※ イメージ図(©photoAC)
2023年1月、WHO は、ジエチレングリコールに汚染された咳止めシロップによって、インドネシアなど3か国で 300人以上の子供が死亡したとして、関係者への対応を呼びかけました。
ジエチレングリコールは不凍液の他、印刷インキやブレーキ油などに用いられる化学物質です。長期又は反復ばく露による肝臓、腎臓の障害が判明しています。
過去に、ジエチレングリコールを含むシロップ薬剤による死亡事故は、1937年の米国(105人死亡)をはじめとして、1990年代のハイチ(88人死亡)など多数の国、2006年のパナマ(100人以上死亡)の3回に渡って多くの国で発生しました。このため、製薬業や医療業に携わる関係者の間では、ジエチレングリコールによるシロップ剤の薬害は広く知られています。
また、薬剤以外でも、1985年にジエチレングリコールで甘みを増そうとしてワインに使われた事例があり、ある程度の年齢であれば、ジエチレングリコールは一般にもよく知られている毒物です。
このような物質が、なぜ、再び咳止めシロップに使用されたのか、現時点で分かっていることを解説します。
- 1 咳止めシロップによる薬害で子供 300 人以上が死亡
- (1)日本の報道状況
- (2)過去の同種災害
- (3)ジエチレングリコールの毒性
- 2 2022年の咳止め剤による薬害は防げなかったのか
- (1)現時点で判明していること
- (2)事件は防止できなかったのか
- 3 最後に
- (1)被害の拡大防止に全力を挙げるべき
- (2)インドのジェネリック薬品への影響
1 咳止めシロップによる薬害で子供 300 人以上が死亡
執筆日時:
(1)日本の報道状況
※ イメージ図(©photoAC)
2023年1月、WHO は、ジエチレングリコールに汚染された咳止めシロップによって、インドネシアなど3か国で 300人以上の子供が死亡したとして、関係者への対応を呼びかけた。
これは、日本の報道機関も、あまり大きな扱いではなかったものの、ロイターや時事通信の記事を配信している(※1)。実は、これに先立つ 2022 年 10 月 20 日にはNHK(※2)が、同年 11 月3日にはテレビ朝日(※3)が、インドネシアで咳止め薬による子供の死亡事故を報道していた。
※1 ロイター2023年01月24日記事「WHO、汚染薬巡り行動要請 咳止め薬による子ども死亡受け」、時事通信2023年01月24日記事「子供用シロップで300人超死亡 使用中止へ協調訴え―WHO」
※2 NHK2022年10月20日記事「インドネシア 子どもの急性腎障害 急増 99人死亡 服用薬原因か」
※3 テレビ朝日2022年11月03日記事「【「腎疾患」急増】“シロップ薬”が原因? インドネシアで子供の死亡相次ぐ」
ただ、これらはロイター、共同通信、時事通信などの記事をそのまま配信したもので、日本の報道機関はほとんどこの事件に関心を持っていないようである。
これが、もし、米国や英国、フランスなどで発生していたのであれば、大きく報道されたであろう。嘆かわしいことではあるが、わが国の報道機関は、命の重みが国によって異なると認識しているらしい。
(2)過去の同種災害
ア ジエチレングリコールによる薬害
(ア)1937年米国での 105 人死亡事故
※ イメージ図(©photoAC)
製薬業や医療業に関わっていれば、ジエチレングリコールによる薬害の発生は、サリドマイドやスモンと並んで忘れることができない事件である。
ジエチレングリコールが混入したシロップ剤の薬害が最初に発生したのは、米国においてである。米国の S. E. Massengill 社が、細菌感染の薬品としてシロップ剤である Elixir Sulfanilamide を開発した。
その主成分はスルファニルアミドであるが、溶媒としてこともあろうに、72%ジエチレングリコール、16%水をベース(※)にしたシロップを用いたのである。
※ 当時は、ジエチレングリコールの毒性は判明していなかった。なお、ジエチレングリコールと水の他には、サッカリン、カラメル、着色料、香料などが添加されていた。
このシロップ剤は、1937年に 353 人に投与され、105 人(子供 34 人、大人 71 人)が死亡するという惨事となった。だが、この教訓は生かされることはなかったのである。
(イ)1995~1996年ハイチでの 85 人以上の子供の死亡事故等
1995~1996年、ハイチにおいて、アセタミノフェンシロップに配合されたグリセリンに、ジエチレングリコールが混入するという薬害事件が発生したのである。このシロップ剤を投与された 109 人の子供が急性腎不全となり、うち 88 人(※)が死亡した。
