の選任の留意事項」を、「保護具着用管理責任者」については「保護具着用管理責任者選任の留意事項」を参照されたい。
【労働安全衛生規則(2024 年4月1日施行)】
(化学物質管理者が管理する事項等)
第12条の6 (第1項から第4項 略)
4 事業者は、化学物質管理者を選任したときは、当該化学物質管理者に対し、第一項各号に掲げる事項をなし得る権限を与えなければならない。
5 (略)
(保護具着用管理責任者の選任等)
第12条の5 (第1項及び第2項 略)
3 事業者は、保護具着用管理責任者を選任したときは、当該保護具着用管理責任者に対し、第一項に掲げる業務をなし得る権限を与えなければならない。
4 (略)
名称も 50 人未満の事業場を含めて「管理者」や「責任者」なのである。しかも、リスクアセスメント対象物を製造していない事業場の場合、化学物質管理者は研修さえ受けることなく(※)選任されるのである。これでは、不安を感じるのも無理はないというべきであろう。
※ リスクアセスメント対象物を製造している事業場の場合、化学物質管理者は所定の講習を受けた者から選任されることになる。もっともわずか 12 時間の講習ではあるが。
なお、令和4年5月 31 日基発 0531 第9号「労働安全衛生規則等の一部を改正する省令等の施行について」によって、その他の事業場の化学物質管理者についても受講が望ましいとされているが、法的に義務付けられているわけではない。
50 人未満の非化学業種の事業場で、化学物質や安衛法令の素養のほとんどない者が、ある日、突然、「管理者」や「責任者」に任命されるのである。そして、ワンマンの社長の下で、化学物質管理のことなど何もできないまま、何かあったら責任を取らされるのでは、たまったものではない。
10 人以上 50 人未満の事業場で選任される安全衛生推進者でさえ、最低でも、安全衛生推進者等養成講習の受講が義務付けられるというのにである。
2 災害発生時の化学物質管理者等の責任
(1)安全配慮義務は誰にあるのか
まず、安全配慮義務(※)は民法第1条第2項や労働契約法第5条を根拠として成立する義務である。これは、契約上の債務履行責任であり、契約の当事者に成立するものである。
すなわち、安全配慮義務を負うのは、労働者と雇用契約(※)を結んでいる事業者(通常は会社)であって、化学物質管理者や保護具着用管理責任者が安全配慮義務を負うことはない。
※ 雇用契約の有無は実質的に判断される。親企業や元請けが実質的に、労働者に対して支配する関係があれば、親企業や元請けも請求の対象になり得る。安全配慮義務及び労働災害が発生した場合の民事賠償責任については「労働災害発生時の責任:民事賠償編」を参照されたい。
化学物質管理者や保護具着用管理責任者は、事業者が安全配慮義務を負う場合の履行補助者という位置づけになる。すなわち、事業者が化学物質管理者等に管理の権限を与えたとしても、それは事業者の内部の関係であり、労働者に対する安全配慮義務を化学物質管理者等が負うわけではない。
(2)労働災害が発生した場合の民事賠償責任
※ イメージ図(©photoAC)
安全配慮義務(事業者の債務)を果たさなかったために労働災害が発生したとしよう。民法第 415 条は、この場合、債権者(労働者)は、これによって生じた損害の賠償を債務者(通常は会社)に対して請求することができるとする。
これを、一般的な用語で「債務不履行責任」と呼ぶが、これを請求できる相手側は、労働契約の当事者である事業者のみである。従って、化学物質管理者に対してこれを請求することは、理論的にあり得ない。
これに対して、民法の第 709 条等の不法行為責任は、(違法に)故意または過失によって損害を受けた場合に、その相手側に損害の賠償を請求することができる。これは、事業者のみならず、加害者であれば誰に対しても請求できる権利である。従って、化学物質管理者に対しても請求することは可能である。
ただ、現実には労働災害の損害賠償請求訴訟で、事業場の管理者を訴える例はそれほど多いわけではない。よほどのことがない(※)と化学物質管理者が訴えられることはないと思われる。
※ 化学物質管理者が、積極的に必要な対策をとらせないようなことをしていれば、訴えられることはあり得よう。
なお、化学物質管理者等の故意又は過失による災害で事業者が民事賠償を行った場合、理論上は、事業者は化学物質管理者等に対してその求償を求めることができるが、現実にはこのようなことを行う事業者はほとんどいない。
