各種リスクアセスメント手法の特性

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計算する人

化学物質のリスクアセスメントの手法には、簡易なリスクアセスメント手法など様々なものがあります。

これらの手法の特性および、メリットとデメリットについて解説します。




1 背景事情

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最終改訂:

厚生労働省の化学物質のリスクアセスメント指針には、化学物質の有害性に関するリスクアセスメント手法として、9の(1)のイに、①作業環境測定による方法、②数理モデルによる方法、③マトリクス法という3つの方法が示してある。また、9の(1)のアには、④ILOの化学物質リスク簡易評価法が示してある。なお、①については「作業環境測定」という言葉が用いられているが、労働安全衛生法にいう作業環境測定とは異なる概念で、より正確には「作業場の気中濃度の測定」というべきものである。

また、平成27年9月18日基発0918第3号「化学物質等による危険性又は有害性等の調査等に関する指針について」(以下「改正指針通達」という)の別紙を見て頂くと、④は別紙2の「リスク見積もりの例」に記載しており、①から③は別紙3の「化学物質等による有害性に係るリスク見積りについて」に記載しているのがお分かり頂けると思う。しかし、これらは、④も含めて、いずれも化学物質の有害性のうち慢性毒性についてのリスクアセスメント手法である。また、④については、吸入ばく露と経皮ばく露の双方に対応できることとしているが、実を言えば経皮ばく露については実際にはハザードをそのままリスクとして評価するようになっており、厳密な意味での経皮ばく露のリスクアセスメントをしているわけではない。

    【コラム】コントロールバンディングという用語について

    コントロールバンディングという用語は、本来は、定性的に化学物質のリスクアセスメントを行おうとする手法であって、評価項目を数値として扱うのではなく、いくつかのバンドに分けて扱おうとする考え方のことである。例えば、化学物質の使用量についていえば、○○グラムなどという具体的な数値で評価するのではなく、単位がグラム、キログラム、トンのいずれなのかによって評価すればよいということである。要するに、幅を持ったバンドとして評価しようということである。特定のツールを指す固有名詞ではない。マトリクス法やドイツのBAuA(労働安全衛生研究所)のEMKGも、本来の意味でのコントロールバンディングであるといえる。

    かつてはコントロールバンディングといえば、マトリクス法を思い浮かべることが普通であった。

    ところが、厚生労働省が、「(コントロールバンディングは、)ILOが、開発途上国の中小企業を対象に、有害性のある化学物質から労働者の健康を保護するために、簡単で実用的なリスクアセスメント手法を取り入れて開発した化学物質の管理手法です」との説明を、厚生労働省のリスクアセスメントツールのサイトに記載した。この記述そのものは間違いではないが、やや誤解を受けるような表現である。このため、「コントロールバンディングとは、厚労省の簡易なリスクアセスメント手法やその元になったILOのリスクアセスメントツールを指す固有名詞である」との誤解が広まったのである。また、最近では、厚生労働省自身が、コントロールバンディングという言葉を、このILO方式(さらには厚生労働省がWEBサイトに公開している方式)の固有名詞として用いるようになってきている。

    実を言えば、ILOが開発したというのも誤解で、英国のHSE(安全衛生庁)が開発したCOSHH Essentialsを、ILOが改良して、その使用を推奨していたにすぎない。厚生労働省のサイトでは「改良」を「開発」と表現したのである。ところがその一方で、コントロールバンディングという言葉は分かりにくいというので、英国ではリスク・マネジメント・ツール・キットと呼ぶようになってきている。

    化学物質のリスクアセスメントについての文献を調べるときは、この辺の事情を理解しておかないと、時期によってコントロールバンディングという言葉の意味が異なるので混乱することになるので注意が必要である。

なお、改正指針通達では、①の手法は②、③よりも「確実性が高い」とされている。ただ、どのような手法にもメリットとデメリットがあるものである。①が②や③よりも常に望ましいということではなく、たんにそのような特性があるということにすぎない。それらのリスクアセスメントツールの特性をよく理解した上で、目的と状況に応じて、どの手法を用いるかを選択するようにして頂きたい。

