※ イメージ図(©photoAC)
我が国では 1960 年から 2000年まで、労働災害の発生件数は、「減るのが当たり前」でした。また、2000 年以降も、2009 年まで増減を繰り返しつつもトレンドとしては減少していました。しかし、その後は、増減はしつつも、傾向としては増加に転じたのです。
近年になって労働災害が減少しなくなった理由として、2つのことが指摘されています。ひとつは、高齢化であり、もうひとつは危険に対する労働者の意識の低下です。
労働災害が減少してきたため、個々の事業場では労働災害が数十年間発生していないということも起こり得ます。しかし労働災害が発生していないということは、必ずしも安全であることを意味しません。ところが、災害が起きていないことで、危険に対する感覚が鈍ってしまい、そのために労働災害が減らない原因となっていると指摘されているのです。
そのため、労働者に危険を疑似的に体験させる危険再認識教育の重要性が認識されています。本稿では、危険再認識教育の重要性と効果を解説します。
- 1 はじめに
- (1)労働災害の発生件数が増加に転じた
- (2)高齢者の災害が増加しているだけではない
- (3)なぜ災害は減少できなくなってきたのか
- (4)実務経験が長くても災害は発生する
- (5)労働災害の増加のもうひとつの要因
- 2 危険再認識教育の開発
- (1)なぜ危険再認識教育が必要とされたのか
- (2)行政による危険体感教育プログラムの開発
- (3)危険再認識教育の実際
- 3 最後に
- (1)危険体感教育の普及のために
- (2)たんに危険を体感させるだけでは事故は減らない
- (3)不安全行為をなくすために危険体感教育の活用を
1 はじめに
執筆日時:
(1)労働災害の発生件数が増加に転じた
休業4日以上の労働災害(1972 年以前は休業8日以上)の発生件数は、戦後 1961 年まで経済の拡大とともに急激に増加した。しかし、その後は関係者の努力もあり、1976年から1978年までの時期を別とすれば、2000 年まで一貫して減少させることができていたのである。
このため、当時の労働安全の担当者にとって、災害とは減らすべきものであり、また減るのが当然のことだったのである。逆に、増加するということは異常なことだったのだ。
ところが、その後 2009 年(※)まで、傾向としては減少していたものの、増減を繰り返すようになってきたのである。そればかりか、その後は、傾向としても増加に転じたのである。
※ 2009 年の労働災害発生件数の減少は、リーマンショックによる経済の冷え込みもひとつの要因であった。
このことに関係者は強い危機意識を持ち、増加傾向を減少に転じさせるため、その原因について考察しつつ、様々な試行錯誤を繰り返してきたのである。
(2)高齢者の災害が増加しているだけではない
ア どのような災害が増加しているのか
そもそも、2010 年以降は、どのような労働災害が増加しているのであろうか。労働災害の推移を型別にみると、実は、増加しているのは、「転倒」及び「動作の反動・無理な動作」の2つの型のみなのである。この2つの災害の増加が 2010 年以降の労働災害の要因なのである。
ちょっと考えると、この2つの型の災害は、いずれも高齢者が被災する割合が多そうである。従って、2010 年以降の死傷災害の増加の理由は、労働者の高齢化であって、やむを得ない面があると思えるかもしれない。
しかし、実際には、必ずしも高齢化が、この2つの型の労働災害の増加の要因とばかりはいえないのである。
イ 転倒災害の増加は高齢化が原因
確かに転倒災害は、高齢者の方が事故に遭う確率が顕著に高くなる典型的な災害である。50 歳以上の高齢者の労働災害では、転倒災害の占める割合は3分の1を超えている。
もちろん、高齢者は危険な業務から外されることが多く、他の型の災害に遭いにくくなるので、相対的に転倒災害の割合が増えるということもあろう。しかし、転倒災害の被災者の年齢構成についてみても、高齢者の割合が高くなっていることも事実である(※)。
※ 梅崎重夫他「高年齢者の安全確保のための機器及び作業システムの開発に関する特別研究(第1報)」によると、製造業においては、全労働災害のうち 50 歳以上が占める割合は 39.0 %であるのに対し、転倒災害では 52.7 %とされている(墜落・転落災害は 44.0 %)。
