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安全衛生ルール策定の留意事項

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職場の労働災害防止のためには、様々なルールを定める必要があります。その際に、「安全」のことだけを考えてルールを策定すると、守られにくいものができてしまい、結果的に職場の安全が守られないことになります。

ルールを策定する場合に留意するべき事項について解説しています。




1 はじめに

執筆日時:

最終改訂:


(1)不思議な押しボタン式歩行者信号

もうかなり昔のことになるが、K県に居住していた頃のこと、不思議な押ボタン式の歩行者信号を見たことがある。普通の押ボタン式の歩行者信号というものは、ボタンを押すとすぐに自動車側の信号が黄色に変わるものがほとんどだと思う。そして、しばらくして赤に変わってから、若干の時間をおいて歩行者側の信号が青になるものであろう。ところが、その信号はあまり人通りのないような場所にはあるのだが、ボタンを押してから5分間程度自動車側の信号が黄色に変わらないのである。

なぜ、こんなシステムになっているのか全く理解できなかった。自動車の通行を妨げないためだと思われるかもしれないが、すぐに黄色に変えようが、5分後に変えようが自動車を止めることには変わりはないのである。歩行者の待ち時間の長さと、自動車側の信号が、黄や赤の"停止信号"になっている時間の長さとは関係はないだろう。

仮に、自動車を停止させてから、次に停止させるまでに一定の時間を確保したいというのであれば、自動車側の信号が"停止信号"になった後、一定時間が経過する間だけ、自動車側の信号を"停止信号"にしなければよいだけのことであろう。そうしたとしても信号機の制御回路がそう複雑になるわけではない。ところが、この信号は自動車側の信号が"停止信号"になった後でなくても、常に5分間は歩行者を待たせるのである。

この信号で歩行者はどうすると思われるだろうか。実は、歩行者は5分も待たないのである。というのは、その道路では自動車は5分間も連続して流れてはこないのだ。必ずその間に途切れることがある。歩行者は、そのときに道路を赤信号のままさっさと渡ってしまうのである。

そればかりか、地元の歩行者は誰もその信号のボタンを押そうとさえしないのだ。あるとき、地元の人と一緒にこの信号を渡ろうとして、信号のボタンを押したら、ボタンを押すと自動車に迷惑がかかるから押さないようにと注意された。自動車側の信号が"停止信号"になるときには、すでに自分たちは道路を渡っており、誰も歩行者がいない状態で自動車が止まらされるからというのである。

では、いったい何のための信号なのだろう。お年寄りか体の不自由な方のためのものなのだろうか? ところが、実際には、お年寄りもその信号のボタンを押したりはしないのである。

設置した側としては、実際に使って欲しかったのか、使って欲しくはなかったが、なんらかの理由で(しぶしぶ)付けざるを得なかったのか、きわめて不思議な信号ではあった。(※)

※ なお、現時点ではこの信号機は、押しボタンを押すとすぐに自動車側の信号が黄色に変わるように改良されているとの情報を得た。しかも、自動車側の信号がいったん赤信号から青信号に変わった直後でも同じなのだそうである。信号に関する思想が、自動車優先から歩行者優先に変わってきたということのようだ。


(2)歩行者に不親切な交差点

また、G県のある大都市の駅前の通りの交差点は、いささか歩行者には迷惑な構造になっている。普通、交差点の横断歩道はロの字になっているか、歩行者の通行量が多ければスクランブル交差点にするものだと思う。ところが、駅前の大通りであるにも拘わらず、交差点の横断歩道がコの字になっているところがほとんどなのだ。

この大通りは、何本かの細い生活道路と交差している。そして、生活道路を横断する歩道は2本あるのだが、大通りを横断するための歩道が、交差点の片側にしかないのである。

空中写真

図をクリックすると拡大します

資料出所:Google Mapから

空中写真

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資料出所:Google Mapから

空中写真

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資料出所:Google Mapから

このため、歩道がない側から、大通りの反対側へ行こうとすると、まず生活道路を渡り、次に大通りを渡ってから、さらに生活道路を逆向きに渡らなければならない場合があるのだ。最初の生活道路の信号が青だったとしても、信号を確実に2回待たなければならず、最初の信号が赤だと3回待たなければならないことになる。