※ 死者数等は、ハイチ当局の調査結果による。詳細は、米国疾病予防管理センター(CDC)の「Fatalities Associated with Ingestion of Diethylene Glycol-Contaminated Glycerin Used to Manufacture Acetaminophen Syrup -- Haiti, November 1995-June 1996」を参照されたい。なお、死者数について、Alfadl et al., Res Social Adm Pharm. 2012 Jul 25.は 85 人とし、Baratta et al., Croat Med J. 2012 Apr;53(2):173-84.は、80 人以上とする。
この事件は製薬会社が意図的にジエチレングリコールを混入したものではない。中国から輸入されたグリセリンにジエチレングリコールが混入していたのである。そればかりか、1990年から1998年にかけて、中国製のグリセリンに混入していたジエチレングリコールによるとされる同様な中毒事例が、アルゼンチン、バングラデシュ、インド、ナイジェリアなどでも発生し、多数の死者がでたことが発覚する。
米国食品医薬品庁(FDA)は、これらの事件を受けて、ジエチレングリコールが混入したグリセリンによる健康被害の可能性があるとして、国内の薬品製造業者、供給業者、医薬品リパッカー、医療関係者等に対して、グリセリンがジエチレングリコールによって汚染されていないことを確認するよう求めた(※)。
※ 同時に、ジエチレングリコール汚染を確認する試験方法についてのガイダンスを定めている。
ところが、この教訓もまた、生かされることはなく、その後、同種の事件が繰り返されるのである。
(ウ)2006年パナマでの 100 人以上死亡事故
※ イメージ図(©photoAC)
さらに、2006年には同種の事件がパナマで繰り返されている。事件の発端は、2006年9月以降、パナマで謎の疾病によって多数の死者が出たことであった。パナマ政府は米国疾病予防管理センター、米国食品医薬品局などに原因究明のための協力を依頼した。
米国疾病予防管理センターの国立環境衛生センターは、患者が服用していた医薬品の分析を行った。その結果、疾病の原因が、パナマ社会保障機関が製造した咳止め・抗アレルギーシロップ剤に混入していたジエチレングリコールだったことを明らかにしたのである。
このときも、中国から輸入したグリセリンを使用しており、その中にジエチレングリコールが混入していた(※)のだ。1990年代のハイチなどの事件と全く同じ経緯なのである。教訓は生かされることはなく、そのために多くの人びとの生命が失われたのだ。
※ 中国の国家品質監督検査検疫総局もジエチレングリコールが含まれていることを認めている。
イ 薬品以外のジエチレングリコールによる事件
(ア)1985年オーストリア産ワイン混入事件
ジエチレングリコールがわが国で一般にも有名になったのは、1985年のオーストリア産のワインにジエチレングリコールが混入していた事件であろう。これは、ワインに甘みを加える目的で、意図的に混入したものである。
事件が発覚した後、ワインのみならずその他の果実酒にもジエチレングリコールが含まれていることが明らかになり、社会的に大問題となった。
ただ、混入していたジエチレングリコールの量は、一部を除き、あまり多くはなく、この事件による死者は確認されていない。
(イ)2007年中国産練り歯磨き混入事件
また、2007年には中国産の練り歯磨き(※)にジエチレングリコールが混入されているとして大きな問題となった。
※ 厚労省報道発表「ジエチレングリコールを含有する中国製練り歯磨きの自主回収について」(2007年6月15日)
現実には、混入されていた量は多くはなく、飲み込まれるものではないため、この事件による健康影響は確認されていない。しかし、中国産の食品等へのわが国の国民の不信感を醸成するには十分な原因となった(※)。
※ リスク管理という観点からは合理的ではないが、筆者(柳川)は、今でも中国産の食品は購入する気になれない。なお、確率からいえば、中国産品が、他の国の輸入品に比して特に危険というわけではないことは公平のために指摘しておく。
なお、報道によると(※)、その後、中国当局はジエチレングリコールを歯磨き粉の製造に使用することを禁止する措置を講じた。しかしながら、やや開き直りともとれる対応と、その禁止措置を担保するための措置が明らかでないため、中国に対する批判が治まることはなかった。
※ ロイター2007年07月12日記事「中国当局、練り歯磨きに有害化学物質の使用を禁止」
(3)ジエチレングリコールの毒性
※ 環境省 化学物質の環境リスク初期評価「1.物質に関する基本的事項 [4]ジエチレングリコール」より
ジエチレングリコール(C4H10O3:化審法番号 (2)-415)は、プラスチック用、印刷インキ、ソルブルオイル、繊維用接着剤、ブレーキ油、可塑剤、ユデックス抽出用溶剤、ガス脱水用、セロハンの柔軟剤、セメント混和剤などに用いられる化学物質である。
