複数のがん発症時の疾病の報告




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癌にかかった女性と医師

※ イメージ図(©photoAC)

厚労省は、自律的な化学物質管理を志向して2022年2月24日に改正安衛令等を公布し、同5月31日には改正安衛則等を公布しました。

この改正によって、「1年以内に2人以上の労働者が同種のがんに罹患したことを把握した場合」には、医師の意見を聴き、医師が業務に起因する疑いがあると判断した場合には都道府県労働局長に報告することが義務付けられました。

現実には、一般の医師が「業務に起因する疑いがある」かどうかを判断する方法は、国民全体の罹患率との統計的な比較によるしかないと思われ、大規模事業場の場合を除き、すべて疑いがあると判断することになると思われます。

本稿では、「複数のがん発症時の疾病の報告」について詳細に解説します。




1 はじめに

(1)複数のがん発症時の疾病の報告の義務化

執筆日時:

最終改訂:

パソコンを操作する女性

※ イメージ図(©photoAC)

厚生労働省は、化学物質の「自律的な管理」をめざして、2022年2月24日に改正安衛令等を、同5月31日には改正安衛則等を公布した。

この改正において、大きな改正の陰に隠れてあまり目立ってはいないが、「1年以内に2人以上の労働者が同種のがんに罹患したことを把握した場合」には、医師の意見を聴き、医師が業務に起因する疑いがあると判断した場合には都道府県労働局長に報告することが義務付けられた。

同一事業場内で同じ種類のがんが複数発生した場合、業務上のばく露によるものと推認されるため、1年以内に2名以上の労働者が同種のがんに罹患したことを把握したときに、医師への意見聴取等の一連の措置をとることを義務付けるものである。

これに関して新しく設けられる条文(※)は本稿の末尾に掲げた。対象となる事業場は「化学物質又は化学物質を含有する製剤を製造し、又は取り扱う業務を行う事業場」である。この化学物質は、特に限定されていないので、かなり広範な事業者が対象となると思われる。

※ 安全衛生関係省令の他の条文と同様に、本条も安衛法上の根拠条文が記されていない。厚生労働省の公式文書からは必ずしも明確ではないが、信頼できる筋からの情報によると、安衛法第100条第3項が根拠となるとのことである。従って、違反すれば同法第120条により50万円以下の罰金刑となる。


(2)これまでの経緯

驚く作業服姿の女性

※ イメージ図(©photoAC)

本条の改正のきっかけは、2012年7月に大阪の印刷業の事業場で多数の労働者が胆管癌に罹患していたことが発覚したことや、2015年12月に福井県の化学工場において多数の労働者が膀胱癌に罹患していたことが発覚したことが契機となっている。

※ 福井県の化学工業の事案の経過とその後の行政の対応は、本サイトの「安衛法の経皮ばく露対策規制」に解説したので、関心のある方は参照して頂きたい。

いずれの事件でも、同種の癌患者が発生していることを企業は知っていたにもかかわらず、それが発覚したのは、かなり経過してからであった。発覚後、行政当局は、ただちに職業がんだと認識して対策を採ったが、それまで劣悪な作業環境の中で、新たな癌患者の発症が相次いでいた(※)のである。

※ 大阪府の事件では、労働安全衛生法違反で法人と前社長が、産業医の未選任で有罪判決を受けている。なお、民事的には和解が成立した。

福井県の事件では、民事訴訟で2021年5月11日に福井地裁で原告側勝訴の判決が出され、原告被告共に控訴せず確定した。

そればかりが、これらの事件をきっかけに、同業他社でも同種の癌患者が発生していたことが後に判明している。

今回の安衛則の改正は、もっと早く行われるべきものであり、今後、この種の事件の早期発見の手立てとして重要な役割をもつものといえよう(※)

※ しかし、「1年以内に複数の罹患」というのはあまりにも限定をかけ過ぎている。なお、令和4年5月 31 日基発 0531 第9号「労働安全衛生規則等の一部を改正する省令等の施行について」は、「退職者も含め10年以内に複数の者が同種のがんに罹患したことを把握した場合等」には、本規定に準じることが望ましいとしている。

また、判断は個々の事業場単位で行うことになるが、事業者団体単位での把握を通達レベルででも指導するべきではないかと思う。


2 具体的な改正事項と留意事項

(1)具体的な把握の方法等

ア 改正の趣旨

この規定は、化学物質のばく露に起因する癌を早期に把握した事業場における癌の再発防止のみならず、国内の同様の作業を行う事業場における化学物質による癌の予防を行うことを目的として規定されたものである。

イ 把握の単位

調査をする作業服姿の女性

※ イメージ図(©photoAC)

本規定の「1年以内に2人以上の労働者」の労働者は、法的には、現に雇用する同一の事業場の労働者である。

従って、同種の化学物質を扱う複数の事業場を有する企業の場合、異なる工場でそれぞれ1人の同種の癌の罹患を確認しても対応をとる必要はないことになる。しかし、そのような場合に放置してよいと考えるべきではない。安全配慮義務の観点からも、ただちに何らかの対応をとるべきである。