そして、大通り側の車両用信号が青になっている時間がとても長いのである。つまり、歩行者が大通りを横断するときの待ち時間がとても長いのだ。そのため、最初に渡るべき生活道路が赤信号で大通りを渡る歩道が青信号だと、つい生活道路を赤信号で横断して、大通りを青信号のうちに渡りたいという誘惑にかられるのである。というのは、生活道路の道幅はかなり狭く、自動車の流れも、あまり途切れることはないのだが、車間距離はかなり開いているからである。

空中写真

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資料出所:Google Mapから(Googleによって表示された道路名を削除した)

上の写真で、左側の横断歩道の手前にいて、通りの右側に行こうとしているとしよう(A点からB点へ)。そして、目の前の信号が赤で、大通り側の信号が青になっており、大通りを渡る信号が赤に変わると、その後の待ち時間がやたらに長いと考えて欲しい。目の前の信号が青になるのを待つと、大通りの方は確実に赤信号になり、かなり待たなければならない。そうなると、目の前の生活道路の交通量がまばらだと、つい目の前の信号が赤でも大通り側の信号が青のうちに渡ってしまいたくはならないだろうか。

事実、G県のこの大通りでは、歩道のない生活道路を無理に渡ろうとする歩行者をかなり見かけたものである。生活道路側の車の流れの中をかなり強引に渡る歩行者もおり、いらついた車のドライヴァーがクラクションを鳴らすこともしょっちゅうであった。

これは、おそらく自動車の流れをスムーズにすることを考えてのシステムなのであろう。しかし、そのメリットは生活道路から大通りの歩道のない方向へ曲がる自動車が、歩行者に妨げられないというだけのことである。大通りを走っている自動車にとっては、直進するときも曲がるときもなんのメリットもない。むしろ歩行者は3つの歩道を渡るしかないのだから、かえって通行の妨げになる機会が多くなるとも考えられよう。つまり、自動車側のメリットがそれほどあるとは思えないのに、歩行者側の迷惑は大きいのである。

あるとき、歩道のない側に歩道をつける工事をしていたので、ようやく歩行者のことも考えるようになったのかと思ったら、完成後に反対側の歩道をなくしてしまった。やはり歩行者のことは全く考えてはいないようだ。

歩道をロの字にしたとしても、スクランブル交差点にして、車の青信号のときはすべての歩行者信号を赤にし、歩行者信号を青にするときは車の信号を両方向とも赤にすれば、それほど車の動きを妨げずに歩行者の動きも確保できるのではなかろうか。

また、この道路ではそもそも大通りを渡る歩道のない交差点もかなりあるのである。このような交差点では、歩行者は大通りをかなり歩いて歩道のある交差点まで行って渡らなければならない。

歩行者のあまりいない都市部から離れた主要道路というならともかく、G県第2の都市の駅前なのである。休日ともなると歩行者の数もかなりのものになるのだ。いささか不親切なシステムという気がする。


(3)通勤時間帯の駅の案内

K県のある駅では、通勤時間にホームに電車が到着すると、扉が開いて乗客が降り始めたくらいのタイミングで、テープの女性の声で「○○行き○○電車が発車します。閉まる扉にご注意ください」というアナウンスが流れる。まれに、扉が開く前にこのアナウンスが流れることもある。もちろん、アナウンスで「扉が閉まります」といっても、そのときに実際に閉まったりはしない。

なぜ、このようなことになるかといえば、おそらくこの路線では通勤時間には電車はわずかに遅れるのが常態なのであろう。ところがテープの方は実際の電車に合わせるのではなく、定刻に流れるようにセットされているのであろう。その結果、扉が開く前に、「閉まる扉に注意」しろというアナウンスが流れたりするのである。こうなると乗客は誰もアナウンスを気にしなくなっている。それは駅員にも分かっているであろう。