経口摂取すると、腹痛、吐き気、嘔吐、下痢、眩暈、嗜眠、錯乱、意識喪失を生じる。また、腎臓、中枢神経系、肝臓に影響を与えることがある。
発がん性に関する知見は得られていない。また、職業ばく露限界値等も定められていない。
致死量について、環境省によると次のようにされている。
1937 年に発生したアメリカの中毒事故では、推定で子供の致死量は 4.0~96.8 g(7ヶ月~ 16 歳)、非致死量は 2.4~84.7 g(1~14 歳)の範囲にあり、大人の致死量は 16.3~193 g、非致死量は 0.81~193 g の範囲にあり、致死量と非致死量の範囲には非常に大きなオーバーラップがあった。推定致死量の平均値は大人で 80 g(71 mL)と見積もられ、体重を 70 kgとすると 1 mL/kg となる。
また、1995~1996 年にハイチで発生した小児の中毒事故では、死亡者を含む中毒患者群の体重当たりの平均推定摂取量は 1.34 mL/kg(1,500 mg/kg)で 0.22~4.42 mL/kg(246~4,950 mg/kg)の範囲にあり、本物質を摂取したものの中毒症状のみられなかった小児群の平均推定摂取量は 0.84 mL/kg(940 mg/kg)で 0.05~2.48 mL/kg(56~2,778 mg/kg)の範囲にあり、平均値には有意な差(P = 0.04)があったが、その範囲には非常に大きなオーバーラップがあった。
※ 環境省 化学物質の環境リスク初期評価「1.物質に関する基本的事項 [4]ジエチレングリコール」
2 2022年の咳止め剤による薬害は防げなかったのか
(1)現時点で判明していること
※ イメージ図(©photoAC)
2022年の咳止め剤による薬害は、CNN(※)によると、同年の10月に「インドネシア保健省は19日、咳(せき)止めシロップや液体治療薬に有害成分が含まれている可能性があるとして、全製品の一時的な販売禁止に踏み切った。同国では100人近い子どもが死亡し、急性腎不全の症例が急増していた
」とされている。
※ CNN2022年10月21日「子ども99人死亡、咳止めシロップに有害成分混入か インドネシア」
すなわち、2022 年 10 月 19 日の時点で、確認されたわけではないが、咳止め剤が問題であると強く疑われたのである。
そして、同じ CNN の記事によると「インドネシア保健相の20日の発表によると、一般的には不凍液や塗料、プラスチック、化粧品などの製品に使われる成分のエチレングリコールとジエチレングリコールが、一部の小児患者の自宅で見つかったシロップから検出された
」とされる。
ジエチレングリコールが混入したシロップ剤が原因である可能性は極めて高いといってよい。これまで何度となく繰り返されたことが、再び起きたのと考えられるのである。
そして、2023 年1月 23 日、WHOは、2022年にインドネシア、ウズベキスタン、ガンビアで、300人以上の子どもらが急性腎不全で死亡した原因は、咳止めシロップの有毒物質が原因だと発表した。WHO によっても、ジエチレングリコールが混入したシロップ剤が原因だとされたのである。
なお、咳止め剤に関連する企業は、「否定しているか、調査中だとしてコメントしていない
」とされる(※)。
※ ロイター2023年01月24日記事「有害物質検出の咳止めシロップ、WHOが対応呼びかけ 子供数百人が死亡」
現時点で、疑いがもたれているのは、メイデン・ファーマシューティカルズ(インドの製薬会社)の解熱・咳止めシロップなどで、WHO が 2022 年 10 月と 2023 年1月に名指しで店頭からの撤去を要請した。
(2)事件は防止できなかったのか
ア これまでの事件について
1937 年の米国に始まり、1990年代のハイチなどの事件、2006年のパナマの事件に引き続き今回と、ほぼ4回にわたって同じことが繰り返されたのである。
1937年の事件は、ジエチレングリコールの毒性が分かっていないために、意図的に添加したものである。1990年代と2006年の事件は、中国製のグリセリンにジエチレングリコールが混入していたためで、製薬会社が意図的に入れたものではなかった。
しかし、1937年の事件も、子供たちを含む人の体内に入るものについて、十分な有害性の調査が行われなかったことは強く批判されるべきである。後に行われた動物実験でも有害性は明らかになっているのだ。
また、1990年代と2006年の事件は非難されるべきは、中国企業とそれを見逃した中国当局にあることは当然である。しかし、製薬会社についても、中国から輸入したものについて、検査をしなかったことはやはり批判されるべきだろう。