リスクアセスメントに限らず、どのようなツールでも、効果的に使用するためには、そのメリットを知るとともにデメリットをも十分に知っておかなければならないことは当然である。なお、一般論だが、日本人は何かのツールを開発したとき、そのメリットのみを強調してデメリットを隠したがる傾向があるように思える。しかし、そのようなことは、長い目で見た場合にそのツールの活用を阻害することになろう。

また、コンピュータで作動するいくつかのリスクアセスメントツールは、大変便利ではあるが、ブラックボックスになっている。ツールにいくつかの数値等を入力すると、利用者は何も考えなくてもリスクの見積もりの結果(実際には推定された気中濃度や対策シート)が出力されるのである。このようなツールを、その原理も分からずに用いて、その結果を無条件に正しいと信じ込むとかえって弊害が出ることがあることもご理解頂きたい。これについては後述する。

厚生労働省のサイトに公表されているQandAにおいても、④の方式について、「出力される情報が安全側になっており、対策シートが画一的という指摘もあります。コントロール・バンディング(④の方法のこと。引用者)が事業場の実態にそぐわない場合には、より精度の高いリスク見積り手法を実施してください」とされている。

そう、「事業場の実態にそぐわない場合には、より精度の高いリスク見積り手法を実施してください」と言っている。これは言葉を変えればスクリーニングとして使えということであろう。

そこで、本稿では、私なりに、コンピュータで作動するこれらのツールについて、メリットとデメリットを論述し、最後にさまざまなリスクアセスメントツールについての特性の比較を試みたい。


2 簡易なリスクアセスメント手法を用いるメリット

コンピュータ上で作動する簡易なリスクアセスメントの例としては、厚労省のリスクアセスメントツール(④)のほか、ECETOC(欧州化学物質生態毒性・毒性センター)によるTRA、ドイツのBAuA(労働安全衛生研究所)によるEMKGや、このサイトでも提供しているボックスモデルなどがある。

また、このほかにも、米国のEPA(環境保護庁)によるChemSTEER(作業環境(製造、加工、使用)における吸入ばく露及び経皮ばく露、並びに環境(大気、水域、土壌)への排出量を推定するツール。)やWPEM(作業環境等におけるロール塗り、ブラシ塗りによる壁塗装時の吸入ばく露を推定するツール。)、オランダのTNO(応用科学研究機構)によるRISKOFDERM(作業環境における液・固体製品の経皮ばく露のリスク評価、マネジメントのためのツール。)、ドイツのEBRCによるMEASE(吸入ばく露と経皮ばく露を推定するツール)、オランダのTNO等によるStoffenmanager(吸入ばく露を推定するツール)など様々なツールが開発されている。これらの入手方法は、このサイトの「WEBを活用した化学物質に関する情報収集の手引き」を参照して頂きたい。

さて、まず、これらを用いるメリットを挙げてみよう。


(1)実施に必要なコストが少ない

まず、第一に挙げられることは、費用が安いということである。特別な装置・設備は不要(パソコンとインターネット接続のみ)で、リスクアセスメントの実施それ自体の直接経費はきわめて低く、しかも簡単に実施できる。

また、実際に気中濃度の測定をするのと違って、事前(設計・計画段階/作業を行う前/物質の購入前等)でも、実施が可能である。

さらに、入力から結果が出るまでの時間がきわめて短いということもある。

このため、リスクがどの程度になるかについて、いつでも調べたいときに簡単に調査することができるのである。ECETOCのTRAやBAuAのEMKG、ボックスモデルなどでは、局所排気装置をつけた場合、つけない場合のリスクの比較などもできるようになっている。

そのため、専門家のいる大規模企業などでも、リスクのある職場を調べるためのスクリーニングに用いたり、なにかの作業を新たに行おうとするときに事前にリスクがどの程度かを知りたいときなどには有効な手法である。


(2)結果を出すだけなら知識は不要(諸刃の剣)

また、他のメリットとしては、実施をしてたんに結果を出すだけであれば、化学物質やリスク工学に関する特別な知識は不要であるということが挙げられる。このため、そのような専門家がいない中小零細企業でもリスクアセスメントが可能になるのである。ただ、このことは同時にデメリットにもなり得るということを次項で説明したい。


(3)評価が固まっていること

さらに、(海外のデータではあるが)多くの職場における実証試験に基づいて作成されており、評価結果の信頼性は高いということが挙げられる。ただし、これはどこまで信頼してよいか(すなわちどこまでは信頼してはならないか)が分かっているという意味であり、無条件に信頼できるという意味ではない。