(3)労働災害が発生した場合の刑事上の責任
ア 労働安全衛生法違反
化学物質の管理に問題があり、安衛法違反のために労働災害が発生していれば、化学物質管理者等が実行行為者として法違反に問われることはあり得る。
ただし、権限の付与は実質的に判断されるので、事業者が実質的に権限を握っていて、化学物質管理者等の選任が形だけというような場合は、事業者が実行行為者とされることが多いだろう。
また、50 人未満の非化学工業の事業場では、事業者も選任された化学物質管理者等も、安衛法や化学物質管理に関する知識に欠けている場合も多いだろう。この場合、誰も化学物質管理についての法違反をしているという認識さえ持っていないだろう。
しかしながら、安衛法によって化学物質管理者等に化学物質管理の権限が付与されることとなっているため、監督官の判断によっては、事業者ではなく化学物質管理者の方が実行行為者とされる可能性も否定はできない。
そのような運用がなされないことを願うばかりである。
イ 業務上過失致死傷罪
また、労災によって多数の死傷者が出た場合、刑法第 211 条の業務上過失致死傷罪が問題となることもあり得る。
※ 安全配慮義務及び労働災害が発生した場合の刑事責任については「労働災害発生時の責任:刑事責任編」を参照されたい。
この場合、化学物質管理が不適切だったために死傷者が出たとすれば、化学物質管理を誰が行うべきだったかで、被疑者が定まることとなる。ここでも、実質的な判断で、化学物質管理を行うべき者が被疑者となろう。
従って、大規模な企業を中心に、化学物質管理者等が被疑者となる可能性はあるというべきであろう。
3 最後に
(1)50 人未満の事業場での法令の問題点
※ イメージ図(©photoAC)
筆者(柳川)は、化学物質管理者と保護具着用管理責任者について、非化学業種の 50 人未満の中小企業について「管理者」や「責任者」という名称で選任を義務付け、一定の権限を持たせたことは誤りであると考えている。
しかも、リスクアセスメント対象物を製造しない事業場では、化学物質管理者の選任に当たって講習の受講さえ義務付けないのである。
50 人未満の事業場では、実質的にトップが大きな権限を有しており、「管理者」だとか「責任者」などの選任を義務付けても、実際は形だけのものになりやすいのだ。
実質的な権限もなければ、必要な知識もない者を選任しても、化学物質管理者制度が適切に機能するわけがない(※)のである。しかも、事業者が化学物質管理者に化学物質管理の権限を与えてしまい、自らは刑事上の責任から逃れられるような道筋を法令によって付けたのである。これは重大な誤りというべきである。
※ 不幸にして災害が発生し、監督官の調査が行われたとしよう。事業者が「あいつを選任している」と主張したとしても、90 %以上の確率で、本人は「そんなものになった覚えはない」と主張することになるだろう。
50 人未満・10 人以上の事業場では、安全衛生推進者(衛生推進者)と同様に、「推進者」などとして、権限を付与しない形にするべきであった。また、10 人未満の事業場では、化学物質管理者の役割は事業者に負わせるべきであったと思う。
現実に労働災害が発生した場合には、現場の監督官や検察官によって適切な対応がとられるとは思うが、「管理者」や「責任者」の名称を付したことには強い疑問を感じるのである。
(2)化学物質管理者等が責任を問われないために
もちろん、大手企業の場合は実質的に化学物質管理者等が化学物質管理の権限を有することもあるだろう。この場合は、化学物質管理者等が事業場の化学物質管理が適切に行われるように必要な対策を取らなければならない。
そのためには、化学物質管理に関する必要な知識を確実に取得することが何よりも重要となる。その場合「法令の専門家」になってはならない。「化学物質管理」の専門家になる必要がある。
また、労働災害を防止するため、使用している化学物質の有害性情報を十分に把握し、また、事業場内の化学物質管理の実態を把握して、その改善に努めるべきであろう。
場合によっては、自らが責任を問われることがあるのだということを、明確に理解しておいた方がよい。
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