※ イメージ図(©photoAC)
化学物質には多くの「別名」があり、自社で使用している化学物質の有害性や規制状況を確認しようとしても、その化学物質がどの化学物質なのかが分からないということがよくあります。
安衛法令では、新しく化学物質の規制をかけるときには、法令上の名称を IUPAC 命名法によって付けることが多いのですが、例外もあり確実ではありません。
このため、それぞれの化学物質を特定するために、これまで事実上の標準として米国のCAS RN®(CAS Registry Number®)が、全世界で一般的に用いられてきました。
CAS RN®の使用について、かつてはフリーのような扱いをされてきました。しかし、2017年からはライセンスが必要となり、商用目的は有償となっています。このことを知らずに使用を続けていると、訴えられるリスクがあります。
どのような対応が必要なのか、また必要な対応を取らないまま使用を続けた場合に予想されるペナルティ等について解説しています。
- 1 CAS RN®とは
- (1)化学物質を特定する必要性と番号の付与
- (2)CAS RN® と国際的な事実上の標準化
- (3)CAS RN®のライセンス化
- 2 どのような場合にライセンス取得が必要か
- (1)CAS RN®のライセンス費用
- (2)ライセンス取得が必要な場合
- (3)日本政府のCAS RN®の使用の方向等
- 3 ライセンス契約をせずに使用を継続するリスク
- 4 CAS RN® は他の番号に切り替えるべきか
- 5 最後に
1 CAS RN®とは
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(1)化学物質を特定する必要性と番号の付与
※ イメージ図(©photoAC)
事業場で取り扱う化学物質の安全な管理を行う場合、名称しか分からないと、その化学物質の特定に苦労することになる。化学物質には、体系名、一般名、商品名、慣用名などといった多くの名称があり、外国が絡んでいるとそれぞれの言語での呼び方もある。
そのためその物質にどのような特性があるのか、また規制がかかっているのかを調べようとしても、名称で調査することは難しいのである。
しかし、個々の化学物質ごとに独自の番号が付されていれば、特定が容易になる。そして、その番号はできるだけ、広く、一般的に使用されていることが望ましい。
安衛法令では「政令番号」が使用されることもあるが、これは個別の化学物質だけでなく、化学物質のグループにも付されるので、特定ができるわけではない。また、国際的な取引の場においても安衛法令の番号は使いずらいのである。
(2)CAS RN® と国際的な事実上の標準化
実際には、長年に渡る化学物質の取扱いの中で、CAS 登録番号(CAS RN®)が国際的に事実上の標準となってきたのである。これは、米国化学会(American Chemical Society:ACS)の情報部門であるCAS(Chemical Abstracts Service)が化学物質を識別するために付与している固有の番号である。
これは、最初は、1907年に創刊された雑誌 Chemical Abstracts(化学分野の抄録・索引誌)から重要な化学物質を抽出して作られた Chemical Substance Index(化学物質索引)がもとになっている。1965年に CAS が、それまで手作業で行っていたこの索引をシステム化して、化学物質登録システム(CAS Chemical Registry System)としたときに、化学物質に固有の識別番号(CAS登録番号)を付したのが最初である。
かつては、同じ化学物質に複数のCAS RN®が付される例や、異なる化学物質に同じCAS RN®が付される例もあったが、その後、見直しが進み、現在では個々の化学物質とCAS RN®は、ほぼ1対1でユニークとなっている。
我が国においても、経産省、厚労省、環境省など多くの省庁が化学物質の特定のために、CAS RN®を使用するようになっている。また、SDS においてもCAS RN®が書かれていないものはほとんどないところまで普及が進んでいる。
(3)CAS RN®のライセンス化
※ イメージ図(©photoAC)
しかし、2017年に米国化学会が、CAS RN®を使用するためには、ライセンスが必要になるように制度を変えたのである(※)。そのこと自体は、正当な権利の行使であり批判されるようなことではない。しかし、一般企業としては、CAS RN®の使用は自由にはできなくなったわけであり、CAS RN®の使用には十分な留意が必要となる。
※ CAS「CAS REGISTRY NUMBER(CAS RN)ライセンスプログラム」
なお、日本では一般社団法人化学情報協会が米国化学会の代理店となり、「CAS 登録番号サービス」の業務を行っている。そのため、ライセンスの取得に当たって、直接、米国化学会と英語で交渉する必要はないが、反面、疑問点がある場合などにはその解消等に時間がかかることは予想され得る。
米国では実際に、化学物質構造データベースである Pubchem を米国化学会が営業妨害として訴えた例もある(※)ようだ。