ところが、これはテープのアナウンスだけではないのである。駅で電車を待っていた乗客の全員が乗り終わる前に、駅員まで、「扉が閉まります、駆け込み乗車はおやめください、次の電車をご利用ください」などと繰り返してアナウンスをするのである。これも実際には「閉まります」で閉まることはない。閉まるときは、予告なしでいきなり閉まるのである。

電車に乗って扉の近くにいるときなど、駅員の「扉が閉まります」「扉が閉まります」の連呼を聞いていると、「本当に閉めて早く出発してくれ」と思うことがある。しかし、この鉄道会社は、駅員が「閉まります」といっている間は、扉は閉めないのである。駅員が「閉まります」とアナウンスしなくなって、しばらくすると本当に閉まるのである。

私は、「扉が閉まります、次の電車をお待ちください」とアナウンスされたので、扉の前に立って次の電車を待とうとしたことがある。ところが、しばらく待っても扉は開いたままで出発しない。電車も比較的空いていて私が乗るスペースは十分にあった。「扉が閉まります」のアナウンスが途切れたので、気が変わって乗ろうとしたら、いきなり扉が閉まって挟まれそうになったのである。なんとなく、罠にかけられたような気がしたものだ。「扉が閉まります」のアナウンスさえなければ、安全に乗れたのである。

通勤時間帯だけではない。この鉄道会社の電車は、いつ扉が閉まるかの予想がつかないことがある。ホームで列の一番後ろで電車を待っていて、こんな経験をしたことがある。電車が到着し、降車客が終わってから順番に乗車していたのだが、私の順が来たとき目の前で扉を閉められてしまったのだ。駆け込み乗車をしようとしたのではない。電車の到着の前から列を作って待っていたのである。しかも私が乗ろうとしたところは、一番後ろの車掌から見える場所だったのだ。こんなことは、他の鉄道会社ではついぞ経験したことのないことである。

また、これは通勤時間帯のことだが、駅で待っていた乗客が乗り終わった後になって、奥の方にいた乗客が降りようとしたことがあった。私は扉付近にいたので、いったん降りて彼を通したのだが、彼が降りたとたんに扉を閉められてしまった。このときは、近くにいた他の男性客が、私のために扉を押さえようとしてくれたが、私は手を振ってその必要はないと合図した。荷物を手に持っていたからよいようなものの、そうでなければ面倒なことになるところであった。

この2度の経験は、いずれも「扉が閉まります」というアナウンスがない状態であった。要は、「扉が閉まります」というアナウンスは期待する方が悪いということなのであろう。

また、これは他の鉄道でのことだが、ホームに上がる階段を昇っていたときのことである。ホームから「扉が閉まります。駆け込み乗車はおやめください」というアナウンスが流れてきた。そのとたんに、近くにいた若い男女が、数人、慌てて階段を駆け上がり始めた。なんのことはない。「駆け込み乗車はおやめください」のアナウンスが「今なら駆け込み乗車をすると間に合いますよ」のお知らせになっているのである。

警告というものは、その気がないのに出していると誰も相手にしなくなるものなのである。建物の中にいて火災報知機が鳴ったのを聞いた経験のある方は多いだろうが、実際に逃げたことのある人はほとんどいないのではないだろうか。これは、火災報知機は誤動作することが多いが、実際の火災に遭うことは多くないと、ほとんどの人が知っているからである。

もし、「扉が閉まります」といったときは本当に閉まると、乗客が分かれば駆け込み乗車などはかえって少なくなるのではなかろうか。実際に扉を閉める前に2から3秒ブザーかベルを鳴らし、それを止めてから「扉が閉まります」といってすぐに閉めるようにすればよいのである。実際に閉めないタイミングで「扉が閉まります」を連呼するより、よほど意味のあるアナウンスになる。

何か連呼していないと仕事をした気にならないのであれば「駆け込み乗車はおやめください」とか「無理をしないで次の電車をご利用ください」などと連呼すればよい。扉が閉まるわけでもないのに「扉が閉まります」とは言うべきではないのである。