従って、高齢化が進み、高齢者の絶対数が増加すれば、それだけで転倒災害は増加することとなる。転倒災害の増加したことは、労働者の高齢化が原因(のひとつ)であることは間違いはない。
ウ 必ずしも高齢者の割合が高い災害が増加しているわけではない
しかし、意外に思われるかもしれないが、「動作の反動・無理な動作」については、実は災害全体よりも高齢者の含まれる割合が少ないのである。
一方、最近でも増加傾向の見られない墜落・転落災害については、転倒ほどではないにせよ、高年齢者の含まれる割合が多いのである。
従って、高齢者の絶対数が増加すれば、「動作の反動・無理な動作」は減少するはずであるし、墜落・転落災害は増加するはずである。しかし、実際にはそうはなっていない。すなわち、最近の労働災害の増加の要因は、単純に高齢化だけが原因とはいえないのである。
しかし、保健衛生業、教育研究業など、あまり墜落・転落が重視されていない業種では、近年、ほぼ一貫して墜落・転落災害が増加していることも事実である。
このように考えると、墜落・転落災害については高齢化という要因によって増加しつつあるが、一方で墜落・転落災害が重視されている建設業、製造業等での対策の効果で減少しているために、その双方が打ち消し合って全体としては増減していないと考えた方がよさそうだ。
しかし、動作の反動・無理な動作の増加については、高齢化だけでは説明することはできない。
(3)なぜ災害は減少できなくなってきたのか
では逆に、2003 年頃までの労働災害の減少は、なぜ可能だったのだろうか。実は、かつての労働災害の大部分は、「はさまれ巻き込まれ」、「墜落・転落」、「飛来・落下」及び「切れ・こすれ」の4つの型が占めていたのである。そして、2009 年までの労働災害発生件数の減少は、実は、この4つの型の災害(だけ)が減少していたのである。
この時代は、安全技術の進展(先行足場工法、先行手すり工法の導入など)もあるが、要は、ルールを定めてその遵守率を高めることで、災害を減らせたのである。
例えば墜落・転落災害は、危険な場所には作業床を設け、開口部はできるだけ塞いでしまい、塞ぐことができない開口部には囲い・手すりを設け、それもできなければ墜落制止用器具(安全帯)を使用させるなどの方法で労働災害を減らせたわけである。
ところが、2010 年以降は、これらの災害が減少しなくなっているのである。ルールを定めて守らせるという方法では、すでに労働災害を減少させることはできなくなっているのだ。
すなわち、製造業及び建設業を中心に、ルールを定めて、それを遵守させるという方法が徹底されてきたため、その手法で減らせる災害が少なくなってきたのである。そして、相対的に対策が難しいタイプの災害の割合が増えてきたのである。
例えば、墜落・転落災害についていえば、必ずしも安全意識の高くない中小規模の現場での、一時的な業務といってもよいような状況での墜落災害が発生している。このような墜落災害は、ルールを遵守させて防止することが難な面があるのだ。
また、非工業的業種の事務部門の労働者がスマホを使いながら歩いていて階段から落ちるような災害も目立つようになってきている。このような災害も、製造業や建設業とは異なり、事業者に安全についてのルールを遵守しなければならないという意識が育っていない面があるのだ。
(4)実務経験が長くても災害は発生する
ここで視点を変えてみよう。労働災害の発生率の高い者として、経験が浅く知識や技能が十分ではないために、安全な作業をすることが困難な労働者がいるといわれる。そして、近年では、労使ともに終身雇用に対する考え方が変わってきたため、労働者の流動性が高まる(転職の増加)とともに、非正規労働者(派遣労働者、パート・アルバイト等)の割合が急速に増加している。
このような労働者は、経験不足や安全教育を受講した経験が少ないものも多く、そのことが労働災害増加の一因になっているのではないかという主張がみられることがある(※)。
※ 杉原大輔「労働安全を脅かす因子としての正規・非正規という雇用形態の相違」(開智国際大学紀要 Vol.17 2018年)、矢野榮二「非正規雇用と健康」(学術の動向 2010.10)
確かに、単純に考えれば、経験年数の短い労働者は安全に関する知識・経験が少ないであろうし、様々な危険(ヒヤリ・ハット)を経験していることもないだろう(※)。従って、業務経験の短いものは、労働災害の発生率も高くなると思えるかもしれない。