※ 「American Chemical SocietyがPubChemのシャットダウンを要求」(情報管理 Vol.48 No.4 2005)
また、米国化学会は、CAS RN® の正式な呼称として、「CAS Registry Number®」「CAS RN®」「CAS 登録番号(CAS RN®)」を用いるように求めている。これまで一般に用いられてきた「CAS No.」「CAS 番号」「キャス番号」などについては使用しないように警告している(※)。
※ これは、対応が遅れてもただちに訴えられるようなことではないが、できる限り早急に対応するべきことではあろう。
2 どのような場合にライセンス取得が必要か
(1)ライセンス取得が必要な場合
もちろん、(一社)化学情報協会も、CAS RN® のすべての使用にライセンス契約が必要としているわけではない。
しかし、現実にはライセンス契約が必要とならないような使用はきわめて特殊な場合に限られるようである。(一社)化学情報協会は、「CAS 登録番号(CAS RN®)ライセンスプログラム」において、次のような場合にはライセンスが必要であるとしている。もちろん、これは【例示】であって、これ以外の場合にはライセンスが不要ということではない。
【ライセンスが必要な例(外部公開の例)】
※ (一社)化学情報協会「CAS 登録番号(CAS RN®)ライセンスプログラム」
- CAS RN® を含めた製品情報を自社で取り扱うカタログや Web 媒体に掲載
- CAS RN® を組み込んだ自社開発システムを外部顧客に提供
- 組織で CAS RN® を含んだリストを外部に公開
要するに、CAS RN® を社外の不特定の人間の目に触れさせるのであれば、ライセンスは必要ということになる。利用形態や利用数による除外規定はない。また、使用者が個人であるか法人であるかを問わず、有償での公開か無償での公開かの区別もない。従って、当サイトのような個人サイトに CAS RN® をひとつでも載せるのであれば、ライセンス契約が必要ということになる。
なお、(一社)化学情報協会は、「CAS RN® を自社内で使用する場合や、公的文書に記載する場合は、ライセンスは不要
」とした上で、ライセンス契約が不要な場合として次のような例を挙げている。
【ライセンスが不要な例】
※ (一社)化学情報協会「CAS 登録番号(CAS RN®)ライセンスプログラム」
- 自社内の記録として CAS RN® を記載する
- 検索ツールに CAS RN® を入力して検索する
- 自社保有の試薬を管理する際、システムに入力する
- SDS(安全データシート)に記載する
- 医薬品添付文書に記載する
- グリーン購入に関する文書として記載する
- 規制法規の申請書に記載する
※ SDS(安全データシート)や医薬品添付文書、グリーン購入の文書の作成が収益事業にかかわっている場合は、ライセンスが不要な例には該当しない。
ここで、SDS(安全データシート)や医薬品添付文書への記入は除かれているが、現実にはこれらの資料は WEB サイトに掲示されることが多いだろう。従って、実質的には、SDS(安全データシート)や医薬品添付文書への記入もライセンスは必要ということになる。
当サイトのような、個人サイトの場合、事実上、CAS RN® の使用は不可能になったと考えておく方が無難である。というより、米国化学会としては、あまり個人に CAS RN® を使用して欲しくないというのが本音なのであろう。
(2)CAS RN®のライセンス費用
ア 料金が発生する場合
どのような使用形態の場合にライセンスに料金がかかるのかについては、(一社)化学情報協会の「CAS 登録番号(CAS RN®)ライセンスプログラム」は、「商用目的で CAS RN® を使用している場合、ライセンスは有料です
」(※)とされている。
※ 商用目的でなくとも、ライセンスは必要である。
しかし、何を「商用目的」というかについての定義や基準は示されていない。従って、拡大解釈されると、学術論文であっても掲載されている学会誌に広告が載っていると商用目的と判断されることもあり得る。基準をどのように定めるかは、米国化学会の裁量であるから、すべて商用目的だと判断されると考えておく方が無難である。
イ 使用料金
具体的なライセンス料は公開されておらず、「利用される CAS RN® の数に基づき CAS が算出します。利用中の CAS RN® の数、掲載されている媒体の情報とともにお問い合わせください
」とされている。
常識的には、1件につき数万円から数十万円程度であろう。いずれにせよ、金額は米国化学会の決定するところであり、交渉の余地はないだろう。
(3)日本政府のCAS RN®の使用の方向等
わが国の政府機関の関係職員に非公式に尋ねたところ、今後はCAS RN® を使用しない方向へ転換してゆくとのことであった。これは筆者の推測だが、さすがに有償となった特定の民間機関のアイテムを用いることは、公平であるべき政府としては困難なのかもしれない。
実は、筆者も、かつては当サイトで CAS RN® の使用を呼びかけたこともあり、個々の化学物質の名称にCAS RN®を付記したこともあった。しかし、その後、サイト内を精査して、原則としてCAS RN® の使用の呼びかけにはライセンスが必要であることを注記するとともに、化学物質の CAS RN® をすべて削除した(※)。