(4)気中濃度の測定ができない物質にでも対応可能

また、厚生労働省方式の場合、GHS分類結果さえ判っていれば、測定方法が確立していなかったり、職業暴露限界(許容濃度等)が定められていない物質でも実施が可能であるということも挙げられる。第三種有機溶剤などでは、ガソリンなどを別にすれば、そもそも作業環境測定など不可能である。しかし、このような化学物質でもリスクアセスメントが可能なのである。なお、厚労省方式以外の一部のコントロールバンディングではRフレーズでも実施可能なものがある。


3 簡易なリスクアセスメント手法を用いるデメリット

次にデメリットについて挙げよう。ただし、ここに述べる「デメリット」は、本来はむしろ「特性/特徴」あるいは「仕様」ともいうべきものであり、それを理解したうえでこれらのリスクアセスメントツールを用いるのであればとくに問題となるようなものではない。しかしながら、後述するようにこれを理解せずに、リスクアセスメントを行って、その結果を単純に信頼してしまうと重大な問題を生じることがある。そこで、本稿ではあえて「デメリット」と表現した。


(1)過度な対策を求められる傾向がある

まず、最初に挙げるべきは、過度の対策が求められる傾向があるということであろう。簡易な手法なので、誤差が出やすく、安全率を大きくとる必要があるからである。

ただし、そのようなツールを用いてリスクアセスメントを行ったところ、出された結果が明らかに過大な対策を求められるようなものだったとしても、そのような場合には、本来は、専門家に相談するとか、他のより詳細なリスクアセスメント手法(測定など)を行ってリスクを詳細にアセスメントするとかの対応をとるべきなのである。そして、それでもリスクがあると判断されるようなら真剣に対策を考えなければならない。

ところが、「ただちに厳格な対策が必要」という結果となったとしても、「どうせ過大な評価だろう」と考えられて、そのまま放置されるおそれがある。あるいは「次善の策」でよいということになってしまうかもしれない。過大な結果が出たら放置又は次善の策で糊塗するという前提でリスクアセスメントを行うようになってしまうと、なんのためにリスクアセスメントを行うのか分からないことになる。いや、そもそもリスクアセスメントを行ったことにさえならないのではなかろうか。

ツールの開発者は安全のために過大な結果が出るようにしているのだが、そのことがかえって職場の危険性を増大させる結果になりかねないのである。このことは、化学物質のリスクアセスメントを義務付ける改正労働安全衛生法が周知・徹底されていく過程において重大な課題となると私は考えている。


(2)結果の評価には一定の知識は必要

次に挙げるべきは、リスクアセスメントの結果の評価には、やはり一定の知識は必要だということである。

確かに、それぞれのリスクアセスメントツールが想定しているような作業であれば、とくに知識がなくても簡単にリスクアセスメントができることは事実である。ところが実際の職場は、もっと複雑である。実際の職場でこれらのツールを用いようとすると、想定から外れていて、どのようにリスクアセスメントをしてよいか分からなくなるということも多いのである。

例えば、リスクアセスメントツールによっては、対象が混合物の場合はどうするのか、発散源がひとつの職場に多数あったらどうするのか、発散源ごとに局所排気装置等の設置状況が異なっていたらどう入力するのかなどといった疑問がでるものがある。それどころか、10【リットル】のタンクから50【ミリリットル】の化学物質を取り分ける場合、「使用量」とはいったいどちらを指すのかなどといった疑問すらでてくる。

ところが、意外なことに、こういった場合にどう対応するのかという、実際の現場に即した日本語のマニュアルが、現時点ではほとんど見当たらないのである。従って、実際の職場でこれらのツールを使用しようとすると、それぞれのツールの原理が分かっていて、かつある程度の応用がきかなければならないことになる。逆から言えば、化学物質管理について一定の知識・ノウハウがあって、はじめて使用可能となるのである。


(3)結果を過信してはならない

また、簡易な手法であるから、特殊な使用条件の下では実際のリスクを完全には評価できないということもある。例えば、全体換気装置/自然換気のみの作業場で、発散源と作業者の顔が近接した作業の場合などでは、どのツールを用いても正しい結論は得られない。ところが、化学物質管理の知識がないと、リスク評価の結果が「良好」だとされた場合に、現に危険な状況であるにも拘わらず、管理者が安全だと思い込むおそれがあるのである。