※ さらに言えば、非正規労働者は正規労働者よりも、安全衛生教育を十分に受けていないことも容易に想像がつく。
しかし、厚生労働省によると、労働災害の発生件数を経験年数別に見ると、被災者は業務経験の長い者も一定の割合を占めているのである。次図に示すように、労働災害の多くは、経験年数の高いものに発生しており、建設業ではそれが顕著である。
もっとも、経験年数の長い労働者は年齢が高い者が含まれる割合が多いであろうし、労働者の人数そのものが実務経験の長いものの割合の方が多いだろう。従って、このことから直ちに、経験年数の長い労働者の災害発生率が高いと結論できるわけではない。
そこで、経験年数別に災害発生率(年千人率)をみてみよう。次図は、事故の型ごとに、年齢階層に分けた経験年数別の年千人率のグラフである(※)。
※ ただし、年千人率の母数はすべての労働者であり、各災害の危険性のほとんどない労働者も含まれている。高齢者は、墜落・転落災害のリスクの高い業務からは外されることが多いであろうから、単純な年齢ごとの危険性を表しているわけではない。
しかし、経験年数による災害率の変化には、年齢のような問題はない。
なお、30 歳未満で経験年数が 10 年以上の者の割合がかなり高くなっているが、そもそもそのような者は人数がそれほど多くないであろうから、統計的にあまり意味がないかもしれない。
典型的な労働災害である墜落・転落とはさまれ・巻き込まれ災害をみると、経験年数が長くなると概して災害発生率は下がるのである。ただ、なぜか年齢が高くなると、経験年数が5年を超えると逆に高くなる場合もあるようだ。
いずれにせよ、非正規労働者の増加が労働災害の増加につながっているという事実はあるにせよ、経験年数が高くなるにつれて労働災害の発生率が一律に少なくなっていくわけではないようだ。
(5)労働災害の増加のもうひとつの要因
近年、労働災害が減少しなくなった理由として、もうひとつの理由が指摘されている。それは、危険に対する意識の低下である(※)。本稿で問題とするのは、この労働者の安全に対する意識の低下である。
※ (社)日本労働安全衛生コンサルタント会「危険感受性向上教育指導員養成研修」(年)
すなわち、作業設備や作業環境の整備といった安全対策が進んだことで労働災害が減少してきたが、そのことでかえって、現場で危険源が安全装置の陰に隠れて見えにくくなり、そのことで、労働者の危険に対する感受性の低下が起きているとの懸念が起きているのである。
そのため、労働者の危険に対する感受性を高め、危険に対して適切に対応できる能力を養成することが、増加する労働災害を減少に転じるために必要となっているとされたのである。
2 危険再認識教育の開発
(1)なぜ危険再認識教育が必要とされたのか
ア 信じられない事故
日本で起きた労働災害ではないが、航空機事故の分野で信じがたいような災害が発生している。現在の航空機は、かなりの小型機であっても自動操縦装置が付いており、パイロットが、各通過地点をあらかじめ入力しておけば、それらの通過地点を正確にたどって飛行するようになっている。
これは、航空機の安全性を高めた面があるが、一方でパイロットたちにとっては、飛行中の意識を大きく弛緩させてしまった面がある。彼らは、自動操縦装置への信頼感を高めてしまい、危険に対する感性を弱めてしまったのである。
安全になりすぎたために、人間の側が安全への意識をかえって弱めてしまい、そのことが事故が原因となって事故を起こすのだ。ナショナル航空 27 便のファンブレード破損事故(※)はまさにそのような事故であった。
※ 柳田邦男「航空事故」(1975年 中央公論社)参照。
※ イメージ図(©photoAC)
暇を持て余した副操縦士がいたずらをしようと思いついた。「回転計をすべて止めてしまったら、自動操縦装置はどうするだろうか」と機長に「実験」を提案したのである。
機長は、面白がって、やってみようと応じたのである(※)。機長は、回転計を外した状態で自動スロットルを操作したり、外したりした。
※ もちろん、これはきわめて重大な違法行為である。
つまり、それほど彼らの自動操縦装置に対する信頼は、絶大なものだったのである。事故が起きるなどとは、思ってもいなかったのだろう。
そして、彼らは、退屈をしのげて楽しめたのかもしれない。しかし、その代償は高くついた。機長の自動スロットルの操作で、エンジンの回転速度が上昇し続けたのである。ところが、回転計を外されて回転速度が分からなくなった自動操縦装置は、回転速度を押さえようとはしなかった。