2 守られないルールができる理由

(1)どうすればルールが守られるかを考えない

なぜ、このようなことになるのであろうか。これは、責任者が「どのようにすれば安全か」しか考えていないからである。

労働災害が発生した後で、労働基準監督署の担当者が再発防止対策をどのようにするかを訪ねると、「労働者にルール違反が原因なので、今後はこのようなルール違反がないように徹底します」と答える事業者の方がよくおられる。しかし、そのような場合には、監督署の担当者は、それは「再発防止対策」にはならないと言うはずだ。そもそも災害が起きる以前から、その事業場では「ルール違反がないように徹底」していたのであろう。それでも災害は起きたのである。であれば、「ルール違反がないように徹底」しても意味はないのである。

すなわち、「災害が起きないためにはどのようなルールを作るか」だけでは足りないのである。大切なのは、「どうすればそのルールが守られるのか」を考えることなのである。

冒頭の歩行者用の押ボタン信号の例でも、「信号を守っていれば事故は起きない」、そして「信号を付けた」、だから「事故は起きない」というのは、正しい"論理"かもしれない。しかし、実際には誰もその信号を使っておらず、効果は上がっていないのである。これを「ルールを守らない歩行者が悪い」というのは簡単である。しかし、本当に安全を確保したいなら、「どうすれば歩行者が信号を使うか」についてまで考えなければならないのではなかろうか。

これは私の感覚的なものだが、守られにくいルールを作って事足れりとするのは、だいたいにおいて責任者が現場を知らずに机の上だけで物を考える傾向のある組織に多いようである。また、そのような企業の共通点として、何かが起きたときに上の者が責任をとらずに下に責任を押し付ける傾向があるようにも思える。要するに、ルールは作ったのだから、あとはそれを守らない現場が悪いという発想しかないのである。


(2)ルールは破られることがあると思わない

確かに、事業場のルールを守るのは、労働者の義務である。従って、ルールを守らないのは労働者にも責任はある。しかし、そのような建前論だけでは事故は減らないのである。

労働者は、生産性を上げることも期待されている。当然のことながらノルマもあるだろう。その中ではどうしても、不安全な行動をとることもあるのだということを前提に対策をとる必要がある。そうしていない例として、先述したコの字型の交差点が挙げられると思えるのである。

次に挙げる判例は、やや極端な例ではあるが、ある労働災害についての損害賠償請求事件(昭和46年3月27日の東京地裁判決)である。なお、判決文の一部のみを抜き出し、分かりやすくするために箇条書きにしてある。また、赤文字や、下線、太字などの強調は私がしたもので、原文にはない。

【東京地判昭和46年3月27日で認定された事実関係】

  • ① Yは、昭和39年9月末頃、甲工場にウェーブロック製造機を設置し、同年10月10日頃から操業を開始した。当時Yの従業員でウェーブロックの製造に従事していたのはA製造部長、B業務部長、C、D、E及びXの6名であったが、B部長は同月末に本社勤務となり、C、D、EはいずれもXと相前後して入社した者で、本件ウェーブロック製造機の操作に不慣れであって、A部長の指導監督下に作業を行っていた。
  • ② 2枚のビニールフィルムの間に空気が滞留したり、接着むらが生ずることがあり、この空気の滞留を放置すると風船状に膨れ、以後の製品は全てシワなどが出来て傷物となるので、これが生じた場合には早急に排除する必要があった。
  •   本件事故当時、前記従業員らは持ち場を定められ、原告は、本件ウェーブロック製造機のスイッチの操作やホーミングロールの作動状況、二つのロール間を進行中のビニールフィルムの状態を監視すること等であったが、随時相互に他の者の仕事も手伝っていた。
  • ③ Xは、昭和39年12月10日、午後4時50分頃、右手下膊部をカレンダーロールに巻き込まれ、圧傷した。

要は、ビニールフィルムにできた泡をつぶそうとして、労働者が動いている機械の中に入り込み、機械に巻き込まれて怪我をしたという、事故としては単純なものである。機械に入り込んだのは労働者であるから、労働者も確かに悪いのである。