特殊な使用条件の下では、簡易なリスクアセスメントツールは使用できない場合があることは理解しておいた方がよい。

WEBで公開されている、Martie van Tongeren et alの作成したパワーポイントデータ「eteam Project; Results of external validation exercise.」(Evaluation of Tier 1 Exposure Assessment Models under REACH (eteam) Project )には、欧州で開発されたいくつかの簡易なリスクアセスメントの実証の結果が記載されている。

次の図は、このうちの、ECETOCのTRAの例である。左側の図はVER2で右側はVER3である。これらの図の横軸はTRAによる推測値で、縦軸は実際の個人ばく露の測定値である。ただし、いずれも対数目盛なので、データの中心線からのバラつきが実際より小さく見える傾向があるのでご留意頂きたい。

ECETOCのTRAの精度

資料出所:Martie van Tongeren et al「eteam Project; Results of external validation exercise.」

図をクリックすると拡大します

これをみると、TRAによる推定結果が10ppm程度であるにも拘らず、実際のばく露濃度は1,000ppm程度というような例もあることが分かるだろう。結果を漫然と信頼することにはやや危険な面もあるのだ。

ただし、このことはECETOCのTRAを用いることがよくないということを意味してはいない。ある程度の知識・ノウハウがあれば、どのような場合にリスクが低く見積もられてしまうかは分かるようになるものである。そのような知識がある者が、そのことを理解した上で用いるのであれば、このようなツールはきわめて有効なものなのである。そこは誤解しないで頂きたい。

過信しすぎることにも問題があるが、信用できないと決めつけることも正しい態度ではないのだ。


(4)過信するとかえってリスクが高まることも

さらに、これも当然のことだが、厚生労働省方式などGHS分類結果から有害性を判断するタイプのものでは、GHS分類及び区分が行われていないことなどによる限界が存在していることも挙げなければならない。すなわち、化学物質の有害性についてのGHS分類が行われていないような新しい物質では、過去から長年にわたって用いられてきて有害性が十分に判明している物質に比べて、リスクが低く見積もられる傾向があるのである。

たとえば、発がん性などのGHS区分は、証拠の確からしさによるから、過去にヒトがばく露する機会が多ければGHS区分での有害性は高いと評価される傾向があるのだ。エタノールとメタノールではメタノールの方の有害性が高いことは当然であるが、エタノールはヒトが摂取するものなので、有害性のデータも多いため、証拠の確からしさも高くなる。このため、エタノールとメタノールを用いる場合で、他の条件が同一だとエタノールの方がリスクが高いと判断されることがあるのだ。

すなわち、漫然とリスクアセスメントを行うと、新しい物質なら安全と評価されてしまうことになる。

これは、GHS区分では、「有害性がないことが分かっている」と「有害性があるかないか分からない」という2つが同じように評価されることにも原因がある。もちろん、この2つはまったく別なものなのであるが、結果だけを信頼すると区別がつかないことになるのである。

ここは理解されにくい面があるが、有害性の判明している物質というのは、別な面から言えば、どのように扱えば安全であるかが分かっている物資であるということにもなるのである。一方、有害性の分からない化学物質というのは、どのように扱えば安全なのかが分からない物質であるともいえる。にも拘らず、厚生労働省方式のリスクアセスメントを行うと、有害性の分からない物質のリスクは低いと判定されてしまうのだ。

このため、CSRを気にするまじめな企業においては、有害性の明確な化学物質が、有害性のわからない化学物質に代替されてしまい、潜在的なリスクがかえって増加するというおそれがあるのだ。


(5)化学物質に関する知識の低下のおそれ等

さらに、これらのツールはブラックボックスなので、実施者や管理者が、リスクの意味や危険性を現実のものとして理解しにくいという面があることも挙げなければならない。また、ブラックボックス全般に言えることではあるが、誤入力に気付きにくいということも挙げておくべきであろう。入力ミスのために明らかにおかしな結果が出ても、そのことに気づきにくいのである。