回転速度が上限近くに達したとき、何らかの理由でエンジン内で高速回転をするファンブレードが共振現象を起こして破損したのである(※)。飛び散った破片は機体を直撃し、機体に空いた穴から乗客1名が機外へ吸い出された。機体は、緊急着陸に成功したものの、吸い出された乗客は現在まで発見されていない。
※ 回転速度が上限に達していないにもかかわらず、エンジンが破損した原因ははっきりしない。設計時の共振現象に対するシミュレーションが不足していたのかもしれない。調査報告書は、その理由は「不明」であるとしている。
イ 労働者の危険への感受性の低下
中村(※)は、近年の安全衛生教育について、「身近で発生する災害から安全の重要性を学ばざるを得なかった時代を経て、災害が減少し労働現場における危険の質も変わってきた昨今、危険を具体的に示し労働者に積極的に訴えかける「体験型教育」「体感教育」といった手法が安全教育のなかで不可欠なものとなりつつあると言えるだろう
」としている。
※ 中村隆宏「安全教育における疑似的な危険体験の効果と課題」(安全工学 Vol.46 No.2 2007年)
中村によれば「座学を中心とした安全教育が知識の獲得(および整理)に適する一方で、危険体験では観念としてではなく経験として学ぶことができる。これらを通じて、労働者の経験不足、とりわけ災害体験の不足を補い、個々人の安全意識の向上を図るとともに、安全技能伝承のための方策となり得ると期待されている
」という。
すなわち、職場が(一見すると)安全になったがゆえに、薄れてきた労働者の危険感受性を高めるために、危険体感教育の重要性が注目を浴びるようになっているのである。
(2)行政による危険体感教育プログラムの開発
このような状況を受けて、厚生労働省(旧労働省)においては、車両系建設機械のうち災害発生件数の多いものについて、1999 年度以降6年間をかけて、順次、危険再認識教育の手法や教材等の開発を、(社)全国指定教習機関協会(現・(一社)全国登録教習機関協会)へ委託して行った(※)。
※ 当時の厚生労働省が実施した多くの委託事業と同様に、これらの委託事業による実施要領等の成果物は、同省の WEB サイトでは公開されておらず、入手するには国立国会図書館において閲覧するしかない(現実には困難であろう。)。
この開発は、次のようなスケジュールによって開発されている。なお、後に(一社)全国登録教習機関協会は、小型移動式クレーンの運転及び玉掛け業務について、独自に危険再認識教育の手法や教材等の開発を行っている(※)。
※ 2024年8月の時点では、(一社)全国登録教習機関協会は、同教育についての講師養成研修等を行っていない。
【危険再認識教育手法、教材等の開発】
- 1999年度~2000年度 ドラグ・ショベル運転業務
- 2001年度~2002年度 ローラー運転業務関係
- 2003年度~2004年度 高所作業車運転業務関係
なお、現時点では、高所作業車運転業務について(一社)全国登録教習機関協会において講師養成研修が行われており、それを受講することによって実施要領や動画 DVD を入手することが可能である(※)。
※ 動画の一部は、厚生労働省によって公開されている(【閲覧注意】事故の再現シーンがあります。高所作業車の作業における危険再認識教育ビデオ教材(1/4))、高所作業車の作業における危険再認識教育ビデオ教材(2/4))高所作業車の作業における危険再認識教育ビデオ教材(3/4))高所作業車の作業における危険再認識教育ビデオ教材(4/4))。ただし、研修で配布されている DVD に比して解像度は低い。
なお、これらの教育の実施については、以下の形で行政より通達によって行政指導が行われている(※)。
【危険再認識教育手法、教材等の開発】
- 平成13年7月12日基発623号「車両系建設機械等の運転業務従事者に対する危険を再認識させるための教育の推進について」
- 平成15年4月8日基発0408006号「ローラー運転業務従事者危険再認識教育について」
- 平成17年5月30日基発第0530002号「高所作業車運転業務従事者危険再認識教育について」
(3)危険再認識教育の実際
ア 厚労省方式の危険体感教育の現状
厚労省によって作成された要綱に基づく危険体感教育(危険再認識教育)は、厚労省の通達が発出された当時は多くの教育機関において行われていた。