中国製の製品に、本来混入してはならない物が混入していることがあるのは、わが国においても中国製の製品に石綿が混入している事件が繰り返されていることからも理解されよう。まして、子供の口に入るものについて、検査をしなかったことは厳しく指弾されるべきである。
過去の事件に学び、十分な調査を行っていれば、防止できたはずの事件と言うべきである。
イ 2022年(今回)の事件について
2022 年の事件の原因の詳細は、現時点では明らかではない。しかし、咳止めシロップ剤に混入したジエチレングリコールであることはほぼ判明しているといってよい。
これまでの同種の事件と同じ原因物質、同じシロップ剤の事件が、ほぼ4回にわたって繰り返されたのである。2022 年の事件は、もはや重大な犯罪行為とさえ評価されるべきであろう。
現時点では、どの製薬会社の製品が原因なのか、また、意図的に混入したのか非意図的に混入したのかも分からない。だが、混入していることを知った上で販売していたのなら、強く批判されるべきであるし、知らなかったとすればこれまた許しがたい過失と言うべきだろう。2006年の事件から、まだ十数年しか経っていないのだ。
過去に何度となく繰り返された事件である。当然に、製造・販売をする前にジエチレングリコールなどの有害物が混入していないことは調査するべきであった。わずかな注意をすれば防止できた事件というべきである。
3 最後に
(1)被害の拡大防止に全力を挙げるべき
災害というものは、後になってから考えると、過去の災害の繰り返しというケースが呆れるほど多い。それらの多くは、リスク評価を事前に行って、考えられる災害について十分な対策を取っていれば防止できたはずなのである。
実を言えば、医薬品におけるジエチレングリコールへの対応は、わが国は欧米よりも遅れていた(※)といってよい。厚生労働省医薬食品局は 2008 年2月 21 日になって、日本薬局方や化粧品基準を改正して、グリセリン及び濃グリセリンの純度試験に、ジエチレングリコール0.1%以下という欧米並みの基準を設けた。
※ サリドマイド事件のときも、わが国の政府の対応は、欧米よりも大きく遅れたために内外の批判を浴びている。一般の科学誌であるサイエンスにサリドマイドによる薬害についての記事が載っているときに、日本ではそれが販売されていた(新たな販売は禁止されていたが、回収されていなかった)のである。
その日本政府でさえ、2008 年には対策を取っているのである。なぜ、3回も繰り返された事件が4回も繰り返されたのか、その原因を明らかにして再発の防止を徹底するべきであろう。
また、ジエチレングリコールが含まれるシロップ剤が、これ以上、人に投与されないよう、関係者は全力を尽くすべきである。これ以上、これが人に投与されてさらに死亡災害が発生するなら、それはまさしく人道に対する罪というべきことである。
(2)インドのジェネリック薬品への影響
今回のシロップ剤事件を起こした製薬会社は現時点では明らかではない。しかし、取りざたされているインドの製薬会社が原因だったとすると、インドの製薬業に対する国際的な信頼感は地に落ちるだろう。そして、そのこともまた、大きな問題を引き起こすことになりかねないのである。
インドは1995年まで独特の特許制度を有しており、そのこともあって世界のジェネリック医薬品の約 20 %はインド製であるとされるほどジェネリック医薬品の製造が発展している。そして、安価なインド製ジェネリック医薬品は、貧しい国家にとって必要不可欠なものとなっていることも否定できない。しかし、その安全性について疑いが持たれている(※)こともまた事実である。
※ NewsWeek2019年09月05日記事「インド製ジェネリック薬品の恐るべき実態」
インド製のジェネリック薬品は日本でも流通している(※)が、インド製のジェネリック薬品への不信感が高まれば、貧しい国家における医療の後退につながりかねない。また、わが国のジェネリック医薬品の信頼性にも影響を与えるだろう。
※ 厚生労働省「後発医薬品の原薬調達状況に関する調査結果」によると、「輸入原薬をそのまま使用する後発医薬品の場合、その調達先としては、購入金額ベースでは韓国、中国、インドの3か国のシェアは5割弱であり、成分数ベースでみても4割程度
」とされている。毎日新聞2022年08月31日記事「「言い値でなければ」原薬輸入頼みのジェネリック医薬品が抱える課題」によれば、インド製のジェネリックの割合は16.6%(厚生労働省発表)だが、実態はさらに多いとされる。
インドの製薬会社のすべてに問題があるというわけではない。しかし、わが国を含む多くの国で、インド製のジェネリック薬品に対する不信感が高まることも容易に想像がつく。もちろん、問題を起こした製薬会社とその責任者は厳しく処罰されるべきであるが、インド製の薬品に対する冷静な対応もまた求められるだろう。
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