ところが、東京地裁は、会社にも過失があるとするのである。

【東京地判昭和46年3月27日が会社に過失を認めた理由】

  • ④ 本件ホーミングロールとカレンダーロールの間隔は約6,70㎝でカレンダーロールの床からの高さは約1mであり、従業員らは本件ウェーブロック製造機の作動中に、ホーミングロールとカレンダーロールの間に入り込んで機械やビニールフィルムの状態などを調べたり、両ロール間を通り抜けたりすることがあり、その際に手指や腕などをカレンダーロールに巻き込まれる可能性があり、そのことは予見不可能というものではなかった
  • ⑤ 本件事故当時、上記危険を防止するための安全装置が施されておらず、Xは監視作業中、ビニールフィルムの間に空気の滞留が生じ始めたのを認めたので、これを除去するため、ホーミングロールとカレンダーロールの間に入り込み、中腰の姿勢で、その空気滞留部分を右手指で下から突き破ろうとした際、右手下膊部をカレンダーロールに巻き込まれた。
  • ⑥ Yは、本件事故後カレンダーロールの前に角材を一本設置したが、その後は本件のような事故は発生しておらず、したがって、本件事故当時、これがあれば本件事故は容易に防止できた筈であることが認められる
  • ⑦ Yは、当然本件のような事故を防止するため、必要な何らかの安全装置を施すべき義務があるところ、この義務を怠り、漫然と本件ウェーブロック製造機を稼働させた過失により、本件事故を惹起するに至った。

つまり、このようなことは事前に予測できたことであり(④)、対策も容易にとれた(⑥)にもかかわらずそれをしなかったのであるから、会社に過失があるというのだ。

ところが、実は、この事件では、裁判所が認定した事実によれば、労働者(原告)はそもそもこのような危険なことをする必要は全くなかったのである。

【東京地判昭和46年3月27日による過失相殺の判断】

  • ⑧ 前記のようにホーミングロールとカレンダーロールの中間において、進行中のビニールフィルムに空気の滞留が生じた場合、これを排除するには、カレンダーロールの横に取り付けられたハンドルを開き、空気の滞留部分を通過させた後、再びこれを閉じれば足りるのであって、この操作は極めて容易で全く危険を伴わないものである。
  • ⑨ X以外の従業員は、カレンダーロールの開閉方法によって空気の滞留を処理しており、(中略)仮に手指で突き破るにしても、下から行うよりは上から行う方が容易で安全であり、X自身も本件事故の以前に空気の滞留部分を手指で突き破った際にはビニールフィルムの上から行っており、下から行ったのは本件事故のときが初めてであり、Xは、かつて製紙工場においてロール機を取り扱った経験があることから、本件カレンダーロールの危険性を知っていたのに、敢えて下から突き破ろうとしたものであって、しかもその際、自己の不注意でその右手下膊部カレンダーロールに巻き込まれたものであることが認められる。
  • ⑩ そうだとすると、原告の過失は決して軽いものではなく、これを本件事故による損害賠償の額を算定するにつき斟酌すれば、当該賠償額は、前記損害額437万0597円のうち220万円とするのが相当である。

要するに、機械の中に入り込まなくても、他の方法で安全に作業をすることができるようになっていたのであり(⑧)、しかも原告は、あえてわざわざ危険なことをしているのである(⑨)。

にもかかわらず、東京地裁は、労働者というものは、こういうことをするのだから、そこまで予見して(④)、対策をとれ(⑦)と言っているのである。さすがに、5割程度の過失相殺はしたが、いずれにせよ会社側の損害賠償責任は一部認めているのである。

この判決の災害例はやや極端という気がしないでもないが、このような場合でさえ、たんにルールだけを作っておけば(この会社も、文書化はしていなかったように見受けられるが、ハンドル操作によって泡を消せというルールは定めていたのであろう)よいというものではないということなのである。


(3)オオカミ少年になっている

これは、識者によって意見が異なることがあるが、危険性があまりにも低いときに警告を出すと、警告が信じられなくなることがある。要するに、オオカミ少年になってはならないのである。

ア 曖昧な情報を出すべきか

ただし、誤解をしないでいただきたいが、危険性が曖昧な状態で警報を出してはならないということではない。実際に、ホテルなどの火災で、パニックになることを恐れて警告を"控えめ"に出すことがある。重大なレベルの火災が発生しているのに、「実際には危険性はないが、念のために非難してください」などと案内したりするのだ。しかし、このようなことは間違いである。