現在は、当時の危険体感教育への熱意は冷めているものの、その重要性を意識している少なくない教育機関において継続して実施されている。
イ 企業が独自に開発した危険体感施設
また、大手の企業において、自社や関係企業の労働者を対象とした、危険を体感するための教育施設を独自に設けているケースも多い。
筆者は、福井県敦賀市にある大規模な研修センターで、新人社員に対する安全教育の講師を務めたことがある。その際に、その研修センターの見学をさせて頂いたのだが、大規模な危険体感施設が設けられていた。墜落時の衝撃を体感する装置や、防毒マスクをいい加減に着用した場合の漏れの体験装置などの他、当時は、まだめずらしかった胴ベルト型とフルハーネス型の安全帯(現在の墜落制止用器具)のぶら下がり体験機なども設置されていた。
ウ VRを用いた危険体感の施設
さらに、安価で中小規模の事業用でも十分に独自の教育が可能なものとして、最近ではVRを用いた危険体感施設にも期待が集まっている。
最近のVR技術の進展には目を見張るものがある。現時点では、先進的な企業に限られているが、労働安全衛生教育の分野においてもVRの進出が進んでいる。
もちろん、VR技術は現実と全く同じ体験が可能とはならない。様々な状況を再現できる一方で、かなりのコストを掛けないと体の動き(加速度)を体感することは困難であり、またものによってはいわゆる「映像酔い」「ゲーム酔い」などと呼ばれている現象の問題もある(※)。さらには眼精疲労の問題も解決される必要はある。
※ これへの対策については、産総研「XRの普及に欠かせない「映像酔い対策」」を参照されたい。
しかしながら、安易に実現できるという大きなメリットがあり、短時間で教室でも可能な疑似的体験教育として、VRによる危険体感教育は、今後期待される教育の技術と言えよう。
3 最後に
(1)危険体感教育の普及のために
ア 危険体感教育の第一次ブームとその後の衰退
かつて 2000 年頃から 2010 年頃に、危険体感教育のブームが起きたことがある。しかし、この第一次ブームのときは、実績と理性的な評価が不十分なまま感覚が先行してまったこともあって、定着には至らなかった。
危険体感教育の具体的な実施方法が十分に検討されていない状況で、それを実施することの効果、費用、さらにはデメリットなどについて、よく知られないまま感覚的に危険体感教育への期待がバブルのように拡がったのである。
そして、第一次ブーム期には、各界の風潮に押されて、第 11 次労働災害防止計画(2008 年~ 2012 年)の重点事項にも位置づけられた。さらに、行政は、先述したように実施要領を制定して、テキストや動画 DVD の作成を行うとともに、予算をかけて全国の教育機関に施設を整えた。しかし、それを法的に位置づけることは差し控え(※)、行政指導のレベルにとどめたのである。
※ この種の教育は、具体的な災害の発生を防止するという消極的な目的ではなく、罰則付きで義務付けることができるようなものではなかった。また、努力義務として位置付けるにしても、あまりにもその効果に関するデータが少なすぎたのだ。
しかし、新しい技術や考え方が創生される場合、その萌芽時に、あまりに大きな期待がムード的に盛り上がると、かえってその後で「役に立たない」という評価が固まってしまうことがある。
危険体感教育についても、第一次ブームが去ると、行政の準備した危険再認識教育のリソースの利用は、潮が引くように低調なものとなっていったのである(※)。
※ 行政の開発したもののうち、高所作業車業務に関する危険体感教育は、その後も継続的に講師養成研修も行われテキスト等も活用されている。しかし、ドラグショベル運転業務とローラ運転業務については、ほとんど行われなくなってきている。
イ 最近の危険体感教育の復活
しかし、少なくない専門家や実務家は、危険体感教育の重要性について理解しており、熱意を失っていなかったことも事実である。危険体感教育は、それらの専門家や企業によって、第一次ブームが去った後も、小規模ではあるが堅実に行われていたのである。
そして、危険体感教育の重要性や効果について、関係する雑誌や安全大会などで、その成果が公表されることも少なくなかった。
そのような中で、近年では、危険体感教育が、一部の企業の間ではあるが、再び注目を浴びるようになってきている。