また、簡便なシステムなので、実施することによっては、実施者のリスクや化学物質の危険性に関する知識やノウハウ(さらに感性・意識)の向上が望みにくい面があるということも強調しておきたい。そもそもこれらのリスクアセスメントツールは、化学物質管理やリスク工学の知識のない中小零細企業向けに作成されたという経緯がある。そのようなものに頼りきっていれば、知識・ノウハウが低下していくことは当然であると私には思える。

このようなツールのみに頼っていると、将来の、化学物質管理に関する職場の能力が大きく低下し、回復不可能なまでになることも考えられるのだということは知っておいた方がよい。


(6)リスク低減の努力が評価されないおそれ等

私は日印産連の安全衛生委員を行っていたとき、印刷業の化学物質によるリスクを評価する機会に恵まれた。

オフセット印刷で、ブランケット洗浄という作業があるのだが、古いタイプの印刷機械では人手で洗浄する必要があるものが多いが、新型のものでは自動で洗浄されるようになっている。ブランケットというのは円柱状の形をしていて、紙にインクで印刷をするためのローラーなのだが、自動洗浄の方法には、ブランケットを高速で回転させながら、有機溶剤を含浸させた布を押し当てる方式と、高速で回転するブランケットに有機溶剤を吹き付ける方式がある。

含浸布で洗浄するときは、作業気中には有機溶剤は検知されるレベルでは出てこなかった。有機溶剤を吹き付ける方式では、吹き付けられた有機溶剤のほとんど全量が気中に出てくる。しかし、いざとなれば作業者は室外に避難することも可能である。また、有機溶剤の量を減らすことにより、気中の濃度も確実に低下させることができるのである。

一方、手洗浄の方法には、ブランケットを回転させながら作業者が上方から有機溶剤を垂らす方式と、手作業でブランケットのインクを拭き取る方式があった。前者の場合は、有機溶剤が発散している時間に作業者がそこにいなければならないという問題があるが、有機溶剤の量を減らすことにより濃度を低下させることは可能である。後者もそれは同様であるが、さらに保護手袋の使用がいいかげんだと経皮侵入のリスクがあるという問題もある。

実を言えば、いずれの方式でも、作業空間の気中濃度が上昇している時間はそれほど長くはなく、しかもピーク時でさえ有害なレベルの濃度にはならなかった。しかし、校正印刷で、ブランケット洗浄を繰り返すような場合には、濃度が高くなることは考えられる。その場合、これらのいずれの方式をとるかでリスクは大きく異なるといえる。

しかし、簡易なリスクアセスメントを用いると、これらはすべて同じレベルのリスクだと評価される可能性があるのだ。作業はいずれの場合も「洗浄」であり、同じものとして評価される。使用量は、多くても少なくても「ミリリットル単位」であるからこれも同じ評価である。すなわち、印刷機械メーカーの努力や、有機溶剤の量を減らす現場の工夫などでリスクは確実に減るにもかかわらず、リスクアセスメントを行った結果ではリスクは変わらないと評価されるのである。

つまり、リスクアセスメントの結果をそのまま信頼していると、リスクを減らすことができたにもかかわらず、そのようなことをしても無意味という結果になりかねないのだ。このこともまた、やはり簡易なリスクアセスメントの限界というべきなのであろう。

さらに、問題はそれだけではないのだ。簡易なリスクアセスメントで、蒸気圧が低い物質は高い物質よりも安全と評価するものがある。その考え方そのものは、もちろん正しい。しかし、この場合はそうともいえないのである。

有機溶剤を含浸させた布で機械洗浄する場合と、水性溶剤を高速回転するブランケットに吹き付け洗浄する場合のどちらのリスクが高いかを比較してみよう。

我々の経験では、含浸布による機械洗浄の場合、有機溶剤は気中にはほとんど出てこない。また作業者が含浸布を直接触ることもほとんどない。従って、含浸布による機械洗浄のリスクは低いとみてよい。

一方、水性溶剤を高速回転するブランケットに吹き付ければ、かなりの溶剤がミスト状になって気中に出てくる可能性がある。このことは実験で確認したわけではない。しかし、ブランケットが乾くまで回転させなければ仕事にはならないだろうから、やはり作業空間中にすべて放出されるとみてよい。これが作業者の皮膚に付着するおそれは否定できない。そうなると蒸発しにくいだけに経皮侵入のおそれは、有機溶剤よりかえって高いだろう。つまり、含浸布による機械洗浄よりもリスクは高いと思われるのだ。