専門家は、人は、そう簡単にはパニックにはならないということで一致している。むしろ緊急性が伝わらないことの方が重要な問題なのである。タイタニック号の遭難の際にも、最初のうちは乗客に緊急性が伝わらず、乗客を救命ボートに乗せるのに苦労したという話が伝えられている。

緊急性が伝わらなければ災害が拡大することがあるのだ。

すなわち、情報を伝えるか伝えないかということであれば、伝えることによる害の方が伝えないことによる害よりも少ないと考えた方がいい。曖昧な情報しかなければ、"曖昧な情報である"と明示した上で伝えればよいのである。それを下手に隠すからおかしなことになるのである。

SDSなどによる化学物質の有害性に関する情報伝達についても、労働者が誤解する、消費者が誤解する、確実な情報ではないなどという理由で、嫌がる事業者や事業者団体がまれにいる。しかし、その時点で分かっている情報を正確に伝えてはならないという理由にはならないのではなかろうか。伝えることによって弊害が起きることがまったくないとは言わないが、通常は伝えないことによって起きる弊害よりもはるかに少ないのである。

また、曖昧な情報を出すと、"正確な情報ではない"といって批判する向きもあるが、情報というものは常に確実な情報が得られるわけはない。それを伝えてはいけないと言われると、重要な情報が伝わらなくなる。曖昧な情報は"曖昧な情報である"と断ったうえで伝えるべきものなのである。

もちろん、情報を伝えるかどうかは難しい問題を伴うこともある。行政にとっては、T市産の野菜のダイオキシン問題が、情報を国民に提供することのトラウマになっている面がある。

この事件は、事案の内容が国民の健康に関わることでもあり、情報を公表した時点では、情報を出すべきと判断したのであったが、結果的に正しい情報ではなかったためにT市の農家に被害を与えたとして強い批判にさらされることとなったものである。

一方、福島第一原発事故の際にはSPEEDIの情報が公開されなかったとして批判されている。これについては、情報を出すか否かの判断が誤っていたのではなく、未曽有の事態での混乱の中で、情報を出すべき責任と権限が誰にあるのかが不明瞭な状態で、誰も自分がその判断をするべきと思わなかったために起きたミスという面がある。

確かに、どの時点でどのような情報を提供するかは、様々な利害が絡むこともあり、また緊急事態が発生した場合には誰がどのような判断をするかの権限が不明瞭になることもあり、難しい問題ではあるのだ。

イタリアで大地震の兆候がないと判断した専門家が、下級審ではあるが、裁判で過失致死傷罪の有罪判決を受けたことがあった。さすがに上級審の裁判所は、下級審よりはまともだったようで、最終的に全員が無罪となった。しかしながら、このようなことで専門家に有罪判決をするなどということは、きわめて愚かな行為と言わざるを得ない。

このようなことで有罪判決を受けるとすれば、だれも地震予知の情報を出さなくなるだろう。また長い目で見ると、誰も地震予知の仕事になど就かなくなるだろう。地震予知など、現時点では正確な予想ができるわけではないのである。ところが、外れたら刑事罰を受けるというのでは、誰もそんな仕事をしたくはないだろう。

この判決をした裁判所は、イタリアの地震予知のシステムに重大なダメージを与えるおそれがあったのである。幸い、最終的に無罪となったからよいようなものの、そうでなければ、イタリアでは地震予知のレベルが落ちて、将来、多くの国民が地震で命を失うようなことになった可能性があるというべきではなかろうか。

イ 誤った情報には弊害もある

だからと言って、火災でもないのに火災の警報機がしょっちゅう作動していれば、誰もそれを信用しなくなる。そうなると火災警報機を設置する意味がなくなってしまう。

平成28年2月にSDSの提供の対象物質(通知対象物質)の見直しの作業を行ったとき、硫酸カルシウムなど2物質については対象とすることを見送られた。これは、毒性のあまりにも低い物質まで対象にすると、SDSによって示される危険性がかえって曖昧になるのではないかということが理由のひとつとであった。