これは、行政が主導しているわけではなく、危険体感教育が役に立つことを理解した上て、一定のコストを掛けようという企業の間で行われている。そのため、第一次ブームのときのように、突然にブームが去るというリスクは少なく、かえって安全衛生教育産業における開発等の投資へのリスクは少ないと言ってよい。
中央労働災害防止協会においても、「危険体感教育(安全体感教育)実践セミナー」が年に20回程度、実施されている。経済産業省が公開している「危険体感教育の受け入れ機関」にも複数の企業が名を連ねている。
(2)たんに危険を体感させるだけでは事故は減らない
もちろん、危険体感教育もたんに危険を体感させるだけでは効果は上がらないことは知っておく必要がある。
図は蓮花(※)による危険感受性と危険敢行性に関する作業者の態度を4つに分類したものである。理想は、危険についての感受性が高く作業の危険性を理解することができ、そして危険な行為を避けようとする「安全確保行動型」が望ましいわけである。
※ 蓮花一己「交通危険学-運転者教育と無事故運転者のために-」(啓正社 1996年)
しかし、新入社員を中心に実務経験の短い労働者には、危険感受性が低くて作業の危険性を理解できず、危険な行為を行ってしまう「無意図的危険敢行行動」が多いのである。しかし、新人の間に一般的な(精神論的な)安全衛生教育を実施することにより、職場の危険性を実感としては分からないまでも危険な行為は避けようとする「限定的安全確保行動」とすることは可能である。
ところが、そのままでは、仕事に慣れてくると一方で職場の危険性を理解するようにはなるが、その危険性を本当に危険な行為だと納得できない(腹に落ちない)まま、危険な行為を敢えて行おうとする「意図的危険敢行行動」がみられるようになる。
そこで、職場の危険性を、本当に危険なものだと理解させる(※)とともに、危険慣行性を「回避」の方向に持ってゆくための効果的な教育が行われる必要があるのである。
※ 恐怖感を与えるような教育は逆効果である。かつて、某国で子供たちの歯磨き習慣を与える教育の効果を図るために、被験者となった子供たちを無作為に二つのグループに分けて、片方のグループには虫歯や歯槽膿漏の写真を見せるなどで恐怖感を植え付け、もう一方のグループには理論的に歯磨きの効果を教えるという実験をしたことがある。
その結果、恐怖感を与えられた可哀そうな子供たちのグループは、かえって歯磨きの習慣が減退したのである。これに対して、科学的に歯磨きの効果を教えられた子供たちの歯磨きの習慣は増進した。恐怖感(や罰)は教育にとって効果があると思ってはならない。
(3)不安全行為をなくすために危険体感教育の活用を
現在の危険体感教育の復活の動きには、派手さはないが、労働災害の防止に不可欠な不安全行為の防止に大きく貢献するものと思われる。
これは、「安全衛生教育推進要綱」(平成3年1月21日基発第39号「安全衛生教育及び研修の推進について」)においても、「危険感受性の低下が懸念されていることから、十分な安全を確保した上で、作業に伴う危険性を体感させるような教育等や日々の危険感受性を向上させる教育等も有効である
」とされている。
行政としても、安全衛生教育の最重点項目とはしてはおらず、またその実施を強く指導しているわけではないものの、その有効性は認めているのである。このことは、事業者の納得の得られないまま、行政主導で形だけ導入されるよりも、長い目で見るとその定着に有効ではないかと思われる。
今後、先進的な企業においてその有効性が認められ、着々と危険体感教育が広まってゆくことに期待したいと思う。
【関連コンテンツ】
VRを用いた安全衛生教育の可能性
VRによる最近のクレーンの操縦用シミュレータは、その動きは実機そのものといってよくなっています。VRを用いた労働安全衛生教育の今後の活用の可能性について解説します。
ヒューマンエラーはだれの責任か?
では、労働者のヒューマンエラーの責任は、誰にあるのでしょうか?。ヒューマンエラーによる災害で事業者の責任を認めた判例を例にとり、その責任が誰にあるのかを考えます。
大型の移動式クレーンに特有の事故4種
大型のクレーンでは発生し得るというタイプの事故のうち、上部旋回体後方への転倒、ワイヤロープ重量によるフックの上昇、軟弱地盤による転倒などの4種を解説します。
フォークリフトの転倒災害を防止するために
フォークリフトの転倒災害の状況、転倒のメカニズムの他、転倒災害を防止するための留意事項を解説しています。