ところが、簡易なリスクアセスメントでこの2つを評価すると、双方とも化学物質の使用量(ミリリットル単位)、作業内容(洗浄)、取扱温度(室温)などは同じになる。もし双方の毒性が似たようなものであれば、評価項目としては蒸気圧だけが異なることになる。すなわち、リスクの判定が反転することになりかねないのである。

簡易なリスクアセスメントをあまりに信頼しすぎると、このような、リスクを下げようという努力が評価されないばかりか、あまり意味のない対策が評価されることにもなりかねないのである。


4 様々なツールの特性

ここで、様々なツールの特性に順位付けをして一覧にしてみた。あくまでも筆者の判断であり、ご批判はあり得るものと考えて頂きたい。

なお、改正指針通達の別紙3に示されたマトリクス法である「例5」は、内容が「中災防方式」に酷似している。「中災防方式」は公的機関とはいえ特定の民間団体である中災防の開発したものであるから、この表で評価することを差し控えたことをお断りしておく。

また、数字で順位をつけているものは、あくまでも相対的な評価である。必ずしも、順位が低い場合は使いにくいというわけではない。

表:簡易なリスクアセスメントの特性

コスト及び簡便性について、気中濃度の測定等(2)を3としたが、検知管による測定は、ある程度の知識があればそれほど難しいものではない。しかし、気体採取器の点検方法、検知管の読み方、測定すべき場所などについての知識がなければ測定はできないことから3としたものである。

また、ボックスモデルを4としたのは、換気量や発散量を調べなければならないからである。これらが分かっているのであれば、その利用は難しいものではない。

結果の正確性について、個人ばく露量の測定よりも気中濃度の測定等(1)を低く評価した。これについては反論があるところだろうと思う。しかし、作業環境測定は、1日の作業時間で気中濃度が変化するような場合に、測定する時間帯を誤ると正確な結果はでない。また作業環境測定のB測定も実際には作業者の鼻や口のすぐ近くで測定することはないといってよいが、個人ばく露測定では測定の位置が作業者の鼻や口の近くになる。このことから個人ばく露測定の方を高く評価した。

また、厚生労働省方式を6とし、ECETOCのTRAやBAuAのEMKGの5よりも低くした。これは厚生労働省方式ではばく露限界をGHS分類結果から推定しているが、他の方式ではばく露限界は公表されている数値を用いることになる。その分、厚生労働省方式は誤差が大きく出ると考えたためである。

対応できない物質の少なさは、厚生労働省方式は職業暴露限界が勧告されていない物質にも対応できるが、その他の方法は職業暴露限界が分からなければ実施することはできない。ただ、コンピュータによる手法では、厚生労働省方式と同じ手法で職業暴露限界を求めることもできないわけではないので、表のような順位付けとした。

想定を外れる作業形態とは、1日の気中濃度が変化する場合や、作業者が顔を発散源に近づけるような場合に対応できるかどうかを、私なりに評価したものである。


5 最後に

最後に、私はコンピュータを用いる簡易なリスクアセスメントツールを用いることがよくないとしているわけではないということを強調しておきたい。

どのようなシステムにもメリット、デメリットはあるし、そのシステムを開発した理由・目的があるのだ。そして、コンピュータを用いたリスクアセスメントツールというのは、化学物質管理やリスク工学に専門的な知識を有する者がいることが期待できない中小零細企業において、化学物質管理を効果的に行えるようにすることが目的なのである。そのため、リスクの判定結果にある程度の不正確さがでることは織り込み済みなのである。

もちろん、メリットとデメリットを十分に理解していれば、ツールを制作した目的から外れて使用することも可能である。大規模な事業場が、職場のリスクのスクリーニングに用いたり、実際の作業を開始する前に簡易にリスクの概要を知りたいと思うような場合などにも有用なものである。

だが、化学物質のリスクアセスメントを行うときは、これらのツールを用いることが無条件に望ましいと考えたり、その特性を理解せずにリスクアセスメントの結果を無条件に信頼してしまったりすることは危険な結果をもたらすということも強調しておきたいのである。





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