3 どのように対処するべきか(まとめ)

繰り返しになるが、災害防止を考えるためのルールや制度を作るときは、「事故が起きないルール」を考えるだけではいけないのである。守られやすいルールを考えなくてはならないのである。

どんな立派なルールを作っても、現場ではそれが守られない様々な理由があるのだ。

【ルールが守られない理由】

  • ① 忙しいから
  • ② 間違いを起こしたので、訂正のため今回だけ特別に
  • ③ ルールが複雑すぎて理解できなかった
  • ④ 現場を知らない者が作ったもので役に立たないと思われた

(1)ルールを徹底する(必要性の理解への地道な努力)

もちろん、ルールは守らなければならないと、地道に理解させることも重要である。そのことはいくら強調しても、強調しすぎることはない。

自動車のシートベルトの着用の義務化は、まさにそのようにして成功した例のひとつである。シートベルトを義務付けた頃、シートベルトをしていると事故のときに逃げられなくてかえって危ないなどと言う者もいたが、今ではシートベルトをしないとかえって落ち着かないようになってきている。

そして、シートベルトは明らかに事故時の生命確保に有効なのである。

工事現場のかつての安全帯(現在の墜落制止用器具)や、ヘルメットの着用、低層住宅の先行足場や先行手すり工法などもその例である。私が若いころ、工事現場で安全帯の話をすると、労働者から安全帯をするとかえって危ないと反発されたことがある。

だが、今では工事現場で命綱をしていない者をみかけることはほとんどなくなった。最近は、低層住宅の一時的な工事でも親綱を付ける方法が行政によってマニュアルとして示されている。次は、ハーネス型の墜落制止用器具の普及が早急に望まれる。

一方、この失敗例としては、P社のガス湯沸かし器の安全装置の不法修理の問題がある。P社のガス湯沸かし器は、換気扇が動かないと着火しないように、安全装置が組み込まれていた。ところが、これが経時変化で故障することがあるのである。この故障の修理を依頼された場合、修理店としては、安全装置を取り換えることが原則である。ところが、安全装置を迂回することによる、不法な修理をされるケースがあったのである。

このような修理をしても、通常の状況であれば、湯沸かし器を操作させると自動的に換気扇が回るようになっているので問題はない。そして、この安全装置は比較的高価なもので、修理店には常備されていないことが多く、しかも装置そのものが不足していたようで、取り寄せるには時間がかかったのである。

しかし、顧客としては、冬の寒い時期にガスが使えないのは辛い。そこで、一時的なものという約束で、不法な修理をするのである。ところが顧客にしてみると、そのような修理であっても、一見、正常に動作をしているのである。そうなると、高額の本修理までしなくてもよいのではないかと思えるのであろう。そのまま放置されてしまうことがあった。

そして、この不法修理のために、いくつかの不幸な事故が起きた。そのひとつはあるアパートで発生している。あるときの住人が、この不法な修理が行われたあと、そのまま放置したのである。その後、住人が入れ替わり、そのことを知らない学生が入居した。彼は、旅行に出て、ガスと電気の料金を滞納してしまうのである。電気会社は電気を容赦なく止めてしまった。ところが、この学生にとって不幸なことにガス会社はそこまで冷徹ではなかったのである。

学生は、旅行から帰って、暗い中で、ガスを沸かして風呂に入ろうとしたようだ。しかし、電機は止まっているので換気扇は動かない。安全装置があればガスは点かなかったはずである。しかし、安全装置は取り外されていたので、風呂は沸かせた。このため、一酸化炭素が風呂に充満したのである。彼の遺体は後になって浴槽で発見された。

この事件は後にP社に対する民事賠償請求訴訟が起こされ、その判決中で札幌高裁平成14年2月7日は、修理業者の責任は認めたもののP社の過失は認めなかった。しかし、P社に対する、同種の他の事件では、札幌地裁平成23年3月24日は、P社がこのような事故の発生している事実を認識しながら必要な広報をしていなかったとして不法行為責任を認めて損害賠償を命じている。