※ 併せて、「CAS No.」「CAS 番号」などの表示を CAS RN® に修正した。なお、化学物質の名称に付記した CAS RN® を削除するときに、その代わりとして政府のモデルSDSにリンクを張ると共に化審法番号を付した。
3 ライセンス契約をせずに使用を継続するリスク
もちろん、化学企業の場合は、業界団体に加入していれば、CAS RN® の使用にライセンス契約が必要になったという情報が業界団体から通知されるだろう。従って、ライセンス契約を締結するか、CAS RN® の使用を止めるかの判断をすることができることになる。
問題は、そのような情報を受けられる機会がないケースである。2017年まで CAS RN® を自由に使用できたという実態があるため、ライセンス契約が必要になったということを知らないまま、CAS RN® の使用を続けるおそれがある。
その場合にどのようなリスクがあるだろうか。常識的には、(一社)化学情報協会から警告が届いて、それまでの使用料を支払えという請求を受けることとなるだろう。警告なしにいきなり、訴えを起こされるリスクは低いだろうが、パンフレットの回収や WEB サイトの修正を短期間に求められる(※)可能性は否定できない。そればかりか、容器のラベルに CAS RN® を表示している場合、最悪ケースでは、製品の回収を求められることもあり得ないことではないのだ。
※ 企業としては、使用料の支払いを求められるより、製品の回収を指示されたりパンフレットや WEB サイトの修正を短期に求められたりする方がダメージが大きい。しかし、知的所有権のあるものの使用については、権利者による「権利の濫用(民法第1条第3項)」となるような稀有なケースを除けば、権利者の求めに応じざるを得ないのである。
もし、本稿によってライセンス契約が必要になったということを知ったのであれば、ただちにライセンス契約を結ぶか CAS RN® の使用を止める方が無難である。
4 CAS RN® は他の番号に切り替えるべきか
ただ、CAS RN® は化学物質を特定するための標準的な指標になっていることも事実である。従って、化学物質管理を行う上で CAS RN® が自由に使用できなくなることで、かなり不便になることは間違いないだろう。
しかし、先述したように、今後は日本政府も CAS RN® を使用しない方向へ動いてゆくだろう。また、個人の使用は、商用・学術的利用を問わず、事実上、不可能に近くなると考えた方がよい。そうした中で、今後は CAS RN® の使用を継続するべきかは慎重に検討した方がよいかもしれない。
筆者は、できるだけ CAS RN® の使用はなくしてゆくべきではないかと考えている。その場合、CAS RN® 以外に何が考えられるだろうか。
【CAS RN® 以外の番号】
- 化審法番号
- 安衛法番号
- EC 番号
- 国連番号
- HS コード
- 日化辞番号
いずれにしても、日本国内のローカル標準であったり、あまり普及していなかったりで、いずれも一長一短がある。ただちに CAS RN® に代わり得るものはないが、政府の動向を見つつ決めるしかないだろう。
私自身は、当面は、化審法番号を用いるのが現実的ではないかと思える。
5 最後に
※ イメージ図(©photoAC)
最後に要点をまとめてみよう。2017年まで CAS RN® はとくに制限なく使用することができたのである。だからと言って、ライセンスが必要となったことを知らないまま、まんぜんと使用していると、最悪の場合には訴えられるリスクがある(※)ことは認識した方がよい。また、訴訟を受けないまでも、パンフレットの回収・廃棄や WEB サイトの短期間での改修を求められることもあり得る。
※ 賠償額は、通常必要となる使用料の数倍になることもあると考えた方がよい。数百万円から数千万円になることもあり得ないことではない。
このような知的財産権については、トラブルが起きないように、事前に適切な対応を取っておかなければならない。そうしないことは、企業の事業運営にとってきわめてリスキーな状況だと考えるべきである。
SDS にCAS RN®を記述しているような場合であっても、それを WEB サイトにアップしていれば損害賠償請求を受けるリスクは否定できない。また、容器のラベルに CAS RN® を表示している場合、最悪ケースでは、製品の回収を求められることも考えられよう。
ライセンスを取る必要があることを知らなかったという言い訳は通用しない。ライセンスが必要だということを知らずにCAS RN®を使用していた場合は、ただちにライセンスを取得するか、CAS RN® を化審法番号などに切り替えることを検討するべきである。
これまで、労働安全衛生の世界では、様ざまな有用なツールや情報が無償で使用できることが当然という雰囲気があったように思う。だが、知的財産権が保障されなければ、民間の優秀な人材は参入してこなくなる。この CAS の動きが労働安全衛生の世界にも知的財産の尊重という雰囲気をもたらすならば、そのこと自体は歓迎すべき事態なのかもしれない。
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