2021年7月に公表された「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会報告書」の冒頭に「国のリスク評価により特定化学物質障害予防規則等への追加が決まると、当該物質の使用をやめて、危険性・有害性を十分確認・評価せずに規制対象外の物質を代替品として使用し、その結果、十分な対策が取られずに労働災害が発生している
」との指摘があります。
このことは、我が国の企業における労働安全衛生上のきわめて重要な本質を突いているようです。大切なことは、労働災害を予防することであって、法令を遵守することではありません。
化学物質管理について、この問題を検討します。
- 1 化学物質等の管理のあり方に関する検討会報告書
- 2 コンプライアンスと「思考停止型法令遵守主義」
- 3 化学物質規制を交通法令に例えてみると
- 4 発想を変えてみよう
- 5 未規制物質でも事故が起きれば責任はとらされる
- 6 労働災害を防止するために
1 化学物質等の管理のあり方に関する検討会報告書
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最終改訂:
厚生労働省から「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会中間とりまとめ」が2021年1月に公表されていたが、同7月には「最終報告書」が出された。
その冒頭で「国のリスク評価により特定化学物質障害予防規則等への追加が決まると、当該物質の使用をやめて、危険性・有害性を十分確認・評価せずに規制対象外の物質を代替品として使用し、その結果、十分な対策が取られずに労働災害が発生している
」と指摘されている。
このことは、我が国の企業における労働安全衛生上のきわめて重要な本質を突いている。
2 コンプライアンスと「思考停止型法令遵守主義」
私は、仕事の関係で安全衛生に関する教育の講師を務めることがあるが、そのときよく強調することがある。それは、「労働災害防止対策」と「労働安全衛生法遵守対策」は別なものだということだ。大切なことは、労働災害を予防することであって、法令を遵守することではないということである。
このように申し上げると、一般論としては、どなたからも賛同して頂けるのである。ただ、話が具体的な内容となると、(まれに)反論を受けることがあるのだ。「法令に違反しないのだから、そこまでする必要がない」「そこまでしていたら仕事にならない」などである。
気持ちは分からないでもないが、残念ながら、未だに「法令に禁止されていないことは、安全なことだ」という誤解が、多くの事業者に蔓延しているのである。
3 化学物質規制を交通法令に例えてみると
どこの国でも同じだが、化学物質規制を交通法令に例えてみると、原則として道路には速度制限がないが、特に危険な道路についてだけ制限速度が定められているという状況なのである。
そして、冒頭に挙げた中間とりまとめに書かれた状況は、ある道路について「ここは事故が起きそうだからというので、制限速度を定めると、自動車は他の道路に迂回して、相変わらず猛スピードで飛ばしている」という状況なのだ。
こうなると、次はその道路も規制をかけなければならなくなる。すると、また迂回して相変わらず速度を出す・・・いたちごっこである。
4 発想を変えてみよう
ある化学物質が法令で規制をかけられると、どうしても「法令で規制のかかっている物質は危険そうだから他の物質に代えれば安全だろう」と思いがちである。
だが、そうではないのだ。規制のかかっている物質というのは、「このように使用すれば安全だと分かっている物質」という見方もできるのである。「このように使用すれば安全だと分かっている物質」を「どのようにつかえば安全かがよく分からない物質=未規制物質」に変更するのは、かえって危険な場合があるということなのだ。
むしろ、規制物質よりも有害性が高いということが分かっているが、規制のかかっていない物質というのもいくらでもあるのだ。
5 未規制物質でも事故が起きれば責任はとらされる
確かに、未規制物質を使用していて事故が発生しても、安衛法違反を問われることはない。それは確かである。
しかし、爆発・火災事故が発生すれば業務上失火罪に問われ得るし、死者が出れば業務上過失致死傷を問われ得る。
また、被害者や遺族から損害賠償請求を受けた場合、近年では億単位の賠償が裁判で認められることもある。
いわゆる六価クロム事件で東京地裁はある労働災害の民事賠償訴訟で、次のように述べた上で、企業(被告)がそのような義務を果たさなかったとして原告側の主張を認めている。
化学企業が労働者を使用して有害な化学物質の製造・取扱いを開始し、これを継続する場合には、先ず、当該化学物質の人体への影響等その有害性について、内外の文献等によって調査・研究を行い、その毒性に対応して職場環境の整備等、労働者の生命・健康の保持に努めるべき義務を負うことはいうまでもない
※ 東京地判1981年(昭和56年)9月28日
さらには、そのような記録はネット上に残り、その後の企業運営に大きな支障をきたすこともある。
安衛法と心中したければ別だが、未規制物質に切り替えるということは、一定のリスクを負うことになるのである。
6 労働災害を防止するために
では、どうすればよいのだろうか。まず、第一には、企業の運営を行っていくために安全のためのコストは必要なものであるという自覚を持つことである。第ニには、安全のためには、知識・ノウハウが必要だということを理解することである。そして、第三には、法令を守るだけでは不十分だと知ることである。
また、大切なことは、安全のために必要な知識を活用するには費用がかかるということを自覚しなければならない。誰でも、弁護士や社会保険労務士の知識を活用するためには、費用が発生するということは知っている。安全についての知識もまた同様なのである。
労働安全コンサルタントや労働衛生コンサルタントなど、十分な知識経験を有している外部の専門家を活用することも考えてみるべきだろう。餅は餅屋なのである。