(2)ルール違反の原因を考える

人がルール違反をするには理由があるのだ。であれば、そのルールを違反する理由の方を解決すればよいのである。

次の図は、ある研修会のために私が作成したものである。「労働者がコンベアを乗り越えようとして、コンベアから落ちて負傷した」という事故が発生した後で、どのような対策をとるべきかについて説明したものである。

これは、コンベアを乗り越えてはならないというルール違反を労働者が犯したのが"原因"なのだから、ルール違反がないように徹底するというのは「責任追及型の対策」であって、それではだめなのだということを分かって頂くためのスライドである。

責任追及と再発防止対策

図をクリックすると拡大します

「コンベアを乗り越えようとした理由は何か」を考えて"ルール違反の理由をなくしてゆく"あるいは、発想を逆にして"コンベアを安全に乗り越えるためにはどうすればよいか"を考えるところまでいかなければ、対策を考えたことにはならないのである。


(3)そもそもルール違反ができない状態にしておく

次に考えられるのがフールプルーフの考え方である。

先ほどのP社の例でいえば、そもそも安全装置を迂回するような配線をできなくするようなことが考えられるのである。配線を取り付ける端子の形状と配線側の形状を変えておき、取り付けるべき配線しか取り付けられないようにするなど、そもそも不法な修理ができなくすることが考えられよう。


(4)人間工学に配慮する

だが、やはり守られやすいルールを作ることも忘れてはならない。

このためには、人間工学的な判断も重要になるのだ。次の図は私がある研修会のために作成したものである。

中型から小型の航空機で、ギアレバー(着陸装置を作動させるための操作レバー)とフラップレバー(主翼の面積を広げる等により揚力を向上させる装置を作動させるためのレバー、離着陸時に用いる)を操縦士が誤って操作するケースがあったのである。

そのための対策をどうするべきかを考えてもらうためのスライドである。

誤操作を防ぐ2種類の対策

図をクリックすると拡大します

実際に、航空機でギアレバーをタイヤの形にし、フラップレバーを翼の形にしているものがある。こうしておけば、さすがに誰も間違えないのである。


(5)情報を提供するルール

情報を出すか出さないかの、基本的なルールは次のようであるべきなのである。

【危険性についての情報についてのルール】

  • ① 基本的に、危険性・有害性についての情報は出すことが原則である。
  • ② 曖昧な情報は、曖昧であるということを明示した上で出す。
  • ③ 誤解されるおそれのあるような情報には明確な解説をつける。
  • ④ 誤った情報には弊害もあることを斟酌する。

より詳細に言えば、次のようなことになろうか。

【危険性についての情報についてのルール】

  • ① 火災のときなどでも人はそう簡単にはパニックは起こさないのである。かえって緊急性についての情報は伝わりにくいと思わなければならない。
  •   また危険性や有害性についての情報が"風評被害"を引き起こすということを理由に情報を隠してはならない。誤解を解く努力は必要ではあるが、情報を隠すことは長い目で見てかえって問題を大きくするのである。
  • ② 曖昧な情報は、曖昧なものとして提供するべきである。
  •   情報を提供するときは、無理に"明日は雨"とか"明日は晴れ"という必要はないのである。"明日の降水確率は○○%"と言えばよい。○○%としか分かっていないのであれば"雨"と言うべきではないのである。情報を聞いた方は、そこから独自に判断すればよいのである。
  • ③ だからといって、情報を伝える相手は素人なのだということも忘れてはならない。一例をあげれば、津波は沖合ではそれほどの高さがなくても、浅い海岸地帯に迫ると、高さが高くなるものである。しかし、普通の市民はそのようなことは知らない。従って、"津波の高さは海上で○○メートル"という情報ではなく、"津波は上陸時には○○メートルに達するおそれがある"といわなければならない。
  • ④ だからといって、誤った情報を出してもよいということではない。
  •  先ほどの電車の例でいえば、閉める気のない扉を閉めますと言えば、それ以降は、乗客は情報そのものを信用しなくなるのである。あくまでも出すべき情報は正確、あるいは曖昧であることを明示したうえで出すのでなければならず、完全な誤報を出すことは避けなければならないのだ。

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