また、前述した通達(令和4年5月 31 日基発 0531 第9号「労働安全衛生規則等の一部を改正する省令等の施行について」)に従い、退職者も含め10年以内に複数の者が同種の癌に罹患したことを把握した場合など、本改正の要件に該当しない場合であっても、それが化学物質を取り扱う業務に起因することが疑われると医師から意見があった場合は、本規定に準じ、都道府県労働局に報告するべきであろう。

ウ 同種の癌とは

本規定の「同種のがん」については、前述した通達により、発生部位等医学的に同じものと考えられる癌のことであるとされている。

エ 癌の罹患の把握の方法

癌に罹患した労働者の把握の方法は、労働者の自発的な申告や衛生委員会等で定めた社内の規定、休職手続等で職務上事業者が把握すること等がある。本改正省令を根拠として、労働者の個人情報の提供を強要することは避けるべきである(※)

※ だからといって、個人情報を理由に同種癌の複数発生の把握をないがしろにすることは許されない。

一方、癌に罹患したことを申告した労働者を、癌に罹患したことを理由として、安易に解雇等の不利益な取り扱いをすることも避けるべきである。まず、休職制度等の活用を図り、それが利用できない場合でも不利益な取り扱いを回避する努力を行うべきである。そのような努力をせずに一方的な不利益取り扱いをすることは、公序に反し、権利の乱用として、法律行為としては無効、事実行為としては不法行為と判断される可能性が高い。

しかしながら、広く癌罹患の情報について事業者が把握できることが望ましく、衛生委員会等においてこれらの把握の方法をあらかじめ定めておくことが望ましい。

オ 意見を聴取する医師

意見を聴取する医師は、産業医が考えられる。50人未満の事業場で産業医がいない場合は、各都道府県の産業保健総合支援センター等に相談することが考えられる。また、定期健康診断を委託している機関に所属する医師や労働者の主治医等へ相談することも可能である。

カ 派遣労働者の扱い

派遣中の労働者については、派遣先の事業者及び派遣元の事業場の双方から報告する必要がある。


(2)業務と罹患と関係の判断

ア 判断のための根拠

すでに述べたように、この規定は発がん性が明確な化学物質のみを対象にしたものではない。

本規定の「罹患が業務に起因するものと疑われると判断」については、その時点では明確な因果関係が解明されていないため確実なエビデンスがなくとも、同種の作業を行っていた場合や、別の作業であっても同一の化学物質にばく露した可能性がある場合等、化学物質に起因することが否定できないと判断されれば対象としなければならない。

現実には、一般の医師が「業務に起因する疑いがある」かどうかを判断することは不可能に近いであろう。従って、国民全体の罹患率との統計的な比較によって明らかに業務との関連が低いと考えられる場合(※)を除き、すべて疑いがあると判断するべきであろう。この点について、運用を誤ってはならない。

※ 複数の癌患者が出たにもかかわらず、一般国民の罹患率よりも罹患率が低いと判断できるのは、発症数の多い種類の癌で、作業者数が大規模な事業場に限られるだろう。そのような場合を除き、原則として、業務との関係性があると判断するべきである。

イ 対象となる化学物質等

この規定の趣旨は、その時点ではがんの発症に係る明確な因果関係が解明されていないものを対象にしている。従って、その労働者がその事業場において在職中ばく露した可能性がある全ての化学物質、業務及びその期間が対象となる。

また、記録等がなく、製剤中の化学物質の名称や作業歴が不明な場合であっても、製剤の製品名や関係者の記憶する関連情報をできる限り記載し、報告することが望ましい。


3 最後に

本規定は、大阪府の胆管癌問題や福井県の膀胱がん事案のような悲惨な案件をできる限り小規模なものに抑えるためにも、確実な運用が望まれる。

この規定を確実に運用することは、事業者にとっても、被害を小さく抑えることができるのであり、大きな利益をもたらすこととなると考えるべきである。

この種の規定は、ややもすると忘れがちになるものであるが、確実に履行されることを望みたい。


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【参考】 関係条文

【労働安全衛生規則】

(疾病の報告)

第97条の2 事業者は、化学物質又は化学物質を含有する製剤を製造し、又は取り扱う業務を行う事業場において、一年以内に二人以上の労働者が同種のがんに罹患したことを把握したときは、当該罹患が業務に起因するかどうかについて、遅滞なく、医師の意見を聴かなければならない。

 事業者は、前項の医師が、同項の罹患が業務に起因するものと疑われると判断したときは、遅滞なく、次に掲げる事項について、所轄都道府県労働局長に報告しなければならない。

 がんに罹患した労働者が当該事業場で従事した業務において製造し、又は取り扱つた化学物質の名称(化学物質を含有する製剤にあつては、当該製剤が含有する化学物質の名称)

 がんに罹患した労働者が当該事業場において従事していた業務の内容及び当該業務に従事していた期間

 がんに罹患した労働者の年齢及び性別





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